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第二十ニ話

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 ようやく律が帰って来る前日になった。

 あれから琴美は律の言った通りに行動した。そのおかげか、俊哉と会うことはなく、琴美の気持ちも徐々に落ち着いてきた。律は心配して、毎日電話を掛けてくれたし、一日一日と律に会える日が近付いてくることで、琴美の律への気持ちも高まって行った。

 茂野や事情を聞いた日菜子も気にかけてくれ、外に琴美が出る時に一人になることはなかった。海斗も翌日には心配して会いに来てくれた。琴美を会社前まで迎えにきた海斗が茂野と遭遇し、茂野がまたピリピリとしたが、海斗が弟だと分かると、いつものように優しい兄モードを発動して、すっかり海斗からの信用を得ていた。
 海斗からはもし律に捨てられることがあればあの人がいいと思う、と冗談なのか本気なのか分からないことまで言われた。

 琴美は仕事を切り上げ、帰り支度をする。今日、律の家に帰れば、明日の朝には律が家に帰ってくるはずだった。

 (今日が終われば、明日には律さんに会える!)

 琴美の頬は緩む。会社前にタクシーが到着したことを確認して、琴美は外に出た。いつもなら茂野や日菜子が同じタイミングで帰ってくれるのだが、茂野は打ち合わせで席を外していたし、日菜子は今日有休を取っていた。

 (目の前のタクシーに乗り込むだけだし、流石に大丈夫だよね。)

 そう思い、琴美は下に降りる。すると、会社を出たところの目の前に俊哉が立っていた。俊哉の横を通り過ぎないと、タクシーには乗れない。

 琴美は恐ろしくなって、踵を返そうとする。

 「琴美!副社長のことで話があるんだ。」

 (律さんの…こと?)

 琴美は、チラッと俊哉の方を見る。琴美だけではなく、近くにいる人も何事かと俊哉を見つめていた。

 その時、俊哉が琴美にスマホの画面を見せた。

 そこには、男性が女性と腕を組んで歩いている写真だった。しかし、遠くて、しっかりと見ることが出来ない。

 (この距離じゃ律さんかどうかも分からない…)

 俊哉は眉を下げて、同情するように琴美を見つめる。

 「他にも何枚か見せたい写真があるんだ。

 …俺は琴美に幸せになって欲しいだけなんだよ。
 話を聞いてくれないか?

 ほら、早くタクシーに乗って。」

 琴美は迷った。

 (あの写真は確かに気になる。だけど、あれが律さんだって保証はない。それに私に話がしたいなら、最初に私が食いつくような決定的な写真を持ってくるはず…。それがないってことは所詮は女性と腕を組んでいるだけの写真。確かに良い気持ちではないけど、律さんなら立場上断れないこともあるはずだし…。
 でも…、こんな不毛な時間、終わらせたい。それに…)

 「分かった。話は聞く。だけど、タクシーには乗らない。話はそこのカフェで。」

 そう言って琴美は会社の向かい側にあるカフェを指差した。俊哉は少しムッとした顔をしたが、すぐに了承した。

 「良かった。話を聞いてくれて。じゃあ、行こうか?」

 俊哉が付き合っていた頃のように当たり前に手を差し出してくるのを無視する。琴美はタクシーの運転手に謝罪をし、迎車料金だけ払うと、カフェに向かって歩き出した。


   ◆ ◇ ◆


 俊哉が琴美を見つめてニコニコと微笑む。
 あんなに好きだったのに、今じゃその笑顔が恐ろしく感じられる。

 「琴美とまたこうやって話せて、嬉しい。」

 はにかむように俊哉は笑う。
 琴美はニコリともせず、俊哉に話しかける。

 「私はもう話したくなかった。
 早く本題に入って。」

 「…そんな寂しいこと言わないでよ。
 きっと副社長の話を聞いたら、俺のところに戻りたくなるよ?」

 「万が一、律さんにがっかりすることがあったとしても、貴方のところには絶対に戻らない。別れを告げたのは貴方のくせに。馬鹿にしないで。」

 「だから、それには事情がー!」

 「今日は律さんの話を聞きに来たの。
 貴方のことなんて聞いてない。」

 「…琴美。…すっかり冷たい人間になっちゃったんだね。あんなに優しくて、可愛かったのに。
 それも、副社長の影響…?」

 「冷たくなったんじゃない。
 強くなったの。律さんが私を強くしてくれた。」

 「そんなの思い込みだよ。琴美に相応しいのは俺だ。」

 「ねぇ、さっさと本題に入ってよ。
 私たちの関係はもう終わってるの。」

 「……いいよ。じゃあ、副社長のことを話そうか。」

 そう言って、俊哉は何枚か写真を机に並べた。

 どれも律さんらしき男性が美しい女性と仲良くしている写真だ。女性は律よりも少し歳上のような気がする。
 写真はラブホテル街のようなところで腕を組んでいるもの、親しそうにハグをしているもの、レストランで楽しそうに女性と乾杯しているもの…。中には顔がはっきり写っているものもあって、それは確かに律さんのようだった。
 しかし、律の表情を見るに琴美を見つめる時の瞳とはまるで違った。親しそうにしているが、その中に琴美を見つめる時のような熱情は感じられなかった。

