星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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22、意外な使者

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 再び一晩の楽しい野営を経て、砦を隠す森の端が見えてくれば、馬上の隊列のあちこちから安堵と喜びの声が上がる。
「戻ってきたな」
 最後尾で馬を並べるアギレオを目端に振り返り、また森へと目を戻して眦を柔らげ。
「おー、出掛けてウロウロすんのは好きなたちだが、その楽しいっつうのと、我が家ってな、また違えんだよなあ」
 平気で手綱を離して伸びなどしているのに、頷く口元も緩み。
「それは分かるな。本当に楽しかったし、名残惜しさすらあるが、やはり住み慣れた場所はいいものだ」
 それぞれに荷を積み、馬の負担を減らすために行きよりものんびりと歩ませる足も、心なしか少し軽くなるように見えて。
 前をゆく面々も、途端のように賑わい、それぞれに言葉を交わしているのを和やかな心持ちで見守る。
 前衛を守る獣人が森を指さし、隣の獣人と顔を見合わせているのを目にして。森の向こう、砦の家を指しているのだろうと穏やかになる気を、だが、指さした彼が振り返り、向けられる声が張り詰めているのに、皆の空気が一変する。
「馬が来るぜ、――走ってる…一頭、一頭だ!」
 目と鼻の先に森が近付き、隠された入口も次第に見えてこようというところで、狐の獣人であるフランが声を上げる。
 守備を置く砦のある森で、馬が駆けているというのは、気持ちのいいものではない。
 だが、音にも目にも見えず、獣人達の感覚の鋭さかと思えど、目を凝らす。前をゆく人馬の影にもなり、フランの声が指し示したものを確かめようと、手綱を持ったまま鞍の上に立ち上がり。
 見えぬ、聞こえぬ、が、目の先の森に僅かながら木々のざわめきを感じる。
「――散れ! どっか適当に隠れろ!」
 アギレオの声ひとつで隊列は散り、傍の岩陰や木陰を探して各々に馬の鼻先を変え。
「どこから来る…?」
 目を凝らしながら立ったまま手綱を操り、ひとまず隣のアギレオに合わせて馬の足を物陰に向けさせる。「砦の方からだ…!」と、今度はひそめた声でフランが伝え、降りろと舌打ち混じりにアギレオが言うのに、馬を岩陰に隠しながらそのまま飛び降りた。
 隠れ道はすぐ目の前だ。
 森の途切れた道の、今しがた自分たちが歩みを乱した跡は、斥候であればすぐに見つけるかもしれない。何者か、砦の巡回を掻い潜って国境を抜けた谷のエルフ、それとも、と森への入口を見つめながら頭を巡らせる。
 ――聞こえた。ドド、とひづめを踏み鳴らし、駆ける馬の足音。木々の茂る森を抜けるのは、馬にとって得手ではないが、足音は淀まず駆けているのが分かる。
 境の森に通じた者が乗り手か、と、確実に近付く足音に耳を澄ませる、その目先に躍り出る一頭の馬の姿。
「――!?」
 乗り手がいない。くらもつけていないが、走る度に手綱が躍る、真っ黒な青毛に靴下を履いたような白足の。
「スリオンッ!!」
 姿を隠したこちらを探るわけもなく、今自分たちが歩いてきた道へとそのまま駆けていく、あっという間に過ぎる黒い風。間違いない。
「スリオンだと!?」
 乗り手はいねえのか、落としたのか!?、何があった、と、それぞれに上げている声を背にして、駆けていった馬の方へと向き、口笛を吹く。
 振り向きはしなかったが、己の声に足を緩めたのを確かに見た。猛って逃げ出したのではないはずだ。
 高く、遠くに響かせるよう口笛の音を伸ばし、少し待って。もう一度試そうと息を吸い込んだところで肩に手を置かれ、息を止める。
「もう少し待て。馬の耳なら今ので聞こえたろう」
 スリオンが駆けていった、道の向こうを見ながら声を低くするアギレオに、頷く。
 何かあって、何者かが近くにいるなら、明らかに人為的な合図である口笛は、吹き放題とはいかない。
「全員馬に乗れ、どっち向きにでも動けるようにしとけ」
 声の揺れで顎をしゃくっているのが分かるが、己は、ひとまず馬を待つ。アギレオもすぐに馬に戻る様子はなく、張り詰めた空気とひそめた声ばかりが背の後ろ。
