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第三話
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「ん゛…。頭いたい…。」
琴美は、ベッドの中で痛む頭を押さえた。
でも、ふわふわのベッドの上で大きく息を吸い込めば、どこか爽やかな感じのする匂いがする。少し二日酔いが和らぐ気さえした琴美は、フフッと笑った。
「やっぱり、この匂い好き…。」
(…ん?匂い?)
琴美は、パッと目を開く。
見覚えのないベッド…そして、初めて見る部屋。
部屋の中には数箱の段ボールと、ベッドだけだ。
「ここ…どこ?」
琴美はそっとベッドを降りて、部屋の扉を開ける。
リビングなのだろう。少し小さめのダイニングテーブルとソファ、センターテーブルとテレビ。それ以外は何もない。こちらも段ボールがいくつも積まれている。
そこでようやく琴美は確信した。
(ここは須藤さんの家だ!
車に乗せてもらった後、私泣いて…寝ちゃったんだ。最寄駅の場所しか伝えてなかったし、きっと須藤さん、困ったよね。家の場所が分からなくて、仕方なく私を自宅に連れて来てくれたんだろう。)
琴美はなんて迷惑をかけてしまったんだと二日酔いで痛む頭を抱える。肝心の須藤は何処かと部屋を見回してみると、ソファの端から長い足がはみ出しているのが見えた。
恐る恐る近付くと、須藤は寝ていた。
スゥスゥと規則正しく寝息を立てている。
(私は家主をソファに寝かせて、ベッドを占領してたのか!なんて、図々しい…きっと須藤さんも呆れたに違いない。)
琴美はシュンとしながらも、須藤の寝顔を見つめた。
(……本当に綺麗な顔。目を閉じると睫毛の長さがより際立つし、横顔だと鼻も高いのがよく分かるなー。海外から帰ってきたばっかって言ってたし、モデルさんか何かだったりして…。)
その時、琴美のスマホのアラームが鳴った。
急いで止める。
(やばい!今日会社だ!!)
スマホでこの場所を確認すると自宅からそんなに離れていないことがわかる。というか、琴美の家まで歩いていける距離だ。今から琴美の家まで歩いて、シャワー浴びて、着替えて、会社に向かう。いつも余裕を持って出勤しているのが功を奏した。これならしっかり始業時間に間に合いそうだ。
ただ問題は須藤だ。ぐっすり寝ているのを起こすのも申し訳ないが、鍵を開けたまま行くのも悪い。仕方なく須藤を起こすことにした。
「須藤さん、須藤さん。」
琴美は身体を揺らすが、須藤は一向に起きる気配がない。でも、起こさなきゃ…。
「須藤さん!須藤さん、すみません!
私、会社に行かなきゃいけなくて…。
本当にすみません。」
琴美が必死に身体を揺らして起こすと、須藤はうっすらと目を開けた。
「ん…鍵開けたままでいいよ…。
行ってらっしゃい…。」
それだけ言うと、須藤は再び寝てしまった。その後も何度か起こしてみたが、一向に起きる気配がない。
一応鍵を開けたままで良いと言われたから…
大丈夫かな?
琴美はギリギリまで待ってみたが、どうしても須藤が起きなかったので、急いで手紙を書き、謝礼を置いて、出て行くことにした。
『須藤 律 様
昨晩は様々ご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした。ハグして、話を聞いて、送ってくれて、部屋にまで泊めていただき、本当に感謝しています。須藤さんのお陰で今日からまた頑張れそうです。
心ばかりですが、謝礼を置いておきます。クリーニング代やガソリン代としてお使い頂ければ幸いです。
成瀬 琴美』
本当は何かあればこちらにと電話番号も書こうかと思ったが、なんだか今後を期待しているような感じが出てしまいそうで止めた。
(須藤さんのような人柄も、顔も、おそらく収入も良いであろう人にとっては、私なんて偶々優しくしただけの女に過ぎない。優しかったからと言って自惚れちゃダメだ。失恋して心が弱ってるからって甘えるな、私!)
