Free Hugs〜最後のハグから始まる恋〜

はるみさ

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第十話

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 月曜日。一人で朝食を食べ、満員電車に揺られ、会社に出勤する。いつも同じはずなのに、週の始まりに律に会えないだけで、なんだか身体が重い気がした。

 (ハグの効果…なのかな?)

 浮かない表情でいつもより少し遅く出勤した琴美のところへ茂野がやってくる。

 トンッと、机の上にいつも琴美が飲んでいた缶のミルクティーが置かれる。

 「…これ。」

 このミルクティーは最近社内の自販機から無くなってしまっていて、琴美か残念がっていたものだった。買うには会社から少し離れた自販機で買わなきゃいけないはずだ。

 「…好きだったろ?」

 「あ、ありがとう…。」

 琴美は驚いた。そこまで茂野が自分のことを見ていたとは知らなかった。

 茂野はまだ出勤してない琴美の隣の日菜子の席に座った。

 「なんか、元気ないな?」

 「あ…うん、ちょっとね…。」

 俯き、琴美が答えると、茂野はじっと琴美を見つめる。

 「何があったか無理には聞かないが、何か出来ることがあったら言えよ?成瀬はいつも抱え込み過ぎる。」

 「…ありがとう。」

 無理に聞き出そうとしないその茂野の優しさが琴美には嬉しかった。

 その時、日菜子が出勤した。

 「おはようございまーす!

 あれ?茂野先輩。朝から口説いてたんですか?」

 茂野はバッと日菜子の席から立ち上がると、顔を真っ赤にする。

 「そ、そんなんじゃない!!」

 そう言って、ドスドスと自席に戻って行ってしまう。

 「そんなに照れなくてもいいのにー♪」

 琴美は以前から気になっていたことを尋ねてみた。

 「…前々から思ってたけど、ひなちゃんって茂野君に容赦ないわよね?」

 「あ、言ってませんでしたっけ?茂野先輩は高校と大学の先輩なんです。同じ部活で、同じ天文学サークルでした。」

 「そうだったんだ…。茂野君はどんな学生だったの?」

 日菜子は嬉しそうに話す。

 「高校時代からあんな感じでしたよ。少しぶっきらぼうで、優しくて…一度こうと決めたら最後までやり通す強さがあって…。」

 琴美はそれを見て微笑んだ。

 「ひなちゃんは茂野君のこと、よく見てるのね。」

 「そ、そんなことないです!
 付き合いが長いだけですー!」

 日菜子は口を尖らせて、席に着いた。


   ◆ ◇ ◆


 その日のお昼が終わると、琴美は課長に呼ばれた。

 「何でしょうか。」

 「この前、納品した物にクレームがついた。お客様が事前に打ち合わせした仕様と違う、と。確か小松から引き継いで成瀬が担当した案件だったよな?」

 「は、はい。」

 それは繁忙期に骨折した先輩に代わって担当した案件だった。引き継ぎは先輩が出勤出来ないので、ほとんど電話で行った。引き継ぎが十分ではないと言われれば否定は出来なかった。

 「先方からは至急修正するように要望が来てる。
 詳細はさっきメールで送っておいた。」

 「申し訳ありませんでした。
 …至急確認し、対応します。

 あの…今、担当している案件は…。」

 琴美は今週が締め切りの案件を抱えていた。二つを同時にこなすとなると、かなりの負担だ。

 「…悪いが、他に回す余裕はない。
 引き続き一人で担当して欲しい。」

 「…はい。至急取り掛かります。」

 琴美は硬い表情で席に戻る。

 自席で聞き耳を立てていたんだろう。日菜子が声を掛けてくる。
 
 「せ、先輩、大丈夫ですか?」

 「大丈夫よ。自分のミスだし、何とかする。」

 琴美は早速パソコンに向かい、淡々と作業を始める。まずは現行を確認して、それからお客様への連絡…やることは山積みだ。

 日菜子は、申し訳なさそうな顔をして、琴美を見ている。

 「あの時期、私も先輩に手伝ってもらっちゃったから…私のせいでもありますよね…ごめんなさい。」

 琴美は日菜子が好きだ。
 仕事が出来るとは言い難いけど、ありがとうとごめんなさいがしっかり言える子だ。それに出来ないものは出来ない、分からないものは分からないと言える正直さもある。出来ないと言えない琴美にとっては、日菜子は羨ましい存在でもあった。

 琴美は一旦手を止めて、日菜子の方に向き直ると、優しく微笑んだ。

 「ひなちゃんのせいじゃないわ。出来ると思ったから引き受けたんだもの。私に丸投げしたわけじゃなくて、ひなちゃんも頑張ってたの知ってるから、そんなに気にしないで。」

 日菜子は今にも泣きそうな顔で琴美を見つめる。

 「こと先輩…。
 私に出来ることがあったら、言ってくださいね。」

 その気持ちは有り難かったが、日菜子に手伝いを依頼するより琴美がやった方が早い。スピードが重視される今、琴美は誰にも手伝いを依頼する気はなかった。

 「うん。ありがとう。気持ちだけいただくわ。」

 「…はい。お茶汲みでも、コピーでも、何でもやりますからね!!」

 「ふふっ。ありがとう。ひなちゃん。」

 琴美はコーヒーを一口飲むと、ぐっと集中して仕事を始めた。


   ◆ ◇ ◆


 「ふぅ…。」

 琴美は自席でぐっと背を伸ばした。
 定時を過ぎたが、琴美の仕事はまだまだこれからだ。終電まではあと五時間ほどある。もう一仕事だ。

 一旦コンビニでも行こうかと思うが、その時間さえも惜しいと思った琴美は再びデスクに向かった。その時、バサッとビニール袋が席に置かれた。その中にはお茶やおにぎり、サンドウィッチに栄養ドリンク、ゼリーなど色んなものが入っている。どれも琴美がよく食べている物だ。

