アモル・エクス・マキナ

種田遠雷

文字の大きさ
上 下
25 / 32

春巻(1)

しおりを挟む
 短い仮眠を取って、服を着て。
 食欲のない朝食代わりにソイラテを作りながら、カフェインの摂りすぎだなと、だらしなく調理台にもたれかかりながら項を掻いた。
「おはようございます、万理」
 扉が開いて、爽やかなツラしたイグニスが入ってくるのに顔を上げた。
「おう、おはようイグニス」
 いつもと変わらない挨拶をするものがいると、不思議と、ちゃんと一日が始まるような気になるが。
 充分な灯りがあっても、なんとなく室内が薄暗く感じる。
 カップのソイラテをすすりながら、首を巡らせてリビングダイニングの窓に目をやるが、ここからは少し見えにくい。
「HG、……イグニス、カメラの映像くれ」
 食器棚を開いて端から食器を磨こうとしていたイグニスが、雨など知らぬような笑顔で振り返った。
「はい。どのカメラですか?」
「外部カメラ、ンー、南」
「はい。南側外部カメラの映像を出します」
 水色の点滅を待たず先駆けるよう、目線の高さに外の映像を映し出す平面ホログラフィが現れた。
 ありがとう、と告げて、食器磨きに戻るイグニスをチラとだけ見送り。
 カップ片手のままで空いてる方の手を伸ばし、視界からあふれさせるように画面を大きくする。
 雨音は遠く、雑草だらけの限界ニュータウンに煙るような、細い雨を眺めた。
「イグニス」
「はい、万理」
 仕事の続きに頭を巡らせ。
「やりながらでいいから、ニュース読んでくれ」
「はい。ニュースを検索します。ファクトチェックしますか?」
「頼む。信頼度65%、株と産業ニュース、国際情勢、……あと天気予報」
「わかりました。信頼度65%以上のニュースを読み上げます。株と為替の値動きは――」
 数字の話を聞いていると落ち着く。
 大してやりもしない市場の変動に耳を傾けながら、経済を動かしているトピックを雑に想像して。
 先日も聞いた気がする、農作物の地域ブランド化のニュースに顔を上げ、ずいぶんこなれた手つきでグラスを磨くイグニスを振り返った。
「そのニュース、頻度増えてんな。盛り上がってんのか」
「はい。遺伝子解析技術を応用した、土壌分析が話題のようです。土地ごとに違う土壌の詳細な分析により、育てやすい作物や育て方の新たな開発が進んでいるのはもちろん、どの土地で栽培された、どの農作物が、健康や美容に役立つかなどの情報が人気になっています」
「ああ」
 なるほど、と少し口許を拭って相槌を打った。
「バイオの勢いが最近ますますだなあ。花形ジャンルなんて呼ばれんのも今の内か」
 そうですね、と柔らかい声が返る。
「農学もそうですし、生物学は人間の暮らしに欠かせない学問ですから、ここ数年の発展に対する市場の期待は高いようです。ですが、現在はもちろん、これから先の世界、時代においても、人工知能、自動運転の技術のどちらもテクノロジーの主要であり続けることは変わりないと予測されます」
 しまいまで聞いてから、フと思わず片頬に笑みが浮いてしまう。そうだな、と簡単に頷きを挟んで、ニュースの続きに耳を傾け。
 世界中で頻発する、勢力図を書き換えようとする動きと、それを阻止せんとする威圧の現状をザックリ耳に入れ。しばらくは降ったり止んだりが続くという中期予報に溜息などついて。
 ニュースに気が済めば、アナログ方向にマニアックさを深めている、イグニスの家事能力について報告を受ける。
「うん、了解。が、そのままいくと百年前の洗濯とか掃除とか言い出しそうだな」
 水色の点滅が少し長い。
「100年前の状況では、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどが発売されたばかりで、まだ普及していません。家事については、洗濯板で衣類を洗っていたようです」
「生地が傷みそうだな」
「また、炊事にはかまど、入浴にも薪の火が利用されていたとする記録があります」
「火事になるからやめてね……」
「床の掃除はほうきでホコリを払ったり、雑巾での水拭き、高所にはハタキ、デッキブラシをはじめとした各種のブラシなど、」
「待て待て待て、多いな道具が」
「はい。他にも雑巾を絞るためのバケツなどが必要になります」
「……まあ、逆にちょっと面白そうじゃあるが。とりあえず需要のないとこまでやらなくていいから、一般家庭で必要なラインを調査しとけよ」
「はい、わかりました」
 とはいえ、とついつい想像を巡らせる。
 どの家庭も掃除ロボットくらいはありそうだし、洗濯も洗濯機がやるだろう。百年前ではないが、全自動調理器がようやく売り出したことを考えると、料理をはじめ、台所周りの進歩は遅いように思える。
 全自動調理器、清掃システム、洗濯システムと、家の中にある家事機械を思い浮かべる内に、はたと、チラついていたのに忘れていたことを思い出した。
「イグニス」
「はい、万理」
「お前の部屋も、もうちょっとなんとかするか」
「僕の部屋ですか?」
 言葉の意味がわからない、といった風な問いに、ああと思い当たる。
「お前がスリープ用に椅子置いてる空き部屋。あそこをお前の部屋に決めて、もうちょっと部屋らしくするかと思って」
 わかりました、と声は返るのに水色が点滅して、解ったのは前半だけなのだろうと予想を立てる。
「ありがとうございます。ですが、特に必要なものに思い当たりません。何を飾ったら部屋らしいと感じるでしょうか」
 少し小首を傾げるのが、ここ数日の鋭さとは違って見え、思わず頬を緩めた。
「ああまあ、人工知能が考えた“これが人工知能の部屋だ!”って、テーマとしては面白いかもだが、まずクローゼットだろうな。何着か着替えてんのに、服どうしてんだお前」
「購入時の包装を利用しています」
「まずクローゼットな」
 額を押さえて笑いながら、計画しますとの答えに頷いた。
「けど確かに、ベッドはいらねえし、机も椅子も使わねえか。寝室、個室、居室、書斎あたりのキーワードで検索して、なにがあったら便利そうかとか計画してみろよ」
「わかりました。ありがとうございます」
 嬉しい、と、書いてあるような顔だ。
 よろしくと告げ、少し楽しみにしているとは言わず。
 そろそろまとめて上司に提出しなければならない、バトラープロジェクトを詰めようと、怠い腰を上げて制御室へと足を向けた。

