2 / 13
2ターン目:始まりの町と赤い果実
しおりを挟む
故郷の町はそこそこに栄えた港町だった。
周辺の村からは珍しい作物や魚がたくさんとれる。
その豊かな資源を他の国に送り出すための窓口で、盛んな交易のおかげでいつもたくさんの船が行き来していた。
その港から遥か沖の方…
天気が良ければ薄い霞みの向こう側にその島は見えた。
ーーー呪われた島。
皆がそう呼んでいた。
決して踏み入れてはならぬ土地として小さい頃から言い聞かせられてきたものだ。
″あの島には恐ろしい魔王がいる。
魔物達は今にも我らの世界を奪い取ろうと画策している。人間の生命力を吸い取り、無惨に殺してしまう残忍な魔物である。そして島に入れば必ず魔王の魔術で気が狂れてしまう″
大人達は子供達に決まってそう語る。
そして時おり船でどこからともなくやって来る戦支度の猛者達が、数日後変わり果てた姿で戻ってくるのを目の当たりにし、呪われた島に畏れ戦くのだ。
そして今日もまた、見事な武装船が港に辿り着いた。
立派な甲冑に身を包んだ戦士は、まだうら若い男性だった。国の闘技大会で優勝し、国王直々に討伐隊に任命されここへ来たのだと言う。
望まぬ任務だった様子の甲冑の若者は表情も暗くため息ばかり吐いていた。
しかし、若者の連れ達は魔王を討ち取ったあとの報酬の話で終始盛り上がっていた。
歴戦の強者で編成された彼らはよほど腕に自信があるようだった。
旅の宿の中にある酒場でその様子を見つめている少年がいた。その宿を営む女将の甥だ。女将の姉である、子供の母親が病に伏しており女将が預かっているのだ。
苦々しい様子で戦士達を見つめながら、少年はカウンターの隅で短刀を磨いていた。
酒場に来る常連の客に貰ったものだ。
その客は嘘か真か、酒に酔うといつも自らの冒険話を語り始める。
酒場の他の客達は作り話だと笑い、いつも馬鹿にしていたが少年だけは真面目にその客の冒険話に聞き入っていた。
その男は、かの島に上陸したことがあるのだと言う。
しかし、戦士としてではなく漁の最中に嵐に巻き込まれて迷い混んでしまった漁師だった。
初めは呪われた島に上がったことに気づかず、見たこともない草木や花々、特殊な風土のもたらした見事な絶景に見入っていた。
座礁した船から離れぬようにしながらその周りを見て回っていると、木々の影に黒い衣を纏った魔物に出くわした。
細身で肌は白く、頭に角がある以外は人と違わぬ姿だったという。
まるで女人のような美しい魔物は嵐の中で負った漁師の傷を魔法で癒し、味わったことの無い変わった果物を振る舞った。
黒い衣の魔物は嵐が静まるまで漁師の側に付き、やがて海が穏やかになると不思議な力で船を動かし漁師を見送ったのだという。
その漁師はこの話をするといつも懐から小袋を出し、何かの種を見せる。
「これがそん時に魔物にもらった果物の種だ。あんな美味ぇ果物は味わったことがねぇ。食うと不思議なことに疲れも痛みもぶっ飛んじまうんだ。持ち帰った分をお袋に食べさせたらあっという間に病気が治っちまった。皆の役に立つと思って何粒か植えてみたが全く育ちやしねえ。きっとあの島じゃねぇと作れねぇんだろうな……。またあの魔物の娘に会って礼が言いたいが、なんでだかあれからどうやってもあの島にゃ辿り着けねぇんだ」
漁師の冒険話はいつもその台詞で幕を閉じる。
病気が治る果実
少年にとってそれはこれ以上無いほど渇望するものだった。
貧しいながら女手ひとつで少年を育ててくれた優しい母は今、重い病気に蝕まれている。
貧しいがゆえに満足な治療を受けさせることも出来ず、効果のある薬も手に入らない。
母は日に日に衰弱し、少年にも分かるほど死への歩みを進めている。
少年はどうしても母を救いたかった。
まだ日が昇らぬ明け方に船は港を出た。
酒場で見せていた豪快な姿とはうって変わって、皆一言も喋らず固く結んだ厳めしい表情で水平線の先を揃って睨んでいる。
まだ闇に包まれた島がそこにはある。
魔物達に気取られぬよう、灯りをつけずに武装船は進む。
やがて日が昇り明るくなってくると深い深い霧の中、島が間近に迫ってきていた。
戦支度を済ませた戦士達は験担ぎなのか互いに少量の水を掛け合った。教会の印が入った杯の水だ。
