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9.日記
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「私は生まれた時からこの城で暮らしてきた。父は知らない。ずっと母と二人暮らしだったわ。
母は、とても優しく、強く、美しい人だった。私は母が大好きだったわ。」
シーラ様は懐かしそうに話す。
「母も魔女だった。
魔女の力と言うものは子供…娘にだけ受け継がれていくものなの。魔女の娘は生来大きな魔力の器を持って産まれてくる。だけど、その力が受け継がれるのは、先代の魔女…つまり母親が亡くなった後なの。受け継ぐためには契約を事前にしておく必要もあるんだけどね。
それまでは僅かな魔力が体内を循環するだけ。体内から出すことが出来ないから、他者に影響を与えることはできないわ。だから、外に出たとしても、魔獣は発生しない。」
私は尋ねる。
「それってエアロと同じ状態ですか?」
シーラ様は頷く。
「そうね。でも、エアロは魔力の器を持っていないから、例え私が死んでも魔女の力を得ることはないわ。」
エアロが静かにホッと息を吐いた気がした。
シーラ様はそれを見て、目を伏せフッと笑った。
「話を続けるわね。
だから、私は母が亡くなるまでは普通に外に出ることが出来たわ。外に出れない母に代わって、庭のお手入れをしたり、森で食材を探したり、採ってきたりした。
そして、ある日、私は森で倒れている青年を見つけたの。彼は息はしているものの意識はなくて、助けなきゃと思った私は城に何とか引きずって連れて行ったわ。彼は三日間意識が戻らなかったけど、意識を取り戻すと私に御礼を言った。彼はサラサラとした銀髪に紫色の瞳を持った端正な顔立ちの人だった。そして、その名を『ロイ』と名乗ったわ。でも、それ以外何も覚えてないと言ったの。記憶喪失のようだった。だから、私はこの城に元気になるまで滞在したらどうかと提案したわ。
母は『すぐに追い出せ』と言ったけど、私が必死に頼み込んだら、なんとか許可してくれた。…母は私に甘かったからね。
それから、彼は城で過ごしたわ。ずっと母と二人きりだった私には、彼の存在がすごく新鮮で、私は彼に夢中になった。母は彼と関わり合おうとしなかったけど、ご飯の時間だけは三人揃って食べたわ。ご飯は私が準備する約束だったけど、料理が苦手な私は母に内緒で夕飯だけ彼にご飯作りを代わってもらったの。
大好きな母がいて、大好きな彼がいて…
私は毎日、幸せだった。」
そう話すシーラ様の目には涙が滲んでいた。
「…でも、ある日、突然母が死んだの。ロイが城に滞在してから二ヶ月が経った日のことだった。
突然のことで、私は気が動転してしまって…そんな私を支えてくれたのはロイだった。
彼はずっと側にいると言ってくれた。私は彼に頼りきったわ。事前に母が亡くなったら、魔力の移譲が行われるよう契約していた私は、魔女の力を得て外には出れなくなってしまったし。
彼は気持ちが塞ぎ込んで外に出れなくなったと思ったみたいで、私を何とか外に連れ出そうとしたけど、私は絶対に外に出なかった。もう私が外に出たら、魔獣が生み出されてしまうと分かっていたから。
何とか連れ出そうとするロイに疲れた私は、母が死んで、魔女の力を得たからもう外には出れないと説明した。
そうしたら、ロイはようやく諦めたわ。ここなら大丈夫なのかと聞くので、天石で出来た城だから問題ないと私は教えた。」
エアロは初めて聞く父親の話をじっと聞いていた。
私も緊張して、シーラ様の話に途中、口を出すことは出来なかった。
「それから、ロイは城で私と一緒に過ごしたわ。そして、数ヶ月経った頃、私が妊娠してることが判明したの。彼は一緒にこの城で育てよう、と言ってくれた。