 「どうだ?進捗は。」

 茂野だった。

 「…茂野君。」

 茂野はどさっと日菜子の席に座る。

 「何があったかは、さっき先方との打ち合わせが終わって帰ってきた時に河野に聞いた。この差し入れは、河野と俺からだ。」

 「ひなちゃん、から…。」

 「自分のせいだと気にしてたぞ。俺に成瀬を手伝ってあげて欲しいと頼んできた。自分じゃ何も出来ないから、と。」

 確かに茂野なら琴美よりも優秀だし、手伝ってもらえることは多い。だが、課長からは一人で担当する様にと言われているし、茂野もいくつかの案件を抱えていて忙しいはずだった。

 「…ううん。大丈夫。一人でやる。ありがとう。」

 茂野は、はぁ…と溜息を吐く。

 「成瀬。俺はこの間、『もう遠慮しない』と言ったはずだ。成瀬から好かれるためならどんな手段だって使う。

 あのいけ好かない律とか言う奴に無くて、俺にある武器は同僚だってことくらいだろ?これは俺の我儘だから、成瀬は気にするな。」

 「…え?」

 そう言って、茂野は成瀬の手元にある資料を引ったくり、自分のノートパソコンを日菜子の席で立ち上げた。

 「こっちは俺がやる。そっちは成瀬な。」

 茂野はもう集中して作業を始めている。

 琴美は暫く呆然としていたが、ハッとして作業を始めた。少しでも時間が惜しい。

 途中、日菜子からの差し入れに手を伸ばしながら、着実に作業を進めていく。フロアからはどんどんと人が帰り、琴美と茂野の二人きりになった。

 フロアにはカタカタとキーボードを打つ音が響く。
 茂野が琴美に声を掛ける。

 「成瀬。ここちょっと見てくれるか?」

 琴美は椅子を転がして、茂野に近づき、画面を覗き込む。

 「どこ?
 あぁ、ここはこのままでいいよ。お客さんからもこの仕様は間違ってないって確認取れてる。このまま進めてくれる?」

 琴美が振り返ると、予想以上に茂野の顔が近くて、慌てて顔を逸らす。それを見て、茂野はククッと笑った。

 「そんなにビビらなくても取って食ったりしない。」

 「ご、ごめん。思わず…。嫌だったとかじゃないの。近くて、びっくりしただけで…。」

 琴美は動くことが出来ない。俯いて赤い顔を隠すが、耳まで赤い。茂野はその耳を優しく撫でた。

 「…ん。」

 そして、茂野は耳元に唇を寄せると囁く。

 「成瀬、可愛い。」

 「…っ!!」

 琴美はパッと耳を押さえると、茂野の顔を見た。
 茂野はその反応に気を良くして、ニヤッと笑った。

 「少しは意識してもらえてるってことかな?」

 「く、くすぐったかっただけ!」

 「ほぅ。耳が弱点なんだな。
 …今後のために覚えておく。」

 そう言って茂野は笑う。琴美は少し拗ねたように口を尖らせて、席に戻り、作業を再開した。暫くして、もう終電が近いということで、二人揃って会社を出た。

 駅までの帰り道、琴美は改めて茂野に御礼を言った。

 「助けてくれて、本当にありがとう。」

 茂野は歩きながら横にいる琴美を見つめ、目を細めた。

 「まだ終わってないだろ?明日からも手伝う。」

 琴美はぶんぶんと首を横に振った。

 「そ、そんなの申し訳ないよ!
 明日からは自分で何とかするから。
 それに、茂野君も自分の仕事あるでしょ?」

 「ちゃんと自分の仕事は定時内に終わらせる。定時後に手伝うから気にするな。」

 そう言って、茂野は琴美に笑いかけた。

 「気にするよ!それに課長になんて言われるか…」

 琴美がしょんぼりと下を向く。
 茂野はハハッとそれを笑い飛ばす。

 「別に何とも言わないだろ。面倒ごとには首を突っ込みたくないから、見て見ぬふりをするだろうさ。」

 「そうかなぁ…。」

 茂野から言われてみれば、そんな気もしてくる。課長は良く言えば部下を信用して任せるタイプ。悪く言えばあまり部下の業務を深く理解していないタイプだった。

 「あぁ。それにやることはやってるんだから、文句はないだろ。」

 「…でも…、私、茂野君にそこまでしてもらう理由がないよ。」

 「理由なんて必要ないだろ。同じ会社なんだし。
 …それに、言ったろ?成瀬が好きなんだ。一緒にいる名目が出来て俺にはご褒美みたいなもんだ。」

 「でも…」

 なかなか折れない琴美に茂野は言った。

 「じゃあさ、毎日帰りに一つ、俺のお願い聞いて。」

 「お願い?」

 「うん。小さなお願いを毎日一つ叶えてくれるか?勿論成瀬が嫌なお願いだったら、断ってくれても構わない。」

 「…例えばどんなお願い?」

 「そこのコンビニで肉まん一つ買って?
 二人で分けて食べたい。」

 予想外に可愛らしいお願いで、琴美はフフッと笑った。
 終電が近いとは言え、ベンチに座って、肉まんを一つ食べる時間くらいはあるはずだ。琴美は言った。

 「お安い御用よ。」

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