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クロード編

20 告白

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 クロードが慌てて駆け寄り、ユーナとふたりで窓枠に手をついて下を見る。

 若干低い位置にある納屋の上を、アイーシャがとことこと歩いていくのが見えた。
 ユーナが言っていた階段状の木箱は奥のほうにあるらしく、そこまでたどり着いた彼女のシルエットは、すっと屋根から降りて夜の闇のなかへと溶けていった。

「行ってしまった……」
「待つしかなさそうですね」

 アイーシャの突飛な行動に、旧知のユーナは慣れているのかもしれない。
 やれやれといった感じでベッドにすとんと腰掛け、クロードにも横に座るよう片手で示した。

 ふたり並んでベッドに座る。
 よく考えると――いや、考えるまでもなく、男女が親密な関係になるシチュエーションだ。
 さっきまでのアイーシャに迫られていたときとは違う、口がカラカラになるような緊張感が漂ってきた。

「クロード……。
 いま、なにを考えていますか?」
「え、いや……」

 横顔をじっと見られている気配のなか、クロードは膝に両手を突いてうつむきながら考える。

(なにをって、わざわざそんなこと訊くのか?
 ぼくだって男なんだぞ。
 でも、彼女はきっとぼくが領主になるまでなにもするつもりはないだろうし、ここは無難にいかないと、幻滅させてしまう)

 よし、と心を決めて唾を飲み込む。
 喉がごくりと大きな音を立てた。

「アイーシャがいつ戻るか考えてい――」
「わたしは、クロードが好きです。
 あの屋敷で出会ってから、あなたのことばかり考えています」
「え」

 驚いて彼女のほうに顔を向けると、上気したユーナの顔と目が合った。
 印象的なグリーンの目をきらきらと潤ませ、艶やかなピンクの唇を軽く舐めて彼女は続ける。

「教会を辞めるの、結構たいへんだったんです。
 司祭長からは毎日のように慰留されるし、ルイザは自分が去るべきだと言って聞かないし。
 でもわたし、あなたのそばにいたい一心で、みんなを説き伏せました。
 この気持ち、ちゃんと伝わっていますか?」

 真剣な顔で訴えるユーナを見て、クロードは正直に白状することを決めた。

「じつは、あんまり自信がなかった。
 きみが聖女をやめてメイドになったのを知ったとき、その苦労は想像できたはずなんだ。
 でもぼくは、きみに好かれていることがなかなか信じられなくて、ずっともやもやしていた。
 あのとき……あの別れのとき、きみの胸に抱かれたぼくは、まだほとんど少年だったんだ。
 きみは保護者のような感情で見ていたのかもしれないと、自分のうぬぼれを幾度となく諌めてきた」
「そんな……!
 わたしちゃんと、好きって伝えました」
「え?」

 言われただろうか?
 あの濃厚な二ヶ月間のことは記憶に残っている。
 使用人の子どもと勘違いされた出会い。
 自慢の村を案内した日々。
 華やかになった屋敷での食事。
 水源洞窟での奇跡。
 夢破れたあとの別れの馬車。

「……ごめん、いつ言ったのかな。
 聞き逃したのかもしれない」
「いいえ、ちゃんと聞いていました!
 洞窟から屋敷に走って戻るまえ、村の人たちに責められて泣きそうになっているあなたを見て、告白して抱きしめたじゃないですか。
 理想を語るあなたが大好きって」
「あれか……」

 たしかに聞いたのを覚えている。
 が、クロードにとってはそれこそ慰めの言葉で、男性として好意をもっているという意味だとは受け取っていなかった。

「あれが……告白……」
「そうです!
 大好きだなんて、わたし言わないんですよ?
 本当に心が締めつけられるくらい好きだったから、言わなきゃと思って言ったんです」

 思わず脱力するクロードを、ユーナはぐいっと自分のほうへと引き寄せた。
 かつての別れのときのように、彼の顔を豊かな胸に押しつけていう。

「この胸にこうして触れさせるのも、好きな男のひとだからやってるんですよ?
 せっかく無駄に育ってるんだから、すこしでも気を引くことに役立てたくて。
 クロードはこれを、いったいなんだと思ってたんですか?」
「いやその……聖女だから、こう、聖母みたいな感じに母性を発揮しがちなのかなあと」
「しがちなもんですか!
 あなただけです」

