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8ターン目:守護者の黄昏
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「私の他にこの島に残っているのは…アグナジアル。私を育ててくれた先代の長だ」
二人の魔物の姿がそっくりなのは血縁だからであった。
人間とは異なる性質を持つこの魔族は長寿であるため元々数が少ない稀有な種で、確実に繁殖するための進化として雌雄同体であり、血族の間で必ず番となってずっと繰り返し繁栄してきた。同じ遺伝子を繰り返すように一族の中でのみ繁殖していくため、同じ血を引いたものは瓜二つの容姿をしている。それもまた問題なく番うための進化なのかもしれない。
アグナジアルはエルメディウスよりも先に生まれた言わば兄弟だった。
エルメディウスが産まれて間もない頃が最も島への人間の侵攻が激しく、日々の激しい戦火の中で疲れ果てた親世代の魔王達はようやく人間が後退していくのを見届けてから、皆眠りに就くことを選んでいった。
永い命を持つこの種の終焉の仕方は限られていて、死傷する以外の一般的な終え方は深い眠りに落ち、自然に還っていくこと。
この島の大地から湧く特殊な魔気の正体は、永遠の眠りに就いた魔族が自然に還っていく過程で、眠りながらゆっくりとゆっくりと体が分解され、大地や木々の一部になることでその身に宿した魔力が少しずつ放出されたものだった。
この魔族達がこの島をずっと守り抜いてきたのは、この島自体が代々続く彼らの遠い遠い先祖からの墓だからだ。彼らは墓守りなのだ。
アグナジアルが島の長になる頃には稀少な種はかなり数を減らし、いくつか存在していたはずの一族もいつの間にか姿を消していった。その末に二人きりになったのだという。
まだエルメディウスが幼いうち暫くは二人で暮らしていたが、エルメディウスが成体に成長するとアグナジアルは別な場所に居を構えるようになった。
独り立ちするのが習わしだったからだ。
それから100年ほどはエルメディウスはアグナジアルに支えられながら一人で暮らしていたが、ある時急に長の座を交代することになった。
エルメディウスが長となってからこれまで、アグナジアルは以前と変わって身を潜めるようになってしまい殆ど見かけなくなった、とエルメディウスは語った。
エルメディウスもまたアグナジアルという存在を生来の番として当たり前のように認識している事が分かるとリデルはショックを受けた。
彼らにとってはごく自然なことなのだろう。
けれど家族間で義務的に繁栄を担っていくとはどういうことなのか、人間の世界しか知らないリデルには理解は出来なかった。
エルメディウスら魔族にはそもそも色恋など無いのかもしれない。
ということは、エルメディウスがリデルに好意を寄せる、などあり得ないということだ。
リデルは浮かれていたここ数日間をひどく呪い、恥じた。
勝手に燃え上がりそして今無様に消沈する気持ちに蓋をすることに努めながら、リデルは改めてこの島に来た目的を達成することを心に決めたのだった。
やっと探し当てた白髪の魔族は子供の頃に記憶した姿と少し変わってしまっている。
するりとこぼれ落ちるように木の枝から降り立った姿はエルメディウスよりも小柄で華奢で折れそうだ。
風圧でふわりと舞い上がる髪の毛からエルメディウスよりも淡く甘い花の香りが漂う。
「貴方に、あの時の礼が言いたい…!そのためにここに来た」
真っ直ぐに自らを見つめるリデルの眼差しをアグナジアルの瞳が受け止める。
「子供の頃、貴方がくれた全癒の実のお陰で母は助かった…ありが、…?」
不意にアグナジアルの指がリデルの唇に触れ、言葉を制止する。面食らったリデルが呆気にとられる様子にアグナジアルは目を細めながら「シー」と静寂を促す。
「私に恩義があるというのならば、それを返してもらおう。昨夜は急を要していた故、賭け事のような手段で引き留めてしまったが、無事思いとどまったようで安心した……勇者殿にも帰還したい都合はあるだろうが、どうかこの後もあの子の側に居てやってはくれまいか…?」
