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1巻

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   プロローグ


「僕の運命の人は……君だ」

 そう言って、彼は彼女の足元にひざまずいた。彼女は、感動にその大きな瞳を潤ませて、彼に手を差し出す。その傷一つない真っ白な手に、彼はキスを落とした。二人は熱のこもった視線を絡ませ合う。

「マーガレット、愛している。僕には、君だけだ。……どうか、僕の伴侶となってほしい」
「私も……ブルーズ様をずっとお慕い申し上げておりました。ずっと側に置いてくださいませ」

 彼は承諾の返事に微笑み、立ち上がる。そして、二人は強く抱きしめ合った。
 元々、彼から指示を出されていたのか、宮廷楽団がタイミングを見計らったように、音楽を奏で出す。周りもうっとりしたように、二人を見守っている。彼女の父であるカシャーム伯爵など涙ぐんでいるほどだ。
 そんな安物の芝居のような光景が繰り広げられる一方で、私は叫び出しそうだった。
 今すぐに真横にあるテーブルクロスを引っ張って食事をひっくり返し、手当たり次第にワイングラスを床に叩きつけ、彼に飛び蹴りを食らわせてやりたい……と心の中で思っていた。
 なぜなら、彼……トゥグル帝国の王太子ブルーズがひざまずいて、婚約を乞う相手は自分だと数十秒前まで疑いもしていなかったのだから。
 だからといって、ここで私が騒ぎ立てても誰も信じてくれず、頭がおかしい奴だと思われるのは目に見えていた。プロポーズされたマーガレット嬢は伯爵令嬢、かたや私は子爵令嬢。どちらが王太子妃に相応ふさわしいかなんて言うまでもない。
 ここで騒ぎ出しても、損をするのは私一人だ。今は耐えて、真相はあとでブルーズにただそう……私はそう決めて、強く拳を握りしめた。
 しかし、私の怒りのこもった熱い視線にブルーズが気付いたようで、マーガレット嬢をその場に残し、彼は私に歩み寄ってきた。それと同時に来場者の視線も私に集まる。
 彼の口から出るのは、謝罪の言葉だろうか……それとも弁解の言葉だろうか……。せめて誠実な言葉を期待したい。私はまっすぐに彼の瞳を見つめた。
 すると、ブルーズはにっこりと私に笑いかけた。悪びれもしないという予想外の反応に私は唖然とする。そして、くるっと私に背を向けると来場者に向けて、高々と演説をし始めた。

「会場の皆さんの中には、本日、私がこちらのリリアナ嬢に婚約を申し入れると思っていた方もいらっしゃるかと思いますが……それは全て悪意ある方々が流したデマです! 私はリリアナ嬢とは何の関係もありませんし、ましてや二人で会ったことなんて一度もない! しかし、この噂のせいで、ずいぶんとマーガレットにも辛い思いをさせてしまった……。カシャーム伯爵、マーガレット……改めて、本当にすまなかった」

 は? 私と関係がない? 二人で会ったことがない?
 そんなはずがない。私たちは恋人同士なのに。
 それどころか、私は婚約者候補として王宮に私室を与えられている。そこにこの一年間通い、王太子妃教育を受けてきた。確かに婚約は正式なものではなかったし、嫁入り前ということもあり私の存在は隠されていたが……

「ブルーズ? あなた……一体何を――」
「リリアナ嬢、このような場で僕を呼び捨てにするなど不敬だぞ。とはいえ、そなたとはこれからも長い付き合いになるのだ。今回は許してやろう」

 長い付き合い? どういうこと? やっぱりブルーズは私を揶揄からかっていただけで――
 そう思った瞬間、私の耳には信じられない言葉が響いた。

「皆様、リリアナ嬢は隣国である同盟国、シルワ国の王太子に輿入れするべく、王宮でこの一年間、教育を受けてきたのです。そのため、あのようなデマが広まってしまったのだと思います。未来の隣国の王太子妃ということで優しく接していたのですが、彼女は何か勘違いをしてしまったようで、私に馴れ馴れしくて困っていたのです」

 信じられない嘘の数々に言葉を失う。それと同時に会場が一気にざわめいた。

「シルワって、あの魔族の国の?」
「あんなところに嫁ぐなんておぞましい……」
「動物のような連中だと聞いたぞ」
「納得したわ、子爵令嬢なのに殿下のお相手なんておかしいと思ってたのよ」
「殿下もあんな田舎娘にまとわりつかれて、お可哀想に」

