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ルイザ編

22 テオ屋敷の裏

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 翌日、ルイザたち三人はガヴァルダ屋敷をあとにした。
 元々テオには領地を案内させると言ってクロードを借りたのだから、そう何日も泊まるつもりはなかった。

 なにも一泊で帰ることはないだろうとクロードは抗議してきたが、「テオの心証を悪くするわよ」と脅してしぶしぶ従わせた。
 彼とユーナの別れは目を覆いたくなるほどの甘いひとときだったが、次にいつ会えるかわからないのだから、そこはまあいいとしよう。

 半日かけて来た道を戻り、テオの屋敷の近くでクロードを降ろした。
 ルイザの教会やムーン商会のある街は、ここからさらに数時間かけて馬を走らせる必要がある。

「ルイザ、本当にありがとう。
 ユーナと会えて、無事を知って安心できた。
 あとはぼくが、テオ様を説得するだけだ」

 行きと比べて、クロードとはずいぶん打ち解けた。
 頼りないという印象は変わらないものの、彼がまっすぐな心でユーナを愛しているのは信用できる。
 彼女のためにテオを説得すると言うのなら、本当に粘り強く話し合ってどうにかしてみせるつもりなのだろう。

「せいぜい頑張りなさい。
 ユーナを泣かせたら許さないから。
 じゃあね」

 元同僚でも親友でも、ルイザがやれるのはここまでだ。
 あとはふたりの問題で、テオとの話し合いの結果がどうなろうと、それは本人たちが対処するのが正しい。
 健やかなるときも病めるときも……ではないが、いろいろな局面を乗り越えてこそ、夫婦となったときの絆はより強固なものになる。

 ――が、

「ムーニー、帰るのは明日にするわよ。
 あんたはアタシと一緒にこっちに来て。
 見つかったときの言い訳に使うから」
「ひえ……っ。
 か、勘弁してくれよ」

 馬車を宿に向かわせると、ルイザは嫌がるムーニーを引きずってテオ屋敷の敷地内に潜り込んだ。
 庭からぐるりと建物の外側を回って、ムーニーが商談に訪れたというテオの執務室の近くに身を潜める。

 窓からこっそり覗くと、戻ってきたクロードがちょうどテオに報告に来たところだった。
 中の声が漏れ聞こえることを確認してから、ふたりで窓のそばの茂みにしゃがみ込んだ。

「こ、これ、見つかったときに言い訳できるかい?
 あっしにはノラ猫を追いかけたくらいの話しか思いつかないんだが……」
「しっ! 静かにして。
 言い訳なんてどうとでもなるわよ」
「なるかねえ」

 ぐずぐず言うムーニーを、軽く叩いて黙らせる。
 もし見つかったら、彼を茂みから蹴り出して、そっちに気を取られているあいだにルイザは逃げればいい。
 言い訳を頑張る必要があるのはムーニーだけだ。
 この男なら、最悪、金で解決してしまうことだろう。

 耳を澄ませるルイザたちに、テオに向かって熱弁するクロードの声が聞こえてきた。

「お願いします、テオ様。
 ぼくはもういちど自分を試してみたいんです。
 ガヴァルダの村を任せていただけませんか?」
「いや、しかし……さすがに時期尚早ではないかな。
 きみにはもっと私のもとで学んでほしいし、私自身もきみから学べることがまだあると思っている」
「時期尚早ということは、テオ様にものちのちそうなさるつもりがあったのですよね?
 だったら、今がいいです。
 学ぶのは、ぼくが領主に復帰してからでもできます。
 定期的に会談を開きましょう」
「おいおい……」

 強引に話を取り付けようとするクロードの様子に、テオは違和感をおぼえたようだった。

「そうだクロード、きみ、ユーナとは会えたのか?
 そのために出張したと思っていたのだが」
「あ、ええと……。
 そうです。
 おかげさまで、ユーナとは会えました」
「それはよかった。
 で、彼女の容体は?」

 テオからすれば当然の質問なのだろうが、クロードはうまい嘘を用意していなかったらしい。
 元気だとか、でも安静が必要だとかあたふたと答えているうちに、鋭いテオにはすべてがバレてしまった。

「ああ……そうか。
 ユーナは妊娠をしているんだな。
 だからきみは、慌てて村に復帰したいと言い出したのか。
 なるほどなあ」

 クロードとしては、ユーナのことを伏せているほうが、説得の成功率は上がるという目算だったのだろう。
 実際、事情を察したテオは、それまでよりもずっと落ち着いた調子でクロードに言った。

「赤ん坊が生まれるときにそばにいてやりたいなら、それは許可しよう。
 タニア医師から連絡をもらいしだい、一週間ほど休暇をとるといい。
 それでいいんじゃないか?」
「いえ、ぼくは生まれてからも離れたくないのです。
 だから――」
「だから領主に、と?
 それは少々、無理筋ではないだろうか。
 領主というのはそうやって、個人の都合でなるようなものではない」

 テオの説教が始まった。
 クロードもなにか言ってはいるが、さきほどまでの勢いは鳴りを潜め、ルイザたちにはほとんど聞き取れない。
 明らかに旗色が悪いといえる。
 少なくとも、領主として村に復帰する話は通りそうにないとルイザは思った。

「……ほんと、馬鹿な男。
 だから言ったのに。
 ユーナに大きなことを言っておいて、どう責任をとるつもりかしら」

 ため息をつきながらムーニーのほうを見る。
 と、ちょうどそのとき、彼が人の気配に気づいた。

「まずいよ、ルイザ。
 男女がふたり歩いてきている。
 このままだと見つかるかも――」
「えいっ」

 ルイザが軽く蹴ると、中腰でかがんでいたムーニーがころりと転がりながら茂みから出た。
 歩いていた男のほうが彼に気づく。
 その隙に、茂みの反対側からルイザが逃げようとしていると、

「あれ? ルイザ様だ」

 一瞬で男に正体を知られてしまった。
 屋敷の敷地に入るまえに、わざわざ地味な服に着替えていたにもかかわらず、である。

「ルイザ様、なにをなさっているのですか?」
「いや、あんた、なんでアタシのほうに来るの。
 明らかに怪しいキツネ男がそこで転がっているでしょうが」
「え、だって、おれはルイザ派なんです。
 大ファンだからすぐに気づきました」

 見ると、結婚式のときに挨拶にきた男だった。
 熱心な口調でルイザに語りかけてきたので、妙に印象に残っている。

「あ~、思い出したわ。
 アタシ派の役人よね。
 派閥なんてないって言ったでしょ」
「あはは、すみません。
 おれはエリクって言います。
 こんなところでどうなさったんですか?」
「うるさい、なんでもいいでしょ。
 大ファンだってんなら、黙って見逃しなさいよね」
「あ、はい、わかりました。
 あの子にも口止めしておきますね」

 助かった、とルイザは安堵した。
 ムーニーも「やれやれ」と苦笑しながら土で汚れた服をはたいている。
 聖女という立場なのでこの程度のことで罪に問おうとする罰当たりはいないだろうが、面倒ごとは起こさないほうがいい。

「ていうか、あんた。
 アタシの大ファンとか言いながら、メイドを屋敷の裏に連れ込んでんじゃないの」
「あこがれと恋愛は別腹ですから。
 それともルイザ様、おれと恋愛してくれます?」
「調子に乗らない!」

 頭を叩かれて喜んでいるエリクを置いて、ルイザとムーニーはそそくさと敷地から出て行った。
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