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第32話 再び猫の街へ

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 僕たちの乗った自動馬車は、猫の街を目指して街道を走行していた。目的地は猫の城で、今は占領軍本部になっている所だった。
 僕はどうしても来島のお姉さんに会わなければならなかった。来島が亡くなった今、全ての事情を聞ける相手は彼女しかいなかったからだ。

 リゾートでは結局、僕たちは子猫の救出作戦に失敗してしまった。ユキの事が心配でたまらないが、頼みのボスは重傷で動けないし、敵はあまりにも強大だった。だが、僕は何もせずにはいられなかった。

「レイさま、すこしお休みになられてはいかがですか? 自動操縦にできるはずですよ。」

 僕はひとりで行くと言ったが、ベラベッカはどうしても一緒に行くと言ってきかなかった。レオパルトはゲパルドと共に山猫長老会の相手をしなければならず、ユートは医療知識があるのでアイゼやカイトにつきっきりだった。

「ありがとう。でも、なんだか眠れないんだ。」

「レイさま。お聞きしてよろしいですか? あのクルシマという方は、レイさまにとって大切なお方だったのですか?」

 僕は説明に困ってしまった。彼との関係を詳しく話せば、僕が異世界から来た事がばれてしまうからだった。だが、これ以上彼女に隠すのもなんだか悪い気がした。
 ひょっとすると、勘のいい彼女はとっくに気づいているかもしれなかった。


「彼は僕の、たったひとりの友だちだったんだ。」

「そうでしたか…。レイさまが会いにいかれるのは、その方のお身内の方なのですね?」

「うん。どうしてもその人に聞かなければならない事があるんだ。君を巻き込んでごめんね。」


 来島から聞いたあの事実を知った以上、僕はどうしても来島の姉に教えてほしかった。なぜ黒猫は僕を憎み、命を狙ったのかを。


「いえ。わたくしはレイさまと共にいたいから来たのです。レイさま…。」

 彼女は、馬車を操縦する僕の手に自らの手を重ねてきた。心地よい温もりが彼女の手から僕の手に伝わってきた。

「ベラベッカ…。」

「今、わたくしがレイさまにできることはこれくらいしかございません。すこしの間だけ、馬車をとめて頂けますか?」

 僕と彼女はじっと互いを見つめあった。

 今はただ、彼女に甘えてしまいたい。そんな誘惑が僕の中にわき起こった。だが、それは彼女を激しく傷つける行為かもしれなかった。
 それでも、僕と彼女の顔は少しずつ接近していった。そしてお互いの吐息を感じるくらいになり、まさに唇と唇が触れ合う瞬間だった。