アグナジアルからの要求にリデルは疑問に満ちる。エルメディウスの番は自分自身なのではなかったのか。なぜよそ者の男をあてがうのか、なんのために引き止めたのか…。疑念を抱きながら間近にいるかつての魔王を観察する。
白髪なのは色素がすっかり抜けたからのようで、色のない髪の毛は光が透けて見えている。
青白い肌の下は骨格が分かりそうなほどに痩せていた。欠けた角の断面は乾燥していて崩れ落ちたように見える。
あちこちに視線を巡らせていると、風でなびいた衣の隙間に皮膚の変色した部分を見つけてしまう。
これは、毒だ。
毒に冒された時に皮膚に出る紫斑だった。
エルメディウスと比べるとひどく儚げに見えるアグナジアルは毒に蝕まれ体を壊したのだろう。
リデルはそう勘づいた。
「私には時間がない…私の代わりになる者がここを訪れるのを待っていた。僅かに残った先読みの力で勇者殿の姿が見えた。まさかあの時の子供がこうしてここへ戻ってくるとは……これもまた何らかの定め…。私への恩はあの子へ返してやってほしい」
思いもよらぬ申し出にリデルは暫く言葉を失っていた。簡単に代わりが務まるようなものなのか、エルメディウス自身がそれを本当に了承するのか…そして何より…
「貴方は、どうする気だ」
口を塞ぐアグナジアルの手を掴みながらリデルは問う。ようやくようやく出会えた恩人の行方が気がかりでないはずがない。
アグナジアルの話ぶりから何となく察しがついたが、顔を合わせて数回の魔物相手だとしてもリデルは認めたくなかった。
問いには答えず遠くを望むような眼差しで哀しげに寂しげに微笑みを浮かべた白い魔物を放っておけるはずがない。
「あの子はとても優しい子だ。それ故守り手になってから心を患った…。けれど勇者殿が来てからはまた幼子の時のように生き返った…私では救えぬ。側にいれば脅かすばかりだ。これで良い。それに私は、勇者殿が思うような者ではない。あの子と違い人間を殺めたこともある。人間が思い描く通りの邪悪で野蛮な生き物なのだ」
無理をして自虐的に振る舞っているようしか見えないアグナジアルに居てもたってもいられない感情のうねりを感じる。
このままこの細い腕を離したら途端に消えてしまう。リデルにはそう思えた。
きっとエルメディウスも、唯一の家族であるアグナジアルを失うことを受け入れられるわけがない。
アグナジアルの事を語っていたエルメディウスはとても優しい顔をしていた。
アグナジアルが「あの子」の事を語るのと同じ表情だった。
「もう、離せ」
腕を離さないリデルの体をアグナジアルは煩わしそうにする。そんな仕草や表情もエルメディウスにそっくりだ。
引き剥がそうと身を捩り掴む手を外そうとするアグナジアルの体をリデルはぐっと抱き上げた。
突然の事に驚くアグナジアルをそのままにリデルは神殿のねぐらを目指し始める。
「何をする!聞いているのか?」
腕の中で暴れる様子もエルメディウスと同じだ。
リデルはついつい笑いが溢れてしまう。
「ダメだ、あの子には会えない…!この姿を見せたくない…!頼む!あの子は何も知らないのだ…!」
リデルは渋々歩を止める。
エルメディウスは何も知らない。
…つまりアグナジアルが弱っていることに気付いていないということか…。
二人が会うことの無くなったと言っていた期間、アグナジアルはたった一人で毒に苦しみぬき、今にも朽ち果てそうな状態で生き長らえた。
先の魔王としてのプライドか、我が子同然の相手に心配をかけまいとする親心か…。
それともエルメディウスの番として生まれた意地か。
「………貴方の寝ぐらはどこだ」
リデルは考え抜いた末に尋ねる。
向けられた質問とリデルの表情に彼が自分を離す気がないと悟る。
夜の帳が降り冷え込み始める島の大気にアグナジアルの体は軋み始めていた。
昨夜と今日と、動きすぎた。
抗い逃げられるほどの体力はなかった。
アグナジアルは諦めて森の奥を指差す。