そして何やらそれぞれ代わる代わる肩を組み、小声で声を掛け合うと一番体の大きな戦士を先頭に颯爽と船を離れ、島の奥に向かって消えていった。
静まり返った船の積み荷置き場の箱の中で息を潜めていた少年は、人の気配が完全に消えたのを確認してからようやく箱を出る。
あの漁師が話していた病気の治る果実を手に入れるため、少年は魔王討伐隊の船に忍び込んだのだ。
魔王の生き死には少年には関係ない。
ただ島に上陸し漁師から聞いた果物を探せれば良かった。
胸元に忍ばせた小袋には漁師から分けてもらった果物の種が入っている。
これと同じ種の入っている実を探し当てればきっと母は助かる。
そんな浅慮で子供らしい望みをかけ、少年は何も顧みぬまま危険を冒した。
船を降りると、漁師が話していた通り美しい壮大な景色が広がっていた。
鮮やかな色に咲き乱れる花、たおやかに伸びた木々の枝に豊かに葉が茂り、柔らかそうな草がふわふわと風に揺れている。
少年は絶景に魅入られ、船の傍らで暫し呆然としていた。散った葉が頬を掠めてようやく我に返る。
そうだ、この広大な森の中から見たこともない果物を探さねばならない。ぼんやりしている暇はないのだ。
少年は懐の小袋を握りしめ、討伐隊が草を踏み均していった森の中への道を歩み出すのだった。
若者は何が起きているのか全く理解できなかった。
始めに魔王に飛びかかっていった戦士は突如向きを変え、側にいた別の戦士に襲いかかった。
術者は詠唱の途中から急に歌を歌いだし、今も楽しそうに笑っている。射手は持っていた矢を何かの作業をするように黙々と叩き割っていた。
皆ひどく混乱している。
幻惑に惑わされ眼差しはぼんやりと虚ろだ。
あれほど猛々しかった討伐隊の一行は、若者を除いて全員が一瞬で魔王の術に堕ちた。
ただの一撃も魔王に浴びせること無く。
奇行を繰り返す仲間の様子にすっかり怯えきった若者は手にしていた剣を床に落とし、抜けてしまった腰を引きずって壁に後ずさる。
玉座に腰かけたまま動かなかった魔王はゆっくりと立ち上がると、一歩ずつ若者に詰め寄っていく。
「お前は仲間のようにおかしくはなりたくない…そうだろう?お前だけは嫌々ここへ来たのだからな…」
若者を揺さぶるようなゆっくりとした口調で魔王は語りかけてきた。
「…お前たちの心を読むくらいは長く生きていれば造作もない。お前は故郷に伴侶がいるな。その娘のためにどうしても生きて帰りたい…そうだな?」
壁に阻まれ頭を抱えて丸まる若者の前に魔王はしゃがみ込む。その姿は細く華奢で若者よりもわずかに小さいくらいだった。
禍々しく畝って伸びた角が若者の顔に影を作る。
魔王の術を目の当たりにした若者は、自分よりも細身の体格の相手だというのにガタガタと震えて縮こまるばかりだった。
「お前の望みを叶えてやってもいい…ただし私の言うとおりにするというのなら…だが…」
深い森の木々をあちこち見上げながら少年は木の実を探し彷徨い歩いていた。
途方もない捜索にもめげること無く夢中で歩き回る。時折どこからともなく聞こえてくる獣のような声にビクビクと戦きつつも無垢な決意は揺るがない。
背の高い草をかき分け奥に進めば、少し開けた場所に出た。その中央には今までにないサイズの大樹が聳え立っている。フワフワと綿毛のような物がゆっくりと舞い遊ぶ中、少年の体の何倍あるのか大樹の幹の側へ近付いてみる。ゴツゴツとした大樹の肌を目で辿りながら遥か上を見上げれば広く広く拡げられた枝に真っ赤な果実がいくつもたわわに実っていた。スン、と鼻を鳴らしてみれば芳醇な甘い香りに満ちている。
確証はない。
けれど少年は確信した。
この実こそが探し求めている病気に効く果実なのだと。
しかし、ようやく見つけた果実は少年の遥か頭上にしか実っていない。
飛んでも跳ねても届くはずもない場所にある。
何度か登ろうと試みたが非力な子供の体力でたどり着く訳もなく、登り始めて数メートルのところで何度も尻餅をついた。拙い知識を駆使し、長い枝を探し、投石し、時間をかけてやり尽くした。
結局、望むものが目の前にあるというのに全く歯が立たなかったのだった。