琴美はそう自分に言い聞かせて、そっと家を出た。
◆ ◇ ◆
あれから二ヶ月。三年も付き合った彼氏とあんなに酷い終わり方をしたにも関わらず、思いの外、琴美は元気だった。友人や家族に彼氏とは上手くやってるのか聞かれても別れたと躊躇なく伝えられたし、仕事に熱中しすぎて振られたと今はもう笑い話にしている。
俊哉との思い出の品は全て処分して、連絡先も消した。部屋が片付いて気持ち良かったくらいだ。そして、マメだった俊哉の連絡に返信しなくて良くなって、気持ちも少し楽にもなった。思ったよりも頑張ってお付き合いしてたんだな、とその時初めて琴美は気付いた。
琴美は、あの夜、須藤がハグをして、話を聞いてくれたからここまで早く回復できたのだと思っていた。本当はもう一度会って、しっかりと御礼と謝罪をしたかったが、家に訪問するのは流石に申し訳ない。
あれだけ格好良ければ彼女は確実にいるだろうし、万が一そうじゃなくても家に訪問されるのなんてストーカーみたいでドン引きされそうだと思った。そう考えると、琴美はどうしても会いに行くことが出来なかった。
それでも、ふと寂しくなった時に琴美が思い出すのは、須藤のことだった。あの夜、抱きしめてくれた温かさを思い出し、ポカンと空いた心を埋めた。時々、もっと強く抱きしめてくれたら…と考えて、慌ててその考えを頭から追い出すのであった。
◆ ◇ ◆
その日、琴美は帰宅し、ゆっくりお風呂に浸かっていた。貰い物で棚にずっと置いてあったバスソルトを入れて、入浴を楽しむ。
最近は仕事も落ち着き、早く帰れるようになってきた。また、優秀な同期が同じ部署に配属替えになり、随分と楽になった。今まで何かあると、すぐに琴美を頼ろうとしていた周りもその同期に頼るようになってきたので、本当に有難い。こうしてゆっくりお風呂に浸かることが出来るのも、その同期のおかげだ。
「ほんと茂野君に感謝だぁ~!」
琴美は浴槽でぐーっと身体を伸ばした。
心ゆくまで入浴を楽しみ、お風呂を出る。
その時、琴美のスマホが鳴った。もう零時を過ぎている。
「…こんな時間に誰よ?」
琴美はスマホを手に取り、画面を見て、眉を顰める。
「もうっ!またアイツ!!」
琴美はキレ気味に電話に出る。
「…なに?」
「姉ちゃん、こえーよ!まだ何も言ってないじゃん!」
電話の相手は琴美の一つ下の弟である海斗だった。
「言わなくても分かるわよ!また泊めてって言うんでしょ!」
「さっすが姉ちゃん!話が早いね。」
「はぁ…もう良いわよ。勝手にすれば?」
「ありがと!じゃあ、あと十分くらいで行くと思うから、友達と。じゃ!!」
「え?!海斗ー」
琴美がどう言うことか聞こうとした時にはもう電話は切れていた。琴美は、怒りで近くにあったクッションをベシッと叩いた。
…言い逃げされた。
(友達がいるなんて聞いてないわよ!海斗だけならともかく友達も連れて来るなんて!!こちとらお風呂上がりのスッピンな上に、パジャマ姿なのよ?!大体、うちは人を二人泊められるような広い家じゃないのに!)
琴美は急いで部屋を片付け、ソファとセンターテーブルを隅に寄せて、ベッドの横に布団を敷いた。ベッドと距離が近いがそこしか布団が敷けないのだから仕方ない。ベッドで寝るのは勿論、琴美だ。知らない人を側で寝かせるのには抵抗があるから、布団で寝るのは海斗にして、友達君には申し訳ないけど、ソファで休んでもらおうと琴美は考えた。
その時、インターホンが鳴る。
「あいつ、本当に十分で来た…。」
結局スッピンのままだが仕方ない。
琴美は大きく溜息を吐いて、扉を開けた。
「姉ちゃん、ありがとー!お邪魔します!
