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Episode01
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本日も普段通り客足は遠く、誰もいない寂れた店内のカウンターでスマホを弄りながらのんびりしていた。
もう既に外は暗く、きょうはもうお客は来ないだろうと考え、店じまいをしようと掃除に取りかかろうとしたときだった。
カランカランと扉の開く音がしたかと思うと、目をギラギラした痩せ細った身なりの汚い男性が店内に入ってきたのである。
「また高橋(たかはし)さんですか。今月でもう五回目ですよ? そろそろ控えたほうがよろしいのではないでしょうか?」
その見た目からして怪しさ満点の危うい雰囲気を纏った男性ーー高橋さんは、今月だけで何度も来店しているのだ。
昔は、むしろふくよかだったのだが、今やその体型は見る影もなく、柔和だった目付きも険しい眼光を放つように変貌してしまった。
原因はおそらくもなにも、覚醒剤の使いすぎによるものだろう。
最初は0.5gだけ試しに購入していただけだったのだけれど、日に日に来店する頻度が増していき、二月に一回が一月に一回に増え、次第に一ヶ月の間に来る回数がやたらと増えてしまった。
「こっちは客なんだ。かかか金ならある。5gほど売ってくれ」
「また5gも買うんですか? もう今月だけでどれほど打ちました? この調子じゃ早死にしてしまいますよ?」
そう。高橋さんは購入する量も非常に多く、一回にどれほどの量を詰めているかも把握できないほど乱用しているようなのだ。
一般的な覚醒剤依存者は二通りの人種がいる。
使う量は普通だけど連日連夜使い続ける人と、一回の量は多い代わりに数ヵ月に一回買いに来るだけという、通称たまポンと呼ばれる者たち。
ーーしかし、高橋さんの場合は、売人の私から見ても異常としかいえない。
使う場面を実際に見たわけではないけど、買う量や買いに来る頻度でだいたいの使用量はわかる。
おそらく、高橋さんは一度に致死量と云われている0.5g相当を注射しているうえ、一日に一回二回では済まない頻度で打ち込んでいるだろう。
「俺は大事なお得意様だろ? はは、早く出せよ。金ならきちんと用意してある」
言いながら高橋さんは、一万円札を10枚纏め、叩きつけるようにカウンターに置いた。
私の店では、覚醒剤の価格は買う量によって1g単位の値段が変動する。
その理由としては、私が覚醒剤を仕入れている犯罪組織の愛のある我が家から仕入れるとき、100g買うのと200g買うのでは、値段が断然変わってくる。だから私もそれを習って、参考にさせてもらっているのである。
100gだと120万円する。つまり1g当たり12000円ということになる。
しかし200gを纏めて買うと200万円と相当お得な値段に変わる。1gを1万円で買えるのは、私たち末端の売人からすれば破格の価格だ。
「道具は要らないんでしたよね?」
「あ、ああ。ど、道具は薬局から直接100本入りを横流ししてもらった。そ、それより早く出してくれよ! なあ!?」
高橋さんは、離れていてもわかるほど脂汗が多量に頬に流れている。
手も震えており、端から見てもやりすぎだということがわかる。もしかしたら一般的な薬物に縁のない人間でも普通ではないとわかってしまうだろう。
これでは警察に捕まるのも時間の問題だ。
面倒事には巻き込まれたくはないんだけれど、高橋さんが言うとおり稼ぎになるお得意様だから、無下にもできない。
私は「すぐにお持ちしますので、そこで座ってお待ちしててください」と言い残し、奥の倉庫へと入った。
いつもどおりの秤を持ち出し、覚醒剤の結晶が入った袋から目分量で掬うと、少し大きめなパケに詰めながら量を計っていく。
ちょうど5gと少し入ったことを確認し、チャックをしっかり閉じた。
私の場合、指定された量より少なくならないように多少多めに詰めることにしている。量が少なかった場合、どのようなイチャモンを付けられるかわかったものではないからだ。
私は倉庫から出ると、覚醒剤の入ったパケを高橋さんに差し出した。
