星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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49、こころの希うところ

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 夜の淫靡さを拭うような光が、窓から入って室内を満たし、胸まで軽い。
「へえ、先祖返り」
 腕を三角の枕にしているアギレオに、知らないのだな、と、だらしなく寝転んだまま頷く。
 それなら、あれほどうろたえ困惑していたのも腑に落ちる。
「そう教えてもらった。悲劇が起きていたのは昔で、今はこうして香油がよく効くことが分かっているのだと。氏族によって違うのかもしれないな?」
 ふむ、と相槌を打つアギレオが、少し考えてから、首をひねりながら目を戻し。
「つうより、俺が山を下りたのが15の時だからかもな。そりゃ、今はおさまってんなら尚更、ガキじゃ知らねえかもしんねえ」
「ああ…なるほど。それはそうかもしれないな」
 だが、と、少し唇を撫でて考え。
「お前のように、若い内に氏族を離れる者もあるのだろう? その先の暮らしに困らないような知識を持たせてやった方がいいだろうな。……手引き書のようなものを用意しておくとか…」
「いや真っ当なご意見だが何目線なんだよ」
 実現するのは難しいが、と頷き、目を上げてアギレオの笑う顔を少し見つめ。
 素直に嬉しくなって、身を寄せる。
 背を抱き寄せられて、肩口の辺りに額を擦りつけ、肌と汗のにおいを嗅いだ。
「そうだ。それで、その山に足を運ぶ前に、軍に顔を出して現在の状況を問うてきたのだ」
 おっ、という声と共に、背を抱いていた手に一度力がこもり、先を促すようにか撫でて動くのに、相槌を打ってから少し目を伏せ。
「両王の会談で何か動きはあるそうだが、今はまだ機密のようだ。ただ、動き次第ではここも装備を考える必要があると訴えたところ、今までと同じでよいとの答えだった」
 これだから軍隊はよ、とか、それだよな、と相槌というか野次のようなものが挟まれていたのが、なるほど、と少し思案のような間が落ちる。
「戦況が悪化しかねないという風向きなら、無防備でいろとは言わないはずだ」
「そりゃそうだな。悪くてもひとまずは休戦か。その間に、谷のエルフと森のエルフがそれぞれ戦争の準備に奔走するのかは置いといてもよ」
 最も悪い状況というなら、そういうことになる。ひとつ頷きを挟んで。
「それと、定例の国境守備の報酬とは別に、参謀長が軍から見舞いを出してくださった」
「金!?」
 早い。
 そうだと頷き。
「労いや褒賞に与えられるものは色々あるのだが。ここは多種族が混ざっている場所だし、自分たちで色々な用意をするのに慣れているから、何かあれば金が一番いいとは最初に話したことがあったんだ」
「おいおいおい、マジかよ。めちゃくちゃ気が利くじゃねえか…! ヤッベ、ちょっとエルフが好きになっちまったぜおい」
「いや……お前……」
 ぎゅうぎゅうとやたらに強く抱きしめられ、はしゃいでいる声に、それでは今まで一体どう思っていたのだ、と呆れる。
 髪に雨のようなくちづけまで降らせているのに、浮かれすぎだ、と笑いながら顔を上げ、頬をつまんでやる。
「よしよしでかしたぜ、ハル。もっかいするか? サービスしてやんぜおい」
 肩を開くようシーツに押し倒され、今度は鼻をつまんでやった。
「結構だ。それより、今の話はリーとも共有した方がいいだろう、」
 夜明け前なら、と、二人で同時に窓を振り返り、顔を見合わせる。
「夜でいいんじゃねえか?」
 窓から差し込む光はずいぶん強くなっており、その向きからも、夜明けというべき時刻はとうに過ぎているだろうことが分かる。
「そうだな…。今からではまた寝入り際を起こしてしまいそうだ…」
 しゃあねえ起きるか、と身を起こしたアギレオを追うように、自分も身を上げて。
「なあアギレオ」
 重要な問いを思い出した。
 ン?と、振り返る顔を、じっと見て。少し強くなる鼓動に、一度小さく息を飲む。
「お前、子供が欲しいか?」
「えっ……」
 目を瞠ってから、上から下までと動く視線に見つめられ、その唇が次に動くのを、見守る。
「まさか……エルフってオスもガキ産めんのか…?」
「!? 産めるわけがないだろう!?」
「いやわけねえかどうか俺が知るかよ」
「男女があるということは男性は産まないだろう、……それはまあ、確かに前例や統計の話ではあるが…」
「出た。エルフの屁理屈ごね」
「理論は屁理屈と同じではないぞ!?」
「んじゃ、どうしたよ急に」
 胡座を掻いてきちんと向き直ってくれるアギレオに、こちらも同じように膝を畳んで、思わず背筋を伸ばし。
「アマランタとも話していたのだが、大きな怪我や病気の後に強い性衝動に駆られるというのは、生物の仕組みから考えれば、死、つまり個体の存続の危機に、子孫を残すことで対処するためだ」
「ああ。死ぬかもしれねえって気づいたら、その前にガキ作っとかなきゃってことな」
 なるほど、と頷くアギレオの、他人事のような言いように、少し顎をひねり。
「…子供が欲しいと思ったか? いや、そう思ってそうしたのでなくとも、……やはり、…そういうものだろうかと…」