「――…来た、戻ってる、戻ってくるぞ…!」
 相変わらず、フランの声が最も早い。思わず振り返り、また道の先を見ても、過ぎていった砂埃の名残しかまだ見えず。
 それでも、数秒で僅かな黒い影を現し、それが見る見る馬の形になり、真っ直ぐにこちらへと駆けてくるのを目にして、胸を撫で下ろす。
 先よりは緩い駆け足で、己が見つけるより早いのか、迷わずこちらへと向かってくる馬体に、少し迎え出ながら、手を上げて止まるように促して。
 身をかわし、息を荒げながら蹄を踏み鳴らし、しばし止まりきれず傍をまわるが、荒ぶってはいない。自ら抑えようと、上げた腕に顔を突っ込みたがるのを受け止めて、鼻先を腕に抱き、首を撫でてやる。
「おいハル、乗り手はともかく、鞍ァ落としちまうなんてことがあるか?」
 少し思案して、だが頭を振る。鞍のつけ方が悪く、乗り手もろともということも考えられるが、確率は低い。
「放したか逃げ出したと考える方が自然なように思う。アギレオ、鞍を移し、スリオンに乗って砦へ戻れ。それが一番速く、確実だ」
 唇を噛むような表情で馬のまま集まり始める面々の顔を、今は確かめずアギレオを見る。とてもではないが、いい予兆とは考えにくい。
 ふむ、と、思案げにひとつ鼻を鳴らし、アギレオがスリオンの首を撫でる。
「だとよ。振り落として、くれるなよ…!」
 慣れたように馬の背に手を掛け、身軽にそのまま飛び乗り跨がる様子に、少し目を瞠る。行け!と、馬に不必要な打撃も与えず声ひとつで駆けさせるのを、声をなくして見送って。
 裸馬はだかうまに乗れるのか、と、場違いに感心してしまう。
「ハル!」
 呼ばれて振り返り、カルラが進み出て、馬から飛び降りるのに瞬く。
「荷を載せ替えた、あんたも馬を替えて。あたしの馬が一番疲れてないよ。あんたも行って…!」
 今の短い騒ぎの中、どういう判断をしたのかと、だが問うている場合ではなさそうだ。
「うぇぇいィィ、俺らはせいぜい、慌てて荷物ブチまけねえように帰るぜぇぇ」
 アギレオが抜けた隊に、ナハトが指揮を執り、揉めることもなく指針が決まって、彼らはすでにそのように馬を動かし始めている。
 改めてカルラを見つめ直し、頷く。
「スリオンはたった今、森を抜けてきた。何かあったとしても、そう時間は経っていないはずだ」
 大丈夫、と、強く頷くカルラの、けれど引き結んだ唇は微かに震えている。大丈夫、と、同じように再び頷いてから、荷を移して身軽になった馬に飛び乗り。
 行こう、皆が心配だ、と、エルフの言葉で馬に呼びかけ、背を打って腿の内で軽く鳴らすように合図してやる。
 馬というのはひどく敏感なもので、乗り手達の騒ぎが伝わるのだろう、その身や脚が強張っているのを感じる。行こう、と、もう一度かけてやる声に、勢いつけるように前足を踏み鳴らしてから、心を決めたように馬が駆け出した。

 最悪の事態に備える気が抜けてしまいそうになるほど、砦の様子はそれほど乱れてはいない。
 だが、人間達は走り、あるいは歩き回って何かを相談し合い、何より、そこここに獣人達が起きてきているのが見える。
 アギレオがそこで降りたきりなのだろう、食堂のそばで草を食んでいるスリオンを見つけ、乗っている馬と共に馬小屋の傍に放しておく。
 そうして駆け戻る食堂の扉を開いてくぐり、集まった顔ぶれを見れば、もちろん、何事もなかったというわけにはいかないのが分かる。
 椅子に座ったアギレオが腕組みする、机を挟んだ正面でリーが話し、その両隣でレビとルーが黙って二人のやりとりに耳を傾け。少し間を置くようにして獣人達と人間達の何人かが腰掛け、やはり中心の二人を見守る表情は固い。
「どうした。一体何があった?」
 輪の中心に近付きながら、手前のルーに声を低くして掛ける。振り返って、ルーが琥珀の瞳だけで頷き、アギレオとリーの邪魔をせぬようこちらへと近付いてくれるのに足を止め。
「オークよ。まだ距離はあるけど、まっすぐ砦に向かってるの」
 魔物か…!、と、声は立てず腹の内で唸る心地で、頷く。
「ここに砦があることを知るはずはない。森を突っ切ってどこかの集落を襲おうというのだろう。できれば森に入る前に潰してしまいたいな」
