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第8話 死闘の果てに

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「がああああああぁぁぁぁぁあああっ!」

 凄まじい痛みと衝撃で、俺は絶叫を上げる。

「——かはっ」

 気付けば、俺は通路の端まで吹っ飛んで腹から地面に打ち付けられていた。

 よろよろと立ち上がろうとして、激しい痛みに膝をつく。
 見れば、右肩と左の脇腹に大穴が空いていた。
 どうやらあの二本の角で突き上げられたらしい。

「嘘だろ……まだ、こんなに遠いのかよ……」

 圧倒的な差を感じて、俺は呆然と呟く。
 なまじ強くなったからこそ、あの牡鹿がどれだけイかれた存在なのか以前よりもはっきり分かる。分かってしまう。

 あれはダメだ。人間が逆らっていい相手ではない。
 トップ冒険者と呼ばれる人たちが全力で挑んでも、果たして勝てるかどうか。
 ましてや見せかけのレベルを上げただけの俺なんかが敵うはずもない。

 そうやって現実を認識した頃には、もう遅かった。

 黒くて禍々しい角の真ん中で妖しく光る紫色の宝石。
 それがぎょろりとした目となり、俺を見つめる。
 そして、

「っづああああああああっ!!!」

 同時に角から紫紺の閃光が放たれ、俺の両目を焼いた。
 
「なんだよこれ、見えない……目が開かない……!」 
 
 俺はあまりの眩しさに思わず目を閉じ、すぐに危険な状況を思い出して目を開けようとして、しかし世界は一向に暗闇に包まれたまま。どれだけ必死に光を見ようとしても、何も映らない。
 背筋を冷たさが走り、俺は慌てて手で目の周りをペタペタと触る。
 すると、不気味なドロッとした感触が手に触れた。

「ま、まさか……」

 考えたくもないような事態が俺の脳裏に浮かぶ。

 だが、恐らく間違いない。
 だって、どれだけ頑張っても俺の目は一向に何かを映してはくれないから。
 目を閉じていても分かる、眩しいという感覚すらも届いていない。

「目が、俺の目がああああああああああぁぁあああっ!」

 どこかの大佐のようなセリフだが、至って真剣だ。
 失明の恐怖を自覚すると、それ以外に言葉が出てこなかった。

「早く、エリクサーを!」

 焦りながらポケットのエリクサーを取り出して飲もうとするが、中々上手くいかない。
 突然視界を奪われたことで平衡感覚がおかしくなり、上手く栓が開けられないのだ。

「くそっ!」

 俺は仕方なく、悪態を吐きながら口に瓶を放り込みそのまま嚙み砕いた。
 これも110まで上げた力パラメータの恩恵である。
 破片が飛び散り口の中をズタズタに引き裂くが、それも目と腹の穴と一緒にたちどころに癒える。
 
 ようやく回復した視界の先で、牡鹿は追撃してくるでもなく悠然と佇んでいた。
 まるで、俺が回復するのを待っていたかのようだ。

 だが待っていられても俺はこいつには敵わない。この場は逃げるしかない。
 そう思って、風スキルを全開にして後ろに飛ぼうとして――

「——っづあああああああぁぁああああっ!」

 俺の動きより早く角の宝石が輝き、射出された紫の光線が俺の両足、膝から下を吹っ飛ばした。
 けれど、尚も牡鹿は追撃してくることはない。

「……二度も逃がすのは許さないってわけかよ」

 即座にエリクサーを飲んで回復し再び対峙すると、牡鹿はどことなく興味深げな眼を俺に向けて来た。
 それだけでも凄まじい威圧感で、何度も与えられた痛みも相まって頭がくらくらしてくる。

 以前までの俺ならそれだけで失禁し気を失っていることだろう。
 だが、ここまで乗り越えて来た死が、痛みが、何とか俺を踏み止まらせている。

「……やるしか、ないのか?」

 逃げることは許されない。
 それならば戦いの中に活路を見出す他にない。
 幸い理由は分からないが、黒い牡鹿は何らかの興味を俺に抱いているようなのでその隙を突けば何とかなるかもしれない。
 ステータスだけなら俺だってトップ冒険者クラスなのだ。

