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第22話 パルミエッラの正体

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 天蓋付きの巨大なベッドの上で、僕はフカフカの羽毛布団の中で身を縮めていて、かすかに水の流れる音が聞こえていた。
 ここは城内のパルミエッラの私室で、彼女は占領軍内で特別扱いを受けているようだった。僕は一刻も早く帰りたかったが、知りたい情報をまだ聞けていなかった。

 たしかに彼女は取引と言っていた。だとすると、取引相手は誰で、いつ、どこで、何が取引がされるのか、聞き出さなければならないことがたくさんあった。

 水の音が止まり、彼女がベッドに近づいてくる気配がした。僕がふとんから顔を出すと、頭と豊満な体にバスタオルを巻いた彼女が笑みを浮かべながら隣に入ってきた。

「おまたせ、ぼうや。さあ、今日はおもいきり楽しみましょ。」

 彼女は体を洗ったばかりのはずなのに、強い香水の香りが僕の鼻についた。何とか情報だけを聞き出して、ここを抜け出す方法はないかと僕は必死で考えた。


 昨日の作戦会議の後、僕はベラベッカの部屋の扉をノックした。固く閉ざされたままの扉の前に、僕はケーキをのせたお盆を置いた。

「ベラベッカさん、もう寝てるかな? ケーキをここに置いておくね。」

 返事はなかったが、僕は話し続けることにした。

「君が言ってた事をよく考えてみたんだ。ごめんね、今まで、僕は他人と関わることを避けてばかりきたから、わからないことだらけなんだ。」

 静寂の中、僕は自分の思いを言葉にし続けた。

「君の言う通り、僕は臆病だったかもしれない。たしかに、僕の優しさは相手のためじゃなくて、自分のためだったのかもしれない。君には見透かされてしまったね。」

 僕は、彼女が聞いてくれていることを願い続けた。

「でも、ここに来てみんなと出会ってからは、自分は変われるかもしれないって思うんだ。だから、これからは君の言っていたことを本当に理解するように努力するよ。」

 僕は何かが聞こえたような気がしたが、空耳かもしれなかった。

「おやすみなさい。」

 僕は言い、部屋から離れた。扉の向こうからは何も聞こえてこなかった。



 結局、何も思い浮かばないので僕は単純な方法を選択した。ポケットに忍ばせていた細い紐を出して、僕は素早く姿勢を入れ替えてパルミエッラの体に馬乗りになった。

「すみませんが、おとなしくして下さい。」

 僕は彼女を脅かしたつもりだった。ところが、それは逆効果だった。

「あらあ、ぼうやはそういう趣味? いいわよ。」

 彼女は騒ぎも暴れもしなかった。

「乱暴なのがお好みなのね。ではこれはどうかしら?」

 そう言ったとたん、目の前で彼女の顔や体が急激に変化しはじめた。彼女の全身に赤い毛がふさふさと湧き出すように生えたかと思うと、顔にヒゲとまゆげが次々とピンと立ち始め、耳も変化していった。彼女の眼の瞳孔はみるみる縦に絞られ、まさに昼間の猫の目になった。


 信じられない彼女の変身の光景を目の当たりにして僕は声もでなかったが、ようやく声を絞りだした。


「あ、あなたは猫族だったのですか!?」

「そうよ。滅多にこの姿にはならないけどね。ぼうやを見てたら興奮しちゃったわ。」

 僕はあっけにとられている隙を突かれ、姿勢がいっきに逆になり、大きな赤猫は僕に馬乗りになると手足を押さえつけた。なんという怪力か、力をいれてもピクリとも動かなかった。

(どうしよう、大佐を呼ぶか? でも、こんなところを見られたら…。)

