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下界のラムバスタ王国では、盛大な結婚式が執りおこなわれていた。
純白のドレスに身を包んだ可愛らしい花嫁は、気取った理屈屋の王太子の横で、可憐な花のような笑顔を国民たちに振りまいている。
幸福という言葉を具現化したような景色だ。
「はあ……。
深刻なエレーナロスだわ~」
わたくしは空の上にある女神の座から、ごろりと寝そべって下界を眺めていた。
ここに戻ってきてもう二ヶ月も経つが、いまだになにもやる気が起きない。
ため息ばかりが唇から漏れてくる。
下界につむじ風が増えていたら、それはきっとわたくしのせいだろう。
「あのルチアとかいうやつへの復讐を見届けて、記録書にそれを書いたところまでは、まだ元気だったのだけれど。
そこからはもう、虚無よ。
下界で起こるすべての出来事が見えるのに、そのどれもがわたくしとは無関係な、他人事ばかり。
これを虚無といわずしてなにが虚無かしら。
まえのわたくしは、これに耐えられなくなって下界に遊びにいったのよね」
たくさん痛かったりつらかったりしたけど、あんなに笑ったのも初めてのことだった。
人間たちが死んで生まれてを飽きずに繰り返しているのも、きっとあの楽しい気分のためだろうと思う。
「また行きたいわね……」
でも、あんな事件の原因になってしまったのだから、さすがに再び受肉するのはためらわれた。
それくらいの分別は、わたくしにだってある。
我慢、我慢だ。
「せめてエレーナ見てよっと」
横にいるのがわたくしではないのは癪だけど、彼女の幸せそうな様子を見ていると心があたたかくなる。
ラムバスタ国民も同じ気持ちだろう。
街の洋裁屋の娘が王太子の結婚相手であることが発表されたときには、いろいろな意見があった。
だが、ルチア王女が投獄されたいまとなっては過激な反対派は存在しない。
なんだかんだいいながらも参列した国民たちは、エレーナの溢れんばかりの輝きを目にして、王太子を羨ましく思わざるをえなかったにちがいない。
エレーナが王太子を見つめている。
彼女の愛は、彼のものなのだ。
「ああ、羨ましいわ……」
熱い口づけを見ていられなくなって、わたくしは式典から目を逸らした。
町はずれのオルガン屋に目を移す。
わたくしが人間として過ごすあいだ、仮の住まいとしていた空間だ。
わたくしがこちらに戻るときに、時間から隔絶された部屋としての役目を終え、もとの廃店舗に戻った。
記録書は思い出としてこちらに移動させたけど、エレーナと一緒に座ったソファも、笑いあったあの部屋も、もうどこにも存在しない。
いまは潰れたオルガン屋でもなくなっている。
あれから王太子が店舗を買い取り、エレーナと話し合って、そこに女神を祀る祭壇を作ったのだ。
その場所が、神話の女神の名前ではなく「オルガの祭壇」と名づけられたことに人々は首をひねったものだが、足繁く通っては祈りと花を捧げるエレーナの姿に、いつしかそこは神聖な場所として認識されるようになった。
いまも、わたくしを模した像の足元には、多くの花が供えられている。
「悪くはないわ。
なにも悪くはないけど……。
ただちょっぴり、寂しいというだけ」
エレーナは覚えていないけど、わたくしは長い長い繰り返しの日々のなか、さまざまな彼女を見てきた。
脅して王太子から引き離したときは、ずいぶん嫌われたりもしたっけ。
何ヶ月もほとんど口を利かず、旅を続けることもあった。
やり直したいと思ったのはわたくしだったのかもしれない。
リセットされるたびに新しく出会うエレーナと、しだいに距離を縮めていった。
そしてついに、仲良くなれた。
「仲良くなれたのに~!
ああん、なんでエレーナがここにいないのかしら」
と、そこで。
じたばたするわたくしの耳に、エレーナの声が聞こえてきた。
「女神様、見てくれていますか?」
観衆のなかで空を見上げ、エレーナが大きな声で呼びかけている。
「見てる!
見てるわよ、エレーナ!」
わたくしも叫ぶが、声は彼女に届かない。
ただ爽やかな風が一陣、その頬を撫でるだけ。
でも彼女は、まるでその頬をわたくしが撫でたとわかったかのように、手で触って笑顔になる。
「女神様、本当に本当にありがとうございました。
おかげで私、幸せです!」
王太子以外の周りの者にとっては、彼女のその言葉は、ただの天への感謝に聞こえたことだろう。
だが、あの部屋に集まった三人、エレーナと王太子と、わたくしだけには言葉の意味がわかる。
「女神様、あなたの『占い』で私たちは救われました。
国にはびこる災いの種を取り除くこともできました。
あの日々のことは、忘れません」
ええ、わたくしも忘れないわ。
天に祈るエレーナに、強くうなずく。
「天にまします女神様……」
彼女は目を閉じて、手を組み合わせる。
そして空に、わたくしに向かってぱっと両手を開き、
「オルガ大好き!