「思わねえが。……。いや、俺がガキが欲しいったらどういう結末になるんだ、この話?」
 全く理解できない、と言わんばかりのアギレオに、下げる目線を逸らしてしまう。
「それは……そうする方法も考えなければいけないかと……」
「いやお前、」
 グッと、顎を掴んで上向かされ、突き合わさせられる顔に、眉を下げてしまう。
「また俺が女と寝る話か? 仮にそうしたとして、作りっぱなしでその女が育てんのか、そのガキ? それとも女から取り上げて俺たちで育てんのかよ」
 ぐっと、言葉に詰まってしまう。自分の身の上から、養育者はどうしても肉親でなければとは考えないが、アギレオの言うのがひどく惨い話だというのも分かる。
「いらねえよ。そうだな…」
 と、逸れるアギレオの視線を追って、台所への扉を見て。
「あえて言うなら、この砦が俺のガキだ。そりゃ言葉通り、完全に余計な心配だぜ」
 その言葉で、アギレオが目を向けたのが扉ではなく、その向こう、家の外に広がっている砦全体なのだと知れた。
「そうか…」
 砦が子供だというのは、分かるようでも、分からないようでもあるが。アギレオが、頭領としてごく真摯にここを守り、皆を家族のように思っていることも知っている。
 そうか、と、二度目は腹の内に呟いて。
「お前は?」
 うん?と顔を上げ、先よりも、強くはないがじっと見つめてくる混色の瞳を見つめ返し。
「お前は、俺のガキがいた方がいいか?」
 口を開きかけて、つぐむ。
 他の女性との子を?と、尋ねかけて。その真意が分かったからだ。
 エルフの己と人間のアギレオでは、生きる時間が違う。アギレオがいなくなった後のことを尋ねられたのだと理解して、目を伏せた。
 胸を中心に、肩や背にいたるほど広い範囲が、締めつけられるようズキズキと痛む。
 アギレオがいなくなった後、アギレオと別の女性が残した子がいた方がいいだろうかと考えれば、不覚にも涙すら落ちそうで。
 大丈夫か、と、静かな声と共に、頬を包んでくれる手に手を重ね。大丈夫だと頷いて、顔を上げる。
「私は、今ここに、お前がいればいい」
「同感だ」
 間を置かず深く頷いてみせたアギレオに、分かった、ともう一度頷きを重ねて。
 抱き寄せられる胸に身を預け、額やこめかみを擦りつける。大丈夫かともう一度言いながら撫でてくれるのに、胸が痛いといえば胸を撫でてくれるのに甘え、背中も痛い、肩も、と気が済むまであちこち撫でさせ。人には見せられないような様子で、しばし甘えて過ごした。

 夜になってリーの家を訪れ、留守の礼を言ってから、王都で仕入れてきた情報をあれこれと共有して。
「まあー、ンならしばらくはこのままだよな。尻尾巻いて逃げ出す準備は、ここが空振りでもいつでも役に立つだろうし」
 食卓に肘をついて髪を掻くアギレオに、腕組みしながらリーが頷く。
「だな。こないだの鹿が来るにしても来ないにしても、何人か、野盗じゃなく傭兵なら昔の仲間に声を掛けてみるってやつもいて…」
「おっ、そりゃいいじゃねえか」
 アギレオと二人で話し込み始めるのに耳を傾けながら、気のせいではないなと首をひねった。
 時々、リーの視線が不自然にこちらに向いている。
「リー、どうかしただろうか」
「どうもしないわ。ハルちゃん、身体の調子はどう?」
「ハルちゃん!?」
 向けた問いを遮るルーに思わず振り返り、思いがけない香草茶が配られるのを礼を言って受け取る。
「あらごめんなさい。口が滑っただけよ。果物が食べたいとか、いつも食べてたものが食べたくないとかないかしら?」
「いや…特には…」
 夕飯の献立に迷っているのだろうか、とりあえず急には名案もなく、ならいいのよとにこやかに、何故か肩まで撫でられるのに目を白黒させてしまう。
 ほんのちょっとでもおかしかったら、すぐに言ってね、とニコニコ顔に首を傾げられ、分かった、と腑に落ちぬまま了承して。
 リーとルーのおかしな様子が何であったのかは、そのすぐ後に知れることになった。
 アギレオとリーの話が落ち着き、四人で食堂へと歩くところへ、別の方向から合流したナハトが、己を見た途端にブホッと派手に噴き出したのだ。
「おまッ!? アギレオがサカリかと思ったら、まんまと孕まされたのかよぉぉ!? 順調にもほどがあんだろぉぉ!?」
 ハア!? ええ!? と、アギレオと二人声を上げるところに、リーとルーが顔を見合わせ、控えめに頷き合う。
「ああーその、…ハルから、その、女が妊娠した時みたいな匂いが…」
「えっ違うの? 違うと思ってるだけじゃないの? ほんとにそんな匂いよ?」
 もはやナハトと一緒になって腹を抱えているアギレオはよそに、気まずそうなリーと、嬉しくてたまらないという顔のルーに、違う違う違うと慌てて何度も首を振る。
 歩きながら、ヴァルグ族の“先祖返り”について聞いた話と、その際に調合してもらった香油について必死に説明し。
 まだ震えながら「なるほど、そりゃ確かに一番いい薬だわな」などと、ナハトと顔を見合わせ笑っているアギレオを睨みつけ。
 やっと四人を収めてやれやれと息をつくところに、山犬の獣人ばかりが己を見てはギョッとした顔になるのに、しばらくは頭を抱える羽目になった。
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