高橋さんは、それを引ったくるように受けとると、なんとその場で鞄から注射器を取り出した。
「あの、申し訳ありませんが、店内での使用はお断りさせていただいておりますので……」
過去に購入した矢先にコカインを吸引し、一気に頭に血がのぼった末、店内で暴れまわり店の商品を派手に散らかすといった迷惑行為をされたことがある。
それ以来、店内での薬物の乱用は断るようにしている。
「べつにいいだろ!?」高橋さんは床にパケを置くとライターの底を何度も叩きつけ、覚醒剤を粉末にした。「うるさいんだよ! 俺は大事な顧客だろうが!」
「……」
困ったことになってしまった。
無理やり追い出そうにも、いくら痩せこけた男性とはいえど、華奢な私では返り討ちに遭ってしまうのが考えなくてもわかる。
高橋さんは細いストローを取り出すとパケに突き刺し、大量の覚醒剤を注射器の内部にぎゅうぎゅうに詰め込んだ。
目分量でだいたいの量がわかるようになっている。
だいたい目盛りが0.1mlで、覚醒剤は0.08gほどになる。
たまポンのひとだって、一日で0.5gすべてを使い切るけれども、一回で0.5gも使うひとはいない。分けて使うのだ。
それを一回の注射で使うとしたら、頭がおかしくなってしまっても仕方ないといえる量だ。相当危険な行為といえるだろう。
0.5gというのは、一般的に知られている覚醒剤ーーメタンフェタミンの致死量だ。いくら耐性が着いているからといって、亡くならないとも限らない。
高橋さんは震えた手で無理やり注射器を握りしめ、斜め30度ほどの角度に傾け、左腕の太くて一番わかりやすい静脈血管目掛けて、一気に針を穿刺した。
無論、水などを入れていないためすんなりとは入っていかない。
高橋さんは注射器内部に逆血したのを確認すると、そのまましばらく血を吸いとり、血液によって覚醒剤の粉末が溶けるのを少し待つ。
それを血管に注ぐと、再び血を抜き覚醒剤を血で溶かし注入するーーそれを数度に渡り繰り返すと、ようやく注射器の針を腕から引き抜いた。
「かはっ! やっぱここのシャブは純度から違う。たまんねーな!」
使ったばかりの特徴ーー体を小刻みに揺らし、大量の汗を一気に流しながら、高橋さんは大きな声で独り言を呟いた。
「満足しましたか? 終わったのでしたら、早々にお帰り願います」
「いや、待て。俺の話を聞いてくれ」
まだなにか用事があるのだろうか?
いい加減鬱陶しくなってくる。
私の気持ちも少しは考えてほしい。
昔の高橋さんは、こんないい加減な性格ではなかった。なのに、覚醒剤を連用しはじめてからの高橋さんは、徐々に性格が変わっていってしまった。
もう既に、礼儀正しかった昔の高橋さんは存在しない。
「俺はいま、警察に内偵されているんだ。証拠に外を歩くだけで複数人からチラチラ見られたんだ。ウザいから問い詰めても、しらばっくれるんだよ。奴ら、俺を捕まえるのに躍起になってるんだ。女子中学生までスパイにしてな」
内偵と聞き一瞬ドキッとしたが、話を聴いているうちに、どうも勘違いにしか思えなくなってきた。
まず、チラチラ見られるのはその危ない外見のせいだろう。
瞳孔は開ききっているし、頬は痩せこけており、ボロい服装をそのまま使い回し外出する。おまけとばかりに、覚醒剤乱用者が発する独特な酸っぱい臭いまで漂っているのだ。
私だって、外を歩いていてそのような人物とすれ違ったら、ついつい目線を向けてしまう。
おまけに女子中学生を内偵に利用する警察なんて存在しないだろう。
なにもしていないのにも関わらず、見てしまっただけで問い詰められたひとには御愁傷様としか言えない。
「覚醒剤精神病にありがちな被害妄想ではないですか? もう店を閉めるんで早く出ていってくださいな」
「お、おお俺に俺にに捕まれって言いたいのか言いたいのか!? 奴らはどこにいても監視してきやがる! 家の中でも安心できねー! 盗聴器や盗撮用のカメラを至るところに仕掛けやがったんだ! だから家のなかじゃ落ち着いてシャブも打てなくなっちまった!」
ああ……こうなってしまってはおしまいだ。
覚醒剤の摂取のし過ぎで狂った末に中毒で亡くなるか、そのまえに幸運にも警察に捕まり檻に入れられ断薬がはじまるか、一生出られない精神病院に入院させられるか。
