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朝焼けの街 (カハルサーレ)

23. 森に戻って街に戻る

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「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」

 先ほど通った街の裏口から森の中へ。
 カチューシャたちが話かけてくれるのは、ちゃんと聞こえてるってば。返事をする余裕がないだけで。

 そして荷物を茂みの傍にすべて置くと、リュックを開けてフィオに外に出てもらい、メモ帳とペンを探す。

 「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」と「イリ」と「そうそう」の発音を、まずはカタカナで大ざっぱに書き込み、その後、発音記号でもっと近いものに訂正。

≪よし! 皆さまお待たせしました~。もう話せるよ≫

≪別に覚えなくても、わたしや『じじ様』が通訳すればいい話でしょう? フィオだって文字は読めないけど、ちゃんと聞き取れるのだから≫

≪だけど、実際に口を使って話せるのはこの中で私だけだもん。不測の事態はいくらでも起こり得るんだから、戦える武器は多いほうがいいよ≫

 というか、私、剣や弓なんて扱えないし、運動神経も体力もないし、武器として使えるのって頭くらいなんだよ。
 普段使う日本語と英語に加えて、学校の外国語科目や古典としていろいろ触れてきたから、言語習得は唯一要領良い分野だと思う。

 念話は、上級魔導士ですら片言レベルなのであれば、一般大衆とのコミュニケーション・ツールとしてまったく期待できない。
 声出せませんって唖者あしゃのフリをするのも一つの手だけど、びっくりしたり痛かったりしたとき、咄嗟とっさに声が漏れてしまうのまで押し殺す自信がない。

 『外国人なのでこの国の言葉は片言なんです、てへぺろ』辺りが無難な気がした。
 なんてったって、流離さすらいの旅芸人だからね、私。
 周辺国は長らく同じ言語体系で、方言ほどの差異しかないらしいけど、『壁』と呼ばれる険しい中央山脈を越えれば、文字からしてまったくの別物。大陸の南から来ました感で押しきろう。



≪フィオ、はい、これ果物≫

≪わぁ、ありがとう~≫

≪あ、全部フィオが食べていいから≫

 それだと私のお腹がすくんじゃないか、と心配してくれる緑の竜。いいからいいからと答えつつ、リュックの底に辛うじて残っていた地球の黒糖塩あめを口に含み、購入した服を引っ張り出す。

≪じゃあ着換えるから、爺様とフィオはこっち見ないでね。
 カチューシャ、着方をチェックしてくれる?
 あと、皆で誰か人が来ないか見張っててくれると助かる!≫

 三人が了解してくれたので、熊のぬいぐるみミーシュカを反対方向に向けて置き直す。
 一昨日から着たきりすずめだった私も、やっとこの世界の服に袖を通せる。ちなみに爺様の男臭い勝色かついろローブは断然ノーカウント。

 ――あれ? カチューシャがびっくりして、ひとの肌をまじまじと観察しはじめる。

うそ、やだ、肌に入れ墨が一つも……ううん、何でもないわ。えっと、その、芽芽! 女の子なのにそんな勢いよく脱ぐんじゃないわよっ≫

≪あー、私、そこまでの恥じらいはない。へーき≫

 そんなことよりも時間が勿体もったいない、と足元で見上げてくるカチューシャに答えると、カチューシャだけでなく向こうの爺様にまで盛大なめ息をつかれた。
 変な脱ぎ方したっけ? でも誰が来てもおかしくない森で着換えるんだし、急いだほうがよくない?

 そういや一瞬、『入れ墨』って聞こえた気がするけど……もしかして犯罪者の烙印らくいんでもあると疑われてたのかな。ま、遺体の追いぎだし、仕方ないか。いつか返せるのなら返そうと思ってはいるんだよ。

≪そこはともかく。コート貸しなさい≫

 何するつもりだろう?

≪感謝しなさい、わたしがしてあげるんだから。効果のほどは判らないけど≫

 昨夜、おじいちゃんの小石をおまじないだと言って寝床に並べたら、ものすごく変な顔をしたくせに。この国の習慣だの、縁起担ぎだの主張し出したぞ。

 指示されたとおりにコートを地面に広げると、カチューシャがその上を何度もいろんな角度から飛び越えていた。鬼気迫る目線をなんとかして、尻尾さえ振ってくれたら、『面白そうなおもちゃを見つけて狂喜乱舞のキュートなわんこ』に見えなくもないんだけどなぁ。

≪いいわ。もう着てよし≫

 おまじないレベルなのかねぇ? 私はコートの土埃つちぼこりを払って若竹色の布地をじっと見る。
 焦点をぼかしても、フィオの首元みたいな怪しげな黒い糸は巻きついてなかった。さっきと特に違いはないな、うん。まぁでも。

≪ありがとう、カチューシャ≫

 そう言ったら、盛大に困った顔をして向こうを向いてしまった。
 地球のおじいちゃんいわく、こういうのってこめられた相手の気持ちが大事なんだよ。実際の効果云々うんぬんじゃないと思うよ。わざわざ私のためにしようとしてくれたのだから感謝なの。

