星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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25、魔術師

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「空気が読めねえんだよなあ~…、エルフってやつぁよ…」
 腰に手をやり、項垂れるようにして大きく息を吐くアギレオに、反論がないわけではないが、今は同感の思いが強い。
 それよりも。
 行かなくては。と、顔を上げて、報告された北西の方向を見る。そこへ、シュッとアギレオが鋭い息をひとつついて身を起こすのが目の端に触れて、振り返った。
「ベル、夜の連中全員に声掛けて、まだやれるやつがいんなら集めろ。ただし、お前が見ても明らかに無理だろってやつは、蹴倒して寝かせとけ」
 分かった、と、強く頷いてすぐに駆け出すベルを見送る間もなく、今度はゼンガーに。
「ルーとレビに伝えろ。昼の連中、必ず二人以上で組んで、残ってるオークがいねえか、砦ん中をしらみつぶしに探せ。だが、怪我人の手当を優先しろ。探すのは手が空いちまうやつだけでいい」
 伝える、と、ゼンガーも頷き、踵を返していく。
 またそれを見送らず、今度はリーへ、それから己へと目を向けられるのに、思わず手で探って剣と弓矢を確かめ。
「範囲は広えが、お前ら二人で森の南を隅まで駆け回って、逃げたオークをどうしても探し出してくれ。一匹も戻らせるわけにはいかねえ」
 必ず。と、応じながら踵を返して駆け出すリーが、瞬く間に狼に変じる。その姿が見えなくなるのを、見送ることもない。
 一瞬言葉を失い、目を剥いて頭を振る。
「北へ行かなければ。谷のエルフは私の管轄だ。傷も負っていない、お前と二人でもどうにか追い返せなくはないはずだ」
 何か言おうとする唇を一度引き結び、強く歯噛みしてから、アギレオが深く息をつく。
「逃げたオークを探してくれ。お前はエルフだ、他の誰よりオークには詳しいだろう」
 頭と口が、迷う。
 アギレオの言わんとすることをおぼろげに予感しながらも、王都を離れ、たった一人のエルフとしてこの場所に留まっている責務が、思いに絡まって。
「砦の場所を知られた。巣まで情報を持ち帰らせちまえば、オークは必ず戻ってくる。砦か、あいつらの巣か、どっちかが空になるまで、何度でもだ」
 頭の中で、染みるほど身についたオーク討伐の知識が、アギレオの言葉を継ぐ。
 何度でも、しかも休まずやってくる。殺し、食らい、滅ぼすことが、オークの生きることだからだ。息をするほど当然のように、どちらかが潰れてしまうまで戦いを挑んでくる。
「お前の務めは分かってるつもりだ」
 続くアギレオの声を、うつむいた額の向こうで聞く。迷いを捏ねるよう、手で口元を覆って擦り。
「頼む、」
 耳に届いたアギレオの声に、驚いて顔を上げる。この男が“頼む”などと言ったことがあっただろうか。
 目を瞠ったまま、下げられた頭を見て。
「今回だけ聞いてくれ。ここが俺の群れだ、どうやっても守らなきゃならねえ」
 彼が一言喋るたびに、ひとつひとつに驚き言葉を失い。それから、腹を括る。
「分かった。北はお前に任せる。私も、逃げたオークを必ず見つけ出し、一匹たりともやつらの拠点には帰らせないと誓おう」
 顔を上げたアギレオの、あからさまな安堵の表情すら、見覚えのないもので。震える胸が、けれど、理由も分からぬまま締めつけられる。
「恩に着るぜ、騎士ハルカレンディア」
 片寄らぬ笑みで呼ぶ称号は、一体どんな思いから出ているのだか。
 任せたぜ、と、言って踵を返していくのに頷いてみせ、駆けていくのを見送って。
 己も身を翻し、走り出す。
 襲撃から既に時間が経っている。森の南を隈無く探すだけでは足りない可能性もある。木の葉や土を掘り返すほど、オークどもの足跡を確かめ、辿り、それを必ず途切れさせなければいけない。
 何度でも戻ってくる、と、考えた時に頭に浮かんだ景色を、現実にさせないために。

「エ゛ル゛、」
 己の足音に身を隠したのだろう、後ろから飛びかかろうとしたオークを、だが振り返りざまの矢で射貫く。地に落ちたところを、苦しまぬよう眉間をもう一矢貫いてやってから、その他には外向きの足跡がないのを確かめ、次へと走る。
 それほどの強者つわものがいたようには見えなかったが、200の軍勢だ、指揮官もいたのだろう。森を分け入った行軍には、獣人に襲われたわりには乱れが少ない。
 被害の少なかったことに改めて胸を緩めながら、オークの行軍の跡を逆に辿り、そこから外れるものを途切れるまでひとつひとつ追っていく。
 どれも森から出てはいない、と、息をつきながら立ち上がるところへ、ザッと草を分けて大きな狼が現れ。
「リー。こちらは一体隠れていた」
 そちらはどうだ、と、問いを向ける先で瞬く間にヒトの姿を取って、リーが立ち上がる。
 頷きながら辺りを見回し、神経質そうに目を細くするのを見守って。
「二匹いた。だが、それだけのようだな。森の端まで巡ったが、匂いも途切れてる」
 そうか、と、頷こうとするところへ、ズン…と地鳴りのような音が聞こえて、振り返る。音を頼りに振り向いたのが北の方角だと気づけば、血の気が引いた。
「何の音だ…!?」
 分からない、という一語が咄嗟に出ない。短く頭を振り。
「北へ向かう!」
