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11.婚約者
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翌日、私はまた図書館に来ていた。
あの本の続きを確認するためだ。私はテーブルの上に置きっぱなしになっていたその本を手に取り、ソファに座った。今は昼過ぎ、屋敷内にはカミラと私の二人だけ。この本を読んでいるのを、三人に見られることはないだろう。
私は一息ついて、パラパラとページを捲った。
恋をしているかのチェックから始まって、しばらくはおすすめのデートとか、男性の思考とか、普通の恋愛指南書だったはずが、後半は完全に閨指南書となっていた。
三人の話から何となく予想はしていたものの、私は愕然とした。
「これじゃあ私がものすごい色事が好きみたいじゃない……」
パラパラと見ていくと、ある一つの挿絵が出てきた。
「まさか……アレス様が言ってたのってーー」
その絵では女の人が男の人の顔の上に跨りながら、身体を倒し、陰茎を舐め、男の人は蜜口を舐めているようだった。ま、まさに舐め合っている……
舐めたこともあるし、舐められたこともあるが、こんな眼前に蜜口を差し出すような恥ずかしい真似……絶対に出来ない。私は慌ててそのページを閉じた。
すると、次は『いつもと違う雰囲気で♡お仕事着プレイ!』と書かれたページが出てきた。『悪くないな』とゼノアの声が脳内で再生される。
確かに侍女服は今でもクローゼットに入っているけど……
想像をしてみるだけでも、仕事着で交わるなんてすごく悪いことをしてるような気分になる。
「これの何が良いのか、さっぱり分からないわ」
私はまたページをパラパラと捲る。
とにかくルゥ君の言っていた後ろの穴とは何かが知りたいのだ。
その時、図書館をノックする音が聞こえて、私は慌てて本をソファの下に差し込んだ。
「お嬢様、失礼致します」
カミラが入ってきて、不思議そうな顔をしている。
「お嬢様? 本を読んでいたのでは……」
「あはは……それが少し疲れて、ソファで横になってたの。
カミラはどうしたの?」
「はい。実はお客様がお見えでして……」
この後宮にお客様? ここに私がいるのはごく限られた一部の人しか知らないはずなのに……
「どなた?」
「それが……ルーナ・チャイルウッド様と名乗っております。
お嬢様のお友達でいらっしゃいますか?」
チャイルウッド家と言えば、この国で四つある公爵家の一つだ。もちろん社交界に出ていない私が公爵令嬢なんかと友達であるはずもない。できれば目立ちたくないし、面倒事は避けたいが、もう来てしまったのなら、会わないわけには行かなかった。
「いえ、お友達ではないけど……公爵家の姫君であれば追い返すわけにもいかないものね。すぐに向かうから応接室に通して」
「畏まりました」
私は急いで準備をして、応接室に向かった。
◆ ◇ ◆
「チャイルウッド公爵令嬢、大変お待たせ致しました。
初めまして。クレア・フローレンスと申します」
金髪縦ロールが見事なお人形のような令嬢の前で私は礼をした。
しかし、令嬢はツンっと横を向き、チラと一瞬こちらに視線を寄越しただけだった。
「どうも、はじめまして。
さすがに後宮の主だけあって、随分と色気付きましたのね。
私が聞いていた容姿と随分と違うわ。もっと地味だと」
全く友好的じゃない。私に敵意剥き出しだ。
後宮の主だから色気付いたなんて、失礼にも程がある。
別に色気付いたわけではなく、伊達眼鏡を止め、髪を解いて過ごしているだけだ。ただ仕事モードになる必要がないだけだ。
令嬢に会話を楽しみたいという意図を感じられなかった私は、平静を装って、令嬢に問いかけた。
「……ご用件は何でございますか?」
「全く雑談もできないなんて、本当に王妃様の侍女をされていたのかしら? まぁ、いいわ。私も貴女のような方と楽しくお茶をしたいわけではないですから。
今日は一つお願いがあってまいりましたの」
さっきからこちらの顔をまともに見ないくせにお願いとは、なんと図々しい方なのだろう。しかしながら、面倒を起こしたくない私はイライラをぐっと抑え込んだ。
「お願いとは?」
「単刀直入に言います。アレスを私に返して」
「返す……?」
……彼女は何を言ってるのか?
返す、返さないなど……アレス様を物のようにーー
呆然とする私に、彼女は意気揚々と語り始めた。
「彼は私の婚約者なの。少し遠回りをしてしまったけれど、ゆくゆくは我がチャイルウッドの当主になる予定ですわ。こんなところで男娼の真似なんてさせないで。彼の品位が落ちますわ」
「男娼って……」
酷い。その言葉自体がアレス様を貶める言い方だと気付いていないのだろうか?
