星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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55、今とむかし

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 翌日夜の食堂は、もちろん、和平の話題でもちきりだった。
 少なくない損害に憔悴するところへ、戦うべき相手がひとつ減った報せだ、場内の様子は明るく賑やかで。
 エールを飲み飲み新鮮な野菜をつまみながら、幸運を喜ぶ声や、まだ記憶にも生々しい魔物との戦いについて先を危惧する声を耳に入れ。
 まなじりの和らぐ心地ながらも、隣でリーと向き合い、声を低くしているアギレオに目だけ向ける。
「問題は金だよな。谷のエルフからも剥ぎ取れねえ、追い剥ぎはやるなっつうと…」
「…まあ…。悪事は結局リスクが高いからな、そっちはいいことだと俺は思ってるが…」
「オークどもの武器鎧はどうだったよ。数だきゃあっただろ」
「残念ながら、やっぱり二束三文にそくさんもんだ」
 肩を竦めるリーと、クソ、などと髪を掻いているアギレオに、目を剥く。
 まさか、あの状況で魔物まで身ぐるみ剥がしていたとは。
 呆れるやら感心するやら、頭を振る耳に、誰かが“和平が結ばれたら何をしたいか”と、楽しげに話しているのが聞こえて、頬を緩めた。
 己自身は国と主君に仕える騎士であり、これを守ることに生涯を捧げる身だ。一国との和平は終わりを意味しない。それでも、それが何よりといえるほど明るく、希望に満ちた話題であることはよく分かる。
「それがホントなら商売でも考えねえとな…」
「商売か。ひとまず売るほどあるのは炭と木かな」
「あー、そうか。ここを開いた時のやつ、あちこちで乾かしてんだもんな」
「あれ全部をうちで使わなくてもいいだろうし、」
「放っといたら焼かれて炭にされる」
 最後で声を揃え、顔を見合わせて笑っている二人に、なるほど。と、内心で合点する。
 アギレオが好み、時には昼夜を問わず湯を浴びに行く風呂は、年配の男が一人、いつも番をしている炭焼きの火で沸かされている。
 森の外では多くの火を使うらしいと見ていたが、炭焼き夫が勤勉にすぎるという事情もあるようだ。
 要らぬほど働きたいというのも面白いものだと感心し。
「ハルは? 和平が決まったらやりたいことがあるか?」
 リーに水を向けられ、うん?と、ひとつ眉を上げる。
 ベスシャッテテスタルとの和平で国防が終わるわけではないから、と、再び思いながらも、問いの意図に沿って考え、そうだな…と思案して。
「もう少し身動きが取れるようになるなら、ということなら、アギレオの生まれた場所を見てみたいとは思う」
 ご、と一度詰まってから、ご馳走様だな…と片手で額を覆うリーに首を傾げる。もういいのか?と問えばアギレオに笑い飛ばされ。そこでようやく、慣用表現の方かと気づき、そうではないのだが、と、言おうとして言いかね、少し耳が熱くなってしまう。
「あの辺まで行くったら、和平くれえじゃあな。それこそ、次の頭が決まりでもすりゃってとこだ」
「そうだな。私自身、それほど長く国を離れるというわけにも…」
 叶わぬ願いを口にする楽しさ、などと思い浮かべるところへ、なんだ、とリーが声を上げ、アギレオと揃って振り返る。
「行ってきたらいいだろ、そのくらい」
「そんくらいってお前…。行って帰るだけにしたって、二年で足りるかどうかだぜ」
 ここはどうすんだよ、と肩を竦めるアギレオに、リーが笑う。
「お前抜きでやれってことだろ? それが全然できないってのも充分まずいし、それに…。故郷があるなら、行ける内に行った方がいい。いつまでもあるとは限らないぞ」
 なるほど、と、リーの言い分に頷く隣で、短くない間、口を開いたまま言葉を継ぎかね、それからまた髪を掻いているアギレオに瞬く。
「…お前にそれ言われちゃ、鼻で笑うわけにもいかねえじゃねえかよ」
 ったく、と息など抜くアギレオに、そういうわけじゃないんだが、とリーが笑うのを、二人の顔を交互に見てから首を傾げた。

 アギレオが話のいきさつを教えてくれたのは、その晩も遅くなってからだった。
 互いに気怠い手を伸ばし、身体を拭き合う寝台の上で、どうということもないような雑談の中に、己が尋ね、アギレオがああと頷く。
「リーとルーの生まれた集落ってやつは、もうずいぶん前になくなったんだとよ」
 そうか、と相槌を打ち、故郷がある内にと言ったリーと、お前に言われては、と答えたアギレオのやりとりを思い出して。
 そういうこともあるのだなと、少ししんみりする。
「人狼ってのがまず珍しいからな。そういうもんなのか、あいつらの里が例外だったのか知らねえが、ほとんどピッタリ隣に人間の里があったらしい。ある日突然、そのお隣さんからふっかけられて、一晩であいつらは散り散りになっちまったんだと」