その夜、リデルは神殿の寝ぐらには戻ってこなかった。エルメディウスは焚き火に薪をくべながら、じっと寝ぐらの入り口を見つめていた。
続く
二人の魔物の姿がそっくりなのは血縁だからであった。
人間とは異なる性質を持つこの魔族は長寿であるため元々数が少ない稀有な種で、確実に繁殖するための進化として雌雄同体であり、血族の間で必ず番となってずっと繰り返し繁栄してきた。同じ遺伝子を繰り返すように一族の中でのみ繁殖していくため、同じ血を引いたものは瓜二つの容姿をしている。それもまた問題なく番うための進化なのかもしれない。
アグナジアルはエルメディウスよりも先に生まれた言わば兄弟だった。
エルメディウスが産まれて間もない頃が最も島への人間の侵攻が激しく、日々の激しい戦火の中で疲れ果てた親世代の魔王達はようやく人間が後退していくのを見届けてから、皆眠りに就くことを選んでいった。
永い命を持つこの種の終焉の仕方は限られていて、死傷する以外の一般的な終え方は深い眠りに落ち、自然に還っていくこと。
この島の大地から湧く特殊な魔気の正体は、永遠の眠りに就いた魔族が自然に還っていく過程で、眠りながらゆっくりとゆっくりと体が分解され、大地や木々の一部になることでその身に宿した魔力が少しずつ放出されたものだった。
この魔族達がこの島をずっと守り抜いてきたのは、この島自体が代々続く彼らの遠い遠い先祖からの墓だからだ。彼らは墓守りなのだ。
アグナジアルが島の長になる頃には稀少な種はかなり数を減らし、いくつか存在していたはずの一族もいつの間にか姿を消していった。その末に二人きりになったのだという。
まだエルメディウスが幼いうち暫くは二人で暮らしていたが、エルメディウスが成体に成長するとアグナジアルは別な場所に居を構えるようになった。
独り立ちするのが習わしだったからだ。
それから100年ほどはエルメディウスはアグナジアルに支えられながら一人で暮らしていたが、ある時急に長の座を交代することになった。
エルメディウスが長となってからこれまで、アグナジアルは以前と変わって身を潜めるようになってしまい殆ど見かけなくなった、とエルメディウスは語った。
エルメディウスもまたアグナジアルという存在を生来の番として当たり前のように認識している事が分かるとリデルはショックを受けた。
彼らにとってはごく自然なことなのだろう。
けれど家族間で義務的に繁栄を担っていくとはどういうことなのか、人間の世界しか知らないリデルには理解は出来なかった。
エルメディウスら魔族にはそもそも色恋など無いのかもしれない。
ということは、エルメディウスがリデルに好意を寄せる、などあり得ないということだ。
リデルは浮かれていたここ数日間をひどく呪い、恥じた。
勝手に燃え上がりそして今無様に消沈する気持ちに蓋をすることに努めながら、リデルは改めてこの島に来た目的を達成することを心に決めたのだった。
やっと探し当てた白髪の魔族は子供の頃に記憶した姿と少し変わってしまっている。
するりとこぼれ落ちるように木の枝から降り立った姿はエルメディウスよりも小柄で華奢で折れそうだ。
風圧でふわりと舞い上がる髪の毛からエルメディウスよりも淡く甘い花の香りが漂う。
「貴方に、あの時の礼が言いたい…!そのためにここに来た」
真っ直ぐに自らを見つめるリデルの眼差しをアグナジアルの瞳が受け止める。
「子供の頃、貴方がくれた全癒の実のお陰で母は助かった…ありが、…?」
不意にアグナジアルの指がリデルの唇に触れ、言葉を制止する。面食らったリデルが呆気にとられる様子にアグナジアルは目を細めながら「シー」と静寂を促す。
「私に恩義があるというのならば、それを返してもらおう。昨夜は急を要していた故、賭け事のような手段で引き留めてしまったが、無事思いとどまったようで安心した……勇者殿にも帰還したい都合はあるだろうが、どうかこの後もあの子の側に居てやってはくれまいか…?」
アグナジアルからの要求にリデルは疑問に満ちる。エルメディウスの番は自分自身なのではなかったのか。なぜよそ者の男をあてがうのか、なんのために引き止めたのか…。疑念を抱きながら間近にいるかつての魔王を観察する。