大樹の根本に小さく丸く突っ伏して、少年は悔しさのあまり大声で泣き喚いた。
森の奥に少年の無念が木霊する。
どれ程泣いていたのか、喉が痛んで嗚咽が苦しい。
しゃくりあげてもしゃくりあげても込み上げる悲しみはなかなか薄れない。脳裏に辛そうな母の姿がこびりついているのだ。
けれどようやく少年は体を起こした。
やはりどうしても諦めたくない。
もう一度挑戦しよう、そう決意して幹に向き合った時だった。
バサバサという音が背後から響いたと思えば、数個の真っ赤な果実が地面に転がっていた。
思わず歓声を上げて飛び付くように果実を拾う。
拾い上げながら少年は直感のまま疑問に思う。
なかなかに長い時間大樹の側にいて、ただのひとつも実は落ちては来なかったというのに、なぜ突如としてこんなにもまとめて落ちてきたのか…。
湧いた疑問のままに少年は素早く頭上を見上げた。
幾重にも伸ばされた枝の隙間を目で縫えば、微かに差し込む日の光に透かされる白く美しい顔を少年は見つけ出した。
ほんの数秒間、目が合う。
澄んだ海の色のような青い瞳が、果実の色に紛れずにこちらを見下ろしている。
「…あ、」
ありがとう、そう伝えたかった。
口を開こうとした途端に少年は背後から抱き上げられる。ガクンと視界が揺らぐ片隅に、微かに微笑む白い顔を少年は深く記憶した。
固い甲冑の感触に振り返れば、それはあの若者だった。たった半日で随分憔悴した様子の若者に強引に連れられて少年は船に戻される。
若者の連れ達はキリッとした行きの様子とは全く別人のように深く項垂れ、ぶつぶつとなにかを呟きながら帰路を進むため船を動かしていた。
以前港で見た、町に帰還したかつての討伐隊の戦士達と同じような様子だった。
島で何があったのか若者に問うても、顔を真っ青にして首を横に振るばかりだった。
町に戻るまでの間、少年は何度も何度も反芻していた。
この世のものとは思えぬほどの美しい微笑みを。
そしていつか必ず、直接礼を言うのだと心に刻む。
真っ赤な果実をたくさん胸に抱き締めながら…。
続く
周辺の村からは珍しい作物や魚がたくさんとれる。
その豊かな資源を他の国に送り出すための窓口で、盛んな交易のおかげでいつもたくさんの船が行き来していた。
その港から遥か沖の方…
天気が良ければ薄い霞みの向こう側にその島は見えた。
ーーー呪われた島。
皆がそう呼んでいた。
決して踏み入れてはならぬ土地として小さい頃から言い聞かせられてきたものだ。
″あの島には恐ろしい魔王がいる。
魔物達は今にも我らの世界を奪い取ろうと画策している。人間の生命力を吸い取り、無惨に殺してしまう残忍な魔物である。そして島に入れば必ず魔王の魔術で気が狂れてしまう″
大人達は子供達に決まってそう語る。
そして時おり船でどこからともなくやって来る戦支度の猛者達が、数日後変わり果てた姿で戻ってくるのを目の当たりにし、呪われた島に畏れ戦くのだ。
そして今日もまた、見事な武装船が港に辿り着いた。
立派な甲冑に身を包んだ戦士は、まだうら若い男性だった。国の闘技大会で優勝し、国王直々に討伐隊に任命されここへ来たのだと言う。
望まぬ任務だった様子の甲冑の若者は表情も暗くため息ばかり吐いていた。
しかし、若者の連れ達は魔王を討ち取ったあとの報酬の話で終始盛り上がっていた。
歴戦の強者で編成された彼らはよほど腕に自信があるようだった。
旅の宿の中にある酒場でその様子を見つめている少年がいた。その宿を営む女将の甥だ。女将の姉である、子供の母親が病に伏しており女将が預かっているのだ。
苦々しい様子で戦士達を見つめながら、少年はカウンターの隅で短刀を磨いていた。
酒場に来る常連の客に貰ったものだ。
その客は嘘か真か、酒に酔うといつも自らの冒険話を語り始める。
酒場の他の客達は作り話だと笑い、いつも馬鹿にしていたが少年だけは真面目にその客の冒険話に聞き入っていた。
その男は、かの島に上陸したことがあるのだと言う。
しかし、戦士としてではなく漁の最中に嵐に巻き込まれて迷い混んでしまった漁師だった。
初めは呪われた島に上がったことに気づかず、見たこともない草木や花々、特殊な風土のもたらした見事な絶景に見入っていた。