「ハ、ハ、ハ…ハ~クショ~ンニャ!」


 後ろから盛大なくしゃみが聞こえてきて、ベラベッカはのけぞってバランスを崩した。

「前院長!?」

 今にも相手を射抜いてしまいそうな目つきでベラベッカがシャムシャムをにらんだ。荷室の樽の中から這い出してきた前院長は彼女を無視して顔を洗っていた。

「すまんのう、ええとこを邪魔してしもうたニャ。まあ、ベラベッカのラブシーンなんか見てもどうしようもないけどニャ。ニャハッ。」

「レイさま、射撃許可をいただけますか。」

 僕は彼女をなだめてから、前院長の首をつかまえた。

「聞きたいことはあなたにもあります。前院長さん。」

「なにかニャ?」

「猫の街に着いて、こねこの家に帰ってからにしましょう。」

 ベラベッカはまだ怒り心頭みたいで、顔を赤くして頬をふくらませていた。

「前院長さまはなぜ空樽の中に隠れてまでついてきたのですか?」

「それはな、ワシにはレイくんのことを見届ける責任があるからじゃよニャ。」

 ベラベッカは不思議そうな顔をしていたが、僕にはその意味がなんとなくわかったような気がした。


 山猫の里を出る前に、僕はゲパルドと二人で話していた。

「なんだレイ殿。話したいこととは?」

「ゲパルドさん。最初に僕たちがアイゼとここに来たときは、会いもせずにすぐに追い返されましたね。」

「そのことは悪かったと思っている。長老猫どもがうるさくてな。あの後は山猫の諜報部隊にお前たちを見張らせていたのだ。」

「それで僕たちの危機を知って、助けに来てくれたのですか?」

 ゲパルドはヒゲを手でしごき始め、話そうかどうか迷っているように見えた。

「まあ、それもあるがな。」

「あの襲撃は入念に計画されていました。何がゲパルドさんに掟をやぶる決断をさせたのですか?」

 ゲパルドは尻尾をゆらしながら考えこんでいたが、決心した顔つきになった。

「レイ殿は無関係ではないのかもしれないしな。」

 彼は一枚の写真を毛皮の中から取り出した。

「これを見ていたら、どうしても娘を助けに行かねばならんと思い直したのだ。」

 僕は写真を見せてもらい、驚いて目を見開いた。もしかしてとは思っていたが、まさか本当にそうだとは僕は驚きを隠せなかった。
 

 その写真にはあの黒猫が写っていた。


 黒猫と言ってもアイゼの事ではなく、僕の世界の黒猫だった。廃工場で僕を襲った恐ろしいテロリストだ。
 だが、写真の彼女はあの時とは全く雰囲気が違っていた。同一人物に間違いはないが美しさは変わないし、優しく微笑む表情は別人のようだった。

 彼女は腕に赤ちゃんを抱いていた。

「この人が…アイゼさんのお母さんですか?」

 僕のつぶやくような問いかけに、ゲパルドは懐かしむような悲しいような目をしていた。

「そうだ。名前はアイゼ・ケイカだ。」

 
 アイゼ・ケイカ。
 それがあの黒猫の本名だった。


「だから、ボスにアイゼと名付けたのですね。」

「そうだ。」

「彼女が抱いている赤ちゃんはアイゼさんですか?」

「いや、ちがう。元々、ケイカが持っていてな。シャシンという絵らしい。彼女が亡くなる時に俺にくれたのだ…。」

「ゲパルドさん、辛い話ですみません。でも、大切なことなのです。ケイカさんとはどのように出会われたのですか?」

 ゲパルドは大きな目を潤ませながら、かつて愛した人であり今も愛する人とのことを思い出している様子だった。

「もう20年くらい前だ。山をパトロールしていた時、彼女は草むらに倒れていたのだ。全身が黒の妙な服を着ていてな。最初は大変だった。」

 
 僕はゲパルドの話に息を呑んだ。
 
 僕が使った空間歪曲手榴弾は黒猫を、時間を20年もさかのぼってこの異世界に出現させてしまったのだ。

 僕は彼の話の続きを早く聞きたかった。

「というと?」

「連れて帰って介抱して、意識が戻ったらここはどこだと言って暴れだしたのだ。おそろしい強さでな、なんとか俺がおさえこんだのだ。」

 ゲパルドは恥ずかしそうにしながら耳をかいていた。

「それで、俺がいろいろ彼女の面倒をみたり、世話をしてるうちにだな…。お互いに…。」

「恋に落ちた?」

「まあその通りだ。そしてアイゼが生まれた。」


 そこからは彼は言いにくそうだったので、僕が代わりに言うことにした。

「掟に背いたことが明るみになって、まだ赤ちゃんだったアイゼさんを猫の街に捨てた。そして彼女は猫の家庭に拾われて育った…。」

「今となってはアイゼに謝っても命を救っても俺の罪は消えず、許されないだろう。」

「ケイカさんはどんな方でしたか?」

 ゲパルドは思い出に浸ったのかやさしい表情になり遠くを見つめた。

「人間族にしてはとびぬけて強く、しかも美しかった。最初は自分には戻るべき世界があるとばかり言っていた。結局、どこから来たかは分からずじまいだ。ケイカは産後に体調を崩してな、そのまま亡くなってしまったのだ。」

 僕は彼の話をよく噛みしめてから、自分のやるべきことを改めて考えた。

「ゲパルドさん、みんなのことをしばらく頼みます。僕は猫の街に戻ります。」


 自動馬車で何日か走り続けて、僕たちは猫の街に帰ってきた。検問はリゾートの送迎車だとみなされて素通りだった。
 猫の街は以前よりも更に活気がなくなっていた。猫の通行人が少ない代わりに、街に立つ兵士の数ばかりが増えていた。こねこの家の前に馬車を停めて門の前に立った僕たちは変わり果てた光景に打ちのめされた。

 門は倒れ、庭は荒れ放題で屋敷は荒らされて廃屋のようになっていたからだった。
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