 思いつくままに挙げる事項や課題を次々に整理し、片付け、積み上げていくHGB023に指示し、時折説明させて手を入れる一日を過ごした。
 人工知能と仕事をするのが当たり前だし、好きだが、難点を挙げるとすれば2つある。
 ひとつは、有能な部下に間抜けな質問をして仕事の邪魔をする上司になった気が、時々すること。
 もうひとつは、楽しみに待つ時間が短いことだな、と気づいた。
「万理、今お時間よろしいでしょうか」
「うん。どうした?」
 翌日の夜もまだ食欲がなく、適当に野菜やらをブチ込んで全自動調理器にスムージーもどきをつくらせた。
 落ち着いて座る気すらも湧かず、だらしなく調理台にもたれて飲みながら、意気揚々とキッチンに入ってきたイグニスを振り返る。
「クローゼットのアイディアを考えました」
「へえ」
 ご覧ください、と手をかざした先にホログラフィの図面が起ち上がるのが、まだ真面目に会社勤務していた頃に見た光景すぎて、吹き出しそうになるのをこらえた。
「着ようと思う衣類を探すたびに画像認識を使用する時間とコストを省きます」
「お、おお……」
 荒いCGで描かれた立体図面が回転し、必要に応じて透過して、仕掛けギミックを表示する。
「ああ、なるほど最初から磁気プリントでタグ付けしちまうわけだな」
 イグニスの説明を待たず、動く図面には解説が順に表示されては消える。おそらく、人工知能にその区別はない。
「はい。磁気プリンターはそれほどコストも時間も掛けずに作成できる予定です」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

アドレナリンと感覚麻酔

元森
BL
突然両親が死んでしまい悲しみに暮れる聖月(みつき)。そんな中、兄の清十郎(せいじゅうろう)が聖月が心配なので親戚に預かってもらえといわれるのだが…。その相手は小向(こむかい)という児童養護施設のオーナーだというが…。精神が麻痺してくる話なので苦手な方はご遠慮ください。 社長×男娼 男娼×男娼 ※脅迫、鞭、複数プレイ、SM、無理矢理、鬼畜要素が多数含まれます。受けが可哀そうな目にあってハッピーエンドになるお話です。ほぼ総受け傾向。題名に『*』がある話はSM要素があります。 *サイトにも掲載しています。

キミの次に愛してる

Motoki
BL
社会人×高校生。 たった1人の家族である姉の由美を亡くした浩次は、姉の結婚相手、裕文と同居を続けている。 裕文の世話になり続ける事に遠慮する浩次は、大学受験を諦めて就職しようとするが……。 姉への愛と義兄への想いに悩む、ちょっぴり切ないほのぼのBL。

桜吹雪と泡沫の君

叶けい
BL
4月から新社会人として働き始めた名木透人は、高校時代から付き合っている年上の高校教師、宮城慶一と同棲して5年目。すっかりお互いが空気の様な存在で、恋人同士としてのときめきはなくなっていた。 慣れない会社勤めでてんてこ舞いになっている透人に、会社の先輩・渡辺裕斗が合コン参加を持ちかける。断り切れず合コンに出席した透人。そこで知り合った、桜色の髪の青年・桃瀬朔也と運命的な恋に落ちる。 だが朔也は、心臓に重い病気を抱えていた。

