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朝の光、訪れるまで

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 低く、地の底を這うような呻きに目を覚ます。
 身を起こし、聞き慣れたその苦しげな呻き声の方、きつく眉を寄せて歯を食い縛り、うなされているエルフの男を見る。
 手を伸ばして黒髪に指を通し、髪を梳くように撫でてやる。
 触れた途端に強張った身体はそれでも、繰り返し、繰り返し撫でている内に次第に力を抜き、息を緩めて声を静めていく。
 知り合ったばかりだ、聞いた限りのことしか知らないが。
 それでも。
 身体も精神もおそろしくタフなこの男がうなされるほどの過去というものを、自分は、ひとつしか知らない。
「――…」
 なんでお前は、ここにいることに決めちまったんだろうな。
 声にせずただ、その額を、頬を、撫でてやる。
 そうして苦しむのは俺のせいだろうに、どうして。
 撫でている内に穏やかな寝息に変わるのを聞き、再び横になって。その整ったツラを眺めていれば、ふいに、睫毛の縁取る瞼が持ち上がって、瞳が現れる。明るい葉色の瞳は、闇の中で暗くも、やはり透明な緑色だ。
 瞬く双眸には意思の色はなく、まだまどろみの中なのだろう。
「…どうした。まだ夜だ、寝ちまえ」
 ぱちりと一つ瞬き、途端にこちらをはっきりと見るのに、眉を上げる。
「夢を見ていたようだ」
 眠りの名残りでまだ少しろれつの甘い声で言って、もそもそと身を寄せ、鎖骨の辺りに額を突っ込まれて片眉を跳ねた。首の下に差し入れてやる腕で少し遠く、今度は浅くつまむように髪を撫でる。
「そうか。…いい夢だったか?」
 忘れてしまった、と、淡く笑っているような声が、嘘か真かを知る方法はない。
「…お前。…俺といて辛かねえのか」
 なにがだ?と、寄越される声は、眠りに落ちかけている。
「なんでもねえよ」
 ふふ、と、笑ったらしき息が胸にかかって、少しくすぐったい。
「今度追い出そうと思った時は、事前に相談してくれ。また鞍の上に放り投げられてはたまらないからな」
 眉を上げて。
 近すぎて、目を下げても僅かに黒髪が見えるばかりの男を見下ろす。
 ちょうどいい身の置き場を探して、よく鍛えられてなめらかな男の身体を抱き直す。
 そんな声を聞いたことはないが、まるで。自分の愚かさなど笑い飛ばすほど、どうやっても、この男の身も心もおそろしく強靱だ。
 ごくごくひそめて名を呼べば、寝入り端なのか眠ってしまえたのか、胸に額と鼻先を擦りつけられて。匂いの薄い黒髪に鼻先を埋め、男の後を追うように自分も目を閉じた。
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