「貴女の呪いに彼を巻き込まないで。彼は私の物だと昔から決まっているの。さっさとアレスを解放してちょうだい」
『私の物』……?
その言葉で……私の中の何かが切れた。
きっとこの令嬢は、アレス様が以前話していた婚約解消したという令嬢なのだろう。アレス様からは既に別の相手と結婚した筈だ、と聞いていたが、その手に指輪は無かった。何が原因か分からないが、離縁したのかもしれない。
……そして、今、再婚相手としてアレス様を欲してここに来たのだろう。まるで一度捨てた物を、使えると分かったから回収するみたいに。
私は静かに息を吸い込むと、令嬢をしかと見て、口を開いた。
「アレス様がここを出ていくと言えば、私は止めません。
ですが、アレス様からは婚約者などいないと聞いております。
本当にチャイルウッド公爵令嬢は、アレス様の婚約者なのですか?」
令嬢は少し怯んだように見えたが、机を叩き、立ち上がった。
私を睨みつけた。
「たかが侍女のくせに、生意気なこと、言わないでっ!
以前仕方なく婚約解消したけれど、また婚約することにしたの!
彼が騎士団長となって、私に相応しくなったから、迎えに来てやったんじゃないっ!!」
睨まれたって怖くも何ともない。王妃様の侍女として、王妃様を守る為にあらゆる人たちと渡り合って来たのだ。
……だけどーー
アレス様の良さをわかってくれないことが悔しい……
アレス様をこんな風に扱われることが、悔しくて堪らない。
私は机の下で硬く拳を握りしめた。
「……私は、アレス様のように優しい人を知りません」
「は? 何を言ってーー」
私は早口で捲し立てた。
「アレス様は、常に周りを気遣い、困っている人には迷わず手を差し伸べます。優しすぎて損をしてしまうこともありますが、そんなアレス様だからこそ、彼の周りにはいつも人が溢れています。
騎士団長として皆を纏めるのは大変なことのはずなのに、忙しい合間を縫ってずっと剣の腕を磨いています。どんなに夜が遅くても、朝早く起きて剣を振っています。アレス様ほどの努力家は騎士団の中にはいないと思います!」
「だから、何をーー」
「アレス様にだって苦手なものはあります。でも、騎士みんなの見本にならなければといつも気を張り詰めて、頑張っているのです。私はそんなアレス様をーー」
一瞬……ある単語が頭に浮かび、私は言い淀んだ。
「……尊敬、しています。」
令嬢は、額に青筋を立てて、こちらを睨みつけている。
「貴女は本当にアレス様に相応しい方ですか?」
「何ですって……?」
ギリッと令嬢が歯噛みをする。
私は負けじと令嬢を睨みつけた。視界が滲むがそんなことは関係ない。こんな女性にアレス様は任せられないもの。
「アレス様は優しくて、強くて、かっこよくて、努力家で……
貴女には勿体ないような人です!!
本当に婚約したいと言うのなら……そんな風にアレス様を貶めるような言い方をなさらないでください! アレス様を大事にしてください! ありのままのアレス様を受け入れてください……」
令嬢は、怒りが抑えられないのか、テーブルの上のカップを叩き飛ばした。部屋の隅に当たり、カップが割れる。
令嬢は身を乗り出して、グッと私に迫った。
「煩いっ! 私は貴女よりずっと前から彼の側にいたの!
アレスは私が好きで、私に認められる為にずっと努力してきたの! 彼が努力家なことくらい、知ってるわ!」
「なら!! アレス様をちゃんと見てください。アレス様の肩書ではなく、アレス様自身を……っ!」
「さっきから言わせておけば…生意気なのよ!
貴方はアレスの何だって言うのよ!
貴方こそアレスを利用してるんじゃない!
私を侮辱するのもいい加減にして!!」
分かっている。公爵家の人間にこんな口をきいたら、叩かれても仕方ない。処刑されるかもしれない。でも、黙ってなんていられなかった。
チャイルウッド公爵令嬢が手を高く振り上げるのを見て、私はグッと唇を噛み締めて衝撃に備えた。
バシッ!!
