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第二章
2-6
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「ぜーんぜん、帰ってこないわ」
「帰ってこないですね……」
「こなーい!」
私と、シャシャと、サリーで庭の大きな木の下でピクニック。サリーは楽しそうに駆け回っているが、私はもう溜息しかでなかった。
「一か月よ?! 今では長くても半月と聞いていたのに、新婚で一か月も帰ってこないなんて……やっぱり私嫌われているのかしら……」
「そんなはずありませんわ! 旦那様は奥様のこと、大好きなんですから!」
本当のことを教えてほしいと、公爵家の仲良くなった使用人のみんなに聞いてみても、返ってくる答えは同じ。アヴィス様に秘密の恋人はいないし、女嫌いでもない。アヴィス様はずっと私のことが好きだ、と。
でも、宰相に就任して、より仕事が忙しくなってからは彼からの好意を感じたことなんて一度もなかった。
「公爵家のみんなはそう言ってくれるけれど、大人になってから好きだなんて言われたことないのよね……。忙しくなってからは、お手紙だって返してくれなくなっちゃったし」
「お手紙……ですか? 奥様から旦那様に? ……ここ二年くらいは屋敷には届いておりませんよね?」
「そう、アヴィス様が宰相になった頃からね、お手紙は屋敷じゃなく、王宮に送るようにしたのよ。屋敷にいる時間より王宮にいる時間のほうが長いと聞いたから。仕事の合間に目を通していただけるかなって。返信が届いたのは最初の二、三回だったかな……今思えば私が王宮に差し入れに行った後から返信がなくなったから、職場に顔を出してほしくなかったのかも」
「お手紙だけじゃなく、差し入れまでされていたんですね……。まさに婚約者の鏡ですわね。そういえばあの時期、奥様から今まで送られてきた手紙が途端に届かなくなったので、屋敷ではとうとう仕事に狂ったせいで旦那様が振られただなんて、使用人の間で噂が流れた時期があったんですよ」
クスクスとシャシャが笑う。公爵家の使用人は皆アヴィス様に遠慮がない。アヴィス様が新しい使用人をあまり雇いたがらないこともあり、皆長年勤めている者ばかりで、家族のような温かさがある。シャシャも十代の頃から働き始め、ずっと公爵家で働きながら、結婚・出産・子育てをしていた。
「ふふっ! ……でも、そんなこと言ったら、振られるのは私だわ。まさかアヴィス様の耳に入るほど、あの馬鹿げた噂が広がっていたなんて思ってもいなかった……」
「本当に酷いデマですわ! こんなにも奥様は旦那様だけを見つめているというのに」
そう……自分でも馬鹿馬鹿しくなるほどにアヴィス様しか見えていなかった。もっとうまく立ち回って、噂が出ないようにしたり、噂を否定したり、できることはあった。けれど、アヴィス様にさえ分かってもらえればいいのだと、アヴィス様の正式な婚約者だと自分に言い訳して、面倒なことから逃げて……そのつけがこの状況。
アヴィス様を大事に想えばこそ彼を心配させないように動くべきだった。アヴィス様に会えなくても夜会になんて行かず、家に引きこもっていればよかったのに……
「駄目ね、私……結局自分のことしか考えていなかった。アヴィス様に誤解させて、嫌われて……もし離婚なんて切り出されたら、私……」
また弱気になる私の肩にシャシャが手を添えてくれた。
「大丈夫です。これからずっと一緒なんですもの。誤解はすぐに解けます。それに旦那様は奥様のことを離しませんよ、絶対です」
「絶対?」
「えぇ、絶対です!」
シャシャの明るい笑顔に今日も励まされる。私は彼女につられて、口角をきゅっと上げた。
♪
「奥様、旦那様から今日中に戻られると連絡が」
その日の夕方、待ちに待った連絡が入った。パドルからアヴィス様が帰宅する予定を聞いた私は、慌てて立ち上がった。
「じゅ、準備をしなくちゃ!」
「そんなにお急ぎにならなくても大丈夫です。戻られるのは晩餐の時間だそうですから。今日は一緒にお召し上がりになれそうですね」
「そうね! ふふっ、嬉しい! あ、料理長にアヴィス様の好物を出していただけるようお願いしておこうかしら! ちょっと厨房に行ってくるわね!」
「奥様、それなら私が――」
「いいの! 私が行きたいの!」
厨房に向かいながらもドキドキが止まらない。久しぶりにアヴィス様に会えるかと思うと、今にもスキップしたい気分だった。
私たちには問題が山積みだけど、今はアヴィス様に会えることがただただ嬉しくて。
それに、シャシャが言うようにしっかりと話せば誤解が解けるはず。一緒に晩餐をいただけるなら、話す時間もあっぷりあるだろうから、一つ一つ説明しよう。すぐ信じてもらうのは難しいかもしれないけど、誠実に話せばきっとわかってもらえるはずだもの。それに公爵家のみんなも応援してくれてる。みんなが大丈夫ですよって言ってくれたんだから!
