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23.ただいま
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私たちは後宮内に入ると、三人で丸テーブルを囲んだ。
その隣で鼻歌でも歌い出しそうに、カミラがお茶を淹れてくれる。
一口飲めば、ホッと心がほぐれた。改めて、帰って来れたのだと実感して、じんわりと胸が熱くなる。
カミラはお茶を淹れて、上機嫌で退室した。別室で寝ているレティシアの面倒を乳母と一緒に見てくれるそうだ。
「改めて……おかえり、クレア」
アレス様が優しい声で、蕩けるような瞳で笑いかけてくれる。
「ただいま……アレス様、ルゥ君」
「おかえり! クレア!!」
ルゥ君は弾けるような笑顔を見せてくれる。
「またここでクレアと暮らせると思うと、心から嬉しく思うよ。
今日から、また、よろしくね」
そうは言ってくれるが……大丈夫なのだろうか?
アレス様もルゥ君も後宮に入ることを家から反対されていたはずだけど……
二人は俯く私の考えを察したようだったが、何故かクスクス笑い出した。
「クレア、そんなに心配しなくて大丈夫。陛下からも家からもクレアの側にいていいと許可を貰っているよ。僕にも団長にも、口を出してくる人はもういないんだ」
「そう……なの?」
「あぁ。まず私の方から説明しようか。
実は、私はまったく知らされていなかったんだが、私の父は数ヶ月前に事業に失敗していてね。負債を抱えてしまっていたんだ。
そこにチャイルウッド公爵令嬢との再婚話が持ち上がった。先方は私を婿入りさせれば、縁続きにもなるし、負債を肩代わりしてやってもいいと父に話したらしい」
「じゃあ、やっぱりアレス様が婿入りしないとご実家がーー」
「大丈夫。もう全部解決してきたから」
アレス様はニコッと笑った。
「え?」
「だから、もう負債なんてないんだ。私の騎士団長としての人脈と、ここを生かしてね」
そう言って、アレス様はこめかみを指先でトントンと指さした。
「団長ほど頭がキレる人もそうそういないからね~」
「ふふっ。ルゥシャに褒められるなんて嬉しいな。
それに父が抱えた負債というのも、私を婿として迎え入れたいチャイルウッド公爵の仕業だったんだ。
まぁ、それが解決した今、私が婿入りする必要はなくなった。それでも無理矢理婿入りさせようとするなら、今後一切実家には関わらないし、助けもしないと父に宣言してきた。父はもちろん負債のきっかけを作ったチャイルウッド公爵家をよく思ってないから、私の結婚は私の意思に任せると言ってくれた」
そこでルゥ君が口を開く。
「大体あの公爵家は負債を肩代わりできるような余力はないはずだろ?」
「さすがは同じ公爵家だな。そうだ、あそこはもう財政的な余裕がない。二年前から公爵が新しい事業に手を出し、失敗しているからな」
ルゥ君はその隣で、首を縦に振っている。
「それに、あそこの家はあのド派手な令嬢に金かけすぎなんだよね。見た目を着飾るより、性格を直した方がずっと早く再婚できると思うのに」
「無理だね。あの女性はそう育てられてしまったんだ。それが失敗だったと気付くには、あと二回くらい夫に逃げられてからじゃないと無理なんじゃないかな? まぁ、あんなのを妻にするなんて馬鹿な奴が他にいればの話だけど」
ニコニコと話すアレス様にどこか恐ろしさを感じる。……この人はただ優しいだけの人じゃないのかもしれない。
「……なかなか厳しいことを言いますね」
「そう? もう私の人生に関係ない人間だからね。どうなろうと知ったこっちゃないよ。だって、今の私には最愛の人がいるから」
机の下でアレス様の手が伸びて、私の太ももを撫でていく。
……もう。……なんだか、アレス様がエッチになった気がする。
「団長。まだ真剣な話してんだから、エロいことはあとで!」
「ははっ。悪かったな」
アレス様の手が戻っていく。
いや……ちょっと残念だなんて思ってない……けど。
ソワソワする私は置いてきぼりのまま、今度はルゥ君が話し出す。
「こっちの家も、もう文句言う奴も嫌がらせする奴もいないよ。
クレアに嫌がらせの手紙を出したあの犯罪者たちは、修道院に行ったから」
「えぇ?!」
何があったら、公爵家令嬢が修道院なんてところに行くことになるのか……ルゥ君は一体何をしたんだろう?