頬を叩かれる。が、耐えられないほどの痛みじゃない。あのままアレス様を侮辱されたままのほうがよっぽど胸が痛かった。
その時、バタンっと扉が開いた。
そこには息を切らしたアレス様が立っていた。
「ア、アレス……。なんで、ここに……」
取り乱す令嬢を無視してアレス様は私に走り寄ると、叩かれた頬を覗き込んだ。悲しそうなその顔には珠のような汗が滲んでいる。どうやって知ったのかわからないが、駆けつけてくれたんだろう。
「クレア、赤くなってる。腫れたら大変だ。
すぐに冷やさないと。ほら、行こう」
アレス様は今にも私の手を引いて部屋を出ていきそうな勢いだ。
さすがに令嬢をここに取り残すわけにはいかないと思った私は、アレス様を引き止めた。
「アレス様、落ち着いてください。頬はなんともありません。少しジンジンするだけで、本当に大丈夫です。それより、令嬢とお話をーー」
アレス様は眉間に深い皺を刻み、令嬢を睨みつけた。
「話すことなど何もない。帰ってくれ」
鋭い視線に、低い声……いつもは穏やかなだけに一段と凄みがある。私でさえ恐ろしいと思うのに、それを直接向けられた令嬢はどれだけ怖かっただろうか。
令嬢は顔を青くしながら、震える声でアレス様を呼んだ。
「ア、アレス? 私よ? そんな態度今まで取ったことーー」
「あぁ、昔は私も愚かだった。貴女に恋をしていると勘違いしていたんだ。でも、今は違う。本当の恋を知ったんだ。私には心から愛する人がいて、その人のおかげで自らの誇りを取り戻した。もう二度と自分を卑下するつもりはない。
そして……貴女の所に戻ることも二度とない」
「そんな……よく話しましょう?
もうお義父様とも話を進めているのよ?」
「父と……?」
アレス様の気を引けたことに喜んだ令嬢は、パッと顔を明るくさせて言う。
「えぇ! 本当よ?
お義父様はお喜びだったわ! すぐにでも結婚してくれとーー」
「……はぁ。とりあえず今日のところは帰ってくれ。
事実関係を確認して、あらためて連絡する」
連絡が貰えると言質が取れたせいか、令嬢の声は自信あふれる声に戻っていた。
「わかったわ」
「ただ一つ警告しておく」
部屋の温度が下がった気がした。
「今後、クレアと接触したり、クレアに危害を及ぼすようなら私はお前を許さない。家から勘当されようが、犯罪者となろうが、必ずその首を斬る。いいな?」
私と令嬢は、その言葉に凍りついた。冗談とは思えぬほど、険しい表情で、威圧感のある声で、アレス様はそう言い放った。
令嬢は、蚊の鳴くような声で「……えぇ」と短く答えた。
「ならいい。ここから出て行け」
令嬢は逃げるように、部屋を出て行った。
あの本の続きを確認するためだ。私はテーブルの上に置きっぱなしになっていたその本を手に取り、ソファに座った。今は昼過ぎ、屋敷内にはカミラと私の二人だけ。この本を読んでいるのを、三人に見られることはないだろう。
私は一息ついて、パラパラとページを捲った。
恋をしているかのチェックから始まって、しばらくはおすすめのデートとか、男性の思考とか、普通の恋愛指南書だったはずが、後半は完全に閨指南書となっていた。
三人の話から何となく予想はしていたものの、私は愕然とした。
「これじゃあ私がものすごい色事が好きみたいじゃない……」
パラパラと見ていくと、ある一つの挿絵が出てきた。
「まさか……アレス様が言ってたのってーー」
その絵では女の人が男の人の顔の上に跨りながら、身体を倒し、陰茎を舐め、男の人は蜜口を舐めているようだった。ま、まさに舐め合っている……
舐めたこともあるし、舐められたこともあるが、こんな眼前に蜜口を差し出すような恥ずかしい真似……絶対に出来ない。私は慌ててそのページを閉じた。
すると、次は『いつもと違う雰囲気で♡お仕事着プレイ!』と書かれたページが出てきた。『悪くないな』とゼノアの声が脳内で再生される。
確かに侍女服は今でもクローゼットに入っているけど……
想像をしてみるだけでも、仕事着で交わるなんてすごく悪いことをしてるような気分になる。
「これの何が良いのか、さっぱり分からないわ」
私はまたページをパラパラと捲る。
とにかくルゥ君の言っていた後ろの穴とは何かが知りたいのだ。
その時、図書館をノックする音が聞こえて、私は慌てて本をソファの下に差し込んだ。
「お嬢様、失礼致します」
カミラが入ってきて、不思議そうな顔をしている。
「お嬢様? 本を読んでいたのでは……」
「あはは……それが少し疲れて、ソファで横になってたの。
カミラはどうしたの?」
「はい。実はお客様がお見えでして……」
この後宮にお客様? ここに私がいるのはごく限られた一部の人しか知らないはずなのに……
「どなた?」
「それが……ルーナ・チャイルウッド様と名乗っております。
お嬢様のお友達でいらっしゃいますか?」
チャイルウッド家と言えば、この国で四つある公爵家の一つだ。もちろん社交界に出ていない私が公爵令嬢なんかと友達であるはずもない。できれば目立ちたくないし、面倒事は避けたいが、もう来てしまったのなら、会わないわけには行かなかった。