一か月ぶりにアヴィス様が屋敷に戻るのに、こんな時も私は自分のことばかりしか考えられていなかった。
そして、いざ久しぶりの再会に胸を膨らませていた私の目の前に現れた彼は……
「おかえり、なさいませ……」
早朝に出て行った時の様子は見る影もなく、疲れ切っていた。
再び深く刻まれた眉間の皺に、目の下の隈。食事がほとんど摂れなかったのか、頬までこけている気がする。眼鏡には再び分厚いレンズがはめられており、背中も丸まっている。
アヴィス様は顔を上げる元気もないのか、長い前髪で顔が見れない。
「帰った。悪いが、先に休む」
「はい……それは、もちろん……。その、ごゆっくり……」
「パデル、部屋に行く間に俺がいなかった時の報告を」
アヴィス様はパデルに付き添われ、自室までゆっくりと歩いていく。しかし、その間も業務の指示を出しているようで、彼に暇がないことを実感する。
「奥様、気を落とさないでください。あの……そうだ、今日の料理はとびきり上手くできたんですよ。どうぞ奥様だけでも美味しく召し上がってくださいね!」
そう声を掛けてくれたのは、シャシャの夫であり、副料理長でもあるファルコだった。彼もまた腕に寄りをかけた料理を食べてもらえないという寂しい思いをしているだろうに、一生懸命私を励まそうとしてくれる。なら、私も悲しい顔ばかりしていられない。
「そうね、ありがとう。実は……お腹がペコペコだったの。いつもより多くいただいちゃおうかしら!」
「はい、喜んで!」
ファルコはサリーとよく似た大きな口でニカッと笑い、厨房に戻っていった。
その広い背中を見送りながら、私は気合を入れた。
「私も、私の出来ることをやろう……。よしっ! アヴィス様の分まで食べるわよ!!」
「帰ってこないですね……」
「こなーい!」
私と、シャシャと、サリーで庭の大きな木の下でピクニック。サリーは楽しそうに駆け回っているが、私はもう溜息しかでなかった。
「一か月よ?! 今では長くても半月と聞いていたのに、新婚で一か月も帰ってこないなんて……やっぱり私嫌われているのかしら……」
「そんなはずありませんわ! 旦那様は奥様のこと、大好きなんですから!」
本当のことを教えてほしいと、公爵家の仲良くなった使用人のみんなに聞いてみても、返ってくる答えは同じ。アヴィス様に秘密の恋人はいないし、女嫌いでもない。アヴィス様はずっと私のことが好きだ、と。
でも、宰相に就任して、より仕事が忙しくなってからは彼からの好意を感じたことなんて一度もなかった。
「公爵家のみんなはそう言ってくれるけれど、大人になってから好きだなんて言われたことないのよね……。忙しくなってからは、お手紙だって返してくれなくなっちゃったし」
「お手紙……ですか? 奥様から旦那様に? ……ここ二年くらいは屋敷には届いておりませんよね?」
「そう、アヴィス様が宰相になった頃からね、お手紙は屋敷じゃなく、王宮に送るようにしたのよ。屋敷にいる時間より王宮にいる時間のほうが長いと聞いたから。仕事の合間に目を通していただけるかなって。返信が届いたのは最初の二、三回だったかな……今思えば私が王宮に差し入れに行った後から返信がなくなったから、職場に顔を出してほしくなかったのかも」
「お手紙だけじゃなく、差し入れまでされていたんですね……。まさに婚約者の鏡ですわね。そういえばあの時期、奥様から今まで送られてきた手紙が途端に届かなくなったので、屋敷ではとうとう仕事に狂ったせいで旦那様が振られただなんて、使用人の間で噂が流れた時期があったんですよ」
クスクスとシャシャが笑う。公爵家の使用人は皆アヴィス様に遠慮がない。アヴィス様が新しい使用人をあまり雇いたがらないこともあり、皆長年勤めている者ばかりで、家族のような温かさがある。シャシャも十代の頃から働き始め、ずっと公爵家で働きながら、結婚・出産・子育てをしていた。
「ふふっ! ……でも、そんなこと言ったら、振られるのは私だわ。まさかアヴィス様の耳に入るほど、あの馬鹿げた噂が広がっていたなんて思ってもいなかった……」