 駆け出す背に、砦の無事を確かめてからすぐに追う、と、リーが声を投げているのに、答えるいとまもない。
 二度三度と、さきほどと同じような音が響き、汗が噴き出す。
 一体、誰が、何を。
 けれど、北へと進むにつれ、地響きのような音の後に別の音が続くのがかすかに聞こえて、身の奥で震えが湧く。
 メキメキと樹を無理にへし折るような音、それに続いて、また大きな音がして、嫌な想像が頭にチラつき。
「そんな…」
 交戦の中心になっただろう場所へと近付くだに、身の内が冷えていく。
 木々が茂って木陰だったはずの場所に光があふれるのが遠く見え、鉄錆てつさびのような血の臭いが満ち、木々の荒れた様子とは裏腹に、ひどく静かだ。
「何をした、ベスシャッテテスタル…!」
 呆然と、だが急いで異変の中心へと向かう足の下方にかすかに声が聞こえて、辺りを見回す。木の根と草むらに紛れるように身を隠し、うずくまっていた一頭の山犬が、己を見上げてヒトの姿に戻り。
「怪我をしたか。どこをやられた」
 身を屈め、魔術だろう、高温で灼き切ったような傷と、無理に引き抜いたらしい矢傷を見つけ、懐から手拭きを抜き、衣服を裂いて傷を縛る。手を当てて霊力の流れを助け、巡る血を助けてやる。
 これで保つだろうが、軽傷とは言いがたい。
 倒れている谷のエルフの脈を取り、こちらは既に息がないのを確かめてから、進むたびに出会う負傷者の応急手当に足を止め。
 谷のエルフの方が多いとはいえ、獣人達も自力で立ち上がれる者はなく、死者も出している。
 そうして、ようやく辿り着いた光の場所へといたって、立ち尽くす。
「ああ……」
 ほんの数日前、アギレオとリーと、ケレブシアと己で話したことを思い出す。
 入り組んだ場所で遮られるよりも、開けた場所で放つ魔術は強力だ。だから谷のエルフは、こちらを誘い出したいと考えるだろうと。
 だが、彼らはその時を待ちはしなかったのだ。
「何故、ここまで…」
 魔術の力を使ってだろう、戦いながらまさか斧を振るったはずもない。森の外から内側へ向け、途方もない力をかけて木々をへし折り薙ぎ倒し、“開けた場所”を作ったのだ。
 火を放つのと違い、数本の樹を伐り倒すのは、森の破壊とはいえない。エルフの力の源である森の精霊の不興も買わぬ、良い手だ。
 それでも今までは、このようなことはなかった。
 ハッと、暴挙の痕を半ば呆然と眺めるばかりだった顔を上げる。
 アギレオと話さねばと思い、気がついたのだ。
 獣人と違って、獣に変じて身を隠しているわけがない。だが、あの巨体が倒れているのも見ておらず、声すら聞いていない。
「アギレオ! アギレオ、どこだ!」
 森の外から押し込んで爆ぜたよう、樹は放射状に倒れている。だが、その外縁のこちら側を通ってきただけだ。逆側にも、まだ倒れている者がいるのかもしれない。
「アギレオ!!」
 あの頑丈な男が、声も上げぬほどの重症を負っているのだろうか。まさか、と、浮かぶその先は、遮られたように思い浮かべられない。
 そんなわけがない。まだ息のある者もいたのだ、それよりも先に倒れるわけが。
「アギレオ、どこにいるッ!!」
 薙ぎ倒された樹の下になったか、強く身を打ちつけて気を失うことだってありえる。まさか。そんなはずはない。そんな、
 喚くような己の声に掻き消してしまいそうな微かな声が聞こえて、木々を掻き分ける。重なり合った幹の上の方に手を掛け、早口に詠唱をとなえて風を起こし、魔術で己の手を手伝い。
 押し退けた樹の下敷きになっていた、見知った顔が現れ、飲む息を、隠す。
「……ェ…ル……フ…」
「フラン。喋るな。すぐにケレブシアも、リーも駆けつける。…大丈夫だ」
 狐の獣人の兄弟、弟の方のフランだ。
 大丈夫だ、と、声を掛けてやりながら、手をかざし。できるだけ痛みが伝わらぬよう、潰され砕かれた腹より下からの霊力の流れを妨げてやる。
 下半身は形を成しておらず、手助けのしようがない。
 傷に障らぬよう、胸に手を当て、痛みのない己の生気が伝わるようにと霊力を注ぎ。
「……す…け、て………ルフ…、……ら…」
「無理に話すな。大丈夫、すぐによくなる」
 目を閉じてしまったかと思えば、力を込めるようにまた瞼が持ち上がり、苦痛を長引かせるだろう命の強さに、歯噛みを隠す。
「…おれ、は…も……」
 フランが息をつぐたび、目を向けぬ彼の腹の辺りで、微かな水音がする。
「……った……、れが、…るかった、……やまる、から…」
 その涼やかな双眸にみるみる溢れる涙に、眉が下がってしまう。
「……何を。…どうした、フラン、何を言いたい……」
 涙を溢れさせながら、だが、フランの目が動き、顔を持ち上げ、今にも震えて落ちそうな腕を伸ばし。その指し示す先を、見る。
 爆心地とでもいうべき、薙ぎ倒された木々、その起点。無理に開かれ、光を入れる場所。
「……エ、ルフ………、……あゃ、まる、か…ら……たすけ、て……」
 リューが。と、その名を伝えて力尽きるよう、その先には言葉も息もなく。
 息尽きたフランの瞼を閉じて、涙に濡れた頬を拭ってやって。
 立ち上がり、振り返る。
 幾本もの木々を薙ぎ倒した力の中心。指さされた、そこにいて無事だったはずがない。
 どういうことだ、と、奥歯を食い縛るようにして、倒れた木々の根が集まるそこへと踏み出した。
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