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2章
37話
しおりを挟むアイゼラの街の二の鐘が、緊張感を増幅するように鳴り響く中、儂らはオープス平原に近い西の森に身を潜めていた。
アイゼラの西側に広がる森の北端に当り、ここからはクレモス軍の動向を確認することができる場所だ。
鐘が止むと、森の静寂の中にクレモス軍の進軍の音だけが響き渡る。
クレモス兵たちの足音や荷車の軋む音が、規則的に森の中に響いていた。生気というか、軍としての熱を感じない行軍だった。
「全く、こっちの森を警戒しねぇな…」
『焔獅子』のエリオスが、低く呟いた。
「あまりにも警戒心がなさ過ぎて、何らかの策があるのか、それともギレーに入ってからの奇襲で疲れて考えが回らないのか…。ちょっと読めないな」
エリオスの隣にはアレンと言うB級冒険者がいて、クレモス軍の動きに感じたことを述べた。
アレンは、以前、アイゼラのギルドでひと悶着あったときに、ギルドマスターの手伝いをしていた冒険者だ。
西の森に身をひそめているのは、儂ら冒険者と傭兵の混成部隊。クレモス軍を間近に観察していた。
クレモス軍の列が続く中、アイゼラ北門前のギレー騎士団が警戒を強めている。ダリオン率いる騎士団は、レグレイドの息子たちを先頭に迎撃の準備を整えていた。
その後方にはレグレイド、ヴィクター王子、ジョシュア、ナディアが控えている。
北門の城壁の上では戦況を見ながら、城壁から弓、魔法隊による支援が行われる。
シェリダンや、シャノン、サーシャ、そしてギレー一族の後方支援もこちらだ。
レグレイドの予測では、北門前で正面からの戦いが始まると考えられている。
レグレイド、ヴィクター、ナディアは、戦闘の前の弁論戦…言葉でお互いの正当性を主張する役割に当たる。王国内での戦いは、必ず、自身の正当を証明する場が設けられるとのことだった。
戦闘が始まった際にはナディアは一旦城内に戻る予定にはなっているが、彼女自身は戦闘に参加すると言っていた。
レグレイドが諭していたが、彼女の意志は固いようにも見えた。
「人間の戦いってややこしいのだわ?もう…パーッとやったいぇないのだわ?」
「ワゥッ」
ウルは全部魔法で吹っ飛ばしたら楽だと言っているし、ルーヴァルはまだ戦わないのか?と目をきらっきらとさせている。
「…この戦いは現時点では、人対人の争いだからな。レグレイドさんも言っていたように、悪魔が出てくる可能性もある。その時は2人とも頼むよ」
「任せなさいなのだわっ。この前と同じようなことにはならないように色々と考えているのだわっ!!」
バロクトスに術が通じなかったのがとても悔しかったらしい。自分の使う魔法について、学園の図書館の論文なども参考にいろいろと改良を重ねているようだった。
ルーヴァルの頭をなで、一旦影に入っていてくれるように伝える。
「わたしもルーと一緒に影にいるのだわっ!しっかりやりなさい!」
ペシィとルーは儂の額を叩き、ルーヴァルと共に魔法で儂の影の中に隠れた。ウルは儂の気持ちをほぐそうとしてくれていたのかもしれない。ふっと気持ちが楽になった気がした。
「…大丈夫なんだな?」
ヴァリが横から儂の肩を組んでくる。
「シノ爺さんや。気楽にやるのじゃよ」
レオはバンバンと背中を叩く。
「が、頑張りましょう」
タリムも儂の目の前でぐっと手を握る。
皆にもかなり気を遣わせてしまったようだ。レオの励ましは相変わらず不思議なものだが、自然と心がほぐれる。
「あぁ。迷いはない」
ここまで来て覚悟は鈍らない。仲間であるナディアも、自らの一族が起こした出来事を真摯に受け止め、前に進もうとしているのだから。
彼らの温もりに、儂の胸の奥に残っていたわずかな緊張、不安が解けていった。
「おい、始まるぞ」
『焔獅子』のガルラがギレーとクレモスの対峙している場所を指さす。
クレモス側からは赤の鎧を纏った、体格の良い、壮年の男性が前に進み出る。その隣には豪奢な装いの、成人したばかりに見える男が並んでいる。彼がおそらく、第三王子のカイルだ。