…嬉しかった。母がいなくなって一人になった私に血の繋がった家族が出来るのかと思ったら…涙が出るほど。愛するこの人とこの人との子供がいれば、何もいらないと思えた。
そして、私はこの城で産んだの。
エアロと……アクアを。」
エアロは眉を顰めて、口を開いた。
「…アクア?」
そうすると、シーラ様はエアロの顔を見て言った。
「エアロ…貴方は双子なの。
貴方には双子の妹がいるわ。」
エアロは目を丸くして、信じられない様子だ。
「そ、そんなの…はじめて…。」
シーラ様はエアロを見て、頭を下げた。
「ごめんなさい…。
アクアのことを話すとなると、父親のことも告げなきゃいけなくなると思った。それが辛くて…話せなかった。
エアロはロイと同じ銀髪に、私と同じ赤い瞳だけど、アクアは私と同じ黒い髪にロイと同じ、紫の瞳だったわ。
…二人が並んで寝る姿は天使みたいに可愛かった。」
シーラ様は遠くを見るようにして、懐かしんだ。
「でも…二人を産んだ一ヶ月後…
ロイとアクアは消えたの。」
エアロが首を傾げる。
「…消えた?」
「えぇ。ロイはアクアだけ連れて、この城を出て行ったの。」
「…なんで…。」
シーラ様は目を伏せて話す。
「私も最初から意味がわからなかったわ。事故に遭ったのかもしれないと思ったし、何か事件に巻き込まれたのかもしれないと思った。でも、私は外には出れないから確認のしようがなかったの。他の人が城に入った様子はなかったし…事実としてあるのは、ロイがアクアを連れて、城の外に出たということだけだった。
魔道具を使って、居場所を突き止めようとしたこともあったけど、何も反応しなかった。」
私は尋ねる。
「反応しないことなんてあるんですか?」
「えぇ…私がこの城に滞在しながら影響を及ぼせるのはせいぜい自国と隣国くらい。それ以上離れると、魔道具も使えないわ。恐らくそれより遠くに逃げたの。」
「…逃げた?」
シーラ様はコクリと頷いた。
「私はなんとかアクアとロイを探せないかと、母の書斎を漁ったの。…そうしたら、母の日記が出てきた。
私は悪いとは思いながらも、その日記を読んだわ。日記には、私をどれだけ大切に思っているか…毎日、愛の言葉が綴られていた。
そして、日記を読み進めていくと、ロイが目を覚ました日のことが書いてあった。」
シーラ様は、一度ぎゅっと唇を噛み締めた。
「『あの紫の瞳は以前、魔女の力を狙っていた一族の者に違いない。記憶喪失など嘘だ。まだ外に出れるシーラを連れ去る気だ。私が娘を守らなくては…』と。」
「…じゃあ、アクアさんは…」
「…私が外に出れなくなったから、魔女になる可能性があるアクアを攫ったんだと思うわ。それに、きっと私の母を殺したのもロイ…夕食作りを担当したいと言い出したのも彼の方からだったわ。きっと毒か何かを毎日、母の食事に混ぜていたんでしょう。ロイが来るまで母は健康そのものだったもの。」
私とエアロは言葉を失った。
シーラ様は自嘲したように話す。
「私は結局何も分かっていなかった。
ロイが本当は私のことなんて愛していなかったことも。母を殺したのも彼だったことも。子供達を作ったのもただ魔女が欲しいだけだったということも。」
シーラ様の赤い瞳には怒りより悲しみが浮かんでいた。
「それから私は抜け殻のようになった。まだ赤ん坊だったエアロの世話も最低限しかこなさなかったわ。私はあんなに母に愛してもらったのに、エアロには何もしてあげなかった。
いつか母のような親になることが夢だったのに…私は愛情をかけてあげることさえ出来なかった。
それに数ヶ月してから、母に昔助けてもらったと言う年老いた女性が尋ねてきたの。母が亡くなったことを告げると、恩返しに私やエアロのお世話をしたいと言ってくれた。エアロが大きくなるまでその方が家のことを殆どやってくれていたの。」