「ええ、そうね。ただ…」
 その傍へとレビも足を寄せてくれるのに、目をやり。
「数が多いんだ。それで、できれば伝令でんれいにも何日も人をきたくなくて、スリオンだけ行かせた」
「ケレブシアだったか。大胆なことをする」
 風の魔法で、買い出しの隊の通る道とぶつかるように誘導をつけて、と、説明してくれるのに、なるほどと深く頷く。複雑な魔術を使いこなすケレブシアと、エルフの馬であるスリオンの組み合わせならではだ。
 上手くいったようだ、と、ケレブシアに頷いてみせてから、今度はルーとレビ、二人へと目を配り。
「それで、オークの数はどのくらいだ?」
 短い間、ルーとレビが目だけを見合わせるのに、眉が寄る。
「……、200」
「――…」
 にひゃく、と、思わず口の中で声にせず繰り返して、歯噛みする。
 砦の人数は今どれほどだったか。人間と獣人、年寄りから子供まで合わせて、おそらく50前後のはず。三分の二程度が人間で、彼らはみなが戦士というわけではない。それに比べ、オークは200全てが、人間ならば圧倒するほどの戦力だ。頼みの綱は三分の一の獣人ということになる。
「リーお前、数がかぞえらんねえんだったか?」
 被害が出る。それも深刻な、と、思考の沈むところに割って入るようなアギレオの声に、思わず目を向ける。それは明らかに、同じようにして黙る、この場の面々の顔を上げさせるための色で。
「獣人は今、何人だ?」
「…16。…全員でだ」
 肩を竦めるアギレオに、鋭い目つきでリーが答える。
 獣人達の中には“若手”と呼ばれているものがあり、言葉通り年も若く、戦闘においても年長のものほど熟達しているとはいえない。言外に含まれる意に、だが取り合わぬようアギレオは気怠そうに首を回し。
「獣人一人でオーク10匹殺せ。…いや、けど死なれる余裕はねえからな、二人組で二対一でかかって、二人で20匹、ってとこか」
 その声に、頭の中でオークの群れの数が減る。
 200の内、16人の獣人が160匹のオークを倒す。
「…ひとり10匹か。…そうだな、合計でその数ならなんとか…」
 一人が10体のオークを倒すというのは、充分にとてつもないが。ただ、確かに、一人で10体に取り囲まれろという話ではない。また、彼らは腕に覚えがあるのも事実だ。
 自分とレビで同じように、と、考えているところへ、アギレオの一言で、一瞬にして場が静まり返る。
「残りは俺が片付ける。それでしめえだよ」
 想像していなかった言葉に、思考すら一瞬止まり。それから、ふつ、と笑いが湧いてしまう。さすがに場違いだ、と手で口を覆ってこらえるところで。プッ、と、噴き出す息、クククッと喉で笑うような声があちこちで転がり始め、笑い出す中にアギレオがただ肩を竦める。
 ふいに、アギレオはいけ好かないやつだろう、と言ったリーの言葉を思い出し、こらえきれずに肩を揺らしてしまう。
「数が数えられないのはお前の方だろう。俺の分をもう10足してもらう」
 笑いながらリーが言い、私達は人狼ですもの、と、ルーが名乗りを上げると、ああ!?と、アギレオがわざと眉をしかめ。
「それじゃ俺の手柄が足りねえだろうが」
「仕方ないな。俺たちは足が速い」
「おう。待てよ、聞き捨てならねえな」
 そう、まるで普段のように軽口を叩き合いながら、けれど再び頭を付き合わせて現状を整理するテーブルへと、アギレオの隣に腰を下ろして加わった。
 数が多いというのは、それだけで、簡単なことではなくなってしまう。
 知らず突っ切るつもりのオーク達の進む方向を、獣人達が可能な限り逸らすにしても、数で劣るため自在にとはいかない。
 200の部隊の向きと、説明される距離を考えれば、獣人達に削られながら、本隊はどうしてもどこかで砦の中に突っ込んでくることになる。
 獣人達の得手とする、混み入った森の中での戦闘で可能な限りオークを減らし、残りは砦で迎え撃つしかない。
 テーブルに広げた地図でその配置と時間を作戦している間に、ナハトの率いる買い出し隊も合流して、砦の総員でオーク軍を迎撃する伝令が行き渡ることとなった。
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