ギレー側からは、レグレイドを先頭に、ヴィクター王子と、その隣にナディア、後ろにジョシュアが控える形だ。
「グラニス・クレモス卿。何故、我がギレー領へ侵攻をする。その理由をお伺いしたい」
赤の鎧の男こそ、クレモス領主、グラニス・クレモスだ。レグレイドはグラニスに対して侵攻の理由を問う。
「…すでに告知している通りだ。ギレー領は質の悪い大森林産の魔獣の素材を王国に流通させ、不当に利益を得ている。また、隣領のロヴァネと結託し、ミスリルについても独占をしている」
低く、威厳のある声で話をしているが、その声には抑揚が無く、能面のような顔でグラニスは応える。
「何を馬鹿なことを。ギレーはソットリス関門を拠点として、最果ての大森林からの脅威を取り除く役目に真摯に対応をしている!関門で入手された素材は適切な職人たちの加工を経て、相当の品質を最適な価格で商人に対して卸している。そんな言いがかりには納得できない!」
レグレイドは自分たちの正当性を述べる。すると、不敵な笑みを浮かべたカイルが言葉を発する
「俺は、オーラリオン王国、第三王子!カイル・オウル・オーラリオン!」
カイルは誇らしげに胸を張り、ゆっくりと名乗りを上げる。
「グラニス卿の提言を受け、俺はギレー領の魔獣素材とミスリルの流通の資料を報告で受け取り、この目で見た!」
カイルはギレー側の者や、兵士の反応を楽しむように声を響かせる。
「結果は明白だった!ギレーは不正を行い、グラニス卿の言葉が正しかったのだ!」
まるで自分の振る舞いに陶酔しているかのように、大げさな振る舞いをし、カイル王子は続ける。
「そのため、第三王子の名の元にギレーを誅伐する!!」
すると、それまでピクリともしなかったクレモス軍の兵士たちが、カイル王子の言葉に同意を示すように、雄たけびを上げた。
「なんだ…!?急に騒ぎ出したぞ…!?」
「突然どうした…!?」
あまりに異様な雰囲気と圧力に、わずかではあるがギレー側に動揺が広がる。
「兄上!!貴方は本当にちゃんと調査をしたのか!?私はギレーにおいて状況を確認したが、不当な取引など確認できなかった。ロヴァネのミスリルの流通についてもそうだ。他領においても、不公平との意見はなかった!!何を根拠にそのような判断を下したのか!」
ヴィクターがカイルを問い詰める。
「…根拠?我が王国の三公の一つであるリュカ―ルが調査を行い、俺がそう判断した」
「何を…!ご自身で調査をしたわけでなく、リュカ―ルからの報告を鵜呑みにしたというのか!?」
ヴィクターは信じられない、といった表情でカイルを見る。
「俺は"王族"なんだ。俺自身が調べる必要はない。上がってきた報告を見て、それが正しいか否かを判断するのはこの俺だ!」
「馬鹿なことを言うな!父上がそんなことを許すはずがないだろう!?私達は王族だからこそ、客観的で、多角的な情報をもとに判断する必要がある!」
カイルはやれやれ、と肩を竦め、ヴィクターを見下すような視線を向けた。
「必死だな。さすがは汚らわしい平民の腹から生まれたやつだ。お前みたいな薄汚い平民の生まれに反論する権利などない。俺とは立場が違うのだと心得ろ!」
「…!?なにを…」
カイルの蔑む発言にヴィクターが言葉を詰まらせる。
ヴィクターは平民のメイドであったとしても、優しい母から生まれたことを恥じているわけではない。
だが、幼いころから『平民から生まれた王族』と蔑まれ続けていたことが、呪いのように心に染み込んでいる。
カイルがすっと手を上げると、後ろのクレモス兵の一際歓声が大きくなる。
「今、ソットリス関門には魔獣が押し寄せていて手一杯なんだろう?この場にいるわずかな兵でこの大軍を相手にできるのか?」
この数を見ろ、と言わんばかりにカイルは左手を大きく広げる。
「今この場で俺に降るというのであれば、貴様たちの命は最低限、保証しよう。あくまで、奴隷としてだがな。最低限の生活は保障してやる」
ギャハハハハと、顔に手を当て、下卑た笑いをしているカイルに対して、ナディアが叫ぶ。
「私はナディア!ナディア・クレモス!そこにいるグラニス・クレモスの長女でございます。僭越ながらこの場で発言をさせていただきます!」
