上 下
53 / 79
ルイザ編

プロローグ

しおりを挟む
「困ったわ。
 わたしったら、どこに置いたのかしら……」
「ユーナ、どうかしたの?」

 聖女ルイザは、朝の沐浴を終えた同僚に、いったいなにをしているのかと問いかけた。
 濡れた髪をタオルで乾かしながら、浴場のまわりをうろうろと歩き回っているのが目に入ったのだ。

「あ、ルイザ。
 わたしの靴を見なかった?
 ここらへんに揃えて置いたはずなのだけれど」
「靴? 知らないわね。
 そんなことより次はアタシの番だから、終わったのならさっさとどいて」
「ごめんなさい。
 髪の水気だけ取るから、もうすこしだけ待って」

 ユーナが慌てて髪を拭いている。
 きちんと水気を取ってから戻らなければ、あちこちの床に水が垂れて司祭長にどやされることになる。
 腰まである美しい栗色の髪も、こういうときには大変そうだとルイザは思った。

「靴……靴、ね」

 待っているあいだにざっと探してみるが、彼女の靴らしきものはどこにもなかった。
 まあ、そうだろう。
 おそらくはもう、簡単に見つかるようなところにはない。
 出てくるとしたら、明日か明後日になって、すでに探したはずの場所から出てくるはずだ。

 なぜならこれは、きっと人為的なものだから。
 ユーナが聖女としての仕事で町に呼ばれていることを知った誰かが、それを妨害するために靴を隠したのだ。

「お待たせしてごめんなさい。
 靴のことは諦めるわ」

 髪を乾かしたユーナが、困ったような笑顔で言った。
 こんなときに笑う必要などないのに、彼女にとって聖女とはいつでも笑みを絶やさないものなのだろう。

「諦めるって、替えの靴があるわけ?」
「ううん。
 本当ならあるのだけど、このあいだみんなで定期修理に出したばかりだから、いまは一足しかない。
 司祭長に確認して、予備がなければ今日のお務めはほかのひとに代わってもらうことになるかも」
「そう」

 短く答えて、ユーナと入れ替わりに浴場へ入った。
 タオルを頭に巻いて、肩まである金髪が水に濡れないよう保護する。
 司祭長が見たら怒りだすやりかただろうが、彼女がここに入ってくることはないので見つかるわけがない。

 沐浴も頭から冷水をかぶることになっているが、ルイザは肩口から背中に向けてすこしだけ水を流し、それで終わりにした。
 本当はフリだけして終わらせたい。
 でも、それではさすがに神様の加護が薄れてしまうかもしれないので、仕方なくすこしは濡れておく。

「神様……か。
 本当に見守ってくれているなら、あの子の靴がなくなるのをただ見ていたってことよね。
 どういう気持ちなのか聞いてみたいところだわ」

 つい口に出してしまう。
 ルイザは、ユーナの純粋さにいらついていた。
 誰かが盗んだとはつゆほども考えないで、自分がうっかり別のところに置いたのではないかと探していたあの姿が、とても歯がゆくて腹立たしかった。

 自分だったらどうしただろう、とルイザは考える。

 やみくもに探すようなことはせず、犯人に当たりをつけて問いただす自分が容易に想像できた。
 最初に詰問すべきは、アイーシャだ。
 先日、みんなの靴をそろそろ定期修理に出さないかと言い出したのが、彼女だったからだ。

 教会で暮らす者は、新しく物を買うことが極端に少ない。
 寄付された物品を、可能なかぎり修繕して長く長く使うのが美徳とされている。
 靴もそのひとつだが、このタイミングで踵を打ち直すのはいつもよりひと月ほど早い。
 それなのに、アイーシャが自分の踵がひどくすり減っていると言い張って、みんなの靴をまとめて修理に出したという経緯がある。
 突飛なことをよく言い出す彼女のことだから今回のもたんなる気まぐれの可能性はあるが、まあ、間違いなくユーナの妨害をするつもりで仕掛けたに違いない。

「あの子がやったとして、動機は……」

 アイーシャの顔を思い浮かべる。
 髪色だけはユーナに似ているその後輩は、くりくりした赤茶色の瞳でルイザのことをまっすぐに見つめてくるのが印象的だ。
 なにかにつけ、ルイザ先輩ルイザ先輩と、はにかみながら寄ってくる。
 どうやら慕ってくれているようだった。

 自分を慕ってくれている後輩が、ユーナの活躍を妨害するようなことをしている。
 ユーナは聖女のトップで、悔しいことだがルイザはナンバーツーと言われている。

「つまり……アタシの援護のつもり?」

 ルイザは小さな、しかし腹の底から絞りだすような低い声でつぶやいた。
 馬鹿にされているような気持ちだった。
 自力では勝てないと見て、悪事をはたらいてでも援護をするというのか。
 ただ応援するだけでは、絶対にトップは入れ替わらないと確信しているのか。

「……くっ」

 ルイザはおもむろにタオルを取って、頭から冷水を浴びた。
 冷たい。
 とても冷たい。
 針で刺されているのかと思うほど冷たい。

 が、濡れた金髪のあいだから覗いた彼女の青い目は、静かな怒りに燃えていた。
 ユーナでもアイーシャでもなく、自分への怒りだ。

 トップを諦めて、現状に甘んじているのはルイザ自身のことだった。
 アイーシャを責めることはできない。
 援護しなければと思わせてしまったのは、自分の弱さのせいだと思った。

「アイーシャでも、神様でも、なんでも利用してやるわ。
 アタシは全力で上をめざす。
 ねえ、神様。
 いまは余所見しているのかもしれないけど、きっとアタシの存在に気づかせてあげる」

 何度も何度も冷水を浴びる。
 まるで彼女がそこにいることを、寒さに悲鳴をあげる白い肌がアピールしてくれるとでもいうかのように。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

夫が浮気相手を妊娠させました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:298pt お気に入り:522

皆様ごきげんよう。悪役令嬢はこれにて退場させていただきます。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:399

暗殺者は異世界でスローライフ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:163pt お気に入り:5

劣等の魔法士〜魔法は使えないけど、魔力は使えるので十分です〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:431

光のもとで1

青春 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:344

上杉山御剣は躊躇しない

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:9

婚約破棄されまして☆別冊!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:839

処理中です...