この奇妙なる虜

種田遠雷

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29、再び境の森

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 何度目か、途切れた意識を取り戻して、今度は目を閉じて寝息を立てているアギレオを見る。
 気怠い身体はまだ汗も乾ききっておらず、それほど時間が経っていないのが分かる。身を寄せて肌を合わせれば、乾きかけの汗で肌同士が吸いつき、離れると少しついてくる。
 ペタペタと汗の肌で遊ぶ内にふと思い出して、手を下ろし、すっかり大人しくなっているアギレオの性器の裏に触れてみる。
「なにやってんだ、お前」
 笑いを堪えるような声に目を上げれば、耳の先をつままれて片目を眇める。
「汗を掻いているかと思って」
 ああー、と笑う合点の声を聞きながら、頭をずらして指から耳を取り戻し。
「掻いてたか?」
「恐らくは。僅かだか湿り気を感じる」
 言葉の途中で伸びてくる手に、同じように睾丸の裏を探られて、くすぐったさに思わず肩が跳ねる。
「うわ、ほんとにサラッサラじゃねえか。なんでだ、他ンとこは普通に掻いてんのに」
 逆の手が頬や腕をぺたぺたと触れて、さきほどの自分と同じように、ついて離れる肌で遊ぶのに眦を緩める。
「発汗作用の経緯が違うの、か、……ん…」
 指の背が会陰をくすぐり、睾丸を手の中で転がすように撫でられて、息が浮く。
「…例えば?」
 仕返しのようにアギレオの性器を手指で愛撫しながら、混色の瞳と見つめ合う。
「例えば、……たとえば……」
 言葉の出ない唇を塞がれ、肩を押さえるように仰向けにされて、手を引く。脚を開かされて、褐色の首を抱き寄せ。
「なあ…、…ん、」
 今はもう、塞がれている方が馴染むようなそこに指を入れられ、息が淡く弾む。
 うン?と、続きを促す声にすぐ答えそびれ、息を緩めながらアギレオの髪に指を通す。
「何故、…あの、弓が、…私のものだと、……ぅ」
「さあな。たまたまだ」
 なんだそれは、と、伏しがちの目を上げて顔を見れば、片頬で笑っている。
「…何故、売らなか、っ、……ァ、ン、」
 指を抜いてペニスを押し込まれ、途端に腰から下がとろけたように力が入らなくなる。アギレオ、と、口先にまとうような声がかすれ。
「…たまたまだろ」
 答える気がないらしい、と、腹の中で息をついて。
 腰骨に掛けるようにして逞しい胴を腿で抱き、悪党の寛容にならうように、問いを飲み込んだ。

 ろくに眠る時間も取れないままで、翌日をまた説明と相談に費やし、アギレオの言った通りに実行でまとまっていく砦の総意に人心地がつく。
「あ、いた! ハルカレンディア!」
 昼も深くなる頃、取り残しはないかと頭を巡らせながら歩く背に声を掛けられ、足を止めて振り返る。
「ケレブシア」
 駆け寄る足にこちらからも歩みを寄せて。陽の光の屋外で見れば光の零れるような銀の髪と白い頬に、知らず眦が緩んでしまう。
「なあ、考えてたんだけど。境の森に処を移す話なんだが、国軍に代わって守備を置くんなら、エルフの土地になるってことじゃないか? 森の精霊に許しをもらいに行く?」
 ああ…と、彼が浮き足立つ理由に得心して、思わず笑みが浮かんでしまう。
 棲処を築く森の精霊にその許しを乞うのは、祈りを捧げるささやかな儀式でしかない。だが、エルフの国はおよそ例外なく古くからの領域であり、実際に目にすることは確かに稀だ。
「名案だ。共に、新しい森で膝をついてもらえるだろうか」
 目を瞠る珊瑚色の瞳に、こちらでも少し眉を上げる。
「俺…、俺が一緒でもいいのか?」
「もちろん。不本意だったらすまないが、半エルフはエルフだろう?」
 目の前で、戸惑いとためらいと、計り知れない複雑な表情が浮かび、けれどそれらを拭うようにやがて満面に綻ぶ笑みを見て、きっと自分もつられてしまっている。
「分かんねえ。半分だけど、でも。いいなら是非」
 はにかみ、もぞつくように言う様子に、もちろん、と頷く。
「今朝アギレオとリーと話したところでは、職人探しはすぐにでも始めるということだ、早い方がいいだろうな。明日中にはここを発とうと思っていたから、ケレブシアの都合が良ければ、今夜から出発しようか」
 うんうんと重ねられる頷きに、そうか、と眦を緩める。
「大丈夫。わかった。じゃあ…、それまでに色々済ませておく」
 言い終われば、今夜!と、手をかざしてまた背を向け、忙しなく踵を返していく魔術師を少し微笑ましく見送って。
 そうなると、夜発てば本当にしばらくここへは戻れそうにない。
 あれとこれと、と考えを巡らせる頭にふと思い浮かび。青い布がスカートに化けてしまわないよう、ミーナに裁縫教室の延期を願い出ておこうと、自分も踵を返して歩き出した。