「クレアったら、驚きすぎ。
実は僕の姉だった人たちはね、我が家の聖域にまで手を出そうと画策してたんだ、それを父に教えてあげた」
「聖域?」
「そう……僕の幼い弟さ。将来の公爵だ」
「……っ!」
信じられない。ルゥ君だけじゃ飽き足らず、もっと幼い弟にまで手を出そうとするなんて……!
「本当にひどい話さ。それに信じてくれるかはわからなかったけど、今まで僕にしてきたことも全て父に話したんだ。そうしたら、散々双子の姉を甘やかしてきた父も相当怒ってね。姉たちに謹慎を言い渡した。
父は結婚の話も本人たちの意思を尊重して先延ばしにしていたが、すぐにでも嫁がせると決めた。しかし、謹慎期間中にまた一つ事件が起きた」
「事件?」
「売春業者が尋ねて来た」
「まさか……」
「そう、姉たちは法を犯して、少年たちを買っていたんだ。業者は約束のお金が期日にもらえなかったため、公爵邸まで様子を見に来たんだ。それを屋敷の衛兵に見つかって、真実が明るみになった。
そこからは早かったよ。父は二人を修道院へすぐに送った。今までわがまま放題で叶わないことなんてなかったのに、その末路が修道院とは。最後に父の足に縋って泣き叫ぶ姿は本当に滑稽だったね!!」
楽しそうに話すルゥ君だったが、ほんの少し瞳が暗い。
私は机の上にあるルゥ君の手に、自らの手を重ねた。
「……ルゥ君は、大丈夫?」
ルゥ君は私をその綺麗なエメラルドの瞳で捉える。
すると、少し宿していた仄暗さがスッと消えた。
「うん。スッキリしたよ。
それにさ、父が僕に謝ってくれたんだ。今まで気付いてやれなくてすまなかったって……。それに、これからは好きに生きろって、それを信じて応援するからって……。
今まであの人は僕に一ミリだって興味がないと思ってたけど、少しは愛されてたのかなって思えた」
「良かったね……」
重ねた手にルゥ君が指を絡ませてくる。私もそれに応えたくて、ギュッと手を繋ぎ合わせた。
「ありがとう。これも全部クレアのおかげだよ。
クレアのことが無かったら、こんな行動を起こす勇気も出なかった。ずっと腐りながら、沢山の女性を傷つける人生を送ってたと思う。クレアに出会えて、本当に感謝してる」
「私も。ルゥ君に出会えたことに、感謝してるわ」
そう二人で笑い合うと、反対側の手にアレス様の手が重なった。
「クレア。私も、でしょ?」
「ふふっ。もちろんです、アレス様」
アレス様も、ルゥ君も、とてもスッキリした良い顔をしていた。
◆ ◇ ◆
あと、気がかりなのはゼノアだけだった。私が後宮に戻ってから二日が経ったが、ゼノアは一回も顔を見せに来なかった。
アレス様や、ルゥ君にゼノアのことを尋ねても、自分たちからは話せないと言うばかりで、私は一人もやもやと過ごすばかりだった。私の身体のことや、レティシアのこともあるから、早く顔を出すように言ってくれてはいるみたいだが、どれだけ後宮の外を眺めても、ゼノアの影ひとつも見つけることが出来なかった。
……もしかしたら、どこかの令嬢と結婚が決まったのかもしれない。
なんて、嫌な想像が頭を巡る。
でも、私を諦めないと二人に宣言したゼノアが私の安否もわからないうちにそんな決断をするはずないと思う。でも、ゼノアはご両親のことをとても大事に思っているようだったから……
この二日間、一人になればそうやって「でも…」と、考えを巡らせて、涙した。
やっぱり私は好きでもない人に抱かれなくてはならないのだろうか……。アレス様とルゥ君が一緒にいてくれたとしても、やっぱり嫌だ。
イリルさんに迫られた時の映像がフッと脳裏によぎり、私は身体を抱えた。あんな想い……二度としたくない。
身体が冷たい。今すぐ、あの燃えるような熱で満たしてほしかった。
「私には、貴方がいなくちゃ駄目なのに……ゼノ……」
その時、私の呟きに応えるように、扉がノックされた。
「お嬢様。お客様でございます。
……ウォルシュタイン伯爵がお見えです」
その言葉に私の手にはじわっと嫌な汗が滲んだ。
久しぶりに見る伯爵は、やつれたように見えた。
前は威風堂々とした貫禄だったのだが、今は疲れているのか、覇気がなかった。
「伯爵……お久しぶりでございます」
「あぁ……私がこんなことを言うのはおかしいが、無事で何よりだ。ありがとう、生きていてくれて」
伯爵は私に頭を深く下げた。
