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3ターン目:死線を越えて
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自分がどのように生まれ出でて、どんな子供時代を経てきたのか…最早遥か遠い過去の出来事のため何も思い出せない。
分かっている事は、自分と同じような存在はほんの一握りしかおらず、ずっと昔からとても閉鎖的に隠遁してきたということだ。
島の奥深く、豊かな自然や島に住む他の魔物達によって覆い隠されるように守られてきている。
魔物達はとても親切で優しく、我らに対して深い敬意を忘れない。
魔物達と我々の絆は強固なものではあるが、彼らは我々に対して常に一線を引く。
この遠慮がちな境界線が、自らが崇め奉られているからなのだと理解するようになってから、それは重くのし掛かるようになった。
「我らは常に孤独、それがさだめ。本来は望むことも望まれることもあってはならない」
家族の一人がこんなことを呟いていた。
島のほとりで遠くを眺めている横顔はとても寂しげで、その事の意味を知ってから随分と時が過ぎ去ってしまった。
はっと我に返ると口元に暖かさがあった。
額と目元を髪の毛が擽っている。
「何をする!無礼者!!」
覆い被さる人間の体を押し退けたはずだった。
眼前の男の胸を押しやっていた腕はガッチリと捕まり、ますます玉座に追いやられている。
「…嫌か?」
しつこく詰め寄る若者の顔は今にも泣きそうに歪んでいる。そんな表情とは裏腹に捕まれた腕がギリギリと絞められて痛む。
一体なんだというのか、置かれた状況が全くつかめない。この男が何をしたいのか理解も出来ない。
なんと煩わしいことか。
まともに相手をするに値しない相手だと判断する。いつものように記憶を消し、気を混乱させ追い払うしかない。
若者の精神を掌握しようと意識を集中し見透かそうと試みたが、不思議なことにその若者の中身は何も見えなかった。
何度試みようとしても何も覗けない。
それどころか、仕掛けようとする術は全く効果を見せない。
そして気付く。
術を使おうと力を込めれば込めるほど、そのそばから若者に魔力を吸い取られていることに。
…こんなことが人間に可能なのか?
驚愕と疑問に思考を巡らす間も与えられずに、若者に力任せに押さえ付けられた体は不意にフワリと浮く。
「もう帰っていいよ。目的は果たしたから…」
黒い衣に身を包んだ魔族を両腕に大事そうに抱えながら、若者は後ろを振り返り自らの連れであった数人の戦士達に告げた。
女性の治癒者が笑顔で「おめでとう」と祝福の言葉を若者に向ければ、他の仲間達も口々に同じ言葉が連なる。
若者の腕のなかで踠く魔族の混乱は置いていかれたまま、若者が引き連れていたチームは労い合いながら円満に解散し、静まり返った神殿の中で魔族と若者は遂に二人きりになった。
「いい加減に離せ!貴様も出ていけ!」
じたばたといくら暴れてもガッチリと抱き締められたまま緩むようすもなく、声を荒げても怯むこともない若者は魔族にとってこれまでに経験したことの無いレアケースそのものだった。
これ程まで自分の思い通りにならない相手は今までにただの一人もいない。
それだけではない。
他人とこんな至近距離で接したことなどあるはずもない。
じんわりと伝わってくる体温に焦りと戸惑いばかりが生まれてくる。
受け入れがたく逃れたくても若者の手は堅牢で外れない。
「嫌だ。側にいる。あんたが逃げるのを諦めるまでこうしているし、俺のものになってくれるまで追い続ける」
なんというおぞましい脅迫だろうか。
会ったばかりの素性の知れぬ相手にこうも力の差を見せ付けられた挙げ句、合否問わず束縛しようというのだ。
こんな横暴があるというのか。
カッと怒りが脳内を満たす。
例え常に命を狙われど自由に生きてきた。