 頭が真っ白だ。でも、クスクスと笑うマーガレット嬢と、私を嘲笑あざわらうような視線を向けるブルーズを見て、裏切られたことだけはわかった。
 もう我慢できなかった。一言文句を言ってやろうと、口を開きかけた瞬間、ブルーズは私の耳元でささやいた。

「そなたの生家と、妹君がどうなってもいいのか?」
「……っ!」

 燃え上がった怒りは、急に水を掛けられたように消え去り、背筋が寒くなる。
 私が口を噤んだのを彼は鼻で笑うと、続けてこう呟いた。

「ここで騒げば、ベルモント家の娘は皇帝家に不敬を働いたことになる。そうなれば、ただでさえ没落寸前の君の家は、他の貴族からの信頼も失うことになって……ククッ、没落するだろうな。そしたら、君が必死で守ってきた妹の治療もできないんじゃないか?」

 最低だ。こんなに酷い男だと思わなかった。今日の今日までそれにまんまと騙されていた自分が情けない。私は横目で彼を睨みつけた。

「……この、卑怯者」
「なんとでも言え。こんな状況になっても涙の一つも流せない可愛げのない女など、私には要らない。お前のその人を見下す態度がずっと気に入らなかった。僕に必要なのは、マーガレットのような可憐な女性だよ」

 可憐と評された彼女は、勝ち誇ったような卑しい笑みをこちらに向けている。その笑顔に可憐さなんて欠片も感じられなかった。
 それでも、選ばれたのは彼女だ。私はただ唇を噛みしめるしかなかった。
 私を一人残して、クルッとブルーズは身を翻し、マーガレット嬢の元へ戻っていく。
 ……許せない。しかし、悔しさが涙となって流れそうになったその時、ブルーズの頭上に小さな影が飛び乗った。
 それは、私の小さな親友である、妖精のアイナだった。彼女は怒りの形相でブルーズの頭を殴り、蹴り、唾まで吐きかけていた。
 彼女の姿は私にしか見えないし、彼女の攻撃はブルーズにもちろん効かないが、その姿は私に勇気を分けてくれた。
 ……私は微笑み、自分に言い聞かせるように呟いた。

「そうよね……こんな奴に負けるもんですか」

 そして、背筋をぐっと伸ばし、完璧な笑みを浮かべる。

「身に余る素晴らしいご縁を与えてくださった王太子殿下に心から感謝申し上げます。シルワ国の発展に寄与し、必ずや国交を通じ、この恩を……何倍にもして、返しますわっ!!」

 私の宣言に周りは唖然としている。だが、ブルーズやマーガレット嬢は、ただの強がりを言っていると思っているのか、二人でクスクス笑い合い、私を馬鹿にしたように見つめた。
 覚えてなさい……隣の国からあんたらをぶっ潰してやるんだから……っ!
 こうして、私はシルワ国へ嫁ぐことを決めたのだった。


   ▲▲ △△ ▲▲


 精霊が司るこの世界には、人族、獣人族、エルフなど複数の種族が住んでいる。その中で最も多くの人族が住んでいるのが、ここトゥグル帝国。大陸の南東部に位置した大国だ。時々、周辺国とのいさかいなども起こったりするが、優秀な騎士団のおかげもあってか、大きな被害もなく、ここ数十年の国政は安定している。
 私、リリアナは、そのトゥグル帝国のベルモント子爵家長女として生まれ、現在十八歳になる。
 母は妹を産んですぐに亡くなってしまったので、子爵である父と二つ上の兄、四つ下の妹の四人家族だ。
 我が子爵家の特徴を一言で表すとしたら、ずばり貧乏。昔、父が事業に失敗し、一気に貧乏貴族となった。父は私たちへの申し訳なさから必死に堅実な領地運営をするようにはなったが、経済状況はさほど変わらなかった。将来このわずかな地を受け継ぐ兄は、貴族学園を卒業した後、現在は給料の良い外交官となり、家にお金を入れてくれている。妹は生まれた時から身体が弱く、十四歳になる今もベッドから離れることができない生活が続いている。だが、母によく似た明るく可愛らしい彼女はこの家の中心で、家族の愛情を一身に受けている。
 一方で、姉の私は紫の瞳こそ大きいものの猫のように目尻が吊り上がり、身長も高く、可愛いと言われる要素は全くない。頼れる姉としての私の役割は、料理洗濯掃除などの家事はもちろん、妹の世話から家庭菜園まで。うちには年老いた侍女が一人しかいないため、私がやらなくては家が回らないからだ。家族のため、妹のため、なりふり構ってなんていられなかった。
 しかし、私が貴族の子息子女が集まる貴族学園に入学したことで状況は一変した。私は、王太子であるブルーズに見染められたのだ。
 最初は、田舎から出てきたほかとは違う毛色の私がただ物珍しくて揶揄からかっているだけだろうと思っていた。しかし、私がどんなに冷たくあしらってもブルーズはめげることなく、私へのアプローチを繰り返した。「美しい」「好きだ」と毎日のように私の隣でささやき、片時も離れようとはしなかった。
 今思えば、私は他人からの愛情に飢えていたのだろう……そういった言葉は全て妹に贈られるものだったから。そんな中、浴びるように愛の言葉を贈られて、私は彼が本当に私を愛しているのだと勘違いをした。
 貴族学園には普通二年間通うのだが、私はブルーズの要請に従って一年で学園を退学し、一年後の婚約発表に向けて、王宮で王太子妃教育に明け暮れることになった。
 学園に通えなくなったのは残念だったが、講師らに子爵令嬢はなってないと何度馬鹿にされても、ブルーズのためならばと頑張った。
 ……が、その結果は魔族の国シルワへの輿入れだったわけで。
 シルワ国はこの世界で最も人口の少ない種族である魔族が治める国である。真偽は不明だが、その昔畏れ多くも精霊王を害したことで、精霊王の加護を失った土地の貧しい国だ。そのため、精霊が守り神とされているこの世界では、魔族と交流を持とうとする国はおらず、トゥグル帝国が唯一の貿易国であり、同盟国である。
 彼ら魔族は、その祖先と頭に残る角からして魔族と呼ばれているが、特別な力などないらしい。角がある以外は人間とほぼ同じだが、本能が強く、人よりも動物に近い種族だと講義では習った。どちらにせよ、帝国が潰そうと思えばすぐにひねりつぶせる存在であることと、同盟国といってもほぼ隷属国のような扱いをしていることだけわかった。
 ただ同盟の規約に沿って二十年に一度、帝国から貴族子女を魔族の王族へ嫁がせることにはなっている。そして、奇しくも今年がその二十年の節目だったのだ。


「いくら私が邪魔だからって、シルワに送るなんて信じられないわ! あー、もう!! 道ぐらい舗装しておきなさいよね!!」

 私は国境に向かう馬車の中で叫んでいた。朝からずっと馬車に揺られて、お尻が痛いせいもあり、私は怒りを蒸し返していた。

「大体何のために私が一年間も王太子妃教育を受けてきたと思ってんの!? 私が講師に罵倒されながらも必死に勉強してる時に、ほかの女とイチャついてたなんて、信じられない!!」
「リリ。そんなこと言っていいの? 不敬罪で捕まるわよ?」
「はっ! 上等よ! そしたら、広間の斬首台であることないこと、国民の前で叫んでやるわ! あいつの名誉を地に落としてやるんだから!!」

 アイナは向かい側の席で横になっていたが、ピュンと跳ね上がると私の頭の上に飛び乗った。そして、私の頭をペシペシと叩きながら、鈴が鳴るような声で話す。

「そんな元気があるなら大丈夫ね。だいたい私は最初から反対してたじゃない。なのに、あなたがあの浮気男にほだされたりするからいけないのよ。私、言ったわよね? 王族の男が一人を愛することなんてできないって。あいつらはタネを撒くことが仕事なのよ」

 まったく……姿も声も可愛いのに話すことが下品なんだから。
 この世界には精霊の遣いとされる妖精がいる。精霊の力の一部を与えられた尊い存在だが、その姿を見た者はほとんどいない。まれに気に入った者だけに姿を見せることがあるが、その真偽は定かではない……そう本には書いてあった。とはいえ、私の友達は隠れることなく、出会ってからずっと私から見えるところにいるが。
 アイナは、体長が十センチほどという可愛らしいサイズで、その背中には小さな翼が付いている。ピンク色の髪を二つのお団子にまとめ、長いまつ毛の下にピンク色の瞳を持った砂糖菓子のような風貌だが、その小さな口から発せられる言葉は微塵も甘くない。
 彼女との出会いは私が七歳の時。裏庭にかぼちゃの種を植えようと土を掘り返していたら、その中にいたのだ。彼女は私と会った時、かなり弱っていたため、咄嗟に姿を消すことができなかったらしい。私は慌てて傷ついた彼女を自分の部屋に連れて帰り、元気になるまでお世話をした。
 しかし、元気になってからも彼女はそのまま私の側に居座った。アイナは記憶喪失で、帰る場所がなかったのだ。
 彼女の話によると、妖精は自分の住まう土地が決まっていて、そこであれば本来の力を発揮できるらしいのだが、彼女は自分がどこから来たのか覚えていなかった。気付くとどこかに閉じ込められていて、そこから必死に逃げ出してきたのだという。しかし、妖精は縄張り意識が強いので、このあたりの妖精に彼女は虐められ傷つき、上手く力を使うこともできず、土の中に隠れていたのだということだった。それ以来、彼女はずっと私と一緒だ。
 皆が妹のニーナばかりを気にかけ、私が誰にも相手にされない時も彼女だけは私のそばにいてくれた。
 そんな彼女は、私より自分の方が年上だと思っているらしく、常にお姉さんぶって、何かあるとすぐに余計な口出しをしてくる。無論、ブルーズからのアプローチについても、的確にアドバイスと警告をしてくれていた。だけど、その意見を押し切って、あのバカ王子の婚約者候補となることを決めたのは私だった。

「王太子にあんなに熱心に口説かれたら、誰だって了承するしかないわよ。国随一の権力者なのよ? 金持ちなのよ? あの状況で断われる令嬢がいたら、顔を見てみたいもんだわ」
「リリなら断れたと思うけど。別にあいつのこと、最初から好いてなかったじゃない。笑顔が嘘くさいとか言って」
「私も所詮は普通の令嬢だったってことね」
「ふーん。領地に帰れば、くわや鍋を振り回してる令嬢が普通なの?」
「そんなのほかにもいるわよ。でも……まぁ、結果的にはこうなって良かったのかもしれないわ。蓋を開けてみれば、輿入れを承諾した謝礼として皇帝家から実家にはすごい金額が入ってきたわけだし。あれだけのお金があれば、借金の返済もできるし、ニーナもちゃんとした治療を受けられるはずだもの。きっと若くて優秀な侍女も雇えるわ」
「……そうね。でも、大丈夫なの? 魔族が夫になるのよ?」
「別に。見た目も人間にツノつけただけみたいだし、言葉が通じるなら大丈夫よ。一応王太子妃として行くんだし、殺されたりなんかしないでしょ。徐々に味方を増やして、国を豊かにして、いつかは帝国に勝る国にしてみせるわ!」

 息を巻いて言う私に、アイナは呆れ顔で告げる。

「すごいやる気ね。周りには人間がいないし、どんな扱いを受けるかもわからないのに」
「なんたって、私は子爵家出身なのに王太子妃になろうとした図太い神経の持ち主なのよ? それに今は人間の方が信用できないわよ」
「あはは、さすがリリ。心配して損した」
「それに私の親友も人間じゃないし。けど、一番の味方でしょ?」
「私のことだってわかるけど、その言葉、身体が痒くなるからやめて」
「はいはい。でも、本当にアイナがいてくれて良かったわ! 二人でシルワ国を盛り立てていこー!!」
「私は隣にいるだけよ?」

 そうため息を吐きながら、私の肩に彼女は降りてきた。面倒そうにしているが、本当は頼りにされて嬉しそうだ。とんがった耳の先がピンク色に染まっている。

「ふふっ、頼りにしてるわ!」

 私たちは笑顔を交わして、指と拳を突き合わせた。
 馬車は、私とアイナの運命を乗せて、シルワ国へと速度を上げた。



   第一章 お人好しの王太子妃候補


 私とアイナを乗せた馬車がキキーッと乱暴に停まる。少しすると、馬車の扉がノックされた。
 いよいよこの時が来た。シルワ国の王族が住むという城へ着いたのだ。
 私は大きく深呼吸をして、アイナと目を合わせ、頷き合った。

「開けて、ください」

 私がそう返事すると、馬車の扉が開かれ、目の前に大きなてのひらが差し出された。
 顔を上げて、その手の持ち主に目を向ける。
 高い鼻梁に、形の整った唇、燃えるような赤髪、そして、鋭い目つきの奥にある吸い込まれそうな真っ黒な瞳……

(なんて……綺麗な……)

 あまりの美しさに私が見惚れていると、彼は眉間の皺を濃くして、短く言い放った。

「……魔族の手など触りたくもないか」
「え? そ、そんなことは!!」

 私は慌てて手を重ね、馬車を出た。こんな綺麗な男性にエスコートされると思っていなかった私の顔は火照ほてる。私の隣を歩く彼は背が高めの私でも見上げてしまうほど高い……足が長いのかな。ブルーズは背が低かったから、この身長差はなんというか……すごく、嬉しい、かも。それに繋ぐ手がごつごつとして、なんか男らしくて……。気付けば私は彼の手を確認するようにしっかりと握っていた。
 すると、それを揶揄からかうようにアイナがニヤニヤとして、彼の頭上を飛んでいた。私は彼女をひと睨みすると、彼女はスッと姿を消した。まったく妖精だなんて信じられないような下世話な笑みだった。
 私が彼のエスコートに従って進むと、私の前にシルワ国王陛下が歩み出た。陛下の顔は以前絵姿を確認したことがあるので知っている。ということは、今、私をエスコートしてくれたのが、私の夫となる王太子なのだろう。
 彼は陛下の前まで来ると、あっさりと手を離し、不機嫌そうに陛下の隣に立った。あからさまに歓迎されていないその態度に寂しい気持ちがないわけでもないが、もう恋愛に振り回されるなんてこりごり。生きるために彼と結婚する、それだけだ。
 その時、初めて彼の頭に黒いツノが二本生えていることに気付く。頭の先からちょこんと出た角の先は丸みを帯びていた。禍々まがまがしさは一切感じられず、むしろ獣人族の耳のようで可愛らしい。

(見た目はほぼ人間と同じだし、対応もしっかりしてる……。帝国で教えられたシルワ国についての内容は、ほとんど参考にならなそうね)

 陛下が柔和な笑みを浮かべ、一歩前に歩み出た。線の細い優しそうな方だ。陛下の頭の上にも黒く輝く角が二本あった。

「リリアナ・ベルモント嬢。ようこそ、我がシルワ国へ」

 私は国王陛下の対応が思ったよりも優しいことに安心して、礼を執る。

「陛下、どうぞリリアナとお呼びください。今後はシルワ国の王太子妃として、国の発展に寄与できるよう尽力する所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします」

 そう私が告げると、それを馬鹿にしたように鼻で笑う声がした。
 私がそちらに視線を向けると、陛下は慌てたように隣の彼をたしなめた。

「ゼノ」

 しかし、陛下の注意をものともせず、彼は私にどこか軽蔑したような視線を向ける。

「人間がこの国の発展を願うなんてありえない。今までこの国に嫁いできて、我が国のために尽くした妃などいなかった。俺たちを馬鹿にするのもいい加減にしろ。俺は、お前を認めるつもりなどない」

 酷く冷たい声でそう言い放ち、彼は私を睨みつける。
 そう言われても、特に傷つきはしなかった。隷属国のような酷い扱いを受けているのだ。彼が帝国民であった私を信じられないのも想定済みだ。
 しかし、私に帰るところはない。私と彼の関係がどうであれ、ここで生きていくしかないのだ。
 ただ王太子であり、今年が二十年の節目である以上、帝国から一人はめとらなければいけないことは以前からわかっていたはずだ。なのに、この態度……
 彼は帝国も、そこの人間もよく思っていないのだろう。血の気が多くて、帝国を嫌いなくらいが私にとっては都合が良い。愛し愛されるパートナーとはなれなくても、帝国に反抗するパートナーとなれたら嬉しい。

「認めていただけるよう、頑張りますわね」

 私がそう微笑みながら小首を傾げると、彼は顔をカァッと赤くした。おちょくられたとでも思ったのだろうか?
 彼はその顔を隠すように踵を返し、一人、その場を去るようだ。陛下が呼び止めたが、彼はこちらを見ることもなく、呟いた。

「エスコートをするという約束は守りました。その人間のせいで気分が悪くなったので、俺は部屋に戻ります」

 結局、そのまま彼は去った。陛下は頭が痛いようで眉間を揉んでいる。
 ……確かにあの息子じゃ頭も痛くなりそう。私より四歳も上だと聞いていたが、まだまだ反抗期真っ只中という感じだ。

「申し訳ない……。先ほどのは私の息子で、王太子のゼノだ。まだゼノは、この結婚に納得していなくて……近いうちに説得をするので、どうか時間をいただきたい」

 陛下がそう言って頭を下げる。
 普通、一国の主がこうも簡単に頭を下げるべきじゃないと思うが、トゥグルとシルワの関係性からすると仕方のないような気もする。
 しかし、私も今日からシルワの国民なのだ。この態度を受け入れるわけにはいかない。

「陛下、どうぞ頭を上げてくださいまし。私は陛下の国民です。陛下のご指示であれば、王太子殿下が納得されるまで私はお待ちします。それまでは婚約者という肩書で構いません」
「わかった。では、ぜひそうしてほしい。まったく……仮にもゼノはリリアナ嬢より年上だというのにまだ子供で恥ずかしいよ」
「とんでもありませんわ。男性は少し尖ってる方がかっこいいと思いますわ」
「ははっ! 面白いお嬢さんだ。ありがとう。今回の花嫁は話が通じる方のようで嬉しいよ」

 陛下は私の手を縋るように握り、笑みを浮かべた。


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