「エアロはその人のことを知っているの?」
「はい、勿論。私にありとあらゆることを教えてくれた方です。見た目はともかく、中身は全く年老いていませんでした。家事だけではなく、戦い方や作法などあらゆることを教えてくれたのもその人でした。」
「…その人、何者なの?」
「分かりません。マーサという名前しか。」
「その人は今どこに?」
エアロは首を横に振った。
「私が十四歳になった日、城を出て行ったんです。もう死期が近い気がするから故郷に帰ると言って。」
「そうなんだ…」
「シーラ、他に隠していることはありませんか?」
シーラ様は目に涙を溜めて言った。
「ないわ。これがエアロに隠していた全て。
…幻滅したでしょう?愛した男に騙されて、母を殺され、娘さえも奪われた。それで生きる希望をなくして、育児放棄までして…。マーサが来てくれなかったら、エアロも私も生きていたかどうか怪しいくらい。
…ごめんなさい。こんな弱くて、情けない母親で。」
シーラ様は泣いていた。
エアロは椅子を立ち、シーラ様の傍に膝を着いて、目線を合わせた。
「シーラ、一つだけ教えてください。
…何故私に『母上』と呼ばせてくれなかったのですか?」
「…そんなの、決まってる。
エアロを育てたのはマーサで、私じゃない。何もしていない私に母親を名乗る資格なんてないもの…っ!」
シーラ様の手は震えていた。エアロはシーラ様のその手を自らの両手でぎゅっと包み込んだ。
「シーラ。
子供の頃、私の服を作ってくれたのはシーラだったでしょう?私が何気なく寒いと言えば、翌日にはクローゼットに暖かい服が増えていました。
夜寝た後に私の部屋を訪ねていたことも知っています。私に何度も謝りながら頭を撫でてくれました。
私がマーサと剣の訓練をしていれば、不安そうに覗き見ていました。私が怪我をしないか心配してくれていたんですよね。
あまりにも歩み寄るのが遅すぎて、忘れてしまっていましたが、私はシーラからの愛情をたくさん貰っていました。
シーラ…私の母は貴女だけです。どうか今からでも『母上』と呼ばせてくれませんか?」
シーラ様はボロボロと大粒の涙を流していた。
「こんな…こんな私が母親でいいの…?」
エアロは、大きく笑顔で頷いた。
「勿論です。私の母はシーラだけです。
マーサに母親のような気持ちを持ったことはありません。私はいつだって貴女に褒められたくて、貴女を守りたくて、マーサの指導を受けてきたんです。マーサもいつも言っていました。『お母様を守るのよ』って。
それにマーサは母親というより師匠ですからね。」
「マーサがそんなことを…?」
エアロは頷く。
「私にはマーサがシーラを守ろうとしているように見えました。当時の私はお祖母様よりもシーラに恩があるのだと思っていたくらいです。」
シーラ様は首を横に振る。
「でも、マーサがこの城に来るまで彼女に会ったことはないわ。…もしかしたらお母様が私の世話を事前にマーサにお願いしていたのもかもしれないわね。
もう確認する術もないけれど。」
「そうですね…母上。」
「エアロ…。」
「母上のことを情けないなんて思いませんよ。母上は誰も傷付けていないじゃないですか。悪いのは、母上を騙したそのロイという男です。母上は悪くありません。
それに、私の妹にあたるアクアもどこかで幸せに暮らしているかもしれません。魔女の力を欲しているなら、そう簡単には傷付けないでしょう。この国や隣国にいないなら、私が飛んで探しに行きましょう。何も終わってなんかいません。全て一人で抱え込んで諦める必要はないんです。」
シーラ様は嗚咽が込み上げ、もう一言も話せないようだった。エアロは泣くシーラ様の背中をひたすら摩る。