ほら、先輩、靴脱いで。」
琴美は海斗に先輩と呼ばれたその人の顔を見て固まった。
その人は、二ヶ月前に琴美を癒してくれた須藤本人だった。驚き過ぎて何も出来ない琴美をよそに海斗は、須藤の靴を脱がせ、部屋まで連れていく。
「あー…どこに寝かせたらいい?布団?ソファ?」
琴美は海斗に話しかけられ、ようやくハッとした。
「あ、えっと…。」
本当だったらソファにお願いするつもりだったが、この間、須藤のベッドを一晩占領してしまった琴美だ。とてもソファになんて寝かせられなかった。
「ベッドに…どうぞ。」
海斗は、はっ?と動きを止める。
「…いいの?ベッドで?」
琴美は、目を泳がせ頷く。
「う、うん。その人、身体大きそうだし…ね。
私ならソファでも十分だから!い、いいよ!」
海斗は首を捻っていたが、須藤をベッドに運んだ。
須藤はヘラヘラと笑いながら、ベッドに横になると琴美のお気に入りのクマの小さな抱き枕を抱きしめて、嬉しそうに寝た。
琴美は混乱していた。冷蔵庫からビールを取り出し、グビッと飲む。それに気付いた海斗が言う。
「お!姉ちゃん、俺にも一本。」
琴美はキッと海斗を睨みつけ、布団に座る海斗の目の前にいくと、ビールを押し付けた。
「サンキュ。」
海斗は嬉しそうにビールを流し込む。
琴美は厳しい目線のまま、海斗に問う。
「なんでこうなったのか説明して!」
普段の琴美なら理由なんて聞かないが、今日のはおかしい。大体須藤の家はここから近い。琴美のところにわざわざ来る必要はないはずだ。
海斗は特に悪びれずに言う。
「それがさぁー、律先輩…あ、この人ね。
律先輩が帰国したから久しぶりに飲もうって話になって。先輩の新しい家がこの辺りだから、近くでたらふく飲んで、泊めてもらう予定だったのよ。
なのに、先輩ったら失恋のショックで飲み過ぎちゃってさぁ。もう全然駄目。家の場所を聞いてもちゃんと答えてくんないし、もう困り果てて、姉ちゃんのところに来たってわけ。」
「…失恋。」
「うん。なんでも運命の人を逃した~とか言ってた。
ははっ!姉ちゃんと失恋仲間だな!」
海斗は、遠慮もせずにハハハと笑う。しかし、琴美は須藤が失恋をしたという言葉に何故かショックを受けていた。
(須藤さんみたいな素敵な人でも失恋したりするんだな。…須藤さんに好いてもらえるなんてどんなに可愛い人なんだろう。)
琴美はぼーっと考えた。
「姉ちゃん?」
様子のおかしな琴美に海斗が声をかける。
琴美は気を取り直し、海斗に尋ねた。
「須藤さんと海斗はどういう関係なの?」
海斗は首を傾げる。
「…なんで律先輩の名字知ってんの?」
琴美は慌てた。失恋して辛くて、フリーハグで慰めてもらったなんて言ったら、海斗は確実にバカにしてくる。そんな弱みを握らせるわけにはいかなかった。
「さ、さっきスーツの内側に刺繍してあるのが見えたののよ。そ、それだけ。」
「ふーん…?まぁ、いいや。
律先輩は大学の先輩。同じサークルでさ、すごい可愛がってもらったんだよねー!卒業してからもサークルに顔出してくれたり、一緒に登ってくれたりしてさ。
お陰でお互い卒業した今も時々こうやって会ってんだ。めっちゃ良い人なんだよー!」
海斗は、大学で登山サークルに入っていた。バイトをしてお金貯めて、登山グッズ買ったり、山に登りに行ったりしていた。今は仕事が忙しいのか頻繁には登っていないようだが、登山は生涯の趣味だと豪語し、そのための筋トレは欠かさなかった。
海斗が楽しそうに話す姿を見て、本当に須藤が良い人なんだな…と琴美は思った。
「でも、ほんと助かったよ。ありがとな、姉ちゃん。
ふわぁ~、俺も寝るわ。明日も仕事になっちゃったんだよなぁ。姉ちゃんは、明日休み?」
海斗は、当たり前のように棚から自分用のパジャマを取り出し、着替えていく。
「うん。休み。そっちは土曜なのに出勤なんだ?海斗にしては珍しいね。」
「まぁね。あ、ついでに先輩は明日休みだから、できたらゆっくり寝かせてあげて。変なことするような人じゃないから大丈夫。俺が保証する。」
(変なこと…海斗は須藤さんが変な格好をしてフリーハグしてたことを知らないのだろうか。)
「じゃ、おやすみ~。」
海斗はそう言って、布団に横になると、すぐに寝息を立て始めた。
「相変わらず、寝るの早いわね…。」
琴美は、須藤に視線を移した。
琴美は、ベッドの中で痛む頭を押さえた。
でも、ふわふわのベッドの上で大きく息を吸い込めば、どこか爽やかな感じのする匂いがする。少し二日酔いが和らぐ気さえした琴美は、フフッと笑った。
「やっぱり、この匂い好き…。」
(…ん?匂い?)