チート魔王はつまらない。

碧月 晶
BL
お人好し真面目勇者×やる気皆無のチート魔王 ─────────── ~あらすじ~ 優秀過ぎて毎日をつまらなく生きてきた雨(アメ)は卒業を目前に控えた高校三年の冬、突然異世界に召喚された。 その世界は勇者、魔王、魔法、魔族に魔物やモンスターが普通に存在する異世界ファンタジーRPGっぽい要素が盛り沢山な世界だった。 そんな世界にやって来たアメは、実は自分は数十年前勇者に敗れた先代魔王の息子だと聞かされる。 しかし取りあえず魔王になってみたものの、アメのつまらない日常は変わらなかった。 そんな日々を送っていたある日、やって来た勇者がアメに言った言葉とは──? ─────────── 何だかんだで様々な事件(クエスト)をチートな魔王の力で(ちょいちょい腹黒もはさみながら)勇者と攻略していくお話(*´▽`*) 最終的にいちゃいちゃゴールデンコンビ?いやカップルにしたいなと思ってます( ´艸`) ※BLove様でも掲載中の作品です。 ※感想、質問大歓迎です!!

あなたはミラ

秋野小窓
BL
税理士のタマゴである主人公は、昼休みにプラネタリウムへ通っている。目当ては解説員の声。 ある日、訪問した客先でたまたま声の主と出会いーー。 ワンコ系年下攻め×クール(クーデレ)受けのお話です。完結しました。 ・R18シーン少なめです。タイトルに「*」を付けているのが該当ページです。 ・作中に出てくる星の知識が間違っていたらすみません。また、実在の人物や会社とは一切関係ありません。 →受け視点のお話『眠れない彼と感情が表に出ない俺の話』(完結済)

孤独な蝶は仮面を被る

緋影 ナヅキ
BL
   とある街の山の中に建っている、小中高一貫である全寮制男子校、華織学園(かしきのがくえん)─通称:“王道学園”。  全学園生徒の憧れの的である生徒会役員は、全員容姿や頭脳が飛び抜けて良く、運動力や芸術力等の他の能力にも優れていた。また、とても個性豊かであったが、役員仲は比較的良好だった。  さて、そんな生徒会役員のうちの1人である、会計の水無月真琴。  彼は己の本質を隠しながらも、他のメンバーと各々仕事をこなし、極々平穏に、楽しく日々を過ごしていた。  あの日、例の不思議な転入生が来るまでは… ーーーーーーーーー  作者は執筆初心者なので、おかしくなったりするかもしれませんが、温かく見守って(?)くれると嬉しいです。  学生のため、ストック残量状況によっては土曜更新が出来ないことがあるかもしれません。ご了承下さい。  所々シリアス&コメディ(?)風味有り *表紙は、我が妹である あくす(Twitter名) に描いてもらった真琴です。かわいい *多少内容を修正しました。2023/07/05 *お気に入り数200突破!!有難う御座います!2023/08/25 *エブリスタでも投稿し始めました。アルファポリス先行です。2023/03/20

赤ちゃんの卵-a baby's egg-

ときのはるか
BL
某国立大学の医大生の白鳥雫は、同じ大学の工学部の学生でありハイスペックな頭脳の持ち主である佐藤悠の所有する横浜のタワーマンションの最上階で優雅な同棲生活をのほほんと送っていた。二人は高校時代からの同級生であり、現在は将来を誓い合ったパートナーでもあった。お互いに抱えあう問題はあるものの強引ぐマイウェイの悠と、いつも前向き思考の雫はマイノリティなどおかまいなく二人の道を突き進んできた。 しかしそんなある日、雫の姉夫婦の間に不妊問題が勃発し、やがて二人はその渦中に巻き込まれていくのだった。

蜘蛛の巣

猫丸
BL
オメガバース作品/R18/全10話(7/23まで毎日20時公開)/真面目α✕不憫受け(Ω) 世木伊吹(Ω)は、孤独な少年時代を過ごし、自衛のためにβのフリをして生きてきた。だが、井雲知朱(α)に運命の番と認定されたことによって、取り繕っていた仮面が剥がれていく。必死に抗うが、逃げようとしても逃げられない忌まわしいΩという性。 混乱に陥る伊吹だったが、井雲や友人から無条件に与えられる優しさによって、張り詰めていた気持ちが緩み、徐々に心を許していく。 やっと自分も相手も受け入れられるようになって起こった伊吹と井雲を襲う悲劇と古い因縁。 伊吹も知らなかった、両親の本当の真実とは? ※ところどころ差別的発言・暴力的行為が出てくるので、そういった描写に不快感を持たれる方はご遠慮ください。

処理中です...