エアロは私と目を合わせると、困ったように…でも嬉しそうに笑った。私はエアロに微笑みかけると、ゆっくりと席を立ち、そっと部屋を出た。
母は、とても優しく、強く、美しい人だった。私は母が大好きだったわ。」
シーラ様は懐かしそうに話す。
「母も魔女だった。
魔女の力と言うものは子供…娘にだけ受け継がれていくものなの。魔女の娘は生来大きな魔力の器を持って産まれてくる。だけど、その力が受け継がれるのは、先代の魔女…つまり母親が亡くなった後なの。受け継ぐためには契約を事前にしておく必要もあるんだけどね。
それまでは僅かな魔力が体内を循環するだけ。体内から出すことが出来ないから、他者に影響を与えることはできないわ。だから、外に出たとしても、魔獣は発生しない。」
私は尋ねる。
「それってエアロと同じ状態ですか?」
シーラ様は頷く。
「そうね。でも、エアロは魔力の器を持っていないから、例え私が死んでも魔女の力を得ることはないわ。」
エアロが静かにホッと息を吐いた気がした。
シーラ様はそれを見て、目を伏せフッと笑った。
「話を続けるわね。
だから、私は母が亡くなるまでは普通に外に出ることが出来たわ。外に出れない母に代わって、庭のお手入れをしたり、森で食材を探したり、採ってきたりした。
そして、ある日、私は森で倒れている青年を見つけたの。彼は息はしているものの意識はなくて、助けなきゃと思った私は城に何とか引きずって連れて行ったわ。彼は三日間意識が戻らなかったけど、意識を取り戻すと私に御礼を言った。彼はサラサラとした銀髪に紫色の瞳を持った端正な顔立ちの人だった。そして、その名を『ロイ』と名乗ったわ。でも、それ以外何も覚えてないと言ったの。記憶喪失のようだった。だから、私はこの城に元気になるまで滞在したらどうかと提案したわ。
母は『すぐに追い出せ』と言ったけど、私が必死に頼み込んだら、なんとか許可してくれた。…母は私に甘かったからね。
それから、彼は城で過ごしたわ。ずっと母と二人きりだった私には、彼の存在がすごく新鮮で、私は彼に夢中になった。母は彼と関わり合おうとしなかったけど、ご飯の時間だけは三人揃って食べたわ。ご飯は私が準備する約束だったけど、料理が苦手な私は母に内緒で夕飯だけ彼にご飯作りを代わってもらったの。
大好きな母がいて、大好きな彼がいて…
私は毎日、幸せだった。」
そう話すシーラ様の目には涙が滲んでいた。
「…でも、ある日、突然母が死んだの。ロイが城に滞在してから二ヶ月が経った日のことだった。
突然のことで、私は気が動転してしまって…そんな私を支えてくれたのはロイだった。
彼はずっと側にいると言ってくれた。私は彼に頼りきったわ。事前に母が亡くなったら、魔力の移譲が行われるよう契約していた私は、魔女の力を得て外には出れなくなってしまったし。
彼は気持ちが塞ぎ込んで外に出れなくなったと思ったみたいで、私を何とか外に連れ出そうとしたけど、私は絶対に外に出なかった。もう私が外に出たら、魔獣が生み出されてしまうと分かっていたから。
何とか連れ出そうとするロイに疲れた私は、母が死んで、魔女の力を得たからもう外には出れないと説明した。
そうしたら、ロイはようやく諦めたわ。ここなら大丈夫なのかと聞くので、天石で出来た城だから問題ないと私は教えた。」
エアロは初めて聞く父親の話をじっと聞いていた。
私も緊張して、シーラ様の話に途中、口を出すことは出来なかった。
「それから、ロイは城で私と一緒に過ごしたわ。そして、数ヶ月経った頃、私が妊娠してることが判明したの。彼は一緒にこの城で育てよう、と言ってくれた。
…嬉しかった。母がいなくなって一人になった私に血の繋がった家族が出来るのかと思ったら…涙が出るほど。愛するこの人とこの人との子供がいれば、何もいらないと思えた。