琴美は、パッと目を開く。
見覚えのないベッド…そして、初めて見る部屋。
部屋の中には数箱の段ボールと、ベッドだけだ。
「ここ…どこ?」
琴美はそっとベッドを降りて、部屋の扉を開ける。
リビングなのだろう。少し小さめのダイニングテーブルとソファ、センターテーブルとテレビ。それ以外は何もない。こちらも段ボールがいくつも積まれている。
そこでようやく琴美は確信した。
(ここは須藤さんの家だ!
車に乗せてもらった後、私泣いて…寝ちゃったんだ。最寄駅の場所しか伝えてなかったし、きっと須藤さん、困ったよね。家の場所が分からなくて、仕方なく私を自宅に連れて来てくれたんだろう。)
琴美はなんて迷惑をかけてしまったんだと二日酔いで痛む頭を抱える。肝心の須藤は何処かと部屋を見回してみると、ソファの端から長い足がはみ出しているのが見えた。
恐る恐る近付くと、須藤は寝ていた。
スゥスゥと規則正しく寝息を立てている。
(私は家主をソファに寝かせて、ベッドを占領してたのか!なんて、図々しい…きっと須藤さんも呆れたに違いない。)
琴美はシュンとしながらも、須藤の寝顔を見つめた。
(……本当に綺麗な顔。目を閉じると睫毛の長さがより際立つし、横顔だと鼻も高いのがよく分かるなー。海外から帰ってきたばっかって言ってたし、モデルさんか何かだったりして…。)
その時、琴美のスマホのアラームが鳴った。
急いで止める。
(やばい!今日会社だ!!)
スマホでこの場所を確認すると自宅からそんなに離れていないことがわかる。というか、琴美の家まで歩いていける距離だ。今から琴美の家まで歩いて、シャワー浴びて、着替えて、会社に向かう。いつも余裕を持って出勤しているのが功を奏した。これならしっかり始業時間に間に合いそうだ。
ただ問題は須藤だ。ぐっすり寝ているのを起こすのも申し訳ないが、鍵を開けたまま行くのも悪い。仕方なく須藤を起こすことにした。
「須藤さん、須藤さん。」
琴美は身体を揺らすが、須藤は一向に起きる気配がない。でも、起こさなきゃ…。
「須藤さん!須藤さん、すみません!
私、会社に行かなきゃいけなくて…。
本当にすみません。」
琴美が必死に身体を揺らして起こすと、須藤はうっすらと目を開けた。
「ん…鍵開けたままでいいよ…。
行ってらっしゃい…。」
それだけ言うと、須藤は再び寝てしまった。その後も何度か起こしてみたが、一向に起きる気配がない。
一応鍵を開けたままで良いと言われたから…
大丈夫かな?
琴美はギリギリまで待ってみたが、どうしても須藤が起きなかったので、急いで手紙を書き、謝礼を置いて、出て行くことにした。
『須藤 律 様
昨晩は様々ご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした。ハグして、話を聞いて、送ってくれて、部屋にまで泊めていただき、本当に感謝しています。須藤さんのお陰で今日からまた頑張れそうです。
心ばかりですが、謝礼を置いておきます。クリーニング代やガソリン代としてお使い頂ければ幸いです。
成瀬 琴美』
本当は何かあればこちらにと電話番号も書こうかと思ったが、なんだか今後を期待しているような感じが出てしまいそうで止めた。
(須藤さんのような人柄も、顔も、おそらく収入も良いであろう人にとっては、私なんて偶々優しくしただけの女に過ぎない。優しかったからと言って自惚れちゃダメだ。失恋して心が弱ってるからって甘えるな、私!)
