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3、魔術師の弱点
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「おっ」
大きな籠を抱えて現れた女性の声で、その場の全員が振り返る。手入れされた灰色のまとめ髪に琥珀の瞳、噂の名の持ち主、ルーだ。
「興奮して喋ってるけど、ミーナはへとへとなのよ。明日にしてちょうだい」
「お。今お前の話を、」
「あとあと」
「ちょっ、ルー、お前なあ」
頭領であるアギレオの声も意に介さぬルーとのやりとりに笑う内に、揃って追い出され、思わず顔を見合わせてしまう。
「お頭、ねえ、レビにもお礼を言っておいて。大事な時だったのに」
閉じられる扉の向こうから追い掛けるように聞こえたミーナの声に、おー、と振り返りながらアギレオが声を返すのに、はたとその顔を見る。
「魔術師との戦闘について、レビに意見を仰ぎたい」
だな。と寄越される頷きに、頷いて返しながら、再び砦を見渡す。
自分たちがミーナの家に向かう時には、“片付け”を終えて三々五々に戻っていた獣人達の姿は既に見えない。
祖霊と呼ばれる、それぞれの系譜である獣に姿を変じる彼らは、普段はほとんど人間達と見分けがつかないながら、その身体能力や生活習慣などの特徴はやはり各々の祖霊に近いものであるらしい。
現在砦に属する獣人達はほぼ全てが夜行性の暮らしをしており、日が高くなったこの時間は、昼を生きる者でいえば夜中だ。眠りに就いてしまったのだろう、と、砦の外側に集まるような静かな戸口を見渡す。
「リーも呼びてえとこだ。そろそろ飯の時間だな、食堂にすっか。レビを連れてきてくれ」
「ああ、分かった、……起こすのか」
狼の獣人であるリーも寝入り端ではないだろうか、と、薄ら同情の念が湧く。
「夜に持ち越したら、あいつら今度は外に出ちまって話が行き届かねえからな。話が済んでから寝かせりゃいい」
「分かった」
手短に済ませよう。と、元はアギレオと同じく野盗ながら、いつも親切な彼の顔を思い浮かべた。
魔術師の家は、森よりなお濃い緑の香りで満ちている。
「ケレブシア、少し話せるだろうか」
己が、ここではハルカレンディアという名を短く詰めてハルと呼ばれるように、レビと呼ばれている魔術師の名は、正しく呼べばケレブシアだ。
開いてる、と、扉の向こうから聞こえる声に招かれ家内へと上がり込み、知らず胸を波打たせるように緑の匂いを吸い込む。
そこかしこの壁や、また壁から壁へと渡すロープには様々な木の葉、薬草、花々が吊り下がり、調剤図、魔方陣図、書き付けなどが張り出され、陽の光を取り込む窓に背を向けた本棚にまで、テーブルやカウンターからあふれた薬瓶が浸食している。
白に近い銀の髪を結って上げ、顎をひねりながら、こちらの薬草をあちらの瓶へ、こちらの壺の中身を別の皿へと、忙しなく作業していた彼が、振り返る。
銀のまつげの下で珊瑚色の瞳をまばたく、白い肌から流線を描いたような耳は自分と同じに先が尖っている。ケレブシア――魔術師のレビは、半エルフだ。
「ハルカレンディア。戻ってたのか」
同じ王都の出身であり、エルフの文化になじみの深い互いの間でだけ、自分達は詰めぬ名を呼び合う。なんの約束でもなく、了解ですらないささやかな習慣ながら、そう呼ばれれば、長く王都に暮らした過去と、国境の砦に居を置く現在がつながっていることを思い出すようで、少し心安い。
砦で唯一の魔術師でありながら参戦しなかった、先の戦闘が気になるのだろう。レビに探るような目を向けられ、頷く。
「ああ。ひとまず“今回は”上手くいったようだ」
うん、と頷き、魔術師は思案げに口許を手で覆う。
「“今回は”な…」
「そうだ。先日話した目算通り、…ああ、いや、」
言いかけ、ふと言葉を途切れさせるのに、珊瑚色の瞳が、うん?と上がる。
「アギレオと、その話についてレビにも意見をもらいたいと話していたんだ。続きは食堂で話そう。アギレオはリーを呼んでから向かうといって、別れたところだった」
ああ、と合点すると、ちょっと待ってくれと手早く仕事を片付けるレビを伴い、本題は後回しに雑談に興じながら二人で家を出た。
砦の薬師を兼ね、頻繁に水を必要とするため川沿いに建つ魔術師の家から、川の流れに沿って下るように家々の中心に建つ大きな建物へと足を向ける。