「いえ、お友達ではないけど……公爵家の姫君であれば追い返すわけにもいかないものね。すぐに向かうから応接室に通して」
「畏まりました」
私は急いで準備をして、応接室に向かった。
◆ ◇ ◆
「チャイルウッド公爵令嬢、大変お待たせ致しました。
初めまして。クレア・フローレンスと申します」
金髪縦ロールが見事なお人形のような令嬢の前で私は礼をした。
しかし、令嬢はツンっと横を向き、チラと一瞬こちらに視線を寄越しただけだった。
「どうも、はじめまして。
さすがに後宮の主だけあって、随分と色気付きましたのね。
私が聞いていた容姿と随分と違うわ。もっと地味だと」
全く友好的じゃない。私に敵意剥き出しだ。
後宮の主だから色気付いたなんて、失礼にも程がある。
別に色気付いたわけではなく、伊達眼鏡を止め、髪を解いて過ごしているだけだ。ただ仕事モードになる必要がないだけだ。
令嬢に会話を楽しみたいという意図を感じられなかった私は、平静を装って、令嬢に問いかけた。
「……ご用件は何でございますか?」
「全く雑談もできないなんて、本当に王妃様の侍女をされていたのかしら? まぁ、いいわ。私も貴女のような方と楽しくお茶をしたいわけではないですから。
今日は一つお願いがあってまいりましたの」
さっきからこちらの顔をまともに見ないくせにお願いとは、なんと図々しい方なのだろう。しかしながら、面倒を起こしたくない私はイライラをぐっと抑え込んだ。
「お願いとは?」
「単刀直入に言います。アレスを私に返して」
「返す……?」
……彼女は何を言ってるのか?
返す、返さないなど……アレス様を物のようにーー
呆然とする私に、彼女は意気揚々と語り始めた。
「彼は私の婚約者なの。少し遠回りをしてしまったけれど、ゆくゆくは我がチャイルウッドの当主になる予定ですわ。こんなところで男娼の真似なんてさせないで。彼の品位が落ちますわ」
「男娼って……」
酷い。その言葉自体がアレス様を貶める言い方だと気付いていないのだろうか?
「貴女の呪いに彼を巻き込まないで。彼は私の物だと昔から決まっているの。さっさとアレスを解放してちょうだい」
『私の物』……?
その言葉で……私の中の何かが切れた。
きっとこの令嬢は、アレス様が以前話していた婚約解消したという令嬢なのだろう。アレス様からは既に別の相手と結婚した筈だ、と聞いていたが、その手に指輪は無かった。何が原因か分からないが、離縁したのかもしれない。
……そして、今、再婚相手としてアレス様を欲してここに来たのだろう。まるで一度捨てた物を、使えると分かったから回収するみたいに。
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「アレス様がここを出ていくと言えば、私は止めません。
ですが、アレス様からは婚約者などいないと聞いております。
本当にチャイルウッド公爵令嬢は、アレス様の婚約者なのですか?」
令嬢は少し怯んだように見えたが、机を叩き、立ち上がった。
私を睨みつけた。
「たかが侍女のくせに、生意気なこと、言わないでっ!
以前仕方なく婚約解消したけれど、また婚約することにしたの!
彼が騎士団長となって、私に相応しくなったから、迎えに来てやったんじゃないっ!!」
睨まれたって怖くも何ともない。王妃様の侍女として、王妃様を守る為にあらゆる人たちと渡り合って来たのだ。
……だけどーー
アレス様の良さをわかってくれないことが悔しい……
アレス様をこんな風に扱われることが、悔しくて堪らない。
私は机の下で硬く拳を握りしめた。
「……私は、アレス様のように優しい人を知りません」
「は? 何を言ってーー」
私は早口で捲し立てた。
「アレス様は、常に周りを気遣い、困っている人には迷わず手を差し伸べます。優しすぎて損をしてしまうこともありますが、そんなアレス様だからこそ、彼の周りにはいつも人が溢れています。
騎士団長として皆を纏めるのは大変なことのはずなのに、忙しい合間を縫ってずっと剣の腕を磨いています。どんなに夜が遅くても、朝早く起きて剣を振っています。アレス様ほどの努力家は騎士団の中にはいないと思います!」
「だから、何をーー」
「アレス様にだって苦手なものはあります。でも、騎士みんなの見本にならなければといつも気を張り詰めて、頑張っているのです。私はそんなアレス様をーー」
一瞬……ある単語が頭に浮かび、私は言い淀んだ。
「……尊敬、しています。」
令嬢は、額に青筋を立てて、こちらを睨みつけている。
「貴女は本当にアレス様に相応しい方ですか?」
「何ですって……?」
ギリッと令嬢が歯噛みをする。
私は負けじと令嬢を睨みつけた。視界が滲むがそんなことは関係ない。こんな女性にアレス様は任せられないもの。
「アレス様は優しくて、強くて、かっこよくて、努力家で……
貴女には勿体ないような人です!!