「えっ、つまり魔術の儀式?」
 首の後ろに手を当て霊力の流れを助けるさなかに、雑談と思い話したレビとのやりとりを聞いて、ミーナが勢いよく振り返る。
「……。どう…だろうか。相当に大きなくくりでいえば魔術かもしれないが」
 今こうしていることも、彼女からすれば癒やしの魔術だと思っているらしく、エルフ以外にはそんなものなのかもしれないと、少し首を捻る。
「それって近くで見ててもいいもの? あたしも行ってもいい?」
「…構わないが。いや、何も起こらないぞ? 火球が飛んだり雷土が降ってきたりしないし、花が咲き乱れたりもしない」
 目を輝かせるミーナに、過剰な期待をさせては申し訳ないと念を押すのに、うんうんと寄越される頷きは理解してもらえたのだか、どうか。
 たったそれだけの話は夜までに砦中を駆け巡ったようで、結局、夜は寝るはずの人間達も含めて砦の過半数がぞろぞろと同行することになった。
「本当に何も起こらないぞ?」
 充分に陽が顔を出す頃には境の森へと至り。それぞれに馬を繋ぐ面々を振り返って言うのに、分かったって、もう聞いた、などと笑われるのに唸るような心地になる。
 いくらか開けた場所を探してケレブシアと並び、視界を遮るように生い茂る木々を見渡す。
 全員が無理なく、というわけにはいかず、木々の間を埋めるように好き好きに見守る面々に背を向け、ケレブシアを振り返る。
「博識の魔術師に私の説明など、鳥に風を教えるようなものだろう。祝詞は先導するから、どうぞ力を貸してくれ」
 うん、と、緊張を帯びながらも迷わず頷くケレブシアに、笑んで返して。
 ハルカレンディアが片膝を着いて跪き、額に指を当てる。隣でケレブシアが両膝をついて、顔の前で指を組み合わせ、二人そろって頭を垂れる。
 長く指揮官を務めたハルカレンディアの、微かに柔らかさを帯びつつも確然とした声が、古いエルフの言葉で、森を讃え、その恵みに感謝を述べ。後に続くケレブシアの、ややあどけなさを残しながらも、神秘によく通ずる澄んだ深い声が色を添えて、この森へと住処を築くいきさつを明らめる。
 上方では風もないのに木の葉が擦れ合う音を立て、相反するように、根に近い地上では鳥や虫の声が止み、二人を見守る砦の面々は声をひそめてざわめく。
 彼らが目線を交わし、固唾を呑んで見守る中、ケレブシアの詠唱舌が歌い、二人の声が次第に呼吸を合わせてそろっていく。
 声は、一つに聞こえるほどにぴったりと寄り添い、境の森の精霊へ、この場所へ棲まう許しを求める祈りで終わる。
 静寂は一瞬で。
 その場にいる誰もが感じるほど、けれど"何か"としか呼び表しようのないものが、黒髪のエルフと銀髪の半エルフを中心に膨れ上がり、ザア…!と、瞬く間に奔って拡がっていく。ある者には大きな風が通り抜けたように、またある者には光の粒が放たれ飛び去ったように、別の者には何かが芳しく香ったかのように感ぜられて。
 目を見開いて言葉を失う人間と獣人達だけでなく、エルフ達にも知れぬところで、"何か"は森の隅々まで駆け抜け、満ち、飽和したように爆ぜて、失せた。
 完全に呆然となった砦の面々をよそに、ハルカレンディアとケレブシアは立ち上がり、顔を見合わせる。
「…大歓迎って感じでもなくないか…?」
 複雑な表情のケレブシアに、ハルカレンディアは笑う。
「精霊の意思というのは、ヒトの思考や感情とは次元の違うものだからな。度々谷のエルフと諍いのあったここで、拒まれなかったのなら上出来だろう」
「じゃあハルカレンディアのせいだ」
 すかさずケレブシアが言うのにグッと詰まるも、途端に破顔して笑われれば、からかわれたのだと理解して、やれやれと頭を振る。
「なに今の!」
「なになに! すごい! 何が起きたの!?」
 わっと二人の周りに集まる面々に、説明するにはやや曖昧ともとれる精霊や霊力の話を苦心して噛み砕き、横でケレブシアが、まあまあ上手くいったみたいと笑うのに納得が集まって、しきりに感心してしまう。
「なぁぁ、アギレオぉ」
 その中でふいに、輪から外れるように低くする声がひとつ耳に入って、思わず目を向ける。
 ン?と、振り返るアギレオにナハトが横から肩を寄せ、その唇が深く弧を描いているのを瞬いて見守り。
「思うんだがなぁ、ここにゃ、谷と森のエルフの落としモンが色々あるんじゃねえかぁ?」
 耳にしたアギレオが、まさにと言わんばかりに目を瞠ってナハトを見つめ返しているのを見れば、呆れて肩を竦め。
「おうお前ら! 折角ぞろぞろケツ運んできたんだ、新しい住処の掃除してから帰んぜ!」
 アギレオの揚々たる声に一瞬の空白を置いて、けれどすぐに全員が意味を理解し、ニヤとばかりに笑みを浮かべるのを見れば、もうこちらとしても笑うしかない。
 王都へ戻る旨を告げ、それぞれに挨拶と声を交わして、散り散りになっていく彼らに背を向け歩き出す。
「ハル」
 呼び止められて肩越しに振り返り、足を止める。あっという間に、ケレブシアまで"掃除"へと向かってしまって誰もいないそこに、アギレオだけが立っている。
 身を向け直して振り返り。
 初めて、この男と向き合うのがほんの少し気恥ずかしい。
「しばらく戻らねえな」
 ああ。と、浅く頷きながら、二つの色の混じる異国の瞳を見つめる。
「王都ですべきことが色々あるからな。職務の始末もある、少なくともひと月は掛かりきりになるだろう」
 そうか、と、相変わらず不思議に明るい声が短く肯いて。ほんの数秒、言葉はなく見つめ合う。
「気をつけて行けよ」
 先に沈黙を破ったアギレオに、頬を緩め。自らの胸に手を置いて浅く目礼を捧げる。
「ありがとう。お前も」
 おう、と、短く応じる声と。再び言葉が途切れるの短い間をおいて、互いに背を向けて歩き出した。
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