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クロード編
24 領主の右腕
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クロードがテオを補佐するようになって以降、領内は誰の目にも明らかなほどの発展を遂げた。
テオが制度を作り、その制度によって発生した人びとへの悪影響をクロードが指摘する。
得意分野の異なるふたりが両輪となることで、経済を成長させながら貧富の格差を防ぐという難題をクリアしつつあった。
「ありがとうクロード。
今回もまた助けられたな。
まさか肉の関税を下げることによって、宿屋の経費がかさむことになるとは思わなかった」
「ぼくも話を聞いたときは耳を疑いましたよ。
なんでも、肉料理のために油が使われたせいで、夜通し明かりをつけておくための燃料代が馬鹿にならない価格になったそうです。
よかれと思ってやったことでわりを食う人がいるというのは、実際になってみないとわからないものですね」
「ああ、そういう街の声がすべて届くのはきみのおかげだ。
すごく助かっている」
テオからの何度目だかわからない賛辞を受けて、クロードは自分の仕事っぷりに満足感をおぼえていた。
――が、ひとつ残念なことがある。
「あの、テオ様……。
ユーナは今日はなにか用事でしょうか?」
執務室のなかには、テオとクロードのふたりしかいない。
いつもなら、クロードが褒められるたびに自分のことのように喜んでくれる彼女がいる。
贅沢なことかもしれないが、クロードはせっかく褒めてもらうなら、彼女がいるときがよかったと思っていた。
クロードの質問に、テオはすこし困った顔をして答える。
「ユーナは、体調がすぐれなくて休みをとらせている。
ここ数日どうも様子がおかしかったのだが、今朝ついに私のまえで床に座り込んでしまってね。
我慢づよい彼女のことだから、ずいぶん無理をしていたんじゃないだろうか」
「病気ですか?」
「わからない。
タニアに診てもらったから、彼女なら詳しいことを知っているかもしれないが。
なにぶん女性の身体のことだからね、雇い主といえど、気軽に聞き出していいものではないだろう」
ユーナが病気?
クロードは落ち着かない気持ちになった。
領主補佐になってからは毎日のようにテオの執務室を訪れていたので、ここ数ヶ月、彼女の顔を見なかった日はない。
顔色は……普段から透けるように白い肌をしているので、血の気が引いてもわかりにくいだろう。
ただ、たしかにテオの言うように、先週あたりから笑顔に元気がなかったようにも思う。
クロードにはいつも最高の笑顔を見せようとしてくれていただろうから、それが曇っていたとすれば、よほどのことなのかもしれない。
(重病だったらどうしよう……。
いや、ぼくの全財産をかけてでも治療してもらう。
なによりも大切なひとなんだ。
絶対に失うわけにはいかない)
すぐユーナの部屋に飛んで行きたかったが、メイドたちの宿舎は男が入らぬよう別館となっている。
ユーナがクロードの部屋に来ることは可能でも、その逆はほとんど不可能だ。
というか、そんなことにチャレンジして、もし見つかったら領主をめざすどころの話ではない。
不埒者として放逐されてしまう。
幸い、タニア医師のことはよく知っている。
彼女には以前、ガヴァルダ屋敷の主治医をしてもらっていた。
腕はたしかだし、気心も知れている。
雇い主のテオでは聞けなくても、ユーナと深い関係にあるクロードなら状況を聞いても罰は当たるまい。
「テオ様、ぼくこれから用事が――」
「タニアに訊きに行くんだろう?
さっきからそわそわして、仕事の話にぜんぜん身が入っていないじゃないか。
しょうがないやつだな。
話は明日にするから、行ってくれ」
「はい、申し訳ありません」
執務室を飛び出すと、クロードは身支度もそこそこに、街にあるタニアの診療所へと向かった。
「タニア先生!」
息を切らして訪問した彼に、タニアは驚いている。
彼女はもう四十近いはずだが、精力的に働いているせいか二十代でも通用するほど若々しい。
短髪なのは昔のままだが、すこし顔がふっくらしたような気がするとクロードは思った。
「まあ、懐かしい顔を見た。
あなた本当に立派になったわね。
評判はあちこちで聞いているよ、テオ・ティンズリーの右腕さん」
「ありがとうございます。
タニアという名医の評判も相当ですよ。
医者のよしあしは手先の器用さだという者もいますが、ぼくは研究熱心なことが重要だと思います。
先生はいろいろな国から最新の書物を取り寄せて、常に勉強を欠かさないと聞いています。
さすがガヴァルダの主治医だと、ぼくも鼻が高い」
「ふふ、口もうまくなったのね。
それで今日はどうしたの?
急患……ってわけでもなさそうよね」
クロードは、ユーナと付き合っていることを打ち明け、彼女の病状を質問した。
屋敷ではクロードに悪評が立つことを恐れるユーナの意向で内緒にしている付き合いだが、古い知り合いであるタニアにまで隠す必要はないだろう。
案の定、彼女はふたりのことを祝福してくれた。
「なるほどね。
あれはもう三年前になるのかしら?
あなたの屋敷で会ったあの聖女様が、あなたと結婚を誓い合うまでになるとはねえ……」
「遠い目をするのはあとにしてください。
それでユーナはどうなのですか?」
「うーん……それなんだけどね……」
ごくりと息を飲むクロードに、医師は告げた。
「誰にも言わないようお願いされているの。
とくに、職場には絶対に知られたくないって。
あなたたちふたりとも、テオ・ティンズリーの屋敷で働いているんでしょう?