そんな態度を取られると思っていなかった私は戸惑う。
唖然として何も応えられない私の返答を待たずに、伯爵は話し出した。
「……本当に、すまなかった。私は貴女を追い詰めた……。
愛する人と離れることがどれだけ辛いことか知っていたはずなのに……私は自分のことだけしか考えられていなかった……」
「そ、そんなことありません! ……伯爵は私の状況を正しく知ろうとし、一緒に悲しんでくれました。私、とても嬉しかったんです」
私が慌ててそう言うと、伯爵は優しい笑みを見せてくれた。それがゼノアの笑顔と重なって、胸がキュッと苦しくなる。
「貴女は、なんて真っ直ぐな女性なんだろうな……。そして、少し心配になるくらいのお人好しだ。
……貴女は私の顔など二度と見たくないだろうと思っていたのに、そんな言葉をかけてくれるなんて」
「二度と見たくないだなんて……そんなこと、思いません。ゼノアさんのお父様ですもの。こんな状況でなければ、仲良くできたのかもしれないと想像してしまうくらいーー
って、何を言ってるんでしょうね……失礼しました!」
私はぎこちない笑顔で、その場を流そうとした。
だが、私の言葉を馬鹿にすることもなく、伯爵は真剣な表情で私を見つめた。
「もう遅いかもしれないが……ゼノアが結婚するなら、貴女しかいない、今はそう思っているんだ」
「……え?」
「私には最愛の妻がいた。ゼノアの母親だ。
私たちが共に過ごしたのはそう長い時間ではなかったが、その時間が私の人生を彩り、今も私を支えてくれている。それほどまでに真に愛する人との時間というものはかけがえのないものだと思うんだ。
……もし貴女が受け入れてくれればの話だが、ゼノアと共に生きてやってはくれないか?」
「伯爵……。で、でも……私には呪いのこともありますし、ゼノアさん一人を選ぶことはーー」
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私も妻が愛しいばかりに血を繋ぐことばかりに執着してしまったのだが……今のゼノアの姿を見て、本当に大切なものはそんなことではないと気付いたんだ。私は息子を守りたい……笑っていてほしいんだ。そのためには、貴女が必要なんだ」
伯爵の瞳に嘘はなかった。どれほどゼノアを大切に思っているかが、ひしひしと伝わってくる。
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伯爵は悲しそうに笑った。
「え、何をですか?」
「ゼノアの現状をさ。きっと息子が二人に口止めしたんだろうな。プライドの高い奴だから……」
「どういう、ことですか?」
「実は、今……ゼノアはーー」
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今日から、また、よろしくね」
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まぁ、それが解決した今、私が婿入りする必要はなくなった。それでも無理矢理婿入りさせようとするなら、今後一切実家には関わらないし、助けもしないと父に宣言してきた。父はもちろん負債のきっかけを作ったチャイルウッド公爵家をよく思ってないから、私の結婚は私の意思に任せると言ってくれた」
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「そう? もう私の人生に関係ない人間だからね。どうなろうと知ったこっちゃないよ。だって、今の私には最愛の人がいるから」
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クレアに嫌がらせの手紙を出したあの犯罪者たちは、修道院に行ったから」
「えぇ?!」
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実は僕の姉だった人たちはね、我が家の聖域にまで手を出そうと画策してたんだ、それを父に教えてあげた」
「聖域?」
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「……っ!」
信じられない。ルゥ君だけじゃ飽き足らず、もっと幼い弟にまで手を出そうとするなんて……!