昼を担う人間達と夜を狩る獣人達が少なくとも数十人は暮らす砦の食事を効率的にまかなうため、この食堂では、陽が高くなる少し前の今頃と、早朝と夜と三度の食事が供される。
扉を開けば、女達が忙しなく動き回り、人間達が集まって食事を摂る賑やかな声が途端に溢れ。いくらか挨拶の声を交わしながら目を配ると、既に隅の席について顔を突き合わせているアギレオとリーを見つけることができた。
レビと揃って隣り合う椅子に腰を下ろし、その途端、ダイナという女性が「何か持ってくる?」と声を掛けてくれるのに立ち上がる。エールをもらいたい、と答えながら自分で取りに向かうのに、ついでに三人の要不要も聞き取って運び。
それぞれが好きなように厨房から食べ物を受け取り、エールのカップも配って座を仕切り直す。
「おう、そうだレビ。ミーナから伝言預かったぜ。“大事な時だったのにありがとう”だとよ」
めいめいに食事を始める中にアギレオから伝えられ、レビは眦を緩める。
「万が一と思ったんだけど、用無しだった」
「何よりだな。お前がいてくれて助かった」
アギレオとリーから声を掛けられ、少しはにかむように頷くレビに、こちらも思わず頬を緩めてしまう。
「――で、だ」
区切りをつけるようなアギレオの声に、この場に顔を揃えた三人が一様に目を向ける。
“人狼”の別名を与えられるほど、その戦闘能力の高さで知られ恐れられる狼の獣人であり、砦ではアギレオが頭領であるという以外の定めはないということながら、実質アギレオの右腕を務める位置のリーが、琥珀の瞳を向けたまま頷き。
砦内では唯一の魔術師、半エルフであるレビは先と同じように思案げに口許を撫でている。
レビとは別の意味で砦内唯一、クリッペンヴァルトの国軍に属し、この境の森へ派遣された形のエルフであり騎士である己もまた、アギレオの言葉を待つ。
「記念すべき初戦の首尾は上々っつって差し支えねえだろうが。お前らに事前にあれこれ考えてもらってた通り、こりゃおおよそ奇襲の成果でしかねえ」
肉料理を頬張りながらも、面白くはなさそうなアギレオの言葉に目を伏せ、頷きを重ねる。
隣国ベスシャッテテスタル軍はその全てがエルフであり、従って、特に他種族を襲う習慣なども持ち合わせない。加えて、こちらの国軍と同じく獣人との戦闘経験に乏しく、また、ほとんど想定もしていない。
彼らから“エルフでない”と驚きの声が上がっていたように、特にその要もなくエルフが他種族と共闘する習慣がないことも、彼らの不意をつきはした。
「―――が、」
アギレオが再び区切るのに目を上げ、その混色の瞳を見る。
「当然、今回逃げおおせたやつらは何があったか情報を持ち帰って、全軍に共有されるはずだ」
「…皆殺しってわけにはいかなかったか」
相槌に声を挟むレビの瞳は鋭い。レビもまた彼らの仲間、元は野盗であり、彼らは自分達の縄張りや戦力を掴まれぬため、襲った相手を全滅させることを習慣にしていた。
レビの声を受けて水を向けるよう、アギレオに顎で示され肩を竦められるのに、頷く。
「私が止めた。谷のエルフの退却を追撃はしたが、それを追い、森から出て開けた場所に出れば不利だろうと考えたからだ」
発言を受けてリーとレビも思案げに間を置き、だが、レビがアギレオを振り返って頷く。
「妥当って言うしかねえだろうな。遮蔽物がなくて距離が取りやすければ、広範囲に攻撃する魔術で一網打尽ってことも考えられる」
「だが、デカい魔術には長い詠唱がいるんだろ?」
今度は、尋ねるリーにその珊瑚色の瞳が向く。
「そりゃ、こっちは魔術師は俺一人だから、例えば狙い撃ちされたら痛いけど。向こうは剣士や弓兵より魔術師が多いんだ、大人数で短い詠唱のを次々撃って弾幕にしながら、デカい魔術を用意するのは一人か二人で十分だよ」
「…なるほど、開けた場所に誘い込んでそれをやられると、だな…」
皆がその光景を思い浮かべたのだろう、沈黙が落ちる。
「まあ、で。だ」
切り替えるアギレオの声に、短く黙したそれぞれに顔を上げ。
「俺らは森ン中で済ませてえ、向こうはその外に誘い出してえ。じゃあやめましょうかってわけにはいかねえんだ、こっちと同じことを承知の上で、また来る。何がまずいかは分かった、ならどうするか、だ」
そうだな、と、それぞれに同意を示し、思案の間が落ちる。
いくらかの事項を頭の中で整理しながら、ひとまずは、と口を開く。
