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第二章

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 「パデルー。アヴィス様から帰るという報告はなかったかしら?」

 私は寝る支度を終え、エントランスホールで使用人に指示を出しているパデルに尋ねた。

 「あぁ、奥様。実はつい先ほど帰ると伝言があったのですが、恐らく間違いかと思います。旦那様が王宮に勤め始めてから、同じ日に行って帰ってくるということはありませんでしたから。前も何回かこのような間違いがございまして。帰りが待ち遠しいのも分かりますが、少なくとももう二、三日はお待ちいただくことになるかと」

 パデルはそう言って微笑みを浮かべた。でも、きっとその伝言は間違いじゃなく、本物で――

 「帰った」

 急いで帰ってきたのか、少し息が切れている。私は笑顔で彼に駆け寄った。

 「アヴィス様! おかえりなさいませ!」

 「あぁ」

 しかし、いつもニコニコとアヴィス様を迎えるパデルはその場で棒立ち。帰ってくるだなんて本当に思っていなかったみたい。

 「アヴィス様……?」

 「どうしたんだパデル。亡霊でも見たような顔だぞ」

 「アヴィス様! お、おかえりなさいませっ! お食事になさいますか?」

 いつも微笑みを絶やさないパデルが驚きすぎて、おかしなことになってしまった。

 「あぁ。いや、食事は軽く用意してくれればいい。今日の報告を頼む」

 「はいっ!」

 アヴィス様はいつもと同じようにパデルに報告を指示した。二人並んで階段を上がっていく。二人にとっては幾度となく繰り返したいつもの光景。それでも、パデルのその背中は何だか嬉しそうに見えた。


   ♪


 「すまない、待たせたな」

 「いえ、約束を守っていただけて安心しました」

 アヴィス様が二人の寝室を繋ぐ扉を開けて、迎え入れてくれる。前回は声を潜めて侵入したが、今回は堂々と入ることができるのが嬉しい。ベッドに腰掛けたアヴィス様に合わせ、私もその隣に座った。

 「無理かと思ったが、何とかした」

 「アヴィス様ならやってくださると信じていました」

 アヴィス様は私のその言葉を聞いて、こちらを向いてくれるとほんの僅かに微笑んでくれた。

 「そうか。ただやはり朝は早く出ないといけなくなりそうだ。食事は暫く一緒に摂れない」

 正直に言えば、朝も晩も大きい机に一人きりの晩餐というのは寂しいけれど、アヴィス様も頑張っている。これ以上の我儘など言えるわけない。

 「大丈夫です! 周りに使用人のみんなもいてくれますし」

 「悪いな」

 「でも、ずっとは嫌ですよ……?」

 「あぁ、善処するさ。ところで今日は何をしていた?」

 「図書館でギフトにまつわる本を探して読んでいました。ほとんどはアヴィス様に聞いた内容で、大きな収穫はありませんでしたが……」

 「私が公爵家にあるギフト関連の本は全て目を通し、大体の内容は伝えているからな。しかし、要約された話を聞くよりも、本を読むことでよりギフトに関する理解が深まるだろう。もしかしたら私が見落としている文章もあるかもしれないしな。これからも続けてくれると助かる」

 「はいっ! 頑張りますね」

 「いや、あくまでも無理はするな」

 「もう、大丈夫ですって。訓練の準備もいつでも出来ますよ?」

 私は唇に指を置き、アヴィス様の顔を下から覗き込んだ。

 「だ……っ、だから、そういう仕草をするんじゃない!」

 「そういう仕草?」

 コテンと首を傾げると、アヴィス様は今度は頭を抱えている。

 「もういい、何もするな……。ほら、始めるぞ」

 アヴィス様は、私の頬に手を置いた。彼の顔が徐々に近づいてきて、私は目を閉じる。彼の銀髪をスッと頬に感じた瞬間、唇に柔らかな感触を感じる。ゆっくりと沈んでいって、離れる。しかし、離れる寸前のところでまたその感触を染み込ませるようかのに、時間をかけて私の唇にアヴィス様の唇が再び沈んでいく。

 「んぅ……ふっ」

 私が吐息を漏らせば、それが合図のようにアヴィス様も口を開き、二人で濃密なキスをする。にゅるにゅると舌を擦り合わせ、甘美な唾液を交換する。

 チュッ……んっ……ぁ……はぁっ、ぢゅっ……

 溶け合って、混ざり合って、どちらの音か分からない接吻の音と、吐息が部屋に満ちていく。まるでそれは媚薬のようにお腹の奥に響いた。

 どれくらいキスをしていただろうか……

 アヴィス様がキスをやめて、私の瞳をじっと見つめた。全てを見透かされそうなその美しい瞳に私が身体の奥に隠している欲情も全て暴かれているような気さえする。

 「アヴィス、さまぁ……」

 まるで媚びるような甘い声が自分から発せられたことに驚く。私は彼に身体を寄せて、熱くなった顔を隠した。

 「もう、終わりですか?」

 さっき私を見つめた新緑の瞳は、確かに熱を持っていた。なら、今日はもう少し先まで……しかし――

 「……終わりだ。部屋に戻ってくれ」

 「え……でも……」

 「昨日よりは長くキスをした。段階的に進めていく約束だろう」

 「……分かり、ました」

 私は自室に戻り、ベッドに潜り込んだ。ついさっきまで身体も心も満たされていたはずなのに、突然冷や水を浴びせられたようだった。

 私にとっては大好きな人との交わりでも、アヴィス様にとってはただのギフトの訓練。終わらないでほしいとさえ思った甘い甘いキスの時間も彼は時間を見ていた。私は彼に触れられれば他のことなんて何も見えなくなるくらい夢中なのに。

 好きなのはあくまでも私だけ――

 そんな悲しい事実を突き付けられても、なかなか身体の熱は引いてくれなかった。




 
 
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