ーーいずれにしろ、ろくでもない未来しか訪れないだろう。
と、高橋さんが震えながらぶつぶつなにかを言っている最中、店の入り口から二十歳ほどの女性が入ってきた。
「嵐山です。道具が品切れになりそうだと連絡をいただいたので運んできました」
入ってきたのは、自分より少し年下の美人かつ愛らしい女性。寝癖なのか天然なのかはわからない癖毛が気にならないほど愛嬌がある。
しかしその実の姿は、特殊指定異能力犯罪組織“愛のある我が家”の現リーダー。名を、嵐山沙鳥(あらしやまさとり)さんという。
そういえばこのあいだ覚醒剤を仕入れたあと、注射器もなくなりそうだと在庫チェックで気づいて連絡を入れたのであった。
普段仕入れている薬局が急に売ることができなくなったと言い出して、困っていたところなので相談してみたのだ。非常に助かる。
「車内に積んでありますので、一緒に運び入れるのを手伝ってください」
嵐山さんはそう言うと、チラッと高橋さんに目をやった。
「お、おおおまえおまえももスパイだろ!? 失せろ!」
「この方はなんなのですか? かなたさんの知人でしょうか?」
「ええと……」
説明に困っている私が言葉を発する前に、嵐山さんはそれを手を伸ばし制止した。
「口に出さなくて結構です。今の思考でだいたいの状況は把握できました」
嵐山さんは愛のある我が家のリーダー。当然、異能力者しか所属できない組織なので、当然のように異能力者のひとりである。
その能力の内容は、視界に入った者の思考や想像を読心できるといった、非常に便利な能力だ。個人的には羨ましく思える。
「高橋さんという名前のお方なんですね?」
「な、ななぜ知ってやがる! やはりスパイかスパイなのか!?」
高橋さんは顔面を真っ赤にしながら、もはや言動からおかしくなっている。
「いえ、ここに来る最中、警察官が高橋さんを捕まえるためにこの店舗に向かっているという話を小耳に挟んだのです」
「な、なに!?」
え?
と疑問に感じた私の脳内に、突如として嵐山さんの声が響いた。
『無論、単なる嘘ですので心配しないでください』と……。
嵐山さんは読心だけでなく、送心もできる異能力者だ。言葉にしなくても伝わるうえに伝えられるというのは、ひとによっては畏怖される能力者とまでいえよう。
「今すぐ店から出て逃走すれば助かるかもしれませんよ? 捕まりたいのであれば、このままここに居られても結構ですがーー」
「!? ままままずいまずいまずいぞクソッタレ! 最近どいつもこいつもスパイだから怪しいと思ってたんだ! ちくしょう! 捕まってたまるかよ!」
高橋さんはまんまと嵐山さんの言葉に騙され、叫び声をあげ、ふらつきながらも店内から外へと逃げるように出ていった。
「ありがとうございました。正直、どうしようかと困っていたところです」
「ああいう輩は、そのうちやらかして捕まりますよ。ですから、相手にしないのをおすすめさせていただきます。では、外に車を止めてありますので、失礼ながら運搬を手伝ってください」
嵐山さんはそう言うと、店外のすぐ直近に停車してある車へと歩き、後部座席から注射器が100本入った箱を六つ取り出した。
その半分を受け取り店内に戻りながら、過去の高橋さんとのやり取りを、なぜか自然と思い出していた。
『覚醒剤を売っていると知人に紹介されて来たのですが、本当ですか?』
『一見ただの小さい個人経営の雑貨店なのに、すごいですね! 尊敬してしまいます!』
『かなたさん、ありがとうございます。あなたのおかげで生きる活力を取り戻せました!』
『これからも末長くお付き合いくださいね。絶対に迷惑はお掛けしませんので!』
そうした愛嬌のあった高橋さんは、既にこの世には存在しない。
覚醒剤を連用していくうちに、心が消えたのだ。
もうあの頃の高橋さんは亡くなってしまった。
ーー覚醒剤とは、人を壊す薬なのだ。
それを今回の出来事で、再度確認できたのだ。
薬が悪だとは思っていない。この商売をしている手前、否定する気などないし、使う人物を軽蔑など絶対にしないと誓っている。
しかし、使う人間によっては、覚醒剤は死神となるのだ。
それゆえに覚醒剤は違法薬物とされているのだと、私は実感した。
