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プロローグ

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床に散らばったガラス片に自分の顔が反射する。
そこに映ったのは黒いフードを被った少女の顔。
少女は一瞬だけ自分の赤い瞳とにらめっこをして、すぐに視線を逸らす。

少女の名はアーニャ。
アーニャはコンクリートの柱に背を預け、自分の左腕についた腕輪端末に軽く触れる。
するとホログラムの映像が浮き上がり、そこに現在の状況や地図情報が表示される。

(残りの生存者数……あと2人。よし、いけるっ!)

募る勝利への希望に心拍数が上がる。
冷静さを失わないよう、アーニャは自身の胸に手を当て呼吸を整える。

そんな時だった。
背にしている柱の向こう側から、ゆっくりとこちらに近づく足音が聞こえる。
アーニャはすぐさま手持ちの武器を確認する。

(使える武器は……ナイフとハンドガンだけかぁ。しかも弾はあと一発だけ……)

心もとない武器に、ため息が出そうだった。
そうしている間にも、足音は一歩二歩と一定のリズムで近づいてくる。
おそらくまだ、相手はアーニャの位置を掴めていない。
その点においてはこちら側が優位だと言える。

(やるなら今しかない。あと二歩…………一歩…………今ッ!)

足音が残り3メートルほどまでの距離に迫ったその瞬間、アーニャは先制攻撃を仕掛けた。
柱の陰から体を半分出して、右手に持ったハンドガンで相手を狙う。
そこにいたのは整った顔立ちの金髪の少年。
それを認識した瞬間、アーニャは引き金を引く。

バァンッ!!

発砲とほぼ同時に少年は姿勢を低くし、放たれた弾は少年の肩を掠める。
少年はその銃撃の勢いで少し体勢を崩したものの、痛む様子はなく彼の瞳はジッとアーニャを見つめている。

(くっ、急所を外した……だったら……っ!)

一撃で仕留めきれなかったことに焦りながらも、アーニャは一気に少年に距離を詰める。
そして左手に持ったナイフを少年の心臓めがけ突き刺す。

ブシャッ!

肉を切り裂く音が響く。
だがナイフが切り裂いたのは少年の心臓ではなく、彼の左手だった。
傷口からは血ではなく粒子のような光の粒があふれる。

アーニャは少年の手からナイフを引き抜こうとするが、それができない。
少年はナイフが突き刺さった手をナイフごと強く握りしめ、離そうとしなかった。

(まずい……っ!)

焦る表情を見せるアーニャとは対照的に、少年はニヤリと笑う。
アーニャは片腕だけで防御体制を取ろうとするがもう遅い。

「ごふっ……!」

少年の右手がアーニャのみぞおちに沈む。

(ぐっ……でも痛覚フィードバックが制限されているからこの程度ッ!)

一瞬視界が霞むも、まだ勝負は終わっていない。
再度反撃を試みようとするアーニャだったが、それよりも早く少年の手がアーニャの首を掴む。

「あっ……がっ……!?」

首を絞められ、呼吸ができない。
そのままアーニャは押し倒され、少年の腕を振り解こうと必死にもがく。

「どう、苦しい?」

そこで少年が初めて口を開く。

「こういう大会ではさ、痛覚のフィードバックは1/10くらいに規制されているけど、締め上げや窒息のような痛みとは違う苦痛の感覚フィードバックはそのままだったりすることが結構あるんだよね。まぁ普通のユーザーは刺されるか撃たれるかで殺されるから、運営はそこまでチェックしてないんだろうけどさ」

至極楽しそうな声で、少年はアーニャにそう語る。

「かひっ……いっ…………はな、せ……っ!」

「あっはは、その表情、本当に苦しんでいる表情だ! ほら、そのみっともない顔、もっとこのショーを見てるみんなに見せつけてあげなよ!」

締め上げる力がさらに強くなる。

「……かひッ!? ……ぁ………が………ん、く……っ」

ジタバタと暴れるアーニャから、だんだんと力が抜けていく。

(くる……し…………これ……死……)