 ——そんな考えは、あまりにも甘すぎた。

「はぁ、はぁ……クソ! オラ! なんだよ、これでも効かないのかよ!」

 ――固い。
 こいつの本質は速さでも攻撃力でもなかった。
 重機や巨大なビルを思わせる程の圧倒的な防御力だったのだ。

 殴る。右手が吹っ飛ぶ。回復する。
 蹴る。右足が吹っ飛ぶ。回復する。
 逃げる。両足が吹っ飛ぶ。回復する。

 こちらの攻撃は一切通用しないのに、向こうは一撃で致命傷を与えてくる。
 
 アドバンテージだと思っていたエリクサーでの回復が、今は死ねずに痛みだけを与え続けられているようでおぞましかった。

 ——そして、俺は理解した。

「……なんだよ。最初から弄ばれてただけじゃねえか」

 死にかけだったのに復活して戻って来た見慣れない羽虫が、今度は瞬時に傷を癒す術を身に付けていた。
 きっとこいつからすれば、いくら壊しても元に戻るおもちゃのような認識なのだろう。
 端から俺に活路など与えるつもりもなかったのだ。

「こうなったら、イチかバチかだ」

 俺は身体を風で押し出し、再び牡鹿へと迫る。
 やはりというか、牡鹿は何もしてこない。
 大きな目を見開いて、まるで今度はどう遊んでくれるのかと言わんばかりに好奇心たっぷりだ。

 というわけで、俺はその隙を狙う。 

 殴り掛かるふりをして、踏み込んだ足だけで無理やり上に跳躍。そして、

 ペッ。
 
 俺は、牡鹿の目に向かって思いっきり唾を飛ばした。

 ただの唾ではない。最初にエリクサーを噛み砕いた時の鋭いガラス片だ。
 跳躍とガラス噴射。その為に残った20のボーナスポイントを全て力に振った。

「フォオオオオオオ!」

 牡鹿の口から初めて苦悶らしき声が漏れる。
 
 だが、恐らくこれもフェイク。
 その証拠に、角に付いた禍々しい紫のギョロ目は俺を捉え続けている。

 なので、俺は更に風スキルを使い自ら周囲の黒灰を舞い上がらせた。
 そのまま灰に埋もれるようにして、近くの背の高い草むらへとうつ伏せで潜り込む。
 
 降り積もった黒灰が全身を焼きガンガン体内に吸い込まれるが、俺はそれを防ぐことはしない。

 俺が黒灰に侵されて死ぬか牡鹿がいなくなるか、二つに一つ。
 動けいないからエリクサーも飲めないので、ここからは正真正銘の我慢比べだ。
 
「ぐぅうっ……!」

 内臓から今まで体感した事のない張り裂けるような痛みと尋常じゃない吐き気が襲うが気合で抑え込む。

 灰を被っているから周囲の様子を確認することも出来ない。
 本当に死ぬギリギリまで、ひたすら耐え続けるしかない。





 ……どれくらい、経っただろうか。

 段々と痛みが鈍くなり、手足が痺れて意識が朦朧としてきた。
 これ以上はもう、エリクサーを飲む余裕すらなくなってしまうだろう。

 俺は意を決してよろよろと起き上がり、視線を上げる。
 だが。


 ——眼前には、ニイィと歪んだ牡鹿の笑みがあった。



 フリーの3Dホラーゲームに出て来そうな不気味で奇怪な笑みを、心底楽しいと言わんばかりに鹿の顔と角の目の両方が浮かべている。

「なん、だよ。それ……」

 こいつは、ずっと待っていたのだ。

 俺が起き上がるのを待ち続けていた。
 そして苦しむ姿を見て笑っていたのだ。

 牡鹿の顔を見た瞬間、俺の心はぽっきりと折れた。
 絶望が胸中を支配し、黒灰に侵された身体は膝立ちのままピクリとも動かない。

 そんな俺に、牡鹿はゆっくりと前足を上げた。
 ご丁寧に身をかがめて、脳に張り付く気持ち悪い笑みが、最後まで俺の視界に入り続けるように。

「死にたく、ないよ……」

 絞り出すように懇願する俺。
 けれど無情にも、蹄はそ容赦なく振り下ろされた。

 ――その時だった。

『——適性審査が終了しました。これより《神滅スキル》の上書きを開始——※Φ§¶……エラー。対象の汚染度が許容値を超過。対象の生命の危機を感知……要望【死にたくないよ】承りました。これよりスキルの再構築を開始します――』

 レベルアップの時と同じ無機質な声が一瞬にして脳裏を駆け抜け――次の瞬間。

 俺の身体を静かな黒色の風が包み込み、振り下ろされた牡鹿の右足は根元からごっそりと消え失せていた。
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