この奇妙なる虜

種田遠雷

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5、王都への手紙

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「ねえな」
「一筆だけだ」
「うるせえ。黙らねえと今ここで谷底に投げ落とすぞ」
「…頼む。隊は全滅したと報告した方が、ここにも捜索が及ばず済むはずだ」
「黙れっつったんだよ」
 馬上で目を覚ました途端、手紙を書かせて欲しいと訴えたハルカレンディアに、さすがに鬼以外の面子も呆れた様子で、顔を見合わせ、黙って二人のやり取りを聞く。
 スラリと腰から抜いた曲刀を突きつけられるに至り口を閉じるも、思案げに俯いてしきりに目線を動かし、諦めるといった風でもない。
 黙らせればそれでいいとでもいうように刀を収める鬼を少し眺めてから、フードに顔を隠したまま魔術師が口を開く。
「書いてどうするんだ。今度はクリッペンヴァルトの王都まで行くとでも言い出すつもりか?」
「おいレビ、放っとけ」
 レビと呼ばれた魔術師はチラと鬼の方を振り返るが、また目を戻す。
「それは…。そうしたいが、それでは流石に、お前達に従う意思を証明しきれない。どこでもいい、街か集落で人を雇おうかと」
「いや、そんな人目のあるところにも行かせられない」
 灰髪の男に頭を振られ、ハルカレンディアは頷く。
「分かった。それならそれを、……頼みたい…」
「ほんとに突き落とすぞ手前え!?」
「いや、アギレオ、」
「ねーねー! なら殺せばいーんじゃねーの!」
 黙っていた一人が声を上げるのに、言いかけた灰髪の男始め、それぞれが振り返るが早いか、声を上げた男はしなやかな身を躍らせハルカレンディアに飛び掛かる。
「っ、わ…ッ」
「ッ、おい、こらリュー!」
 突然騎手を失った馬の動揺が他の馬にも伝わり、慌ててそちらこちらで手綱を取り直す小さな混乱が起きる。
「こいつがいなきゃ済む話じゃねーの? いーだろ? 殺してもかまわねーだろ?」
 地べたの上にハルカレンディアを引き倒して、その手足を四つ足の格好で押さえつけ、リューと呼ばれたしなやかな体つきの男は、にんまりと笑う。その姿勢から片手だけ離して腰から短刀を抜き、不意の落馬で呻く首筋に突きつけるのに躊躇いがない。
 目眩のする頭を少し振り、明らかにもう肌に触れている刃を知りながら、ハルカレンディアは目を上げてリューを見る。
「できれば、手紙を書き終えてからにしてくれ」
「できれば? できればっつったな、今?」
 舐めんばかりに顔を寄せるリューに、自分が思わず口にした言葉に気づいて、ハルカレンディアの唇が一瞬空回り。レビが馬を降りて、リューの短刀を杖で遠ざける。
「そうじゃないんだ、リュー」
「なーにーがー。エルフのハラワタ見たーい」
 言い募りながらもリューはハルカレンディアの上から退き、立ち上がって今度はレビの顔を見上げる。
「こいつらが誰一人帰らないことで、軍隊から捜索が出るかもしれない。全滅の報告があったところで、じゃあ報告したこいつはどうなったって、なるかもしれないが。…砦を探られる可能性は低くできるかもしれない」
 そういうことだろう、と言わんばかりに振り返るレビに、灰髪の男は思案げに目を伏せ、鬼は顔を背けて盛大に舌打ちする。
「ちょっと分かんねー」
 迷わず正直に告げるリューに頷いて、レビがハルカレンディアに顎をしゃくる。そのまま馬を示して乗り直すように告げ、自分も馬へと戻る。
「砦が危なくならないように、もうちょっとそいつを使うってこと」
 ハア…と、聞こえよがしの大きなため息が聞こえるのに口許を緩めながら、続ける。
「こいつが何を書くかもちろん確かめるし、王都には俺が行く。土地勘もあるし、それが一番確実だろう」
 フードを取って顔を出すレビに、ハルカレンディアだけが一人目を剥く。尖った耳に白い肌、透けさえしそうな白に近い銀髪は、垂らさず結って上げているのが、らしくないといえなくもないが。
「エルフだったのか…!」
 眉一つ動かさず振り向きもせず、それぞれが馬を進めるのに従い、レビも手綱を取る。
「俺は半エルフだ。エルフが八つ裂きにされようがハラワタ引きずり出されようが知ったこっちゃないが、砦の危険を避けるのが優先だ」
 ああ、と、ハルカレンディアは項垂れる。土地勘があると言っていたところをみれば、王都にいたことがあるのだろう。半エルフの王都での境遇を思えば、全てのエルフがそうではないなどと、簡単に言うこともできまい。
 進めど何一つ明るくならないと気づく、けれどそれを当たり前だと思い直す暗然たる心地で、腹の内にため息を隠した。