ーー覚醒剤のオーバードーズが原因で、吐瀉物まみれになり苦しそうな表情で高橋さんが孤独死したというのを知ったのは、高橋さんが来店しなくなってからしばらく経ったとある日のことだった。
もう既に外は暗く、きょうはもうお客は来ないだろうと考え、店じまいをしようと掃除に取りかかろうとしたときだった。
カランカランと扉の開く音がしたかと思うと、目をギラギラした痩せ細った身なりの汚い男性が店内に入ってきたのである。
「また高橋(たかはし)さんですか。今月でもう五回目ですよ? そろそろ控えたほうがよろしいのではないでしょうか?」
その見た目からして怪しさ満点の危うい雰囲気を纏った男性ーー高橋さんは、今月だけで何度も来店しているのだ。
昔は、むしろふくよかだったのだが、今やその体型は見る影もなく、柔和だった目付きも険しい眼光を放つように変貌してしまった。
原因はおそらくもなにも、覚醒剤の使いすぎによるものだろう。
最初は0.5gだけ試しに購入していただけだったのだけれど、日に日に来店する頻度が増していき、二月に一回が一月に一回に増え、次第に一ヶ月の間に来る回数がやたらと増えてしまった。
「こっちは客なんだ。かかか金ならある。5gほど売ってくれ」
「また5gも買うんですか? もう今月だけでどれほど打ちました? この調子じゃ早死にしてしまいますよ?」
そう。高橋さんは購入する量も非常に多く、一回にどれほどの量を詰めているかも把握できないほど乱用しているようなのだ。
一般的な覚醒剤依存者は二通りの人種がいる。
使う量は普通だけど連日連夜使い続ける人と、一回の量は多い代わりに数ヵ月に一回買いに来るだけという、通称たまポンと呼ばれる者たち。
ーーしかし、高橋さんの場合は、売人の私から見ても異常としかいえない。
使う場面を実際に見たわけではないけど、買う量や買いに来る頻度でだいたいの使用量はわかる。
おそらく、高橋さんは一度に致死量と云われている0.5g相当を注射しているうえ、一日に一回二回では済まない頻度で打ち込んでいるだろう。
「俺は大事なお得意様だろ? はは、早く出せよ。金ならきちんと用意してある」
言いながら高橋さんは、一万円札を10枚纏め、叩きつけるようにカウンターに置いた。
私の店では、覚醒剤の価格は買う量によって1g単位の値段が変動する。
その理由としては、私が覚醒剤を仕入れている犯罪組織の愛のある我が家から仕入れるとき、100g買うのと200g買うのでは、値段が断然変わってくる。だから私もそれを習って、参考にさせてもらっているのである。
100gだと120万円する。つまり1g当たり12000円ということになる。
しかし200gを纏めて買うと200万円と相当お得な値段に変わる。1gを1万円で買えるのは、私たち末端の売人からすれば破格の価格だ。
「道具は要らないんでしたよね?」
「あ、ああ。ど、道具は薬局から直接100本入りを横流ししてもらった。そ、それより早く出してくれよ! なあ!?」
高橋さんは、離れていてもわかるほど脂汗が多量に頬に流れている。
手も震えており、端から見てもやりすぎだということがわかる。もしかしたら一般的な薬物に縁のない人間でも普通ではないとわかってしまうだろう。
これでは警察に捕まるのも時間の問題だ。
面倒事には巻き込まれたくはないんだけれど、高橋さんが言うとおり稼ぎになるお得意様だから、無下にもできない。
私は「すぐにお持ちしますので、そこで座ってお待ちしててください」と言い残し、奥の倉庫へと入った。
いつもどおりの秤を持ち出し、覚醒剤の結晶が入った袋から目分量で掬うと、少し大きめなパケに詰めながら量を計っていく。
ちょうど5gと少し入ったことを確認し、チャックをしっかり閉じた。
私の場合、指定された量より少なくならないように多少多めに詰めることにしている。量が少なかった場合、どのようなイチャモンを付けられるかわかったものではないからだ。
私は倉庫から出ると、覚醒剤の入ったパケを高橋さんに差し出した。
高橋さんは、それを引ったくるように受けとると、なんとその場で鞄から注射器を取り出した。
「あの、申し訳ありませんが、店内での使用はお断りさせていただいておりますので……」
過去に購入した矢先にコカインを吸引し、一気に頭に血がのぼった末、店内で暴れまわり店の商品を派手に散らかすといった迷惑行為をされたことがある。