 (でも、やっぱり決定的な写真はない…。
 こんな話、聞く価値もないわ。)

 琴美は馬鹿馬鹿しくなって、溜息を吐く。

 「…こんなの仕事の範囲かもしれないじゃない。
 一体、何が言いたいの?」

 俊哉は少し険しい表情を見せたが、すぐに笑顔を顔に貼り付ける。

 「実はもう一つ、あるんだ。」

 俊哉は、スマホを出すと、ある音声を再生し始めた。
 女性の声だ。

 『実は私、ずっと副社長と付き合ってました。最初は会社の中で無理矢理犯された事で始まった関係でしたが…私はすぐに副社長を好きになりました。副社長はいつも優しくて、私が一番だよって囁いてくれました。毎日車で送り迎えまでしてくれて…副社長に愛されて、本当に幸せでした。

 …なのに、子供が出来たと伝えたら、私のお腹を蹴って堕ろせって…。本当に俺の子か?って疑いまでしました。それに彼女はお前だけじゃないんだ…とも。
 それでも、私が産みたいって言うと、目の前にお金をばら撒いて…手切金だって…この事を誰かに言ったら承知しないと私を脅してきました。』

 俊哉は俯いて聞いている。琴美は真っ直ぐにスマホだけ見つめる。

 『そこで初めて副社長は私のことなんて愛してなかったんだ、と知りました。副社長は結局誰も愛することが出来ないんです。いつもニコニコとした笑顔の下には、冷たい顔を隠しているんです。』

 そこまで聞いて、俊哉は止めた。

 「どう?副社長がどんな人か分かったでしょう?俺はこれをずっと琴美に伝えたくてー」

 俊哉は悲しそうな顔を作り、琴美を見つめる。
 琴美は険しい表情で口を開いた。

 「で?この人はこの後、どうしたの?」

 まさか、すぐに質問をされると思っていなかった俊哉は慌てて答える。

 「え?…あぁ、子供は堕した…はずだ。」

 「この音声を撮ったのはいつなの?」

 「あ、あぁ…いつだったかな?」

 琴美はすかさず俊哉のスマホを取り、録音した日を確認した。

 「…一昨日。
 一昨日のことをいつだったかな?なんて言う?」

 俊哉はスマホを奪い返す。

 「うるさい!
 一昨日か、その前日かどっちだったか忘れただけだろ!」

 俊哉は声を荒げた。

 俊哉の声に反応したのか、琴美達の後ろの席で椅子を引く音がした。琴美は、強く俊哉を睨みつける。

 「こんな嘘を並べるのもいい加減にして。
 今後一切、私に関わらないで。」

 すると、今度は泣きそうな顔で俊哉は琴美を見つめる。

 「…そんなこと、言わないでくれ…。
 俺だって、琴美と別れたくなんてなかった…。
 騙されたんだ、あの女に。」

 「騙された?」

 琴美は眉を顰める。

 「あぁ…しこたま酒を飲まされて、気付いたらホテルに連れ込まれてた。それで酔っていた俺は琴美と勘違いしたんだ。

 翌朝、意識がはっきりして呆然としたさ。彼女には謝ったけど、何かあったら責任を取れって言われて。その数ヶ月後、子供が出来たって言われた…。」

 「それで責任取って結婚することにしたんでしょ?」

 琴美が何でもないように言うと、俊哉は机を強く叩いた。

 「違う!
 彼女は入籍する直前になって、流産したと言い出した。
 …きっと元々妊娠なんてしてなかったんだ…。
 俺と琴美を別れさせるためにそう言っただけなんだよ!」

 「だから、何?
 貴方が私を裏切ったことには変わりないでしょ?」

 「俺は襲われて、騙されただけなんだ!」

 俊哉は涙を溜めて、琴美を見つめる。

 「そんなの知らないわ。大体、相手が分からないほど飲むなんて、社会人として自己管理がなっていないんじゃない?」

 「…うるさい!!
 琴美、お前はそんな人間じゃなかったはずだ…。
 やっぱり、あの男の…!!」

 俊哉の優しい面影は消え失せ、すっかり恐ろしい形相になっていた。それでも琴美は怯むことなく堂々と告げた。

 「さっきから律さんのことを馬鹿にしないで!下手な嘘ばっかり並べて彼を傷つけるつもりなら、私が許さないんだから!!」

 「こいつ…っ!!」

 俊哉は立ち上がり、琴美の頬に向かって手を振り下ろした。
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