星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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39、うつろい

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 アギレオは一日寝込んだ。
 食いたくねえの一言で二食を拒んだアギレオを案じ、よく冷ました薬草茶を飲ませて、寝かせておいてやり。ならばと思うまま外の仕事と家の仕事に一日を費やし、やれやれと、うとうとしているアギレオの懐に潜り込んで一日を終える。
 少しくすぐったいような感触に目を覚まして、見えるものよりもまず、光の加減で朝を知る。
 家の外、砦の内では夜行性の獣人達と昼を生きる人間達が、森では夜の獣と朝の鳥が交替している、遠くかすかな気配。
 少しずつ、けれど確実に覚醒していく意識に、知覚は遠方から身近へと引き寄せられて。
「…おはよう」
 眠りに就いた時よりも少し身を離して、アギレオが髪を撫でているのに気づく。
 頬笑みが自然にこぼれたことを、浅く眉を上げてから、おはようと笑んで返される挨拶に知る。
 息をついて、枕と首の間に隠れているアギレオの腕を見つけ出し、こめかみを擦りつけ。
「ハル、……、…ハルカレンディア」
 改まったように名を呼ばれ、頭を持ち上げるようにして目を上げ。
「うん?」
「結婚するか」
 えっという声も出ない。
 驚きで一度に覚醒した意識に、けれど驚きでまず何を考えるべきか分からず、目を丸くしてアギレオの顔を見つめてしまう。
「えっ…」
 遅ればせながら、自分でも驚くような時間差の声が出る。
 なんだよと言わんばかりに眉を上げるアギレオの顔からいったん目を離し、少しじっくり、寝惚けた頭なりに考えてみる。
 少し、鼓動が速い。
「なんだよ。嫌か」
「ああ、いや、」
 顔を上げ直して目を戻し、けれど知らず首をひねりながら話す格好になってしまう。
 どう言葉に表したものか、と、思案しながら、間をもたせるように身を置き直して。アギレオの脚に足を絡め、手先を引っ掛ける程度の浅さでその背を抱いて、顔がきちんと見えるように距離を取り直す。
 腕枕を抜き、三角の支えにして頭を起こすアギレオの顔を見上げ。
「男同士なのだから、無理に男女の真似をしなくてもいい、ように、思う…のだが…」
 どうだろう、と顎を傾いで意見を求めるのに、まず返る笑い顔は優しく、自分でも理由の分からないまま、小さく胸を撫で下ろす。
 腰を抱き寄せられ、少し身を寄せて。
「別に男と女に限ったもんでもねえように思うが。エルフは男と女しか結婚しねえのか」
 即答で頷きかけて、いい加減なことを言ってしまわぬようにと、記憶を辿る。
「…見聞きしたことはないように思う。私があまり関心がなくて知らないだけかもしれないが、そもそも、森の外ほど婚姻が頻繁でもないかもな…」
「えっ」
 驚きの声に、顔を上げて頷き。
「珍しいというほどではないが、恋愛関係もそれほど日常的ではないのではないだろうか…」
「えっ」
「きちんと数をとって聞き取りしてみなければ確かではないが…。軍の任務で森の外にいることが長くなってから、他の種族はこれほど性愛が盛んなのかと驚いたことがある」
「……マジか……」
 生きる時間が短いから、確かに種族の維持のためには必要なのだなと、その時そう思ったことを同じように告げれば、なるほどなあ…と、感心するような呆気に取られるような声が返されて。
「へええ、そうかあ。なら、恋人ができたら結婚を意識するってのもねえか?」
 考えてみて、自らの中の推論を集めてみてから、恐らくと頷く。
「そのように思う。……、お前は、…」
 鼓動が強くなって、一度息を飲み直し。
「お前は…、…私と結婚したいと考えているのか?」
 間を置いてから、ううん…と唸る声が落ち、瞬く。
「どっちかっつうと、お前が喜ぶかと思って?」
 肩など上げるアギレオに、少し目を丸くしてから、それから息を抜いて。そうか、と、綻んでしまう顔を押しつけるよう、彼の胸に額を擦りつけ。
「そういうことであれば、私自身は、……あまり、ピンとこない。正直なところ」
 ピンと、ねえ、などと声で頷きながら、また髪を撫でてくれていることの方が、喜びとしては分かりやすい。
 鼻先もこすりつけ、大きく息を吸って、汗ばんだ肌の匂いを吸い込み。
「……。アギレオ、…なあ」
「ン?」
 顔が、熱い。きっと耳の先まで赤くなっている。
 恋人が喜ぶかと考え、婚姻を持ちかける、その気持ちがどんなものかは、遅まきながらも理解ができて。
 とても嬉しい。
 そうして、きっとこれを与えてくれようとしたのだと分かって、ひどく照れ臭い。
「ならば…、…そう言ってくれるのなら、……お前が私の伴侶だと、私はお前の伴侶だと、思っていてもいいだろうか…」
 短い間沈黙があってから、後ろ頭に髪を引く仕草に促されて、顔を上げる。恥ずかしすぎて目が滲む。
 向けられるお馴染みの、けれど、皮肉っぽさよりも愉快そうな色の濃い片笑みを見つめ。
「違いが分かんねえんだが。…もちろん。それが、お前の喜ぶことでありゃ、それがいい」