それ以来、店内での薬物の乱用は断るようにしている。
「べつにいいだろ!?」高橋さんは床にパケを置くとライターの底を何度も叩きつけ、覚醒剤を粉末にした。「うるさいんだよ! 俺は大事な顧客だろうが!」
「……」
困ったことになってしまった。
無理やり追い出そうにも、いくら痩せこけた男性とはいえど、華奢な私では返り討ちに遭ってしまうのが考えなくてもわかる。
高橋さんは細いストローを取り出すとパケに突き刺し、大量の覚醒剤を注射器の内部にぎゅうぎゅうに詰め込んだ。
目分量でだいたいの量がわかるようになっている。
だいたい目盛りが0.1mlで、覚醒剤は0.08gほどになる。
たまポンのひとだって、一日で0.5gすべてを使い切るけれども、一回で0.5gも使うひとはいない。分けて使うのだ。
それを一回の注射で使うとしたら、頭がおかしくなってしまっても仕方ないといえる量だ。相当危険な行為といえるだろう。
0.5gというのは、一般的に知られている覚醒剤ーーメタンフェタミンの致死量だ。いくら耐性が着いているからといって、亡くならないとも限らない。
高橋さんは震えた手で無理やり注射器を握りしめ、斜め30度ほどの角度に傾け、左腕の太くて一番わかりやすい静脈血管目掛けて、一気に針を穿刺した。
無論、水などを入れていないためすんなりとは入っていかない。
高橋さんは注射器内部に逆血したのを確認すると、そのまましばらく血を吸いとり、血液によって覚醒剤の粉末が溶けるのを少し待つ。
それを血管に注ぐと、再び血を抜き覚醒剤を血で溶かし注入するーーそれを数度に渡り繰り返すと、ようやく注射器の針を腕から引き抜いた。
「かはっ! やっぱここのシャブは純度から違う。たまんねーな!」
使ったばかりの特徴ーー体を小刻みに揺らし、大量の汗を一気に流しながら、高橋さんは大きな声で独り言を呟いた。
「満足しましたか? 終わったのでしたら、早々にお帰り願います」
「いや、待て。俺の話を聞いてくれ」
まだなにか用事があるのだろうか?
いい加減鬱陶しくなってくる。
私の気持ちも少しは考えてほしい。
昔の高橋さんは、こんないい加減な性格ではなかった。なのに、覚醒剤を連用しはじめてからの高橋さんは、徐々に性格が変わっていってしまった。
もう既に、礼儀正しかった昔の高橋さんは存在しない。
「俺はいま、警察に内偵されているんだ。証拠に外を歩くだけで複数人からチラチラ見られたんだ。ウザいから問い詰めても、しらばっくれるんだよ。奴ら、俺を捕まえるのに躍起になってるんだ。女子中学生までスパイにしてな」
内偵と聞き一瞬ドキッとしたが、話を聴いているうちに、どうも勘違いにしか思えなくなってきた。
まず、チラチラ見られるのはその危ない外見のせいだろう。
瞳孔は開ききっているし、頬は痩せこけており、ボロい服装をそのまま使い回し外出する。おまけとばかりに、覚醒剤乱用者が発する独特な酸っぱい臭いまで漂っているのだ。
私だって、外を歩いていてそのような人物とすれ違ったら、ついつい目線を向けてしまう。
おまけに女子中学生を内偵に利用する警察なんて存在しないだろう。
なにもしていないのにも関わらず、見てしまっただけで問い詰められたひとには御愁傷様としか言えない。
「覚醒剤精神病にありがちな被害妄想ではないですか? もう店を閉めるんで早く出ていってくださいな」
「お、おお俺に俺にに捕まれって言いたいのか言いたいのか!? 奴らはどこにいても監視してきやがる! 家の中でも安心できねー! 盗聴器や盗撮用のカメラを至るところに仕掛けやがったんだ! だから家のなかじゃ落ち着いてシャブも打てなくなっちまった!」
ああ……こうなってしまってはおしまいだ。
覚醒剤の摂取のし過ぎで狂った末に中毒で亡くなるか、そのまえに幸運にも警察に捕まり檻に入れられ断薬がはじまるか、一生出られない精神病院に入院させられるか。
ーーいずれにしろ、ろくでもない未来しか訪れないだろう。
と、高橋さんが震えながらぶつぶつなにかを言っている最中、店の入り口から二十歳ほどの女性が入ってきた。
「嵐山です。道具が品切れになりそうだと連絡をいただいたので運んできました」