 照れた様子で≪バカじゃないの、ふんっ。別にわたしは……≫とかなんとか、可愛く悪態ついてる白犬の横で、コートを着込む。ボタンを一つひとつ丁寧に留め、カチューシャの気持ちごとぎゅっと一度抱き寄せてから、フィオの横にしゃがみ込んで少し休憩した。



「(市場へ、市場へ、干し葡萄ぶどう入りのロールパン買ぁいにっ)」

 街に一度出たことで、結界から出た実感がようやく湧きあがってきたのだろうか、妙にテンションが上がる。自然とノリのいい古い童謡が口から出てきた。確かその後は、

「(お家へ、お家へ、ジグティジグ)」

 と続く、英語の意味なし歌。フィオの脳内念話拍手を受けて立ち上がり、若竹色コートの裾を摘まんで膝を曲げ、お姫様お辞儀をする。

 そのまま上機嫌で街に戻ろうとした。のだが、新しい靴がぶかぶかすぎて、靴下を詰めても歩くたんびに脱げてしまう。お金は節約したいけど、これは危険すぎる。
 まずは先ほどの露店で、もう一足別のデザインの靴を購入することにした。



****************



 この靴を交換したいです、とウォンバットおじさんにパカパカの駱駝らくだ色靴を見せたら、なぜかオーバーリアクションで、ぎょぎょっと驚かれた。

 服を着替えたからかな。カチューシャに促されるまま何度か問い掛けにコクコクうなずいていたら、とりあえず理解してもらえたようだ。
 今度はちゃんとフィッティングして、焦げ茶の裏革を選ぶ。うん、かかとの四色四弁の花刺繍ししゅうと、くるぶしで揺れる四色フリンジが可愛い。

 これください、と六角形の銀貨二枚に四つ葉銅貨二枚を組み合わせて渡す。一枚4イリ相当の六角形は鷹の模様なので、別名『鷹助たかすけ』。
 すると店主は最初に購入したぶかぶかの靴のほうを回収し、代金を受け取らないどころか、あまつさえ差額を支払おうとまでしてくれた。

「いいっていいって、大丈夫」

 いやいやいや。私その靴で森を歩いちゃったからね。

「大・丈・夫」

 ウォンバットおじさん、それは流石に申しわけないって!

「ダ、イジョ、ウブ」

 と私も真似しながら、ふるふるふる、と首を振る。 

 差額を渡してくるのだけは固辞したけど、最初の靴はおじさんが隣の屋台裏に置いてしまうものだから、もはや手が届かないし、新たな靴の代金も未払いのままだ。
 困ったなぁ。無駄に荷物増やせないし、お金も限りあるし、追加で買っても邪魔にならないもの……。

「……イリ?」

 露店にしゃがみ込み、靴の横に並んだ少し大きめのストラップを指さす。

 街壁の鍵についていたお守りに似ていた。ひもを複雑に交差させて菱形ひしがたや円形に編み込み、飾り房が垂れ下がっている。
 カチューシャと爺様が声高に、≪所詮はおまじない≫だと馬鹿にしているけど。縁起を担いで室内扉や壁に掛ける装飾品らしい。

≪可愛いんだから、いーじゃん≫

 この世界三日目の私がなぜここの文化を擁護ようごしているのだろう。さっきコートにおまじない掛けたでしょ! と指摘したら、年長組がやっと押し黙った。
 ていうか、コートの上でぴょこぴょこかえる跳びは……しょせん単なるおまじない、だったの?

≪お月様の色だねぇ、可愛いねぇ≫

 怪しい二人組が黙秘を貫く中、フィオだけは理解を示してくれた。
 赤・黄・青・紫、そのどれか一色の紐だけで作ってあるものもあったし、街鍵みたいに四色で編んだものもある。

「2イリだ」

「2イリ、3イリ?」

「2イリと4イリだ」

 ふむふむ。手前の一回り大きいのは4イリなのね。じゃあ四色ので、大きいの二つと小さいの一つください。
 私は値切ることなく、緑頭巾コートのポケットから先ほど渡そうとした硬貨を取り出す。

「10イリ」

「気ぃ使ってもらってすまないね、ありがとう」

 ウォンバットさんはお金を受け取ると、上着の中から財布代わりの太いひもを取り出し、そこへ慣れた手つきで通していく。

 4イリの『銀鷹ぎんだか(愛称は鷹助たかすけ)』と、1イリの『小花こばな(愛称はいちご)』、1イリの4分の1となる『小枝(愛称はねぎ)』、1イリの12分の1となる『鉄狼ぎんろう(愛称は犬助いぬすけ)』。日常的に使う下位の貨幣は、すべて穴が開けられているのだ。

 私は何度も深くお辞儀して、最大限の笑顔を一生懸命振りまいた。ほんとにお礼しか、返せるものがないんだもの。

 親切なおじさん、ありがとう。
 どうか貴方に幸運が訪れますように。
 どうか貴方にとって良い一日となりますように。






****************

 ※イギリスやアメリカで古典の授業は、ラテン語や古代ギリシャ語の知識が必要になってきます。
 森で芽芽が唄ったのは英語の元歌なので、( )内に日本語の意味を表記しました。古いマザーグースの童謡から、作者訳です。
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