誰とも交わらず孤独であっても、自由であることだけが誇りだった。
唯一の誇りを奪われる、それは死ぬことよりも許せない。
魔術も腕力も通用しない。
この若者こそ魔族にとってようやく訪れた死線なのだろう。
それでも人間に捕らわれることだけはあってはならない。
ならば、こうするしかない。
なんとかすり抜けた片腕で魔族は自分の心臓を狙う。固い爪が柔らかい皮膚と臓物を貫く。
………はずだった。
パァンと小気味いい音が神殿内に響き渡れば、若者の手があっさりと死出の一手を払い除けてしまっていた。
「違う、そうじゃない!……そうじゃない」
まるで幼子が駄々をこねるような顔をして、多くを伝えあぐねる口をパクパクさせる若者に魔族はなす術を失った。
魔族はだらんと脱力する。
抗う力を込めることに疲れた。
若者の行動を真意を読もうと思考をフル稼働させることにも疲れた。
どうせ死のうとしていたのだ。
島の守護魔族としての存在が終わったのと同等だと思えば、なるほど落としどころとしては妥当かもしれない。
自棄っぱちのようにも思える。
なれどこの若者には手も足も出ない。
気がつけばすっかり日が暮れるほど二人きりでこんな滑稽な攻防戦を繰り広げていたのだ。
剣も振るわない、魔法も放たない。
ひたすらに抱きすくめてくる若者と逃れようとする魔族と…。
馬鹿馬鹿し過ぎて失笑しか湧かない。
なんと情けないことか…。
魔王はこの勇者に屈服した。
これは降伏だ。
生かすも殺すも好きにするがいい。
「もういい…好きにしろ…」
力無く魔族が答えると、若者は嬉々として一層強く細い体を抱き締めた。
感極まった若者のめちゃくちゃな頬擦りにうんざりとしながら、魔族はその日初めて他人の体温を極間近に感じたのだった。
「あんたの名前が知りたい…」
答えていいものかどうか少し考える。
しかしこの男には何をどう誤魔化しても無駄な気がしてならない。初対面だというのにそんな気がした。
「私は…」
続く
分かっている事は、自分と同じような存在はほんの一握りしかおらず、ずっと昔からとても閉鎖的に隠遁してきたということだ。
島の奥深く、豊かな自然や島に住む他の魔物達によって覆い隠されるように守られてきている。
魔物達はとても親切で優しく、我らに対して深い敬意を忘れない。
魔物達と我々の絆は強固なものではあるが、彼らは我々に対して常に一線を引く。
この遠慮がちな境界線が、自らが崇め奉られているからなのだと理解するようになってから、それは重くのし掛かるようになった。
「我らは常に孤独、それがさだめ。本来は望むことも望まれることもあってはならない」
家族の一人がこんなことを呟いていた。
島のほとりで遠くを眺めている横顔はとても寂しげで、その事の意味を知ってから随分と時が過ぎ去ってしまった。
はっと我に返ると口元に暖かさがあった。
額と目元を髪の毛が擽っている。
「何をする!無礼者!!」
覆い被さる人間の体を押し退けたはずだった。
眼前の男の胸を押しやっていた腕はガッチリと捕まり、ますます玉座に追いやられている。
「…嫌か?」
しつこく詰め寄る若者の顔は今にも泣きそうに歪んでいる。そんな表情とは裏腹に捕まれた腕がギリギリと絞められて痛む。
一体なんだというのか、置かれた状況が全くつかめない。この男が何をしたいのか理解も出来ない。
なんと煩わしいことか。
まともに相手をするに値しない相手だと判断する。いつものように記憶を消し、気を混乱させ追い払うしかない。
若者の精神を掌握しようと意識を集中し見透かそうと試みたが、不思議なことにその若者の中身は何も見えなかった。
何度試みようとしても何も覗けない。
それどころか、仕掛けようとする術は全く効果を見せない。
そして気付く。
術を使おうと力を込めれば込めるほど、そのそばから若者に魔力を吸い取られていることに。
…こんなことが人間に可能なのか?