だから言えない。
私を名医だと称えるなら、患者を守る医師としての矜持を傷つけさせないでね」
テオが制度を作り、その制度によって発生した人びとへの悪影響をクロードが指摘する。
得意分野の異なるふたりが両輪となることで、経済を成長させながら貧富の格差を防ぐという難題をクリアしつつあった。
「ありがとうクロード。
今回もまた助けられたな。
まさか肉の関税を下げることによって、宿屋の経費がかさむことになるとは思わなかった」
「ぼくも話を聞いたときは耳を疑いましたよ。
なんでも、肉料理のために油が使われたせいで、夜通し明かりをつけておくための燃料代が馬鹿にならない価格になったそうです。
よかれと思ってやったことでわりを食う人がいるというのは、実際になってみないとわからないものですね」
「ああ、そういう街の声がすべて届くのはきみのおかげだ。
すごく助かっている」
テオからの何度目だかわからない賛辞を受けて、クロードは自分の仕事っぷりに満足感をおぼえていた。
――が、ひとつ残念なことがある。
「あの、テオ様……。
ユーナは今日はなにか用事でしょうか?」
執務室のなかには、テオとクロードのふたりしかいない。
いつもなら、クロードが褒められるたびに自分のことのように喜んでくれる彼女がいる。
贅沢なことかもしれないが、クロードはせっかく褒めてもらうなら、彼女がいるときがよかったと思っていた。
クロードの質問に、テオはすこし困った顔をして答える。
「ユーナは、体調がすぐれなくて休みをとらせている。
ここ数日どうも様子がおかしかったのだが、今朝ついに私のまえで床に座り込んでしまってね。
我慢づよい彼女のことだから、ずいぶん無理をしていたんじゃないだろうか」
「病気ですか?」
「わからない。
タニアに診てもらったから、彼女なら詳しいことを知っているかもしれないが。
なにぶん女性の身体のことだからね、雇い主といえど、気軽に聞き出していいものではないだろう」
ユーナが病気?
クロードは落ち着かない気持ちになった。
領主補佐になってからは毎日のようにテオの執務室を訪れていたので、ここ数ヶ月、彼女の顔を見なかった日はない。
顔色は……普段から透けるように白い肌をしているので、血の気が引いてもわかりにくいだろう。
ただ、たしかにテオの言うように、先週あたりから笑顔に元気がなかったようにも思う。
クロードにはいつも最高の笑顔を見せようとしてくれていただろうから、それが曇っていたとすれば、よほどのことなのかもしれない。
(重病だったらどうしよう……。
いや、ぼくの全財産をかけてでも治療してもらう。
なによりも大切なひとなんだ。
絶対に失うわけにはいかない)
すぐユーナの部屋に飛んで行きたかったが、メイドたちの宿舎は男が入らぬよう別館となっている。
ユーナがクロードの部屋に来ることは可能でも、その逆はほとんど不可能だ。
というか、そんなことにチャレンジして、もし見つかったら領主をめざすどころの話ではない。
不埒者として放逐されてしまう。
幸い、タニア医師のことはよく知っている。
彼女には以前、ガヴァルダ屋敷の主治医をしてもらっていた。
腕はたしかだし、気心も知れている。
雇い主のテオでは聞けなくても、ユーナと深い関係にあるクロードなら状況を聞いても罰は当たるまい。
「テオ様、ぼくこれから用事が――」
「タニアに訊きに行くんだろう?
さっきからそわそわして、仕事の話にぜんぜん身が入っていないじゃないか。
しょうがないやつだな。
話は明日にするから、行ってくれ」
「はい、申し訳ありません」
執務室を飛び出すと、クロードは身支度もそこそこに、街にあるタニアの診療所へと向かった。
「タニア先生!」
息を切らして訪問した彼に、タニアは驚いている。
彼女はもう四十近いはずだが、精力的に働いているせいか二十代でも通用するほど若々しい。
短髪なのは昔のままだが、すこし顔がふっくらしたような気がするとクロードは思った。
「まあ、懐かしい顔を見た。
あなた本当に立派になったわね。
評判はあちこちで聞いているよ、テオ・ティンズリーの右腕さん」
「ありがとうございます。
タニアという名医の評判も相当ですよ。
医者のよしあしは手先の器用さだという者もいますが、ぼくは研究熱心なことが重要だと思います。
先生はいろいろな国から最新の書物を取り寄せて、常に勉強を欠かさないと聞いています。
さすがガヴァルダの主治医だと、ぼくも鼻が高い」
「ふふ、口もうまくなったのね。
それで今日はどうしたの?
急患……ってわけでもなさそうよね」
クロードは、ユーナと付き合っていることを打ち明け、彼女の病状を質問した。
屋敷ではクロードに悪評が立つことを恐れるユーナの意向で内緒にしている付き合いだが、古い知り合いであるタニアにまで隠す必要はないだろう。
案の定、彼女はふたりのことを祝福してくれた。
「なるほどね。
あれはもう三年前になるのかしら?
あなたの屋敷で会ったあの聖女様が、あなたと結婚を誓い合うまでになるとはねえ……」
「遠い目をするのはあとにしてください。
それでユーナはどうなのですか?」
「うーん……それなんだけどね……」
ごくりと息を飲むクロードに、医師は告げた。
「誰にも言わないようお願いされているの。
とくに、職場には絶対に知られたくないって。
あなたたちふたりとも、テオ・ティンズリーの屋敷で働いているんでしょう?
だから言えない。
私を名医だと称えるなら、患者を守る医師としての矜持を傷つけさせないでね」
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