虚ろになる瞳。
薄れていく意識。
次第に体は抵抗する力を一切失い、ピクピクと痙攣しだす。
そのままアーニャはみっともなくよだれを垂らしながら意識を失った。


 ***


アスファルトでできた大通りに、さながら祭りのように人が敷き詰める。
大通りの先には巨大なドーム型競技場が佇み、往来する人々のほとんどはドームの方向へと足を向けていた。
そんな人だかりの中で、黒ずきんの少女アーニャは手前にある巨大な電光掲示板に視線を向ける。

『フロンティアリーグ U-20 決勝戦』

武器を持ち戦う少年少女らのイラストと共に描かれたその文字に、視線を吸い寄せられる。

「ついに……今日……」

秘めたる思いを零すように、アーニャは小さく呟いた。

電脳仮想空間フロンティア。
ここは意識を現実と切り離し、別の姿を持つもう一人の自分となって現実とはまた違う生活を楽しむための世界。
そしてここはフロンティアの中心とも言える場所、フロンティアアリーナ。
この世界で最も人口密度が高くフロンティアを象徴するとも言える施設である。

現実世界の屋内競技場を模したこの施設では、様々なスポーツや体験型アトラクションなどを楽しむことができる。
そんな中、フロンティア内で最も盛んに行われている競技の中にフロンティアマッチと呼ばれるものがある。
これは平たく言えば現実世界ではスポーツとして扱うことができない人間同士の殺し合い。

この競技は個人戦や団体戦、武器の持ち込みの有無など様々なルールがあるが、今最も人気の高いルールはサバイバル。
複数人の選手が何も持たない状況で競技場内に放り込まれ、競技場内に落ちている武器を利用して殺し合い、最後に立っていた者が勝ちというルールが一般的だ。
これだけ聞くと一見危険そうな競技に聞こえるかもしれないが、この世界の死が直接現実世界での死に繋がることはなく、傷を負って感じる痛みもいくらか制限されている。

つまりフロンティアマッチとは、安心安全な環境でできる殺し合いゲームのことだ。
仮想世界だからこそできるこの競技に、多くの人が魅了された。
そしてアリーナの前で一人立ち尽くすアーニャもまた、フロンティアマッチに魅入られた者の一人だった。

「すぅーっ……やば、緊張してきた」

あふれかえる人々の多くは、今から行われる決勝リーグを一目見ようと集まった観客たち。
そしてその大舞台に今から自分が選手として立つことを想像すると、アーニャはそれだけでお腹のあたりが痛くなる。

「アーニャちゃん! おーい、アーニャちゃーん!」

緊張で気分を悪そうにしていると、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえる。
声がした方を振り向くと、人混みの中から見知った顔を見つけた。

「あ、ルリちゃん」

大きなカボチャの髪留めをつけたサイドテールの少女が、手を振りながらこちらに近づいてくる。

「はぁ……はぁ……つ、ついに来たね、フロンティアマッチの甲子園、フロンティアリーグ決勝戦! 私は予選落ちしたけど、アーニャちゃんなら絶対勝てるよ! ……ってあれ、アーニャちゃんもしかして緊張してる?」

「え、そ、そんなことはー…………ある、かも……うん、実はすごく緊張してて……」

一度強がろうとしたが、途中で弱気になって正直な思いを零してしまう。
そんなアーニャの両手を近づいてきた彼女は力強くギュッと握る。

「だいじょーぶだいじょーぶ! アーニャちゃん本番に強いタイプだから、きっと勝てるよ! 私たちの分までがんばーっ!」

「う、うん。がんばる」

かぼちゃの髪留めの少女がご機嫌そうにグッと手を上げ、それに合わせてアーニャも気恥ずかしそうに手を上げた。

彼女の名前はルリ。
アーニャが所属するギルド『トリックオアトリップ』のメンバーだ。
黒とかぼちゃ色で統一されたドレスが季節感を無視して四六時中ハロウィンの空気感を醸しだす。

「調子どう、アーニャ。まさかうちのギルドから決勝に行ける人が出るなんてね」

少し遅れてルリの後ろからもう一人見知った顔の女性が現れる。
大きな魔女の帽子を被り、黒いゴシックドレスを身にまとう大人びた雰囲気の女性。
彼女が視界に入った瞬間、アーニャの顔色がパッと明るくなる。