座礁した船から離れぬようにしながらその周りを見て回っていると、木々の影に黒い衣を纏った魔物に出くわした。
細身で肌は白く、頭に角がある以外は人と違わぬ姿だったという。
まるで女人のような美しい魔物は嵐の中で負った漁師の傷を魔法で癒し、味わったことの無い変わった果物を振る舞った。
黒い衣の魔物は嵐が静まるまで漁師の側に付き、やがて海が穏やかになると不思議な力で船を動かし漁師を見送ったのだという。
その漁師はこの話をするといつも懐から小袋を出し、何かの種を見せる。
「これがそん時に魔物にもらった果物の種だ。あんな美味ぇ果物は味わったことがねぇ。食うと不思議なことに疲れも痛みもぶっ飛んじまうんだ。持ち帰った分をお袋に食べさせたらあっという間に病気が治っちまった。皆の役に立つと思って何粒か植えてみたが全く育ちやしねえ。きっとあの島じゃねぇと作れねぇんだろうな……。またあの魔物の娘に会って礼が言いたいが、なんでだかあれからどうやってもあの島にゃ辿り着けねぇんだ」
漁師の冒険話はいつもその台詞で幕を閉じる。
病気が治る果実
少年にとってそれはこれ以上無いほど渇望するものだった。
貧しいながら女手ひとつで少年を育ててくれた優しい母は今、重い病気に蝕まれている。
貧しいがゆえに満足な治療を受けさせることも出来ず、効果のある薬も手に入らない。
母は日に日に衰弱し、少年にも分かるほど死への歩みを進めている。
少年はどうしても母を救いたかった。
まだ日が昇らぬ明け方に船は港を出た。
酒場で見せていた豪快な姿とはうって変わって、皆一言も喋らず固く結んだ厳めしい表情で水平線の先を揃って睨んでいる。
まだ闇に包まれた島がそこにはある。
魔物達に気取られぬよう、灯りをつけずに武装船は進む。
やがて日が昇り明るくなってくると深い深い霧の中、島が間近に迫ってきていた。
戦支度を済ませた戦士達は験担ぎなのか互いに少量の水を掛け合った。教会の印が入った杯の水だ。
そして何やらそれぞれ代わる代わる肩を組み、小声で声を掛け合うと一番体の大きな戦士を先頭に颯爽と船を離れ、島の奥に向かって消えていった。
静まり返った船の積み荷置き場の箱の中で息を潜めていた少年は、人の気配が完全に消えたのを確認してからようやく箱を出る。
あの漁師が話していた病気の治る果実を手に入れるため、少年は魔王討伐隊の船に忍び込んだのだ。
魔王の生き死には少年には関係ない。
ただ島に上陸し漁師から聞いた果物を探せれば良かった。
胸元に忍ばせた小袋には漁師から分けてもらった果物の種が入っている。
これと同じ種の入っている実を探し当てればきっと母は助かる。
そんな浅慮で子供らしい望みをかけ、少年は何も顧みぬまま危険を冒した。
船を降りると、漁師が話していた通り美しい壮大な景色が広がっていた。
鮮やかな色に咲き乱れる花、たおやかに伸びた木々の枝に豊かに葉が茂り、柔らかそうな草がふわふわと風に揺れている。
少年は絶景に魅入られ、船の傍らで暫し呆然としていた。散った葉が頬を掠めてようやく我に返る。
そうだ、この広大な森の中から見たこともない果物を探さねばならない。ぼんやりしている暇はないのだ。
少年は懐の小袋を握りしめ、討伐隊が草を踏み均していった森の中への道を歩み出すのだった。
若者は何が起きているのか全く理解できなかった。
始めに魔王に飛びかかっていった戦士は突如向きを変え、側にいた別の戦士に襲いかかった。
術者は詠唱の途中から急に歌を歌いだし、今も楽しそうに笑っている。射手は持っていた矢を何かの作業をするように黙々と叩き割っていた。
皆ひどく混乱している。
幻惑に惑わされ眼差しはぼんやりと虚ろだ。
あれほど猛々しかった討伐隊の一行は、若者を除いて全員が一瞬で魔王の術に堕ちた。
ただの一撃も魔王に浴びせること無く。
奇行を繰り返す仲間の様子にすっかり怯えきった若者は手にしていた剣を床に落とし、抜けてしまった腰を引きずって壁に後ずさる。
玉座に腰かけたまま動かなかった魔王はゆっくりと立ち上がると、一歩ずつ若者に詰め寄っていく。
「お前は仲間のようにおかしくはなりたくない…そうだろう?お前だけは嫌々ここへ来たのだからな…」
若者を揺さぶるようなゆっくりとした口調で魔王は語りかけてきた。