「本当に酷いデマですわ! こんなにも奥様は旦那様だけを見つめているというのに」
そう……自分でも馬鹿馬鹿しくなるほどにアヴィス様しか見えていなかった。もっとうまく立ち回って、噂が出ないようにしたり、噂を否定したり、できることはあった。けれど、アヴィス様にさえ分かってもらえればいいのだと、アヴィス様の正式な婚約者だと自分に言い訳して、面倒なことから逃げて……そのつけがこの状況。
アヴィス様を大事に想えばこそ彼を心配させないように動くべきだった。アヴィス様に会えなくても夜会になんて行かず、家に引きこもっていればよかったのに……
「駄目ね、私……結局自分のことしか考えていなかった。アヴィス様に誤解させて、嫌われて……もし離婚なんて切り出されたら、私……」
また弱気になる私の肩にシャシャが手を添えてくれた。
「大丈夫です。これからずっと一緒なんですもの。誤解はすぐに解けます。それに旦那様は奥様のことを離しませんよ、絶対です」
「絶対?」
「えぇ、絶対です!」
シャシャの明るい笑顔に今日も励まされる。私は彼女につられて、口角をきゅっと上げた。
♪
「奥様、旦那様から今日中に戻られると連絡が」
その日の夕方、待ちに待った連絡が入った。パドルからアヴィス様が帰宅する予定を聞いた私は、慌てて立ち上がった。
「じゅ、準備をしなくちゃ!」
「そんなにお急ぎにならなくても大丈夫です。戻られるのは晩餐の時間だそうですから。今日は一緒にお召し上がりになれそうですね」
「そうね! ふふっ、嬉しい! あ、料理長にアヴィス様の好物を出していただけるようお願いしておこうかしら! ちょっと厨房に行ってくるわね!」
「奥様、それなら私が――」
「いいの! 私が行きたいの!」
厨房に向かいながらもドキドキが止まらない。久しぶりにアヴィス様に会えるかと思うと、今にもスキップしたい気分だった。
私たちには問題が山積みだけど、今はアヴィス様に会えることがただただ嬉しくて。
それに、シャシャが言うようにしっかりと話せば誤解が解けるはず。一緒に晩餐をいただけるなら、話す時間もあっぷりあるだろうから、一つ一つ説明しよう。すぐ信じてもらうのは難しいかもしれないけど、誠実に話せばきっとわかってもらえるはずだもの。それに公爵家のみんなも応援してくれてる。みんなが大丈夫ですよって言ってくれたんだから!
一か月ぶりにアヴィス様が屋敷に戻るのに、こんな時も私は自分のことばかりしか考えられていなかった。
そして、いざ久しぶりの再会に胸を膨らませていた私の目の前に現れた彼は……
「おかえり、なさいませ……」
早朝に出て行った時の様子は見る影もなく、疲れ切っていた。
再び深く刻まれた眉間の皺に、目の下の隈。食事がほとんど摂れなかったのか、頬までこけている気がする。眼鏡には再び分厚いレンズがはめられており、背中も丸まっている。
アヴィス様は顔を上げる元気もないのか、長い前髪で顔が見れない。
「帰った。悪いが、先に休む」
「はい……それは、もちろん……。その、ごゆっくり……」
「パデル、部屋に行く間に俺がいなかった時の報告を」
アヴィス様はパデルに付き添われ、自室までゆっくりと歩いていく。しかし、その間も業務の指示を出しているようで、彼に暇がないことを実感する。
「奥様、気を落とさないでください。あの……そうだ、今日の料理はとびきり上手くできたんですよ。どうぞ奥様だけでも美味しく召し上がってくださいね!」
そう声を掛けてくれたのは、シャシャの夫であり、副料理長でもあるファルコだった。彼もまた腕に寄りをかけた料理を食べてもらえないという寂しい思いをしているだろうに、一生懸命私を励まそうとしてくれる。なら、私も悲しい顔ばかりしていられない。
「そうね、ありがとう。実は……お腹がペコペコだったの。いつもより多くいただいちゃおうかしら!」
「はい、喜んで!」
ファルコはサリーとよく似た大きな口でニカッと笑い、厨房に戻っていった。
その広い背中を見送りながら、私は気合を入れた。
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