本当に婚約したいと言うのなら……そんな風にアレス様を貶めるような言い方をなさらないでください! アレス様を大事にしてください! ありのままのアレス様を受け入れてください……」
令嬢は、怒りが抑えられないのか、テーブルの上のカップを叩き飛ばした。部屋の隅に当たり、カップが割れる。
令嬢は身を乗り出して、グッと私に迫った。
「煩いっ! 私は貴女よりずっと前から彼の側にいたの!
アレスは私が好きで、私に認められる為にずっと努力してきたの! 彼が努力家なことくらい、知ってるわ!」
「なら!! アレス様をちゃんと見てください。アレス様の肩書ではなく、アレス様自身を……っ!」
「さっきから言わせておけば…生意気なのよ!
貴方はアレスの何だって言うのよ!
貴方こそアレスを利用してるんじゃない!
私を侮辱するのもいい加減にして!!」
分かっている。公爵家の人間にこんな口をきいたら、叩かれても仕方ない。処刑されるかもしれない。でも、黙ってなんていられなかった。
チャイルウッド公爵令嬢が手を高く振り上げるのを見て、私はグッと唇を噛み締めて衝撃に備えた。
バシッ!!
頬を叩かれる。が、耐えられないほどの痛みじゃない。あのままアレス様を侮辱されたままのほうがよっぽど胸が痛かった。
その時、バタンっと扉が開いた。
そこには息を切らしたアレス様が立っていた。
「ア、アレス……。なんで、ここに……」
取り乱す令嬢を無視してアレス様は私に走り寄ると、叩かれた頬を覗き込んだ。悲しそうなその顔には珠のような汗が滲んでいる。どうやって知ったのかわからないが、駆けつけてくれたんだろう。
「クレア、赤くなってる。腫れたら大変だ。
すぐに冷やさないと。ほら、行こう」
アレス様は今にも私の手を引いて部屋を出ていきそうな勢いだ。
さすがに令嬢をここに取り残すわけにはいかないと思った私は、アレス様を引き止めた。
「アレス様、落ち着いてください。頬はなんともありません。少しジンジンするだけで、本当に大丈夫です。それより、令嬢とお話をーー」
アレス様は眉間に深い皺を刻み、令嬢を睨みつけた。
「話すことなど何もない。帰ってくれ」
鋭い視線に、低い声……いつもは穏やかなだけに一段と凄みがある。私でさえ恐ろしいと思うのに、それを直接向けられた令嬢はどれだけ怖かっただろうか。
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「ア、アレス? 私よ? そんな態度今まで取ったことーー」
「あぁ、昔は私も愚かだった。貴女に恋をしていると勘違いしていたんだ。でも、今は違う。本当の恋を知ったんだ。私には心から愛する人がいて、その人のおかげで自らの誇りを取り戻した。もう二度と自分を卑下するつもりはない。
そして……貴女の所に戻ることも二度とない」
「そんな……よく話しましょう?
もうお義父様とも話を進めているのよ?」
「父と……?」
アレス様の気を引けたことに喜んだ令嬢は、パッと顔を明るくさせて言う。
「えぇ! 本当よ?
お義父様はお喜びだったわ! すぐにでも結婚してくれとーー」
「……はぁ。とりあえず今日のところは帰ってくれ。
事実関係を確認して、あらためて連絡する」
連絡が貰えると言質が取れたせいか、令嬢の声は自信あふれる声に戻っていた。
「わかったわ」
「ただ一つ警告しておく」
部屋の温度が下がった気がした。
「今後、クレアと接触したり、クレアに危害を及ぼすようなら私はお前を許さない。家から勘当されようが、犯罪者となろうが、必ずその首を斬る。いいな?」
私と令嬢は、その言葉に凍りついた。冗談とは思えぬほど、険しい表情で、威圧感のある声で、アレス様はそう言い放った。
令嬢は、蚊の鳴くような声で「……えぇ」と短く答えた。
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