「…お前たちの心を読むくらいは長く生きていれば造作もない。お前は故郷に伴侶がいるな。その娘のためにどうしても生きて帰りたい…そうだな?」
壁に阻まれ頭を抱えて丸まる若者の前に魔王はしゃがみ込む。その姿は細く華奢で若者よりもわずかに小さいくらいだった。
禍々しく畝って伸びた角が若者の顔に影を作る。
魔王の術を目の当たりにした若者は、自分よりも細身の体格の相手だというのにガタガタと震えて縮こまるばかりだった。
「お前の望みを叶えてやってもいい…ただし私の言うとおりにするというのなら…だが…」
深い森の木々をあちこち見上げながら少年は木の実を探し彷徨い歩いていた。
途方もない捜索にもめげること無く夢中で歩き回る。時折どこからともなく聞こえてくる獣のような声にビクビクと戦きつつも無垢な決意は揺るがない。
背の高い草をかき分け奥に進めば、少し開けた場所に出た。その中央には今までにないサイズの大樹が聳え立っている。フワフワと綿毛のような物がゆっくりと舞い遊ぶ中、少年の体の何倍あるのか大樹の幹の側へ近付いてみる。ゴツゴツとした大樹の肌を目で辿りながら遥か上を見上げれば広く広く拡げられた枝に真っ赤な果実がいくつもたわわに実っていた。スン、と鼻を鳴らしてみれば芳醇な甘い香りに満ちている。
確証はない。
けれど少年は確信した。
この実こそが探し求めている病気に効く果実なのだと。
しかし、ようやく見つけた果実は少年の遥か頭上にしか実っていない。
飛んでも跳ねても届くはずもない場所にある。
何度か登ろうと試みたが非力な子供の体力でたどり着く訳もなく、登り始めて数メートルのところで何度も尻餅をついた。拙い知識を駆使し、長い枝を探し、投石し、時間をかけてやり尽くした。
結局、望むものが目の前にあるというのに全く歯が立たなかったのだった。
大樹の根本に小さく丸く突っ伏して、少年は悔しさのあまり大声で泣き喚いた。
森の奥に少年の無念が木霊する。
どれ程泣いていたのか、喉が痛んで嗚咽が苦しい。
しゃくりあげてもしゃくりあげても込み上げる悲しみはなかなか薄れない。脳裏に辛そうな母の姿がこびりついているのだ。
けれどようやく少年は体を起こした。
やはりどうしても諦めたくない。
もう一度挑戦しよう、そう決意して幹に向き合った時だった。
バサバサという音が背後から響いたと思えば、数個の真っ赤な果実が地面に転がっていた。
思わず歓声を上げて飛び付くように果実を拾う。
拾い上げながら少年は直感のまま疑問に思う。
なかなかに長い時間大樹の側にいて、ただのひとつも実は落ちては来なかったというのに、なぜ突如としてこんなにもまとめて落ちてきたのか…。
湧いた疑問のままに少年は素早く頭上を見上げた。
幾重にも伸ばされた枝の隙間を目で縫えば、微かに差し込む日の光に透かされる白く美しい顔を少年は見つけ出した。
ほんの数秒間、目が合う。
澄んだ海の色のような青い瞳が、果実の色に紛れずにこちらを見下ろしている。
「…あ、」
ありがとう、そう伝えたかった。
口を開こうとした途端に少年は背後から抱き上げられる。ガクンと視界が揺らぐ片隅に、微かに微笑む白い顔を少年は深く記憶した。
固い甲冑の感触に振り返れば、それはあの若者だった。たった半日で随分憔悴した様子の若者に強引に連れられて少年は船に戻される。
若者の連れ達はキリッとした行きの様子とは全く別人のように深く項垂れ、ぶつぶつとなにかを呟きながら帰路を進むため船を動かしていた。
以前港で見た、町に帰還したかつての討伐隊の戦士達と同じような様子だった。
島で何があったのか若者に問うても、顔を真っ青にして首を横に振るばかりだった。
町に戻るまでの間、少年は何度も何度も反芻していた。
この世のものとは思えぬほどの美しい微笑みを。
そしていつか必ず、直接礼を言うのだと心に刻む。
真っ赤な果実をたくさん胸に抱き締めながら…。
続く
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説



鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる