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本編

25.平凡なんかじゃない

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 正式にサーシャの婚約者となったレイだったが、結婚は手に職をつけてから、ということになった。

 それまでは、レイは渡り人として水晶宮で暮らし、サーシャも世話役としてレイと共に水晶宮へ戻ることにした。レイもサーシャももう離れることは出来なかった。

 そして、二人は今、水晶宮の責任者であるイルドの前に座っていた。世話役であるサーシャが水晶宮を辞めるには、イルドの許可が必要だ。それにレイが獣化をして飛び出した理由も説明しなくてはならなかった。

 イルドは十年前の渡り人で、陛下の相談役も務める、水晶宮の責任者である。七十を過ぎながらも、未だに元気だ。

 イルドは、お茶を一口飲み、ティーカップをゆっくりとテーブルに置く。その所作は優雅な貴婦人そのものだ。イルドは自分のことをあまり話さないけれど、サーシャはイルドは元々かなり高位の貴族だったのではないかと思っていた。

 レイはイルドに以前いた世界のことを話した。番というシステムがあること、その相手がサーシャであること、胸の痣が交わることによって消えたこと。
 そして、サーシャに婚約を受け入れてもらったこと、いずれは職を見つけ、結婚したいと思っていること。その際はサーシャも世話役を辞めさせてほしいということ。

 イルドはそれを目を伏せながら、時折相槌を打ちながら聞いた。途中、何故レイの世界の番が異世界にいるサーシャなのかと問われたが、その理由は自分にも分からない、とレイは言い切った。隣で緊張していたサーシャだったが、イルドはサーシャと目が合うと、優しく微笑み、「大丈夫よ」とだけ言った。

 全てを聞き終えたイルドが口を開いた。

 「レイ、事情は分かりました。
 貴方がいつか職を見つけ、この水晶宮を出る時は婚約者であるサーシャも世話役を辞めることも許可しましょう。
 いつも仕事に一生懸命で優しいサーシャは私が私にとって孫のように可愛い世話役です。必ず二人で幸せになって下さい。」

 「ありがとうございます…!」

 レイとサーシャは机の下で、ギュッと指を絡ませた。
 フッとイルドは笑った後に、レイに尋ねる。

 「ところで、仕事の目星は付けているのですか?」

 「いえ…まだ何も。ただ獣人の特性を生かせる仕事だといいな、とは思っています。戦ったり、走ったりー」

 「それはちょうど良かった。
 近々、宰相から話があると思います。仕事探しをしなくとも、朗報を待っていると良いでしょう。」

 「朗報…?」

 首を傾げる二人にイルドはウインクを送る。

 「えぇ、大丈夫。良い仕事だと思いますよ。」


   ◆ ◇ ◆


 その一ヶ月後、宰相がレイの部屋に訪ねてきた。

 「レイ様。この水晶宮を出る為、仕事を探していると聞きました。」

 「ええ。」

 「それならば、是非、ハンターをやっていただけないでしょうか?!」

 「ハンター…?」

 サーシャもレイも初めて聞く職業だった。
 興奮気味に宰相が話し出す。

 「はい!ハンターとは薬草や動物の身体の一部などを採取してくる職業なのですが、この国ではあまり浸透していないんです。
 しかし、この前、数少ない忌み花…いや、狼花を採取したレイ様の嗅覚を持ってすれば、可能なのではないかと!王宮薬師もハンターを熱望してまして…、レイ様が引き受けてくれるのであれば、国としても非常に有難いのです。そして、ゆくゆくはお子様もハンターとして育てていただけるとー」

 「こ、子供…!?」

 レイは思わず声を上げる。その後ろではサーシャが顔を赤くしていた。
 宰相は不思議そうにしている。

 「えぇ。お二人は結婚なさる予定なんですよね?」

 「そ、そうですけど…」

 「それとも、獣人の身体能力や嗅覚などの性質は引き継がれないのでしょうか?」

 「いや…人間と獣人の間では獣人の性質が強く出ることが多いですがー」

 レイがそう答えると、宰相はパァっと顔を明るくして、目尻の皺を深くした。

 「それは良かった!!どんどんお子様を生んで、是非ハンターとして育てていただきたい!勿論、弟子をとって育ててもいいですし!」

 「どんどん…。」

 サーシャは呟く。恥ずかしさで顔も上げられない。

 「あ、失礼しました。
 お子様はお二人の計画もありますよね。」

 レイは神妙な顔つきをしている。
 ぽつりと呟くように、宰相へ尋ねる。

 「…受け入れられるでしょうか?」

 「え?」

 「私達の間に生まれた子は…この世界に受け入れられるでしょうか?」

 レイは俯き、ギュッと膝の腕で両手を握る。
 サーシャも祈るように両手を握りしめた。

 ポカンと宰相は二人の様子を見つめる。

 「…そんなことを心配してなされてたんですか。」

 「だって、俺は獣人でー!」

 「…レイ様。知らないんですか?」

 「え?」

 レイが顔を上げると、宰相はニヤッと笑った。

 「レイ様って、若い子達にすごい人気なんですよ。」

 「は?」

 「私も最近娘から聞いて知ったのですが、ここ数年間、獣人をお相手にした恋愛小説というのが娘たちの間で流行っているそうで。
 獣人には番という決められた恋人がいて、その人しか愛せない…というよくわからない設定があるらしく、その一途な愛が堪らないとか何とか。あと、モフモフも魅力だそうですよ。」