白髪なのは色素がすっかり抜けたからのようで、色のない髪の毛は光が透けて見えている。
青白い肌の下は骨格が分かりそうなほどに痩せていた。欠けた角の断面は乾燥していて崩れ落ちたように見える。
あちこちに視線を巡らせていると、風でなびいた衣の隙間に皮膚の変色した部分を見つけてしまう。
これは、毒だ。
毒に冒された時に皮膚に出る紫斑だった。
エルメディウスと比べるとひどく儚げに見えるアグナジアルは毒に蝕まれ体を壊したのだろう。
リデルはそう勘づいた。
「私には時間がない…私の代わりになる者がここを訪れるのを待っていた。僅かに残った先読みの力で勇者殿の姿が見えた。まさかあの時の子供がこうしてここへ戻ってくるとは……これもまた何らかの定め…。私への恩はあの子へ返してやってほしい」
思いもよらぬ申し出にリデルは暫く言葉を失っていた。簡単に代わりが務まるようなものなのか、エルメディウス自身がそれを本当に了承するのか…そして何より…
「貴方は、どうする気だ」
口を塞ぐアグナジアルの手を掴みながらリデルは問う。ようやくようやく出会えた恩人の行方が気がかりでないはずがない。
アグナジアルの話ぶりから何となく察しがついたが、顔を合わせて数回の魔物相手だとしてもリデルは認めたくなかった。
問いには答えず遠くを望むような眼差しで哀しげに寂しげに微笑みを浮かべた白い魔物を放っておけるはずがない。
「あの子はとても優しい子だ。それ故守り手になってから心を患った…。けれど勇者殿が来てからはまた幼子の時のように生き返った…私では救えぬ。側にいれば脅かすばかりだ。これで良い。それに私は、勇者殿が思うような者ではない。あの子と違い人間を殺めたこともある。人間が思い描く通りの邪悪で野蛮な生き物なのだ」
無理をして自虐的に振る舞っているようしか見えないアグナジアルに居てもたってもいられない感情のうねりを感じる。
このままこの細い腕を離したら途端に消えてしまう。リデルにはそう思えた。
きっとエルメディウスも、唯一の家族であるアグナジアルを失うことを受け入れられるわけがない。
アグナジアルの事を語っていたエルメディウスはとても優しい顔をしていた。
アグナジアルが「あの子」の事を語るのと同じ表情だった。
「もう、離せ」
腕を離さないリデルの体をアグナジアルは煩わしそうにする。そんな仕草や表情もエルメディウスにそっくりだ。
引き剥がそうと身を捩り掴む手を外そうとするアグナジアルの体をリデルはぐっと抱き上げた。
突然の事に驚くアグナジアルをそのままにリデルは神殿のねぐらを目指し始める。
「何をする!聞いているのか?」
腕の中で暴れる様子もエルメディウスと同じだ。
リデルはついつい笑いが溢れてしまう。
「ダメだ、あの子には会えない…!この姿を見せたくない…!頼む!あの子は何も知らないのだ…!」
リデルは渋々歩を止める。
エルメディウスは何も知らない。
…つまりアグナジアルが弱っていることに気付いていないということか…。
二人が会うことの無くなったと言っていた期間、アグナジアルはたった一人で毒に苦しみぬき、今にも朽ち果てそうな状態で生き長らえた。
先の魔王としてのプライドか、我が子同然の相手に心配をかけまいとする親心か…。
それともエルメディウスの番として生まれた意地か。
「………貴方の寝ぐらはどこだ」
リデルは考え抜いた末に尋ねる。
向けられた質問とリデルの表情に彼が自分を離す気がないと悟る。
夜の帳が降り冷え込み始める島の大気にアグナジアルの体は軋み始めていた。
昨夜と今日と、動きすぎた。
抗い逃げられるほどの体力はなかった。
アグナジアルは諦めて森の奥を指差す。
その夜、リデルは神殿の寝ぐらには戻ってこなかった。エルメディウスは焚き火に薪をくべながら、じっと寝ぐらの入り口を見つめていた。
続く
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