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第4話 はじめての夜
しおりを挟む『店のまわりは常に綺麗にすること。汚い店から誰がものを買う?』
何度も何度も僕は祖父母に言い聞かされてきたからか、早起きしての掃除は日課になっていた。
でも、いつもは苦じゃなかったのに今日はつらかった。なぜって、昨夜はほとんど眠れていないからだった。
「ぜんぶジェシカさんのせいだ…。」
僕はほうきを動かす手をとめて、もうクセになってきたため息をつくと、僕の花屋の建物を見上げた。2階では今、あの人…じゃなくってあのエルフが爆睡しているはずだった。
なぜか僕のベッドで。
しばらくの静寂の後。
「まだか? なにをしておる。」
僕は部屋のランプに火を灯した。ジェシカさんは片目を開けて、イラついた様子だった。
「なんだ? 明るいほうがよいのか?」
「あの…本当に、質問に真面目に答えてください。ここでなにをしているのですか?」
ジェシカさんは両目をあけて身を起こし、もしも剣があったら僕に突き刺すんじゃないかっていう目で僕を見た。
「私に言わせるのか。」
「なにをですか。」
「では言うぞ。人間族の男とは同居相手に貢ぎ、こうやって見返りを求めるのであろう。ちがうか?」
僕はジェシカさんの歪んだ情報元が知りたかったけど、ひとつひとつ訂正することにした。
「ジェシカさん、僕は貢いでいるのではなくって、住み込みの店員さんとしてあなたを雇ったんです。意味、わかります?」
「では、食住の見返りに私は何を提供するのだ?」
「花屋の店員として働いてもらうんです。」
まさかこんな基本的なことから説明しなきゃいけないなんて、気づかなかった僕はうかつだった。
「そうか。それで給料とやらも貰えるのか。なるほど。」
しばらく腕組みをして考えていたジェシカさんは、四つん這いになって僕に顔をちかづけた。
「では、店主殿は私には指一本触れぬというのか?」
「はい。」
「ひとつ屋根の下で暮らすのにか? 店主殿は私とつがいにはなりたくないのか?」
僕はどう説明すれば良いのか真剣に考えてしまった。彼女を傷つけずに納得してもらう説明を。でもその時、僕は気づいてしまった。
ジェシカさんはゆったりとした夜着を着ていて、四つん這いになるもんだから中がまる見えになってしまっていた。
ちなみに、彼女は下着を全く身につけていなかった。
僕は全身が沸騰するような感じがして、慌てて顔を背けたけど、ジェシカさんが気づかないはずがなかった。
「店主殿。私は一族の中でもずば抜けて美麗な体躯と言われていたのだぞ。どうであった?」
僕は迷いに迷ったけど、ここは今後のためにも正直に言うべきだと決断した。
「あの…。ごめんなさい。」
「なぜ謝るのだ?」
「僕は…その…もう少しふくよかなほうがタイプっていうか…いや、ジェシカさんは本当に綺麗だし、品があるし、誰が見たって素敵だって言うと思うよ。ただ、僕は…。」
言えば言うほど僕はしどろもどろになり、ジェシカさんの目は危険水域にまで鋭くなっていった。
いきなりジェシカさんはスッと立ち上がり、ベッドから飛び降りた。
いつもは無音のはずなのに、ドカドカと彼女が階段をかけのぼる足音が聞こえた。僕はあぜんとしていたけど、再び現れたジェシカさんを見て血の気がひいた。
その理由は、彼女は剣を帯びていて僕に向かって矢を構えていたからだった。僕は枕を盾にして声を振り絞った。
「ジ、ジェシカさん。落ち着いて。深呼吸をしてみてください。」
「深呼吸だと? こうか?」
ジェシカさんは弓を構えたままゆっくりと息を吸い、そして吐いた。
「どう? それはアンガーマネジメントって言って、怒りの感情をコントロールするための…」
「うむ。余計に怒りが増したようだ。」
結局ジェシカさんは、数秒間で僕に12本の矢を放った。
「ジェシカさん、矢を抜いてくれたら嬉しいんですけど。」
矢で壁にはりつけられた僕は、ダメ元で彼女にお願いをしてみた。ジェシカさんの腕前は驚異的で、服だけが射抜かれて僕はかすり傷ひとつ負わなかったけど、見事に身動きがとれなくなっていた。
奇跡的に僕は漏らす事はなく、眠たくて仕方がなかったけどこの態勢ではとても眠れなかった。
「初めてだ。こんな侮辱を受けたのはこの100年で初めてだ。この私を、やせっぽちで見るにたえない枯れた小枝のようだなどと…」
「そこまで言ってませんてば。」
「言わずとも思えば同じだ。」
ジェシカさんは僕のベッドに伏せてさめざめと泣き始めた。僕はかける言葉を慎重に考えたけど、サッパリ思いつかなかった。さんざん泣きあかしたあと、ようやく彼女は真っ赤になった目で顔をあげた。
「もういい。出ていく。かくなる上は、どこか適当な商家でも襲い、占拠して居住することとしよう。さらばだ。」
「待って! 待って。わかった、わかったから、行っちゃダメだよ!」
僕は何がわかったのかよくわからなかったけど、とにかくこの危険人物…危険エルフを街に放ってはいけないことだけはわかった。
ジェシカさんは涙を手の甲で拭くと、またあのニヤリとした笑みを浮かべた。
「ちがう。そこは、『行かないで、ジェシカさん。僕には君が必要なんだ。』だ。はい、復唱!」
「…ジェシカさん…行かないで…僕には君が必要なんだ…。」
棒読みで僕が言うと、ジェシカさんは天使のような笑顔で僕をとろけさせた後、なにやらメモ帳みたいなものを取り出した。
「大陸暦6150年11の月、11の日。花屋店主ハナヤ・アオイは、いやらしい目で私ジェシカ・チェンバレンの無垢な体をじっくりとのぞき見したクセに、手は出さない臆病者である。にも関わらず、私に行かないでくれと足にしがみついて懇願してまったくみっともないったらありゃしない。なお、住み込みの店員という人間語の意味は…」
「前半部分の捏造は記録しなくていいよ!」
ジェシカさんはメモをしまうと僕のベッドに横になった。
「店主殿のせいで疲れた。今夜はここで休む。」
「矢を抜いてってば!」
「そこで一晩、深く反省しておれ。」
ジェシカさんは本当に僕のベッドでスヤスヤと寝息を立て始めた。
僕ははりつけのまま、いったい僕が何を反省するのか見当もつかなかった。
そんな僕に、救いの神(?)が現れたのは次の日だった。
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