「開けた場所に誘い出したいとはいえ、谷のエルフの目的は本来偵察のはずだ。こちらの戦力を掴むにしても、やり過ごして先に進むにしても、森を抜けるためには森に入らざるを得ない」
ああ、と頷くアギレオに頷いて返し。
「進みてえのは向こうの方だっつうのは利点じゃあるな。こっちから出て行かねえ限り、口火は森ン中で切ることにはなる。国軍とすりゃ、それ以上入り込まれなきゃ構わねえんだろうが、俺らとしちゃあいつらが糧でもあるからな。できりゃ多く獲りてえとこだ」
そうか、と、リーが顔を上げる。
「そういやそうだったな。任されてるのは追い払うことくらいか。…それなら、そうか、向こうは逃げれば済むところを、こっちは逃げられる前にどれだけ落とせるか、なんだな」
「だよな。逆に俺らを倒して進みたいとしたら、いつかは森を通らなきゃいけない。その時は、こっちは森の中で待ち構えることもできる」
少し手振りを交えながら、目線は誰にも配らず話すレビが、そうしながら頭の中で想定を展開していることが見てとれ。
「問題は数だ。向こうは、そうだな、仮にこっちの百倍の兵がいるとすっか。一回の戦闘で運良く同じくれえの数と当たれるとしても、強引に食いつきゃこっちも被害が出る。向こうに同じだけ損害があったとしても、次に来る時ゃエルフは無傷の兵を同じだけ寄越して、こっちは怪我人だらけか、悪くすりゃ前と同じ数は出せなくなってる。谷のエルフが全員挨拶にくるまでに、百回それをやるわけだ」
再びの沈黙が、落ちる。
「そういうことだな」
思わず息をつきながら、重いアギレオの話を引き取り。
「とはいえ、今までの傾向からいえば、谷のエルフは数ヶ月に一度も現れるわけではない。休む間も戦力を補充する間もあるかもしれないが。もちろん、毎回、こちらの損害を小さく、向こうには痛い目を見てもらいたいのは変わらない」
うんうんと重ねられる頷きに、それぞれの顔を見渡してから、レビに目を向ける。
「向こうが変えることができないのは、戦力の大半が魔術師ということだ。魔術は強力なものだが、替えが効かないということは、弱点を補いにくいということになる。そこで、レビの意見が聞きたい」
「それな。魔術か、魔術師の弱点ってななんだ? お前だったらどう動かれんのが嫌だよ?」
レビが頷き、続いたアギレオにもう一度頷いて、間を置くように何度か瞬く。
「魔術の弱点は圧倒的に詠唱だと思う。発動前に中断されたらどうやってもパーだ。だから、魔術師は剣や槍みたいな近接には来られたくない。弓矢もこっちの取ってる距離を同じように使えるとこが嫌だけど、一本の矢が飛んできた時の範囲に比べて、槍や剣は避けるのが難しい」
「お前ちょっと運動音痴だもんな」
「んあッ!?」
当たり前のように真顔で茶々を入れるアギレオに、レビが目を剥いて振り返り、リーが口許を抑えて噴き出す。
「そんなことはないだろう。エルフの血も引いているし、困るほど鈍いというほどではないように思う」
「言っとっけど全然フォローになってねえからな!?」
「えっ」
庇うそばから噛みつくように言われて、次の言葉に詰まる。
「忙しくて鍛錬に回す時間までねえんだよ、どうしても! 研究に実験に薬師の仕事に!」
両手でもどかしく空を掴むようにしながら説いてくれるのに、そうだな、と頷いた。王都でも、魔術師というのはエルフとしてはあまり運動能力が際立ってはいない。
「なるほど…。兵士としては肉体的に不利だというのも、魔術師の弱点といえるかもしれないな…」
「覚えてろよ…! いつか魔術で木から撃ち落としてやる…!」
「えっ」
レビが鈍いというわけでは、と慌てて言い募るのに、リーが顔を背けて肩を震わせ、アギレオに至っては遠慮なく声すら立てて笑う。
「お前はもうちょい飯食って肉つけんのが先だ、レビ」
笑うまま窘めるアギレオに、忙しいんだってば!とレビが応じ。
「ともかく、それなら、俺たち獣人が対魔術師戦にそれほど不向きってわけじゃなさそうだな」
先に穏やかに笑いを収め、リーが顎を捻る。
「ああ。寧ろ悪くないと思う。今日見たところ、個々の技術向上に努めるのは必須としても」
「分かる。俺でもむしろ、エルフなんかより獣人とはやりたくねえと思う」
なるほど、とアギレオとリーが頷くのに、こちらではレビと顔を見合わせる。
「そうだな。私は獣人より魔術師が怖いと思うが、相性としてはそうなんだろう」
リーが、俺は弓矢が嫌だな、と首を傾げるところに、アギレオが俺は誰とでもやるぜと言い切り、三度の沈黙が落ちた。