 香水の香りが獣の臭いに変わり、巨大な舌が僕の顔に迫ってきた。

「待って、待ってください!」

「なあに? 焦らすのかしら、ぼうや?」

 舌なめずりをしながら問いかけてくる彼女に、僕は少しでも時間を稼ごうと考えた。

「一つだけ、教えてくれたら好きにして下さい。取引って何ですか?」

「うふふ、ぼうやも金には聡いわね。7日後の正午、リンデンゲルで奴らとよ。今回の稼ぎは今までとは比較にならないわよ!」

「その奴らって…?」

 ドアを激しく叩く音に僕の質問は遮られた。

「誰よもう、後にしなさい!」

 彼女は全身の毛を逆立てたが、ドアの向こうからは大佐の緊迫した声が聞こえてきた。

「貴様に用はない! レイ殿、大変だ! ユキちゃんがいなくなった! 部下全員で城内を捜索しているがどこにもいないんだ!」

「なんだって!?」

「とにかくドアを開けてくれ! いや、ぶち破る!」

 すこし間をおいて、ものすごい音と共にドアが砕け散り、室内に大佐が転がりこんできた。

「レイ殿、これはいったい!?」

 驚いてる大佐に僕は弁解しようとしたが、いきなり今度は反対側の大きな窓がすさまじい音を立てて砕け散った。

「次から次へとあんたたちは人の部屋に!」

 パルミエッラが威嚇した先には、着地姿勢の全身黒ずくめの人物がいた。

「お前は何者だ!」

 大佐は突然の侵入者に対峙して腰のサーベルを抜き放った。

「黒猫。」
 
 黒いフードに覆面の人物はたった一言だけ声を発した。

「なに!? 黒猫はレイ殿が倒したはず! まさか他にもいたのか!?」

 大佐は斬りかかったが、黒猫と名乗った人は背負っていた巨大なクロスボウを構えると乱射し始めた。長身にもかかわらず、大佐は軽やかな体技で矢をかわし、カーペットは次々と矢が刺さった。


「その絨毯、いくらしたと思ってんのよ!」


 ベッドからひと飛びして、今度はパルミエッラが黒猫に襲いかかった。その跳躍が速すぎて、矢を撃つ黒猫の対応が遅れたかに見えた。

(ガキン!!)

 だが、彼女の鋭い爪は細い長剣で受け止められていた。


「く、黒猫が二人!?」


 彼女は叫びながら後退し、全身の毛を逆立てて激しく威嚇をした。そこには彼女が言った通り二人の黒猫が立っていた。
 どちらもそっくりな黒ずくめに覆面だが、新たに現れた黒猫は長剣で武装していた。大佐もあ然として動きをとめていた。

 片方の黒猫が剣先をパルミエッラに向けた。

「正体を現したな、赤い悪魔め。ここで切り刻んでやる。」

 そう叫びつつ剣の黒猫は、隣の弩の黒猫に顔を近づけた。

「手遅れだったかもよ。君の婚約者、ベッドの上にいるよ。」

 楽しそうにクスクス笑う相手に、その黒猫はイライラした様子だった。

「あなたのそういうところ、本当に下品です。」

「おーこわ。」

 余裕をかましているふたりに激昂したのか、パルミエッラは再び牙を剥き飛びかかった。だが、今度は弩の黒猫は落ちついた動きで狙いを定めて正確に矢を放った。


「ギニャアアア!」


 肩に二本の矢が命中し、彼女は床に落ちて転げ回った。弩の黒猫はそれに歩み寄ると、
とどめなのか彼女に向けて弩を向けた。

「だめだ!」

 なぜか僕はとっさに黒猫にそう叫んでいた。いくら敵とはいえ、情け容赦なく相手を殺すようなことをしてほしくなかった。僕はベッドから飛び出して、パルミエッラをかばうように間に入った。

「やめてくれないか。」

 僕は弩の黒猫に静かに語りかけ、相手は戸惑っているように見えた。その間に、大佐が倒れた彼女に駆け寄った。

「早く手当をしないと! 誰か、軍医殿を呼んでくれ!」

 僕が気を取られていると、剣の黒猫が僕のみぞおちにパンチを入れてきた。重くて深い一撃で、瞬く間に僕の全身は動かなくなってしまった。倒れた僕を担いだ剣の黒猫は、原型をとどめていない窓に向けて歩き始め、呆然としていた大佐が立ちあがった。

「待て! 代わりに本官が人質になる! だから…お願い、その人を連れていかないで!」

 大佐の口調が途中から変わり、彼女の瞳からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれて絨毯に吸い込まれていった。

(連れ去られて殺されると勘違いしているんだ…。)

 僕は大佐が気の毒になった。剣の黒猫は弩の黒猫とヒソヒソ相談し始めた。

「どうする? あいつもついでに拉致する?」

「あんな重たそうな方、わたくしはお断りします。それよりも問題があります。」

 窓の外から叫び声が聞こえ、鐘の音が鳴り出し、バタバタと大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。

「ま、いいか。」

 剣の黒猫は僕を乱暴に床に下ろし、割れた窓から外に飛び出して行った。弩の黒猫は大佐をにらみつけた後、剣の黒猫のあとを追った。大佐が駆け寄ってきて僕を抱き起こしてくれた。

「レイ殿! しっかり!」

 僕はまだ体の自由がきかず、大佐に膝枕をされた。複数の足音がさらに近づいてきて、兵士たちが部屋に一斉に踏み込んできた。先頭は見たことがある年配の兵士だった。

「大佐! いったい何があったんですかい? クルシマ先生! 早く、こっちですぜ!」

 兵士の背後から現れたのは、白衣を着て丸い眼鏡をした小柄な人で、黒髪を後ろで束ねていた。

「クルシマ!?」

 驚いた僕は体を慌てて起こそうとしたが、
痛みでまたすぐに大佐の膝の上に倒れてしまった。
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