これからも見守っていてください!」
わたくしに、最高の笑顔を捧げてくれた。
「ええ……当たり前じゃない。
ずっと見てるんだから」
ソファの隣ではないけれど。
女神はあなたのそばに、ずっといるのだから。
「そういう愛も、悪くないわね」
女神と、それを信じる者は、愛で結ばれている。
わたくしはいつしか拗ねるのをやめて、ただ、彼女の笑顔を見て微笑んでいた。
(終)
純白のドレスに身を包んだ可愛らしい花嫁は、気取った理屈屋の王太子の横で、可憐な花のような笑顔を国民たちに振りまいている。
幸福という言葉を具現化したような景色だ。
「はあ……。
深刻なエレーナロスだわ~」
わたくしは空の上にある女神の座から、ごろりと寝そべって下界を眺めていた。
ここに戻ってきてもう二ヶ月も経つが、いまだになにもやる気が起きない。
ため息ばかりが唇から漏れてくる。
下界につむじ風が増えていたら、それはきっとわたくしのせいだろう。
「あのルチアとかいうやつへの復讐を見届けて、記録書にそれを書いたところまでは、まだ元気だったのだけれど。
そこからはもう、虚無よ。
下界で起こるすべての出来事が見えるのに、そのどれもがわたくしとは無関係な、他人事ばかり。
これを虚無といわずしてなにが虚無かしら。
まえのわたくしは、これに耐えられなくなって下界に遊びにいったのよね」
たくさん痛かったりつらかったりしたけど、あんなに笑ったのも初めてのことだった。
人間たちが死んで生まれてを飽きずに繰り返しているのも、きっとあの楽しい気分のためだろうと思う。
「また行きたいわね……」
でも、あんな事件の原因になってしまったのだから、さすがに再び受肉するのはためらわれた。
それくらいの分別は、わたくしにだってある。
我慢、我慢だ。
「せめてエレーナ見てよっと」
横にいるのがわたくしではないのは癪だけど、彼女の幸せそうな様子を見ていると心があたたかくなる。
ラムバスタ国民も同じ気持ちだろう。
街の洋裁屋の娘が王太子の結婚相手であることが発表されたときには、いろいろな意見があった。
だが、ルチア王女が投獄されたいまとなっては過激な反対派は存在しない。
なんだかんだいいながらも参列した国民たちは、エレーナの溢れんばかりの輝きを目にして、王太子を羨ましく思わざるをえなかったにちがいない。
エレーナが王太子を見つめている。
彼女の愛は、彼のものなのだ。
「ああ、羨ましいわ……」
熱い口づけを見ていられなくなって、わたくしは式典から目を逸らした。
町はずれのオルガン屋に目を移す。
わたくしが人間として過ごすあいだ、仮の住まいとしていた空間だ。
わたくしがこちらに戻るときに、時間から隔絶された部屋としての役目を終え、もとの廃店舗に戻った。
記録書は思い出としてこちらに移動させたけど、エレーナと一緒に座ったソファも、笑いあったあの部屋も、もうどこにも存在しない。
いまは潰れたオルガン屋でもなくなっている。
あれから王太子が店舗を買い取り、エレーナと話し合って、そこに女神を祀る祭壇を作ったのだ。
その場所が、神話の女神の名前ではなく「オルガの祭壇」と名づけられたことに人々は首をひねったものだが、足繁く通っては祈りと花を捧げるエレーナの姿に、いつしかそこは神聖な場所として認識されるようになった。
いまも、わたくしを模した像の足元には、多くの花が供えられている。
「悪くはないわ。
なにも悪くはないけど……。
ただちょっぴり、寂しいというだけ」
エレーナは覚えていないけど、わたくしは長い長い繰り返しの日々のなか、さまざまな彼女を見てきた。
脅して王太子から引き離したときは、ずいぶん嫌われたりもしたっけ。
何ヶ月もほとんど口を利かず、旅を続けることもあった。
やり直したいと思ったのはわたくしだったのかもしれない。
リセットされるたびに新しく出会うエレーナと、しだいに距離を縮めていった。
そしてついに、仲良くなれた。
「仲良くなれたのに~!
ああん、なんでエレーナがここにいないのかしら」
と、そこで。
じたばたするわたくしの耳に、エレーナの声が聞こえてきた。
「女神様、見てくれていますか?」
観衆のなかで空を見上げ、エレーナが大きな声で呼びかけている。
「見てる!
見てるわよ、エレーナ!」
わたくしも叫ぶが、声は彼女に届かない。
ただ爽やかな風が一陣、その頬を撫でるだけ。
でも彼女は、まるでその頬をわたくしが撫でたとわかったかのように、手で触って笑顔になる。
「女神様、本当に本当にありがとうございました。
おかげで私、幸せです!」
王太子以外の周りの者にとっては、彼女のその言葉は、ただの天への感謝に聞こえたことだろう。
だが、あの部屋に集まった三人、エレーナと王太子と、わたくしだけには言葉の意味がわかる。
「女神様、あなたの『占い』で私たちは救われました。
国にはびこる災いの種を取り除くこともできました。
あの日々のことは、忘れません」
ええ、わたくしも忘れないわ。
天に祈るエレーナに、強くうなずく。
「天にまします女神様……」
彼女は目を閉じて、手を組み合わせる。
そして空に、わたくしに向かってぱっと両手を開き、
「オルガ大好き!
これからも見守っていてください!」
わたくしに、最高の笑顔を捧げてくれた。
「ええ……当たり前じゃない。
ずっと見てるんだから」
ソファの隣ではないけれど。
女神はあなたのそばに、ずっといるのだから。
「そういう愛も、悪くないわね」
女神と、それを信じる者は、愛で結ばれている。
わたくしはいつしか拗ねるのをやめて、ただ、彼女の笑顔を見て微笑んでいた。
(終)
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