驚愕と疑問に思考を巡らす間も与えられずに、若者に力任せに押さえ付けられた体は不意にフワリと浮く。
「もう帰っていいよ。目的は果たしたから…」
黒い衣に身を包んだ魔族を両腕に大事そうに抱えながら、若者は後ろを振り返り自らの連れであった数人の戦士達に告げた。
女性の治癒者が笑顔で「おめでとう」と祝福の言葉を若者に向ければ、他の仲間達も口々に同じ言葉が連なる。
若者の腕のなかで踠く魔族の混乱は置いていかれたまま、若者が引き連れていたチームは労い合いながら円満に解散し、静まり返った神殿の中で魔族と若者は遂に二人きりになった。
「いい加減に離せ!貴様も出ていけ!」
じたばたといくら暴れてもガッチリと抱き締められたまま緩むようすもなく、声を荒げても怯むこともない若者は魔族にとってこれまでに経験したことの無いレアケースそのものだった。
これ程まで自分の思い通りにならない相手は今までにただの一人もいない。
それだけではない。
他人とこんな至近距離で接したことなどあるはずもない。
じんわりと伝わってくる体温に焦りと戸惑いばかりが生まれてくる。
受け入れがたく逃れたくても若者の手は堅牢で外れない。
「嫌だ。側にいる。あんたが逃げるのを諦めるまでこうしているし、俺のものになってくれるまで追い続ける」
なんというおぞましい脅迫だろうか。
会ったばかりの素性の知れぬ相手にこうも力の差を見せ付けられた挙げ句、合否問わず束縛しようというのだ。
こんな横暴があるというのか。
カッと怒りが脳内を満たす。
例え常に命を狙われど自由に生きてきた。
誰とも交わらず孤独であっても、自由であることだけが誇りだった。
唯一の誇りを奪われる、それは死ぬことよりも許せない。
魔術も腕力も通用しない。
この若者こそ魔族にとってようやく訪れた死線なのだろう。
それでも人間に捕らわれることだけはあってはならない。
ならば、こうするしかない。
なんとかすり抜けた片腕で魔族は自分の心臓を狙う。固い爪が柔らかい皮膚と臓物を貫く。
………はずだった。
パァンと小気味いい音が神殿内に響き渡れば、若者の手があっさりと死出の一手を払い除けてしまっていた。
「違う、そうじゃない!……そうじゃない」
まるで幼子が駄々をこねるような顔をして、多くを伝えあぐねる口をパクパクさせる若者に魔族はなす術を失った。
魔族はだらんと脱力する。
抗う力を込めることに疲れた。
若者の行動を真意を読もうと思考をフル稼働させることにも疲れた。
どうせ死のうとしていたのだ。
島の守護魔族としての存在が終わったのと同等だと思えば、なるほど落としどころとしては妥当かもしれない。
自棄っぱちのようにも思える。
なれどこの若者には手も足も出ない。
気がつけばすっかり日が暮れるほど二人きりでこんな滑稽な攻防戦を繰り広げていたのだ。
剣も振るわない、魔法も放たない。
ひたすらに抱きすくめてくる若者と逃れようとする魔族と…。
馬鹿馬鹿し過ぎて失笑しか湧かない。
なんと情けないことか…。
魔王はこの勇者に屈服した。
これは降伏だ。
生かすも殺すも好きにするがいい。
「もういい…好きにしろ…」
力無く魔族が答えると、若者は嬉々として一層強く細い体を抱き締めた。
感極まった若者のめちゃくちゃな頬擦りにうんざりとしながら、魔族はその日初めて他人の体温を極間近に感じたのだった。
「あんたの名前が知りたい…」
答えていいものかどうか少し考える。
しかしこの男には何をどう誤魔化しても無駄な気がしてならない。初対面だというのにそんな気がした。
「私は…」
続く
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