「あ、エイミーさん! 来てくれたんですね!」

「私たちも観覧席から応援してるよ。あ、もしかしてそういうの気が散るから嫌だったりする?」

「だ、大丈夫です! エイミーさんにカッコイイところ見せれるように頑張ります!」

彼女の名はエイミー。
彼女もルリと同様アーニャと同じギルドのメンバーであり、そのリーダーを務めている。
さらに彼女はこのギルド内で唯一、フロンティアマッチのプロとして活躍している選手であり、アーニャの憧れの人物でもあった。

「アーニャちゃん、対戦相手全員ボッコボコにしてやんなよー! 黒ずきんアーニャの実力をみんなに見せつけてやんなー!」

「いや、サバイバル戦なんだからあまり目立っちゃダメでしょ。アーニャ、漁夫の利狙いで適度に頑張りな」

「あはは、いつも通りに頑張りますね」

3人で軽く雑談をしていると、それだけで不安に感じていた気持ちが少し和らぐ。
それからしばらくアーニャは二人と雑談を続けた。

「――ところでアーニャ、時間大丈夫?」

「あっ、もうこんな時間! じゃあ私、そろそろ行きます」

「頑張ってねー!」

手を振る二人を背に、アーニャは会場に向かう。

これから行われる『フロンティアリーグ U-20』はプロの大会を除けばフロンティア内で最大規模の大会。
決勝戦は予選を勝ち抜いた100人が同じ戦場に集まり、最後の一人になるまで戦い続ける。
そしてこの大会の優勝者にはプロリーグへの参加券が与えられる。
アーニャはそれを喉から手が出るほど欲していた。

(勝てばプロ……エイミーさんと同じ舞台で戦える…………よし、頑張るぞ!)

そう胸に刻んで、アーニャは決勝リーグの舞台へと足を踏み入れた。










「……ッ、ぁ……がはっ!」

意識が戻ってくるのと同時に、飛び上がるように目を覚ます。
アーニャはそこでハッとして、周囲を見渡す。
白いカーテンで区切られた病院のような部屋。
無意識に真っ白いシーツを握っていて、自分はベッドに寝かされていたのだと気づく。
ふと横を見ると、ルリとエイミーがアーニャの方へ視線を向けていた。

「お、起きたぁあああ! アーニャちゃ~~ん! もー心配したんだからねー!」

ルリがアーニャの肩を掴んでグラグラと揺らす。

「あうあう……ルリちゃんやめぇ……」

視界が揺れて気分が悪い。

「こらルリ、ゆすらないの! 大丈夫アーニャ? ちゃんと意識ある?」

そう言ってエイミーはルリを引き剥がしながら、心配そうにアーニャを見つめる。

「は、はい……多分大丈夫です」

「そう、良かった。アーニャは試合の最中に気を失ってたんだよ、覚えてる?」

「気を、失って……あっ……私、あいつに負けて……」

そこでアーニャはようやく思い出す。
首を絞められ、スッと意識が遠のくあの感覚を。
思い出すだけで息が苦しくなるような錯覚を覚え、アーニャは自分の首元を軽く撫でる。

「あいつほんっと性格悪いよねー、レオ……だっけ? あいつの名前」

「彼はU-20レギュレーションだとぶっちぎりでランク1位らしいからね。アーニャが負けるのも仕方がないよ」

「……そっか」

自分は敗北した。
ようやくその感覚を実感して、悔しくてギュッとシーツを握りしめる。

「でも2位だよ2位。これってすごいことだよアーニャ」

「そ、そうそう、なんか後味悪い感じで終わっちゃったけど、2位ってかなりすごいからね! おめでとうアーニャちゃん!」

「あ……うん、ありがと」

アーニャにとって初めての決勝リーグへの出場。
もともとここまで好成績を出せるとは思っていなかったので、2位という成績は喜ばしい結果であることには違いない。
ただ、その敗北の仕方だけがどうにも心残りだった。