琴美はそう自分に言い聞かせて、そっと家を出た。
◆ ◇ ◆
あれから二ヶ月。三年も付き合った彼氏とあんなに酷い終わり方をしたにも関わらず、思いの外、琴美は元気だった。友人や家族に彼氏とは上手くやってるのか聞かれても別れたと躊躇なく伝えられたし、仕事に熱中しすぎて振られたと今はもう笑い話にしている。
俊哉との思い出の品は全て処分して、連絡先も消した。部屋が片付いて気持ち良かったくらいだ。そして、マメだった俊哉の連絡に返信しなくて良くなって、気持ちも少し楽にもなった。思ったよりも頑張ってお付き合いしてたんだな、とその時初めて琴美は気付いた。
琴美は、あの夜、須藤がハグをして、話を聞いてくれたからここまで早く回復できたのだと思っていた。本当はもう一度会って、しっかりと御礼と謝罪をしたかったが、家に訪問するのは流石に申し訳ない。
あれだけ格好良ければ彼女は確実にいるだろうし、万が一そうじゃなくても家に訪問されるのなんてストーカーみたいでドン引きされそうだと思った。そう考えると、琴美はどうしても会いに行くことが出来なかった。
それでも、ふと寂しくなった時に琴美が思い出すのは、須藤のことだった。あの夜、抱きしめてくれた温かさを思い出し、ポカンと空いた心を埋めた。時々、もっと強く抱きしめてくれたら…と考えて、慌ててその考えを頭から追い出すのであった。
◆ ◇ ◆
その日、琴美は帰宅し、ゆっくりお風呂に浸かっていた。貰い物で棚にずっと置いてあったバスソルトを入れて、入浴を楽しむ。
最近は仕事も落ち着き、早く帰れるようになってきた。また、優秀な同期が同じ部署に配属替えになり、随分と楽になった。今まで何かあると、すぐに琴美を頼ろうとしていた周りもその同期に頼るようになってきたので、本当に有難い。こうしてゆっくりお風呂に浸かることが出来るのも、その同期のおかげだ。
「ほんと茂野君に感謝だぁ~!」
琴美は浴槽でぐーっと身体を伸ばした。
心ゆくまで入浴を楽しみ、お風呂を出る。
その時、琴美のスマホが鳴った。もう零時を過ぎている。
「…こんな時間に誰よ?」
琴美はスマホを手に取り、画面を見て、眉を顰める。
「もうっ!またアイツ!!」
琴美はキレ気味に電話に出る。
「…なに?」
「姉ちゃん、こえーよ!まだ何も言ってないじゃん!」
電話の相手は琴美の一つ下の弟である海斗だった。
「言わなくても分かるわよ!また泊めてって言うんでしょ!」
「さっすが姉ちゃん!話が早いね。」
「はぁ…もう良いわよ。勝手にすれば?」
「ありがと!じゃあ、あと十分くらいで行くと思うから、友達と。じゃ!!」
「え?!海斗ー」
琴美がどう言うことか聞こうとした時にはもう電話は切れていた。琴美は、怒りで近くにあったクッションをベシッと叩いた。
…言い逃げされた。
(友達がいるなんて聞いてないわよ!海斗だけならともかく友達も連れて来るなんて!!こちとらお風呂上がりのスッピンな上に、パジャマ姿なのよ?!大体、うちは人を二人泊められるような広い家じゃないのに!)
琴美は急いで部屋を片付け、ソファとセンターテーブルを隅に寄せて、ベッドの横に布団を敷いた。ベッドと距離が近いがそこしか布団が敷けないのだから仕方ない。ベッドで寝るのは勿論、琴美だ。知らない人を側で寝かせるのには抵抗があるから、布団で寝るのは海斗にして、友達君には申し訳ないけど、ソファで休んでもらおうと琴美は考えた。
その時、インターホンが鳴る。
「あいつ、本当に十分で来た…。」
結局スッピンのままだが仕方ない。
琴美は大きく溜息を吐いて、扉を開けた。
「姉ちゃん、ありがとー!お邪魔します!