 ペンを置いた手が、震える。力を使い過ぎたのだ。
 森に火を投げた谷のエルフを全て滅ぼせれば、絞りきって死んでもいいと思ったばかりに。また死ぬこともできず、生きていると分かれば今度は軍に上げる報告など思いつく自分に、彼らではないが自分でも呆れはする。
「×月×日、境の森にてベスシャッテテスタルのエルフに遭遇。交戦。敵方20余名。リナラゴス隊、ハルカレンディア隊、ベスシャッテテスタルのエルフ、共に全滅。……これだけ?」
 震えた文字を読み上げてから顔を上げるレビに、連れてこられた家の食卓らしきに手を着きながら、頷く。エルフ文字を珍しそうに覗き込む鬼と灰髪の男が、どうのと傍で小声を交わしている。
「必要なのはそれだけだ。谷のエルフが現れたこと、現れた日、人数が資料に残り、私達がもう戻らぬこと、追撃の必要がないことが伝わる」
 なるほど、と頷いて、畳んだ手紙をレビが懐に収める。
「これを書いた男は死んだと言えばいいな。誰に宛てる?」
「マゴルヒアに」
「…マゴルヒア、な。分かった」
「労をかける、ありがとう」
「……」
 沈黙が落ちて、なんだと顔を上げる。三人から無表情に見下ろされ、瞬き。
「こいつちょっと変なのか?」
 レビに指を差されて、え、という形に口を開く。
「今気づいたのかよ」
 勢いよくため息をつく鬼に少し目を向け。灰髪の男が黙って肩を竦めるのに、なんだか所在なく肩を縮める。
 送っていこう、と、灰髪の男がレビに付き添い、気をつけろよと鬼が送り出すのを耳に入れながら、行儀悪く机に腕を畳んで突っ伏す。これが最後の猶予なのだと燻る焦りに、何も忘れてはいないかと疲れた頭に鞭打ち、目を閉じて眉を詰める。
 コトン、と机に響く音に顔を上げ、目の前に置かれたカップを見て身体を起こす。食卓に寄り掛かりながら見下ろしてくる鬼に顎をしゃくられ、頷いてカップを取る。
「…ありがとう」
 どういたしまして、と、語尾に被せるように単調に返されて、ふと、先のやりとりの理由に気がつく。カップを傾けながら、感謝の念を抱いたのだから礼を言ったっていいじゃないか、と、腹の中だけで一人弁明する。
 二度浴びた水ほど冷たくはないが、久々にまともに摂る水が喉に通り、本当に生き返る心地がする。身体に潤いが沁みていくような感覚に、大きく息をついた。
「さて、お疲れのところ悪ィんだがよ」
 上から降ってくる冷ややかな声に、カップを置き、背を伸ばして頷く。
「ちっと話そうじゃねえか。なあ?」
 もう一度頷き、立てと促されて椅子から立ち上がる。歩けと命じられるままに、鬼が開く扉を潜って、踏み入れた場所が寝室なのを見て取る。軽く背を押されてベッドの傍に向かい、後ろで扉の閉じる音を聞く。
「そこで止まれ」
 足を止め、強張る身体を緩めるように、大きく息をつく。
「こっち向いてそれ脱げ」
 黙って声に従うそれ自体に、言い表しがたい震えが身の奥に宿る。緊張に似ていて、恐怖ではなく、屈辱と呼ぶには冷たい。
 何も纏わず手枷と足枷だけを着けた自分の身体が知れて、不意に、意識が薄暗くなるように感じる。今もずっと石牢にいて、願うあまり外に出る夢でも見たかと思うほど。
「顔上げろ」
 声に引き上げられて顔を上げた途端、鬼の顔を見る間もなく、バチッと鼓膜が痛むような重い音と、衝撃。ダン、と、よろけそうになった足を踏み堪えてようやく、平手で頬を打ちつけられたと理解し、途端に熱く痺れるように左頬が痛む。
「顔上げろ」
 ただ繰り返された声に背筋が冷たくなるのを堪え、足を戻して顔を上げる。歯を食い縛り、僅かに高い目線から見下ろす鬼の顔を見つめて返す。
「谷のエルフをやるのに、俺らを使ったな、お前」
「…そうだ。ッ!」
 答えれば打たれると分かっていた平手が、予想よりも速くてまた一瞬よろめく。踏み堪えて再び身を戻し、また見つめる顔に、思いがけず怒りはなく、ただ淡々と見下ろされているのに、奥歯を噛み直す。
「最初からそのつもりだったのか」
 一瞬、口を開くのが恐ろしく感じる。
「、いいや。最初は、一人でやるつもりだった。……」
 続けろ、と言われて息を飲む。
「…。お前達が数を揃えているのを見て、思いついた。恐らく武装もしている。ならば、……、巻き込んでしまえばその方が確実に果たせると」
 バチン!と、今度は予想していたタイミングで打たれ、よろけず受ける。堪えた、と、思うところにもう一発食らわされ、少なからず衝撃を受ける。続け様の三発目で湧きかけた理不尽な暴力への反射的な怒りが、すかさず打ち下ろされる四発目で折られ、今度こそ足がふらつく。
「顔上げろ」
 待ってくれ、と、訴えそうになるのを堪えて、足を踏み直し、切れそうになる息を隠しながら顔を上げる。鬼が上げる手に思わず強張る顎を掴まれ、覚える安堵と、安堵の愚かさに気づき、目を伏せて息を抜く。
「二度目はねえぞ」
 ちょっと躾けるか、と、煩わしげに息を抜くのに、答える言葉が出ず、目を上げて鬼の顔を見る。顎から手を離され、上がった息をなだめるのに少し俯く。
 目の前の男が離れる気配に束の間の休息を取ろうとする、身に染みついたような感覚が、石牢での朦朧とした日々を容易く呼び起こした。
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