そして、私はこの城で産んだの。
エアロと……アクアを。」
エアロは眉を顰めて、口を開いた。
「…アクア?」
そうすると、シーラ様はエアロの顔を見て言った。
「エアロ…貴方は双子なの。
貴方には双子の妹がいるわ。」
エアロは目を丸くして、信じられない様子だ。
「そ、そんなの…はじめて…。」
シーラ様はエアロを見て、頭を下げた。
「ごめんなさい…。
アクアのことを話すとなると、父親のことも告げなきゃいけなくなると思った。それが辛くて…話せなかった。
エアロはロイと同じ銀髪に、私と同じ赤い瞳だけど、アクアは私と同じ黒い髪にロイと同じ、紫の瞳だったわ。
…二人が並んで寝る姿は天使みたいに可愛かった。」
シーラ様は遠くを見るようにして、懐かしんだ。
「でも…二人を産んだ一ヶ月後…
ロイとアクアは消えたの。」
エアロが首を傾げる。
「…消えた?」
「えぇ。ロイはアクアだけ連れて、この城を出て行ったの。」
「…なんで…。」
シーラ様は目を伏せて話す。
「私も最初から意味がわからなかったわ。事故に遭ったのかもしれないと思ったし、何か事件に巻き込まれたのかもしれないと思った。でも、私は外には出れないから確認のしようがなかったの。他の人が城に入った様子はなかったし…事実としてあるのは、ロイがアクアを連れて、城の外に出たということだけだった。
魔道具を使って、居場所を突き止めようとしたこともあったけど、何も反応しなかった。」
私は尋ねる。
「反応しないことなんてあるんですか?」
「えぇ…私がこの城に滞在しながら影響を及ぼせるのはせいぜい自国と隣国くらい。それ以上離れると、魔道具も使えないわ。恐らくそれより遠くに逃げたの。」
「…逃げた?」
シーラ様はコクリと頷いた。
「私はなんとかアクアとロイを探せないかと、母の書斎を漁ったの。…そうしたら、母の日記が出てきた。
私は悪いとは思いながらも、その日記を読んだわ。日記には、私をどれだけ大切に思っているか…毎日、愛の言葉が綴られていた。
そして、日記を読み進めていくと、ロイが目を覚ました日のことが書いてあった。」
シーラ様は、一度ぎゅっと唇を噛み締めた。
「『あの紫の瞳は以前、魔女の力を狙っていた一族の者に違いない。記憶喪失など嘘だ。まだ外に出れるシーラを連れ去る気だ。私が娘を守らなくては…』と。」
「…じゃあ、アクアさんは…」
「…私が外に出れなくなったから、魔女になる可能性があるアクアを攫ったんだと思うわ。それに、きっと私の母を殺したのもロイ…夕食作りを担当したいと言い出したのも彼の方からだったわ。きっと毒か何かを毎日、母の食事に混ぜていたんでしょう。ロイが来るまで母は健康そのものだったもの。」
私とエアロは言葉を失った。
シーラ様は自嘲したように話す。
「私は結局何も分かっていなかった。
ロイが本当は私のことなんて愛していなかったことも。母を殺したのも彼だったことも。子供達を作ったのもただ魔女が欲しいだけだったということも。」
シーラ様の赤い瞳には怒りより悲しみが浮かんでいた。
「それから私は抜け殻のようになった。まだ赤ん坊だったエアロの世話も最低限しかこなさなかったわ。私はあんなに母に愛してもらったのに、エアロには何もしてあげなかった。
いつか母のような親になることが夢だったのに…私は愛情をかけてあげることさえ出来なかった。
それに数ヶ月してから、母に昔助けてもらったと言う年老いた女性が尋ねてきたの。母が亡くなったことを告げると、恩返しに私やエアロのお世話をしたいと言ってくれた。エアロが大きくなるまでその方が家のことを殆どやってくれていたの。」
「エアロはその人のことを知っているの?」
「はい、勿論。私にありとあらゆることを教えてくれた方です。見た目はともかく、中身は全く年老いていませんでした。家事だけではなく、戦い方や作法などあらゆることを教えてくれたのもその人でした。」