「じゃあアーニャも目が覚めたことだし、そろそろ解散しますか」

「はーい、もうこんな時間だしねー」

「え、うそっ、もうこんな時間!?」

言われて腕輪端末に視線を向けると、もう日付も変わろうかという時間だった。

「ご、ごめんなさいっ! こんな時間になるまで付き合わせてしまって」

「気にしない気にしない。じゃ、私たちはそろそろ行くから。今日はさっさとログアウトしてゆっくり休みな」

「打ち上げはまた今度ねー!」

そう言ってルリとエイミーは腕輪端末を操作し、ログアウトの準備を始める。

「あ、あのっ、ルリちゃん、エイミーさん、その……今日はありがとうございました」

アーニャが二人に向けて深々と頭を下げる。
頭を上げる頃にはもうそこに二人の姿はなかった。

「はぁーっ」

大きなため息を吐きながら、今一度アーニャはベッドにごろんと寝転がる。

「二人には迷惑かけちゃったな……」

フロンティアにいる最中、寝落ちをすることはあっても気絶をしたのは初めてだった。
その光景を多くの観客に見られたのだと思うと、少し憂鬱だった。

「じゃあ、私もそろそろ……」

寝たままの体勢で端末を操作し、ログアウトのボタンを押そうとした。
その時だった。

「やぁ、目が覚めたらしいね。黒ずきんちゃん」

鼻につく少年の声。
カーテンが開かれ、金髪の少年が顔を見せる。

「……ッ! お前はっ!?」

そこにいたのは決勝リーグで最後に一騎打ちをした少年、レオだった。

「いやーごめんごめん、まさか気絶しちゃうとは思わなかったんだ」

とても本気で謝っているようには見えないその態度に、アーニャは歯をギリギリと噛み締める。
彼に対して、胸の内側から明確な敵意があふれてくるのを感じていた。

「別に、謝る必要なんてないですよ。一応、ルール違反はしてないですし」

「それはどうも、因縁つけてくるような相手じゃなくて助かったよ。でも、だったらその怖い目つきでこっちを見るのはやめてほしいな」

アーニャはそっと視線をそらす。
レオのあの飄々とした態度を見ていると、苛立ちで表情を繕うこともできない。

「それで、私に何か用があるんですか?」

「用事は二つあって、一つは公式戦の場で首絞めプレイを楽しんじゃったことのお詫びをしなきゃと思って。まぁそっちの用事はさっきごめんって言ったから終わりでいいよね」

言葉の一つ一つが鼻につく。
アーニャは必死に自分の血相を変えぬよう耐えていた。

「それでもう一つは……勧誘、かな?」

「勧誘?」

そう言ってレオは懐から一枚の手紙を取り出しアーニャに渡す。

「これは……会員制非公式フロンティアマッチの招待状? え、これって……?」

「そこ僕もよく行くんだ。面白いよ。ラフプレーで公式大会出場停止にされた奴とか、現実で人を殴れない分のストレスを発散させている格闘家とか、そういう人たちが集まるんだ。そんな人たちと手合わせしてるとね、嫌でも強くなれるんだよ」

「面白いって……こういうのってかなりグレーなんじゃ――」

「もしもっと強くなりたいと思うなら、そこにおいでよ。ってことで、僕の用事はこれで終わり。じゃーね黒ずきんちゃん」

「ま、待って!」

アーニャが呼び止めるもレオはそれを無視し、軽く手を振り部屋を後にした。

医務室がしんと静まる。

「な、なにあいつ…………何なのあいつ~~ッ!!」

一人になった医務室でアーニャはじたばたと暴れた。
一通り暴れ切ると、アーニャはもう一度さっきもらった招待状に視線を向ける。

「会員制非公式フロンティアマッチ、ねぇ……胡散臭ぁ……」

フロンティアでは日々様々な競技が行われ、そのほとんどがフロンティアアリーナ内で行われている。
フロンティアアリーナは形こそ現実世界の屋内競技場を模倣しているが、競技場内部は無限の広さを持っており、競技ごとに仮想空間に競技場の生成を行なっている。
運営管理はこのフロンティアを作った企業が担っているため安全面への配慮は高く、別途利用料金がかかることもない。
だからこそ競技を楽しみたいほとんどのユーザーにとって、フロンティアドーム以外の場所で競技をする理由はない。

「でも……あいつの強さは本物だった…………ここに行けば……私も……」

もっと強くなりたい。
人間であれば誰もが思う普遍的な願い。
アーニャはその招待状に胡散臭さを感じながらも、意識せずにはいられなかった。
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