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第三章

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 フォード国は海の向こうの大国で、その領土も規模も軍事力もルクス王国とは比べ物にならない。ルクス王国の公爵家よりもフォード国の子爵家あたりのほうが税収も多い。それだけ莫大な国土と国民を有するのが、フォード国であった。リュ―さんは、その視察団として来ているのだから、恐らく伯爵家以上であることはほど確実だろう。

 「やめてくれよ、そういうのは苦手なんだ! でも、まさかあなたがあの噂の公爵夫人だとはな。本当に噂通りの美しさだ」

 美しい? 私が? アヴィス様の間違いではないだろうか。アヴィス様ならまだしも、私なんかの噂が海まで超えるだろうか……いや、きっとこれは社交辞令だろう。

 「過分な評価でございますわ。でも、お客様であるならばなおのこと、パンを運ぶお手伝いなどお願いできませんわ」

 「いやいや、これくらい何でもないさ。力には自信があるんだ。ご主人、持っていくのはここにあるものでいいんだな?」

 リュ―さんは、ファルコに尋ねる。

 「はい、確かにそれで間違いはありませんが……」

 「本当にお手伝いいただかなくて大丈夫ですわ!」

 「美しい夫人と王宮までデートする栄誉を是非授けてくれ」

 必死に止めたというのにリュ―さんは、両手に大きな籠を持ち、歩き始めてしまった。私は仕方なく彼を追いかけ、王宮まで一緒に行くことにした。

 「あ、あの……リュ―様?」

 「リュ―様だなんて、呼ばないでくれって。堅苦しいのは苦手なんだ。どうか俺のことはリュ―と呼んでくれ」

 「そんなことできません!」

 今日会った相手を愛称で呼ぶなんて信じられない。私は首を勢いよく横に振る。

 「じゃあ、俺はこのパンを運ぶ対価として愛称で呼ぶことを要求する」

 「そ、そんなのずるいですわ!」

 「ずるくて結構。美女に名前を呼ばれる褒美くらいもらってもバチは当たらないだろ」

 彼は悪戯な子供のような顔をして、ニシシと笑う。距離を詰めるのが上手いというか、人を転がすのが上手いというか……でも、何だか憎めない人。

 「はぁ……わかりましたわ。……えっと、リュ―?」

 「あー、やっぱりリュシーって呼んでほしいな」

 「リュシー?」

 名前を呼ぶと、リュシーは嬉しそうににこっと笑った。本当に笑顔が良く似合う方だわ。

 「わかりました。では、……リュシー、と呼ばせていただきますね」

 「ありがとう、メロディア。いや、メロとかの方が特別感があっていいかな?」

 思わぬ提案に焦る。フォード国の作法はよくわからないが、我が国では、女性を愛称で呼ぶのは互いが唯一と認めたパートナーだけ。ここで許可など出したら大問題になってしまう。

 「そ、それは駄目です! 私は既婚者ですから、愛称で呼んでいいのは夫だけです! この国では女性の愛称というのは特別な意味を持っておりまして!」

 「ははっ! 知ってるよ。そんなに焦らなくても、からかっただけだ」

 「も、もう……酷いです!」

 「あははっ! メロディアは美しいだけじゃなく、可愛いところも魅力なんだな」

 「どさくさに紛れてっ……もう! 名前も駄目ですってば!」

 「いや、ルクス国でも親しい友人くらいなら名前を呼んでも許されるはずだろ? これも今日の報酬だ」

 私とリュシーはそんなくだらないやり取りをしながら、王宮へ向かった。彼は話題も豊富で、話も面白かった。若干貴族らしさに欠けるところはあるものの、さぞかしフォード国では人気なんだろうなぁと思った。……もちろん、アヴィス様の魅力には負けるけど。

 リュシーと話しながら歩いていたら、あっという間に王宮に着いた。門をくぐり、アヴィス様のいる部署へ向かう。差し入れはそちらの部署の受付の方にお渡しすることになっている。ここまで来れば、何とか私でも運べるだろう。部署の前に到着し、私はリュシーの方を振り返り、御礼を伝える。

 「とても助かりましたわ。本当にありがとうございました」

 「いやいや、こっちもメロディアと色んな話ができて楽しかったよ。もっと話したいな。ねぇ、今度街を案内してくれない?」

 「私なんかよりずっと町に詳しいくせに何を言ってるんですか。リュシー、遊んでばかりいないで、ちゃんとお仕事もしてくださいよ?」

 「厳しいなぁ、こう見えてもそこそこ偉いんだぜ?」

 「分かっているつもりですよ。次会う時は正式にご挨拶いただけるでしょうか?」

 王宮へ来る途中で、本名を何度か尋ねたのだが、『俺はただのリュシーだよ』と悪戯な笑みだけ浮かべて答えてはもらえなかった。

 「きっとね。バイバイ、メロディア!」

 最後にウィンクを投げて、リュシーは去って行った。なんとも彼らしい別れの挨拶ね……私はくすっと笑った。

 「……よしっ、差し入れに行きましょう!」

 私は両手にしっかりパンの入った籠を携えたが……

 「やっぱり、重かったわ……」

 早速リュシーと別れたことを後悔したのだった。




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