 あなただからしたんです、とユーナは口をとがらせる。
 ぷいとそっぽを向いたその顔が、クロードにはたまらなく愛おしく感じられた。

「ユーナ」

 愛する女性の名前を、静かに呼ぶ。
 もしかして本当に怒ったのだろうか。
 彼女は目を閉じたまま返事をしない。

「ユーナ、ごめん。
 ぼくは、きみの気持ちを気にしすぎていた。
 領地を手放した身ということもあって、ぼくなんかが自信をもってはいけないと思っていたんだ。
 でも、これだけは胸を張って言わなくちゃいけなかった。
 ぼくは――」

 彼女の手を握って、自分の体温を伝える。
 熱くたぎった彼を知り、思わず薄い肩をぴくりと揺らしたユーナに、クロードは言った。

「ぼくは、きみを愛している。
 一緒に暮らしたとき――いや、本当を言うと、出会って一緒に洗濯物を干しているときから、ずっと好きだ。
 きみを妻にできる立派な領主になりたいと思った。
 幻滅したかい?
 ぼくは自分のために頑張っていたんだ」

 ユーナの指が、力を込めて彼の手を握り返す。
 熱くなっているのがどちらの手なのか、もう判別がつかない。
 クロードの指の一本一本を愛おしげに触りながら、ユーナは言った。

「いいえ、クロード。
 あなたは自分のために、領民の幸せをいちばんに考えていました。
 いまだってそれは変わりません。
 民を愛し、民に愛されるあなたは、理想の領主です。
 領地があるとかないとかは、じつはそんなに重要ではありません。
 だってみんながあなたを認めてくれていたら、そんなものはあとからだってついてくるのですから。
 理想があって、現実があります。
 このふたつは別々にあるものではなく、理想を道しるべとして現実を歩いてゆきます。
 あなたが夢を語るかぎり、道は続いていく。
 そしてその横には、わたしがいます」

 力づよい言葉だった。
 ユーナというひとりの女性が、その人生を懸けて全力でクロードのことを応援してくれているのが心の底から理解できた。

 これが愛か……とクロードは思った。
 相手を想うことと、自分の気持ちを信じること。
 両方が揃うと、こうして心が通じ合う。
 ユーナにどう思われているかなどと、不安に感じていた自分が未熟だった。

 彼女がなにもかもを打ち捨てて追いかけてきてくれたことと、その彼女を愛しく想うこの気持ちがあれば、それだけで充分。
 不安などどこにもない。
 ユーナはそれがわかっているから、信じる未来のためにまっすぐ進みつづけることができる。

「クロード……」

 切なげに開いたユーナの唇が、彼の名を呼ぶ。
 クロードはもう悩まないと決めた。

 彼女の身体を抱きしめて、その唇に彼の唇を重ねる。
 小さく柔らかいその唇が、クロードのことを優しく受け入れてくれた。

「ん……」

 何度も何度も口づけを交わし、ようやく離れる。
 ユーナの頬は桜色を通り越して、ほとんど熟れたように真っ赤になっている。
 目はうるんで、いつもの何倍も色っぽい。

 クロードは彼女がなにを求めているのかわかっていたが、子どもではないひとりの紳士として確認した。

「ここで、いいかな?
 あんまりロマンチックとはいえない場所だけど」
「ううん、そんなことないわ」

 長いまつ毛のあいだから、魅力的な緑の目が見つめている。
 うっとりと彼を眺めて、ユーナは言う。

「仕事中にあなたを見かけるだけで、わたしは夢のなかにいるみたいになって大変だった。
 好きすぎるって困ったものね。
 あなたがいるだけで、いつでもそこがロマンチックに見えてしまうんだもの」
「困ることなんかないさ。
 ぼくはきみを、どこでも愛したい」
「仕事中はダメよ?」
「だったら、いまは問題ないね」
「もうっ」

 クロードとユーナはじゃれ合うようにしながら身を絡ませ、ふたりでベッドのなかに深く身体を沈めていった。
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