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プロローグ

僕は彼女、彼女は僕を見ていた。

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僕は彼女を見ていた。

 一つ一つが繊細な彫刻のように綺麗なラインに白い肌。人の中から生み出された女神のような美貌。墨のように塗りつぶされた真っ黒な長い髪と蠱惑こわくなような程に澄んだ紫色の瞳に僕は目を奪われた。

 とても彼女は美しかった。誰が見ても疎まれるような綺麗な美貌はまるで天界から舞い降りた女神としても捉える事も出来る。そんな彼女を誰も放っては置かない、いや放ってはいけないのだ。

 現に彼女は民衆の前で淫らに全身の肌を曝け出して無様に十字架に楔で縛され業火に焼かれていた。

 誰も傷付いた体を見向きもしないで、誰も彼女が全身を焼かれている事に疑問を持たず、民衆は口を揃えて彼女の事を『』と言い、民衆は彼女の『死』を望んで言葉を発し、石を投げて彼女の繊細な肌が更に傷付いていく。

 それに対して彼女は何ら抵抗もせず、ただ今の状況を然りと受け止めているだけ。頭や体から血が流れても彼女は整然と佇み、全身が焼かれていても顔を変えず、民衆からの怒りが孕んだ言葉を聞いても優しさのある瞳を民衆に向ける。

 此処にいる全員が彼女の親しき知り合いであったとしても彼女は今と同じように絶えず全てを受け入れる覚悟があったのだ。

 今彼女の現状に此処に集まる民衆たちの中には誰も彼女を想う人は一人も居ない。彼女の事を救う人は誰一人としても居ない。まるで"罪人"の刑が執行されているかのように彼女を死にいく様を民衆たちは喜んでいるようだ。

 本来なら人徳的な問題でこの刑自体を廃止するべきであるがそんなの大きく突き動かす感情を前にしては人徳という考えが消えるのは至極簡単な事であった。

 業火に焼かれ、新たに流れる血、民衆の怒りを孕んだ言葉を前にしても堂々とする彼女をしている姿に僕は目を背けた。いや、目を背けるしかなかった。

 彼女は哀れだ。周りには彼女の味方は誰一人としていない。ただ彼女は自分の身を傷つけて、石を投げられ、悪徳名詞や汚名で名が呼ばれ、人々の快楽を満たす為だけに火で体を焼かれるのだ。

 僕はそれを止めようとしなかった。考えた通りに体が動いてくれない。周りの人々の目を気にしてその身を震えわせ彼女を助けることを放棄している。今の僕には全てを敵に回す為の勇気が存在していなかった。

 僕には彼女を助けることが出来ない。

 僕には彼女を救うことが出来ない。

 僕にはただ彼女が死ぬまでこの光景を傍観しなければならなかった。

 僕は卑怯者であった。僕は臆病者でもあった。僕は何もかも捨てる勇気などなかった。
 彼女の美しいガラス細工のような白い肌がただれ落ちる。彼女の体に付いた傷の数々はもう何処も見えない。民衆の怒号は業火と共に激しく燃え上がり、砲台の音もかき消すほどに五月蝿くなった。

 此処にいる誰もが彼女を見ている。勿論、彼女も此処にいる人々を見ている。業火でその身が焼き切れるまで彼女は人々に目から溢れる涙を抑えて優しく微笑んだ。それはまるで神に選ばれた聖女の如く慈愛に満ちた仁愛なる眼差し。彼女こそが真の聖女の姿では無いのかと錯覚させるその姿は此処にいる人々の目には映ることは一生無いのだろう。それでも彼女は彼らを死ぬ最後まで恨むことはなかった。それはただ彼らの幸福を願った思いが彼女にあったかもしれない。

 彼女は燃える。業火の中でただ一人も恨むことなく慈愛の眼差しをしていた。人々は蠱惑な魔女が死ぬのを喜んだ。彼女は人々の幸せを願った。僕は彼女だけを見た。彼女は一人ずつ人々を見た。そして、彼女は僕を見た。僕を見た途端に彼女は表情を崩した。とても悲しいそうで子供のように今にも泣きそうな表情であった。彼女は我慢していたかもしれない。泣かないように気を保っていただけかも知れない。でもこの時だけ静かに彼女は涙を流した。業火の中では彼女の涙はすぐに乾いた。彼女が泣いたとは誰も思いもしない。
彼女は業火に焼かれた。その身が全て焼き切れても民衆の怒号は鳴り止まない。それは民衆が溜め込んでいた不安と恐怖の重さである。最後に彼女が見せた表情は誰も知らない。知っているのはただ一人僕だけだ。

 そんな僕は彼女を思い出すだけで彼女を救えなかったのをとても後悔しているのだ。彼女を助ける為の勇気がない事を恨んだのだ。けれどもそれに気づいた時には後悔だけが僕の心に残った。

 彼女の亡骸を最後まで見ることなく傍に居た白装飾を全身に纏った断罪人が亡骸を白いスカーフで包んで死刑台から持ち運んでいった。何も無くなった死刑台から人々は立ち去り元の生活に戻る。

 だけど僕はいつまでもこの場に去ること無く、彼女が縛られていた死刑台を眺める。僕は彼女に想いを馳せていた。その刹那、僕の視界は一瞬にして暗闇に反転した。
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