ほら、先輩、靴脱いで。」
琴美は海斗に先輩と呼ばれたその人の顔を見て固まった。
その人は、二ヶ月前に琴美を癒してくれた須藤本人だった。驚き過ぎて何も出来ない琴美をよそに海斗は、須藤の靴を脱がせ、部屋まで連れていく。
「あー…どこに寝かせたらいい?布団?ソファ?」
琴美は海斗に話しかけられ、ようやくハッとした。
「あ、えっと…。」
本当だったらソファにお願いするつもりだったが、この間、須藤のベッドを一晩占領してしまった琴美だ。とてもソファになんて寝かせられなかった。
「ベッドに…どうぞ。」
海斗は、はっ?と動きを止める。
「…いいの?ベッドで?」
琴美は、目を泳がせ頷く。
「う、うん。その人、身体大きそうだし…ね。
私ならソファでも十分だから!い、いいよ!」
海斗は首を捻っていたが、須藤をベッドに運んだ。
須藤はヘラヘラと笑いながら、ベッドに横になると琴美のお気に入りのクマの小さな抱き枕を抱きしめて、嬉しそうに寝た。
琴美は混乱していた。冷蔵庫からビールを取り出し、グビッと飲む。それに気付いた海斗が言う。
「お!姉ちゃん、俺にも一本。」
琴美はキッと海斗を睨みつけ、布団に座る海斗の目の前にいくと、ビールを押し付けた。
「サンキュ。」
海斗は嬉しそうにビールを流し込む。
琴美は厳しい目線のまま、海斗に問う。
「なんでこうなったのか説明して!」
普段の琴美なら理由なんて聞かないが、今日のはおかしい。大体須藤の家はここから近い。琴美のところにわざわざ来る必要はないはずだ。
海斗は特に悪びれずに言う。
「それがさぁー、律先輩…あ、この人ね。
律先輩が帰国したから久しぶりに飲もうって話になって。先輩の新しい家がこの辺りだから、近くでたらふく飲んで、泊めてもらう予定だったのよ。
なのに、先輩ったら失恋のショックで飲み過ぎちゃってさぁ。もう全然駄目。家の場所を聞いてもちゃんと答えてくんないし、もう困り果てて、姉ちゃんのところに来たってわけ。」
「…失恋。」
「うん。なんでも運命の人を逃した~とか言ってた。
ははっ!姉ちゃんと失恋仲間だな!」
海斗は、遠慮もせずにハハハと笑う。しかし、琴美は須藤が失恋をしたという言葉に何故かショックを受けていた。
(須藤さんみたいな素敵な人でも失恋したりするんだな。…須藤さんに好いてもらえるなんてどんなに可愛い人なんだろう。)
琴美はぼーっと考えた。
「姉ちゃん?」
様子のおかしな琴美に海斗が声をかける。
琴美は気を取り直し、海斗に尋ねた。
「須藤さんと海斗はどういう関係なの?」
海斗は首を傾げる。
「…なんで律先輩の名字知ってんの?」
琴美は慌てた。失恋して辛くて、フリーハグで慰めてもらったなんて言ったら、海斗は確実にバカにしてくる。そんな弱みを握らせるわけにはいかなかった。
「さ、さっきスーツの内側に刺繍してあるのが見えたののよ。そ、それだけ。」
「ふーん…?まぁ、いいや。
律先輩は大学の先輩。同じサークルでさ、すごい可愛がってもらったんだよねー!卒業してからもサークルに顔出してくれたり、一緒に登ってくれたりしてさ。
お陰でお互い卒業した今も時々こうやって会ってんだ。めっちゃ良い人なんだよー!」
海斗は、大学で登山サークルに入っていた。バイトをしてお金貯めて、登山グッズ買ったり、山に登りに行ったりしていた。今は仕事が忙しいのか頻繁には登っていないようだが、登山は生涯の趣味だと豪語し、そのための筋トレは欠かさなかった。
海斗が楽しそうに話す姿を見て、本当に須藤が良い人なんだな…と琴美は思った。
「でも、ほんと助かったよ。ありがとな、姉ちゃん。
ふわぁ~、俺も寝るわ。明日も仕事になっちゃったんだよなぁ。姉ちゃんは、明日休み?」
海斗は、当たり前のように棚から自分用のパジャマを取り出し、着替えていく。
「うん。休み。そっちは土曜なのに出勤なんだ?海斗にしては珍しいね。」
「まぁね。あ、ついでに先輩は明日休みだから、できたらゆっくり寝かせてあげて。変なことするような人じゃないから大丈夫。俺が保証する。」
(変なこと…海斗は須藤さんが変な格好をしてフリーハグしてたことを知らないのだろうか。)
「じゃ、おやすみ~。」
海斗はそう言って、布団に横になると、すぐに寝息を立て始めた。
「相変わらず、寝るの早いわね…。」
琴美は、須藤に視線を移した。
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