入ってきたのは、自分より少し年下の美人かつ愛らしい女性。寝癖なのか天然なのかはわからない癖毛が気にならないほど愛嬌がある。
しかしその実の姿は、特殊指定異能力犯罪組織“愛のある我が家”の現リーダー。名を、嵐山沙鳥(あらしやまさとり)さんという。
そういえばこのあいだ覚醒剤を仕入れたあと、注射器もなくなりそうだと在庫チェックで気づいて連絡を入れたのであった。
普段仕入れている薬局が急に売ることができなくなったと言い出して、困っていたところなので相談してみたのだ。非常に助かる。
「車内に積んでありますので、一緒に運び入れるのを手伝ってください」
嵐山さんはそう言うと、チラッと高橋さんに目をやった。
「お、おおおまえおまえももスパイだろ!? 失せろ!」
「この方はなんなのですか? かなたさんの知人でしょうか?」
「ええと……」
説明に困っている私が言葉を発する前に、嵐山さんはそれを手を伸ばし制止した。
「口に出さなくて結構です。今の思考でだいたいの状況は把握できました」
嵐山さんは愛のある我が家のリーダー。当然、異能力者しか所属できない組織なので、当然のように異能力者のひとりである。
その能力の内容は、視界に入った者の思考や想像を読心できるといった、非常に便利な能力だ。個人的には羨ましく思える。
「高橋さんという名前のお方なんですね?」
「な、ななぜ知ってやがる! やはりスパイかスパイなのか!?」
高橋さんは顔面を真っ赤にしながら、もはや言動からおかしくなっている。
「いえ、ここに来る最中、警察官が高橋さんを捕まえるためにこの店舗に向かっているという話を小耳に挟んだのです」
「な、なに!?」
え?
と疑問に感じた私の脳内に、突如として嵐山さんの声が響いた。
『無論、単なる嘘ですので心配しないでください』と……。
嵐山さんは読心だけでなく、送心もできる異能力者だ。言葉にしなくても伝わるうえに伝えられるというのは、ひとによっては畏怖される能力者とまでいえよう。
「今すぐ店から出て逃走すれば助かるかもしれませんよ? 捕まりたいのであれば、このままここに居られても結構ですがーー」
「!? ままままずいまずいまずいぞクソッタレ! 最近どいつもこいつもスパイだから怪しいと思ってたんだ! ちくしょう! 捕まってたまるかよ!」
高橋さんはまんまと嵐山さんの言葉に騙され、叫び声をあげ、ふらつきながらも店内から外へと逃げるように出ていった。
「ありがとうございました。正直、どうしようかと困っていたところです」
「ああいう輩は、そのうちやらかして捕まりますよ。ですから、相手にしないのをおすすめさせていただきます。では、外に車を止めてありますので、失礼ながら運搬を手伝ってください」
嵐山さんはそう言うと、店外のすぐ直近に停車してある車へと歩き、後部座席から注射器が100本入った箱を六つ取り出した。
その半分を受け取り店内に戻りながら、過去の高橋さんとのやり取りを、なぜか自然と思い出していた。
『覚醒剤を売っていると知人に紹介されて来たのですが、本当ですか?』
『一見ただの小さい個人経営の雑貨店なのに、すごいですね! 尊敬してしまいます!』
『かなたさん、ありがとうございます。あなたのおかげで生きる活力を取り戻せました!』
『これからも末長くお付き合いくださいね。絶対に迷惑はお掛けしませんので!』
そうした愛嬌のあった高橋さんは、既にこの世には存在しない。
覚醒剤を連用していくうちに、心が消えたのだ。
もうあの頃の高橋さんは亡くなってしまった。
ーー覚醒剤とは、人を壊す薬なのだ。
それを今回の出来事で、再度確認できたのだ。
薬が悪だとは思っていない。この商売をしている手前、否定する気などないし、使う人物を軽蔑など絶対にしないと誓っている。
しかし、使う人間によっては、覚醒剤は死神となるのだ。
それゆえに覚醒剤は違法薬物とされているのだと、私は実感した。
ーー覚醒剤のオーバードーズが原因で、吐瀉物まみれになり苦しそうな表情で高橋さんが孤独死したというのを知ったのは、高橋さんが来店しなくなってからしばらく経ったとある日のことだった。
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