 ふふ、と、笑う息に思わず声が混じってしまう。
 首を伸ばして唇を求め、応えてくれる唇に重ね、舌や唾液を交えず、何度もくちづけを繰り返して。
 腕や足を絡め合い、互いに互いの髪を撫でては肌を寄せ、危うく熱くなりかける。そこに、理性へ呼びかける朝日に似て、扉の向こう、玄関から聞こえるノックの音に、二人揃って顔を上げた。
 少し待ってくれ、と声を掛けて、寝台から降り、簡単に衣服を身に着けて玄関へと向かう。
「すまない、待たせたな」
 扉を開き、大人しく待っていたのがリーであったのが意外で、瞬きながら室内へと招き入れる。アギレオと親交が深く、付き合いの長いリーはノックに返事をすれば扉を開いて入ってくることが多いのに。
「朝から悪いな。アギレオに客なんだが、起きれそうか?」
 アギレオの様子は、リーはもちろん、砦の面々が多く集まる食事の時間にできるだけ報告するようにしている。自分で寝起きするようになったことは承知なのだろう。
 それよりも、客と告げながら足を踏み入れた後ろ、見慣れぬ顔をリーが目で示す。
 精悍、と簡単にいうには穏やかで、物静かだが威厳を感じさせる、不思議に既視感のある佇まい。リーとそれほど違わない頭の位置に、人間にしては長身の方ではないだろうかと、その男を見て。
 そうか、と、浅く額を下げて会釈し。
「起きられると思うが。声を掛けてくるから、食卓で待っていてくれ」
 勝手知ったるリーに案内を任せ、何もなければまだ寝台で寛いでいるだろうアギレオを窺いに、再び寝室へと踵を返した。

 声を掛ければ起き上がり、衣服を身に着け、立ち上がるのに寝台に縋り、歩くのに壁を伝うようにしていても、寝室を出れば客前と思ってか何事もないように歩いてみせるアギレオの後につき。この男が転ぶようなことはないだろうが、念のためアギレオが席につくのを見届けてから、それぞれに飲み物を尋ねる。
 オークの襲撃に遭い、撃退したものの住処が焼け落ちて、と、客がここを訪ねてきた経緯をリーが説明するのを耳に入れながら、客の所望した薬草茶のために湯を沸かし、アギレオとリー即答のリンゴ酒をカップに注いで先に配る。
「ここも襲撃に遭ったんだってな。忙しないところに、悪かった。俺はヴィルベルヴィント、祖霊は鹿だ」
「アギレオだ。これでも人間だ、ってえ、言っとくべきかね」
 笑うアギレオに、リーから聞いた、と頷く客は仕草も物静かだ。
 なるほど獣人だったのか、と、声にはせず納得し。祖霊が鹿だというのも、既視感があったのにも、名乗りを聞けば腑に落ちて。
「私はハルカレンディア、エルフだ」
 自分も腰を落ち着けてから名乗るのに、エルフだな、と、頷かれて少し口角を緩め。
「本当にその辺にエルフがいるんだな。変わった国だとは聞いていたが、目にすると改めて驚く」
 クリッペンヴァルトに生まれ育った己には実感はないが、森の外では当たり前に耳にする評価だ。相槌を打つところにアギレオとリーが振り返り、ヴィルベルヴィントへとまた向き直って。
「いや、大きな街ではたまに見るが、そんなにその辺にはいないな」
「こいつは変人なんだよ」
「変エルフだ」
「!? そんな風に思っていたのか!?」
 肩を竦め目配せし合う二人に、思わず目を剥く。
「なるほど、たまたまここに変エルフがいるのか」
「妙なところに馴染む必要はないぞ!?」
 思いがけぬところで息を合わせてくる客に、率直に驚き。
 間を置いて三人ともが、小さく噴き出したり笑いを堪えるのに、からかわれたのだと気づいて口角を下げる。
「んで、鹿の獣人がンな遠いとこから、はるばるどうしたよ?」
 湯が沸いたのに気づいて席を立ち、薬草茶を煎れに流しへと足を向け。
「住処を探してるそうだ」
「ああ。集落を襲われたからには、またその近くに越すんじゃ落ち着かないし。かといって離れちまえば、土地勘がなくて右往左往してな」
 ここへの襲撃とそう変わらぬ頃に、別の集落が襲われている。オークが繁殖の時期を終えてうろつき始めたか、と、国軍に上げるべき報告を考えながら、茶葉を入れたポットに湯を注ぐ。
「そうなあ…。人数が減ったところだ、働き手は歓迎するけどよ。うちは荒っぽいからな…。その、人数が減ったってのだって、オークに襲撃された上に、すぐ隣のエルフとこの変エルフ達のケンカに手ぇ貸す約束のせいだ。ここなら安全だ、なんざ、とてもじゃねえが言えねえぜ」
 薬草茶のカップを配り、やり取りに耳を傾けながら再び腰を下ろして。
「分かった。一度戻ってみんなと話してみるが、頼むことになると思う。安全だろうが危険だろうが、どうも俺達獣人ってのは、人間みたいに、逃げ延びた先でどこでも落ち着けるって風にはいかないからな」
 そういうものなのか、と相槌を打ちながらも、だが例えば守護地を焼き払われたとしたら、エルフとてどこにでも住めるとは言い切れないなと、腹に落ち。
 それはそうだ、と頷いているリーとは違い、そんなもんか、とアギレオは眉を上げている。実際、アギレオ自身が放浪の挙げ句に海を越えてここに居着く流れ者であり、やはり人間は強いなと、少し頬を緩めた。
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