ナディアが発言した時、グラニスの能面のような顔がピクリと動いた気がした。カイルはぎろりと視線をナディアに向ける。
「貴様は自領に反旗を翻した愚かな娘ではないか。自身の父を謁見の場で襲撃しておいて。ギレーと共闘か?厚顔がすぎるぞ」
ふん、とカイルは鼻で笑う。
「襲撃をかけてきたのは貴方がたではありませんか!わたくしは王から勅命を受けたヴィクター王子の依頼において、学園での事件の調査をクレモス領内で行っておりましたわ!」
その調査報告のため、グラニスに謁見をした際に突然、クレモスの兵に囲まれ、邸宅も襲撃を受けたと主張する。
「カイル殿下の発言は正しくありません!そしてお父様のギレーに対する主張は根拠がない、ただの言いがかりですわ!」
ナディアがその瞳に強い意志の光を放ち、カイルに言い放つ。
「わたくしはこの戦いに、クレモスの正義は無いと考えています!お父様!!貴方のお考えをお聞かせくださいませ!」
隣にいるグラニスに対してナディアは詰問するが、表情一つ変えず、彼女の言葉に返事をすることはなかった。
彼がどういった考えを抱いているのかは、現時点では分からない。
「…お父様…」
ナディアは少し悲しそうな顔をしていたが、すぐに気を取り直し、発言を続ける。
「わたしくはクレモスの長女として、グラニス・クレモス!貴方の行動には賛同できません!ギレーの正当性を証明するため、こちらに参陣いたします!」
この場で、領主であるグラニスには正しさは無いと、ナディアは宣言した。その瞳には何の迷いも、気負いも感じられなかった。
ナディアの言葉に勇気付けられたのか、ヴィクターも頭を振り、続けた。
「…私もナディア嬢の発言に同意する。オーラリオンの王の一族に連なる者として、兄上の主張、そして誅伐が間違いであると、ギレーと共に戦うことで証明するとしよう」
2人の発言を聞き、カイルは手をわなわなと震わせる。
「貴様ら…俺が間違っているというのか…!!!下賤な平民生まれと、低俗な臣下の分際で!!」
カイル王子は頭をかきむしるような仕草をし、右手を横に振る。
「いいだろう!俺の力を見せてやる!グラニス!号令をかけろ!」
「…はっ」
坦々とした声がグラニスから発せられると、彼は右手をゆっくりと上げ、振り下ろす。
「全軍!突撃!!!」
グラニスはそれまでとは全く異なる声量で声を上げ、クレモスの大軍が一斉にギレーの騎士団に襲い掛かる。オーパス平原の戦いが今、始まった。
「…凄いな。これがギレー騎士団か。あの大軍相手に一歩も引いてない」
「あぁ。城内との連携も非常に見事だ」
ヴァリが感嘆の声を漏らしが、周りの冒険者たちも一様に同じ気持ちだったようだ。
「…ギレーの兵はマジで敵にしたくねぇな。関門で魔獣と戦ってる姿を見てそう思ったぜ」
ソットリス関門でギレー騎士団の討伐の補助をしていたという傭兵が漏らす。
現在、儂らはギレー軍とクレモス軍の戦いを森の中から観察している。
冒険者と傭兵団の混成部隊は戦闘中の合図に合わせて、クレモス軍を奇襲する手はずになっているのだ。
「…ヴィクター王子とジョシュア先輩のとこにナディアがいるさ~」
レオがナディアの位置を教えてくれる。弁論戦の後はレグレイドについて城内に戻る手はずだったが…彼女は危険な前線で戦うことを選択したようだ。
儂はレオが指す方向を視力を強化してみる。じっとウル仕込みの支援魔法などをうまく活用しているようだ。
「おい!クレモスの魔法師部隊が大きく動いていくぞ」
冒険者の1人が戦場の一部を指すと、後方から魔法を放っていた部隊が大きく動いているのが見えた。
「儀式魔術か。あの傲慢王子から指示が出ているようだ。レグレイド卿の読み通りだな…。おい!お前達!準備はできてるか!?戦況が動く!そろそろ出番だぞ!」
森の中に潜む混成部隊の面々がそれぞれ頷く。儂も、腰に佩いている剣に手を添える。
この剣は昨日の会議の後ドルグの所で購入した、今回の戦い用の普通の剣だ。宵月はウルに預かってもらっている。