 レイとサーシャは、言葉を失った。
 サーシャが何とか言葉を返す。

 「…く、詳しいんですね。」

 「えぇ。娘たちが騒いでますからね。うちは三姉妹ですから、ずっと三人で話していて。嫌でも耳に入るんです。

 渡り人が男性の獣人だと聞いて、国内は大変盛り上がっていますよ。しかも、どこからかレイ様が端正な顔立ちと鍛え抜かれた肉体の持ち主だと漏れて、まるで小説の登場人物のようだと噂されています。」

 サーシャは驚き過ぎて声も出ない。

 「…サーシャは知っていたか?」

 レイがそう尋ねると、サーシャは勢いよく首を横に振った。

 「いえ…だって水晶宮ではそんなこと言ってる人はいなくてー」

 宰相が「あぁ」と言って、話に割り込む。

 「世話役の子達は勉強ばかりで、あまり市井に出ないですからね。そういう娯楽小説を読む子も少ないんでしょう。

 あ。あと、今回の狼花を使った万能薬の発見もあって、レイ様は国民に広く受け入れられていますよ。まだ広まってなかったとはいえ、感染症から国を守ったレイ様を敬う人はいても蔑む人はいないでしょう。水晶宮に侵入した武器を持った暴漢を一撃で倒したことも話題にもなってますし。
 だから、もしお二人の間にお子様が生まれても、何の問題もないと思いますよ。」

 二人は予想外の出来事に唖然とするばかりだった。

 その後、宰相にはハンターの職を前向きに検討させてほしいと伝え、その日の面談は終了となった。次回は、薬師を交え、採取する品目や価格、採取場所などを話し合うことになった。

 宰相が帰ってから、サーシャとレイは二人で寛いでいた。

 最近では、常にレイがサーシャに触れたがるので、レイの自由時間になると、セオはさっさと退室するようになった。

 今もレイはソファに座りながら、サーシャを膝の上に乗せている。最初は照れていたサーシャも今ではもうすっかり慣れて、レイの鍛えられた胸板に頭を預けている。

 レイの手はサーシャの頭を撫でる。

 「それにしても、驚きでしたね。」

 「本当だよ。数年前から獣人が出てくる創作物が刊行されているなんて…。しかも、番の概念が記されているのが驚きだよね。」

 「作者は一体誰なんでしょうか…。
 まさか私たちと同じ世界から…?」

 「それはないと思う。渡り人が確認できなかったのは二十年前と七十年前だけだと聞いているから。」

 「じゃあ、なんで番のことなんて知ってるんだろう。」

 「うーん…。」

 レイは難しそうな顔をして考えている。
 サーシャはレイの胸板にすりすりと甘えるように頭を擦り付けた。

 「それに…」

 レイはそれに気付き、サーシャに視線を戻す。

 「それに?」

 「レイ様が人気になっちゃって、少し…複雑です。
 …誰かに取られちゃうんじゃないかって…。」

 サーシャは赤い顔を隠そうと、両手で顔を覆った。

 レイは感動したように目をキラキラさせている。尻尾は煩いくらいにソファの座面を叩いていた。

 「サーシャ…!嫉妬してくれてるの…?可愛い。」

 そう言うと、サーシャの首元に顔を埋めて、ねっとりと舐め、最後にキスを落とした。

 「やぁ…ん。だってぇ、レイ様は本当に格好いいから…。なのに、私は平凡だし…。」

 レイは両手でサーシャの顔を包み込み、目線をしっかりと合わせる。

 「平凡なんかじゃないよ。サーシャは特別だ。
 心配しなくても、俺が愛せるのはサーシャだけって知ってるだろう。サーシャが一番可愛くて、一番綺麗だ。

 愛してるよ…。」

 「レイ様…。」

 二人の唇がそっと重なりそうになった時、、コンコンと扉がノックされた。

 セオの声が聞こえる。

 「レイ様、失礼します。
 面会をご希望の方がいらっしゃっています。」

 サーシャは慌てて、レイの膝から降りる。レイの耳は垂れ下がり、あからさまに残念がっている。しかし、客人の方が大切だ。今のサーシャは、世話役の業務中なのだから。

 サーシャは少し乱れた衣服を整え、扉を開けた。

 そこには、真っ黒な髪と瞳を持った女性が立っていた。
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