「…その人、何者なの?」
「分かりません。マーサという名前しか。」
「その人は今どこに?」
エアロは首を横に振った。
「私が十四歳になった日、城を出て行ったんです。もう死期が近い気がするから故郷に帰ると言って。」
「そうなんだ…」
「シーラ、他に隠していることはありませんか?」
シーラ様は目に涙を溜めて言った。
「ないわ。これがエアロに隠していた全て。
…幻滅したでしょう?愛した男に騙されて、母を殺され、娘さえも奪われた。それで生きる希望をなくして、育児放棄までして…。マーサが来てくれなかったら、エアロも私も生きていたかどうか怪しいくらい。
…ごめんなさい。こんな弱くて、情けない母親で。」
シーラ様は泣いていた。
エアロは椅子を立ち、シーラ様の傍に膝を着いて、目線を合わせた。
「シーラ、一つだけ教えてください。
…何故私に『母上』と呼ばせてくれなかったのですか?」
「…そんなの、決まってる。
エアロを育てたのはマーサで、私じゃない。何もしていない私に母親を名乗る資格なんてないもの…っ!」
シーラ様の手は震えていた。エアロはシーラ様のその手を自らの両手でぎゅっと包み込んだ。
「シーラ。
子供の頃、私の服を作ってくれたのはシーラだったでしょう?私が何気なく寒いと言えば、翌日にはクローゼットに暖かい服が増えていました。
夜寝た後に私の部屋を訪ねていたことも知っています。私に何度も謝りながら頭を撫でてくれました。
私がマーサと剣の訓練をしていれば、不安そうに覗き見ていました。私が怪我をしないか心配してくれていたんですよね。
あまりにも歩み寄るのが遅すぎて、忘れてしまっていましたが、私はシーラからの愛情をたくさん貰っていました。
シーラ…私の母は貴女だけです。どうか今からでも『母上』と呼ばせてくれませんか?」
シーラ様はボロボロと大粒の涙を流していた。
「こんな…こんな私が母親でいいの…?」
エアロは、大きく笑顔で頷いた。
「勿論です。私の母はシーラだけです。
マーサに母親のような気持ちを持ったことはありません。私はいつだって貴女に褒められたくて、貴女を守りたくて、マーサの指導を受けてきたんです。マーサもいつも言っていました。『お母様を守るのよ』って。
それにマーサは母親というより師匠ですからね。」
「マーサがそんなことを…?」
エアロは頷く。
「私にはマーサがシーラを守ろうとしているように見えました。当時の私はお祖母様よりもシーラに恩があるのだと思っていたくらいです。」
シーラ様は首を横に振る。
「でも、マーサがこの城に来るまで彼女に会ったことはないわ。…もしかしたらお母様が私の世話を事前にマーサにお願いしていたのもかもしれないわね。
もう確認する術もないけれど。」
「そうですね…母上。」
「エアロ…。」
「母上のことを情けないなんて思いませんよ。母上は誰も傷付けていないじゃないですか。悪いのは、母上を騙したそのロイという男です。母上は悪くありません。
それに、私の妹にあたるアクアもどこかで幸せに暮らしているかもしれません。魔女の力を欲しているなら、そう簡単には傷付けないでしょう。この国や隣国にいないなら、私が飛んで探しに行きましょう。何も終わってなんかいません。全て一人で抱え込んで諦める必要はないんです。」
シーラ様は嗚咽が込み上げ、もう一言も話せないようだった。エアロは泣くシーラ様の背中をひたすら摩る。
エアロは私と目を合わせると、困ったように…でも嬉しそうに笑った。私はエアロに微笑みかけると、ゆっくりと席を立ち、そっと部屋を出た。
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