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「事件?」
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「まさか……」
「そう、姉たちは法を犯して、少年たちを買っていたんだ。業者は約束のお金が期日にもらえなかったため、公爵邸まで様子を見に来たんだ。それを屋敷の衛兵に見つかって、真実が明るみになった。
そこからは早かったよ。父は二人を修道院へすぐに送った。今までわがまま放題で叶わないことなんてなかったのに、その末路が修道院とは。最後に父の足に縋って泣き叫ぶ姿は本当に滑稽だったね!!」
楽しそうに話すルゥ君だったが、ほんの少し瞳が暗い。
私は机の上にあるルゥ君の手に、自らの手を重ねた。
「……ルゥ君は、大丈夫?」
ルゥ君は私をその綺麗なエメラルドの瞳で捉える。
すると、少し宿していた仄暗さがスッと消えた。
「うん。スッキリしたよ。
それにさ、父が僕に謝ってくれたんだ。今まで気付いてやれなくてすまなかったって……。それに、これからは好きに生きろって、それを信じて応援するからって……。
今まであの人は僕に一ミリだって興味がないと思ってたけど、少しは愛されてたのかなって思えた」
「良かったね……」
重ねた手にルゥ君が指を絡ませてくる。私もそれに応えたくて、ギュッと手を繋ぎ合わせた。
「ありがとう。これも全部クレアのおかげだよ。
クレアのことが無かったら、こんな行動を起こす勇気も出なかった。ずっと腐りながら、沢山の女性を傷つける人生を送ってたと思う。クレアに出会えて、本当に感謝してる」
「私も。ルゥ君に出会えたことに、感謝してるわ」
そう二人で笑い合うと、反対側の手にアレス様の手が重なった。
「クレア。私も、でしょ?」
「ふふっ。もちろんです、アレス様」
アレス様も、ルゥ君も、とてもスッキリした良い顔をしていた。
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あと、気がかりなのはゼノアだけだった。私が後宮に戻ってから二日が経ったが、ゼノアは一回も顔を見せに来なかった。
アレス様や、ルゥ君にゼノアのことを尋ねても、自分たちからは話せないと言うばかりで、私は一人もやもやと過ごすばかりだった。私の身体のことや、レティシアのこともあるから、早く顔を出すように言ってくれてはいるみたいだが、どれだけ後宮の外を眺めても、ゼノアの影ひとつも見つけることが出来なかった。
……もしかしたら、どこかの令嬢と結婚が決まったのかもしれない。
なんて、嫌な想像が頭を巡る。
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この二日間、一人になればそうやって「でも…」と、考えを巡らせて、涙した。
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身体が冷たい。今すぐ、あの燃えるような熱で満たしてほしかった。
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その時、私の呟きに応えるように、扉がノックされた。
「お嬢様。お客様でございます。
……ウォルシュタイン伯爵がお見えです」
その言葉に私の手にはじわっと嫌な汗が滲んだ。
久しぶりに見る伯爵は、やつれたように見えた。
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「あぁ……私がこんなことを言うのはおかしいが、無事で何よりだ。ありがとう、生きていてくれて」
伯爵は私に頭を深く下げた。
そんな態度を取られると思っていなかった私は戸惑う。
唖然として何も応えられない私の返答を待たずに、伯爵は話し出した。
「……本当に、すまなかった。私は貴女を追い詰めた……。
愛する人と離れることがどれだけ辛いことか知っていたはずなのに……私は自分のことだけしか考えられていなかった……」
「そ、そんなことありません! ……伯爵は私の状況を正しく知ろうとし、一緒に悲しんでくれました。私、とても嬉しかったんです」
私が慌ててそう言うと、伯爵は優しい笑みを見せてくれた。それがゼノアの笑顔と重なって、胸がキュッと苦しくなる。
「貴女は、なんて真っ直ぐな女性なんだろうな……。そして、少し心配になるくらいのお人好しだ。
……貴女は私の顔など二度と見たくないだろうと思っていたのに、そんな言葉をかけてくれるなんて」
「二度と見たくないだなんて……そんなこと、思いません。ゼノアさんのお父様ですもの。こんな状況でなければ、仲良くできたのかもしれないと想像してしまうくらいーー
って、何を言ってるんでしょうね……失礼しました!」
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だが、私の言葉を馬鹿にすることもなく、伯爵は真剣な表情で私を見つめた。
「もう遅いかもしれないが……ゼノアが結婚するなら、貴女しかいない、今はそう思っているんだ」
「……え?」
「私には最愛の妻がいた。ゼノアの母親だ。
私たちが共に過ごしたのはそう長い時間ではなかったが、その時間が私の人生を彩り、今も私を支えてくれている。それほどまでに真に愛する人との時間というものはかけがえのないものだと思うんだ。
……もし貴女が受け入れてくれればの話だが、ゼノアと共に生きてやってはくれないか?」
「伯爵……。で、でも……私には呪いのこともありますし、ゼノアさん一人を選ぶことはーー」
「わかっている。
私も妻が愛しいばかりに血を繋ぐことばかりに執着してしまったのだが……今のゼノアの姿を見て、本当に大切なものはそんなことではないと気付いたんだ。私は息子を守りたい……笑っていてほしいんだ。そのためには、貴女が必要なんだ」
伯爵の瞳に嘘はなかった。どれほどゼノアを大切に思っているかが、ひしひしと伝わってくる。
「……ありがとう、ございます。
ですが、ゼノアさんは私がこちらに戻ってきてからも、一度も顔を見せてくださらなくて……。正直、私に愛想を尽かしてしまったのだとーー」
「そうか、聞いてないのか」
伯爵は悲しそうに笑った。
「え、何をですか?」
「ゼノアの現状をさ。きっと息子が二人に口止めしたんだろうな。プライドの高い奴だから……」
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