人と人の争いである以上、ウルの力は借りない。儂個人の力でこの場を戦い抜いたほうが良いと思ったからだ。
そうこうしているうちに、アイゼラの場内より合図となる魔法が打ちあがり、破裂音が戦場に響いた。突入の合図だ
「行くぞ!!」
「「おお!!!」」
森の中から一斉に混成軍が飛び出し、儀式魔法の準備を始めた魔法師部隊に襲いかかる。
「伏兵だと!?…傭兵と冒険者!?」
「アイゼラは俺にとって大切な町だ!お前達にはやらせねぇ!!」
エリオスが大きな大剣を振るい、魔法師隊の隊長らしき男を人たちで馬ごと切り裂く。
均衡していた状況が崩れ、戦況は一気にギレー軍へと傾く。
今回の戦いはグラニスが手動で指揮を執っているかと思っていたが、カイル王子が主に指示を出していた。
その用兵の手腕はお世辞にも良いとは言えない。稚拙で経験不足がありありと見えている。百戦錬磨のギレー騎士団を相手取るには明らかに役不足だ。
儂はヴァリ、レオ、タリムと『疾風と大地』、『焔獅子』と共小隊を組んで突っ込んでいた。
『焔獅子』、儂らの学生パーティ、『疾風と大地』の順番だ。
一気に魔法師隊の一角を突き崩す。
儂も、襲い掛かってくるクレモス兵たちを次々に斬っていく。手に持つ剣に、人を斬るときの鈍く、重たい感触が残る。
遂に儂は人を斬った…のだが。
「何かがおかしいねぇ!!」
ガルラがクレモス兵をなぎ倒しながら言う。
「なーんかこの人たち怖いよ!!」
『疾風と大地』の兎人族のリィナが続けて賛同する
クレモス軍の兵士達は人間だ。戦場である以上、そこには互いの命を奪うことに対して、悔恨、後悔、畏れ…等々、様々な感情が渦巻くものだ。
剣を刺された人はその痛みにもだえ苦しみ、死の間際にあっては死にたくないと命乞いをする。
中には戦いの享楽に溺れる者もいるし、生きるために必死な者も居る。
だが、クレモスの兵士達の表情は怪我を負っても、死の間際にあっても変わらない。
人としての感情を模した、何らかの人形…を相手にしているような感覚を覚えてしまう。
だからといって、この人を斬る感触が何ともない、とは言えないのだが、対峙する兵士たちに対する強烈な違和感が儂をひどく冷静にさせていた。
「なんだこの妙な感じ!」
「なんか変な鳥肌が立つのさ~」
「ノームの様子も少しおかしいです…!!」
ヴァリ、レオ、タリムも少なからず違和感を感じているようだ。
「くそ!戦況はこっちに傾いているはずだ!だけどなんだ!」
「この得体の知れない不気味さ…何か起こりそうだ!みんな、慎重にいけ!!」
エリオスと、『疾風と大地』のアゼルがそれぞれのパーティに声をかけていく。
儂もそれぞれの小隊の様子を確認すると、やはり戸惑いの表情を見せているものが多かった。
「…この兵士達…まさか…」
『焔獅子』の神官であるセリナが何か思い出したかのようにつぶやく。その顔はどことなく冴えず、何かにおびえているようにも見える。
『ギャォォォォッォォォォン!!!』
その時、頭上から突如、大きな咆哮が鳴り響く。
ギレー軍、クレモス軍、混成部隊、アイゼラ城壁…。激しくぶつかりあっていた魔法や、鋼が交錯していた戦場は突如として空気が変わる。
敵も味方も誰もが息を飲み、頭上を見上げると、巨大な影が空を舞っていた。
「お…おい…あれ…」
「なんだ…黒い…ワイバーン?」
「ちょ…ちょっと待てよ…あれ…竜じゃないか?」
周辺の傭兵、冒険者が空を飛ぶ生物について口にする。
確かに、その姿形は『竜』そのものだ
竜の羽が大きくはためき、頭をゆっくりと持ち上げると、その咢に炎が纏わりついている
「まずい!!全員急いで離脱しろ!!!」
エリオスが大声で指示を出した瞬間、戦闘の中心部に竜がブレスを吐く。その場から大きな爆発が発生し、爆風が吹き荒れる。
「やべっ!」
「きゃぁっ!!!」
「ぐぅぅぅぅ」
大きな爆風と、土煙が舞いあがる。
やがて土煙がはれると、その場には、黒い鱗を持つ、光のない真っ赤な目を持つ、圧倒的な存在感を放つ大きな竜が姿を現した。
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