 えっと思わず声を上げるのに、アギレオが眉を上げ。
「人間の方が人狼の集落を襲撃したということか? しかも、それを受けて逃亡を?」
 逆なら想像できる、というのも、失礼な考えかもしれないが。
 そうそ、とアギレオが肩を竦める。
「その前の日までだって、人間達と上手くいってるつもりだった、そうだぜ。…まあ、リーはあの通りのお人好しだし、ルーはこの話したがらねえからな。実際のとこまでは分かんねえが」
 ただ廃れたというのとも、多くの廃村がそうであるように、魔物に襲われたというのとも違う。王都の外には想像よりも様々なことが起こり、その後ろにはきっと、また様々な思いがあるのだろう。
 思いに沈むところへ、そんで、と声に招かれ目を上げる。
 腰を抱き寄せられて身を寄せながら、互いの身に掛布を引き上げ。
「まだ、どうしたもんかってとこじゃあるが。お前はどうだ? 騎士様にゃ、何年も国を留守にするのはできねえ話か」
 思わず、目を丸くしてしまう。
 ほんの数時間のあいだに、まさかそんな重大な決断に取りかかっていたとは。
 だが、これまでのアギレオを思えば、なるほど、やるといえば、できない理由よりも実行する方法を考えるタイプなのだろう。
 驚きの方が勝りながらも、感心し。
 そうだな…と、彼にならうわけではないが、その端緒を掴もうとするよう、口許に拳を当てて思案してみる。
「軍というのは大きな組織で、私たち兵士は、いつでも取り替えのきく駒だ。そうであるよう努めてもいる。……」
 なるほど、と相槌を打つアギレオの声を聞きながら、だが、と少し目を伏せ頭を巡らせる。
「見ての通り、境の森の守備に赴いているのは私だけだ。砦にとっては、私がいてもいなくてもそう変わらないだろうが、これは、国軍から見ればそうではない」
 ああ、と再びの相槌に、ううん…と思わず唸ってしまって。なんだよ?と眉を上げているアギレオに顔を上げ。
 ついつい、首を捻ってしまう。
「留守を代わってくれる者を国軍から寄越す必要があるが。…まず、王都の森から長く離れる任務を引き受けたがる者がいるかどうか…」
「へえ。外に出んのがそもそも嫌なのか」
「そうだな。これはどちらかといえば噂の範疇だが、守護地からあまり離れると精霊の力が弱まると云われている」
「なるほど。お前の実感としちゃどうなんだ?」
 ものを考えるのについつい下げてしまう目をもう一度上げ、アギレオの顔を見て。ン?と眉を上げるのに頷いてみせ。
「…噂に過ぎないのではないか、と、考えてはいるが…。ただ、私は魔術の得意なタイプではないから、霊力についてあまり敏感ではないし…」
 ああ~などと、明らかに面白がる色の声が上がるのに、非難の意味を込めわざと少し睨みつけておく。
「それで思い出したわ。お前のアレ、あの、ほら、エルフ汁の石、また作ってくんねえか」
 エルフ汁の石!?と、思わず眉を寄せるのに、緑のやつ、と顎を上げられ、魔石のことかと思い当たる。
 草の間に散っていた魔石の欠片を思い出して、少し鳥肌の立つ腕をこすり。
「谷のエルフとやった時に、刀と一緒になくしちまったんだよ。二本ともぶっ壊れちまったのは分かってっから、刀自体も造り直してえし」
「そういえば、お前の折れた刀を回収するのを忘れていたな。…魔石は、刀の傍に砕けて落ちていた」
「砕けてたのかよ!?」
 よく生きてたな俺…と声を低くするアギレオに、まったくだ、と頷き。身を寄せ直し、胸に額をすりつけ。
「新たに刀を打ち直すなら、一緒に王都に出向いてみるか? 腕のいい刀工は何人か、」
「げっ、やだよ」
「……」
 言い終わらぬところで声を上げられ、思わず半眼になったりして。やれやれと息をつく。
「…エルフが嫌いでも、ものに罪はないだろうに。エルフの武器は役に立つものだぞ」
 いや、と眦にしわを寄せ、アギレオが笑い。
「いけ好かねえってだけで、エルフが嫌いなわけじゃねえが。あの刀ァ打った鍛冶が気に入ってんのさ。それこそ、行く時ゃお前も連れてってやるよ」
 へえ、と、思わず顔を上げて。話すだけで嬉しげなアギレオに、瞬く。よほどだな、と、つられるように眦を緩めたりし。
「それは興味深い。あの刀は、この辺りでは見たことのない形だったな」
 そうそう、と、珍しくうきうきと饒舌になるアギレオの話に耳を傾け。
「俺の剣が荒いんで、どうしても食うより刀代がかかるくれえだったのが、こっからそんなに遠くねえ村にやけに腕のいいやつがいてな。もう何年も前だが、そいつんとこに通っちゃ、どんなのがいいか、こんなのがいいかって色々試してようやくアレを鍛えてもらったのさ」
 お前も一本頼むといい、と言われるのに、己は王都の剣の方が…と思案し、いや、文化自体が違うのだから、試してみるべきかもしれないと、考え直したりして。
 夜もずいぶん深くなるまで、まるで少年のように二人で武器や防具の談義に花を咲かせた。
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