「……日常的に戦闘訓練を取り入れるようにしよう。時間は獣人達にも合わせるようにしてみるが、もちろん、アギレオもリーも、レビにも取り組んでもらえれば、大いに応用力も伸ばせるはずだ」
そこからだな、ということで話がまとまり、リーを寝かせてやろうと同意して、議場を解散することにした。
大きな籠を抱えて現れた女性の声で、その場の全員が振り返る。手入れされた灰色のまとめ髪に琥珀の瞳、噂の名の持ち主、ルーだ。
「興奮して喋ってるけど、ミーナはへとへとなのよ。明日にしてちょうだい」
「お。今お前の話を、」
「あとあと」
「ちょっ、ルー、お前なあ」
頭領であるアギレオの声も意に介さぬルーとのやりとりに笑う内に、揃って追い出され、思わず顔を見合わせてしまう。
「お頭、ねえ、レビにもお礼を言っておいて。大事な時だったのに」
閉じられる扉の向こうから追い掛けるように聞こえたミーナの声に、おー、と振り返りながらアギレオが声を返すのに、はたとその顔を見る。
「魔術師との戦闘について、レビに意見を仰ぎたい」
だな。と寄越される頷きに、頷いて返しながら、再び砦を見渡す。
自分たちがミーナの家に向かう時には、“片付け”を終えて三々五々に戻っていた獣人達の姿は既に見えない。
祖霊と呼ばれる、それぞれの系譜である獣に姿を変じる彼らは、普段はほとんど人間達と見分けがつかないながら、その身体能力や生活習慣などの特徴はやはり各々の祖霊に近いものであるらしい。
現在砦に属する獣人達はほぼ全てが夜行性の暮らしをしており、日が高くなったこの時間は、昼を生きる者でいえば夜中だ。眠りに就いてしまったのだろう、と、砦の外側に集まるような静かな戸口を見渡す。
「リーも呼びてえとこだ。そろそろ飯の時間だな、食堂にすっか。レビを連れてきてくれ」
「ああ、分かった、……起こすのか」
狼の獣人であるリーも寝入り端ではないだろうか、と、薄ら同情の念が湧く。
「夜に持ち越したら、あいつら今度は外に出ちまって話が行き届かねえからな。話が済んでから寝かせりゃいい」
「分かった」
手短に済ませよう。と、元はアギレオと同じく野盗ながら、いつも親切な彼の顔を思い浮かべた。
魔術師の家は、森よりなお濃い緑の香りで満ちている。
「ケレブシア、少し話せるだろうか」
己が、ここではハルカレンディアという名を短く詰めてハルと呼ばれるように、レビと呼ばれている魔術師の名は、正しく呼べばケレブシアだ。
開いてる、と、扉の向こうから聞こえる声に招かれ家内へと上がり込み、知らず胸を波打たせるように緑の匂いを吸い込む。
そこかしこの壁や、また壁から壁へと渡すロープには様々な木の葉、薬草、花々が吊り下がり、調剤図、魔方陣図、書き付けなどが張り出され、陽の光を取り込む窓に背を向けた本棚にまで、テーブルやカウンターからあふれた薬瓶が浸食している。
白に近い銀の髪を結って上げ、顎をひねりながら、こちらの薬草をあちらの瓶へ、こちらの壺の中身を別の皿へと、忙しなく作業していた彼が、振り返る。
銀のまつげの下で珊瑚色の瞳をまばたく、白い肌から流線を描いたような耳は自分と同じに先が尖っている。ケレブシア――魔術師のレビは、半エルフだ。
「ハルカレンディア。戻ってたのか」
同じ王都の出身であり、エルフの文化になじみの深い互いの間でだけ、自分達は詰めぬ名を呼び合う。なんの約束でもなく、了解ですらないささやかな習慣ながら、そう呼ばれれば、長く王都に暮らした過去と、国境の砦に居を置く現在がつながっていることを思い出すようで、少し心安い。
砦で唯一の魔術師でありながら参戦しなかった、先の戦闘が気になるのだろう。レビに探るような目を向けられ、頷く。
「ああ。ひとまず“今回は”上手くいったようだ」
うん、と頷き、魔術師は思案げに口許を手で覆う。
「“今回は”な…」
「そうだ。先日話した目算通り、…ああ、いや、」
言いかけ、ふと言葉を途切れさせるのに、珊瑚色の瞳が、うん?と上がる。
「アギレオと、その話についてレビにも意見をもらいたいと話していたんだ。続きは食堂で話そう。アギレオはリーを呼んでから向かうといって、別れたところだった」
ああ、と合点すると、ちょっと待ってくれと手早く仕事を片付けるレビを伴い、本題は後回しに雑談に興じながら二人で家を出た。
砦の薬師を兼ね、頻繁に水を必要とするため川沿いに建つ魔術師の家から、川の流れに沿って下るように家々の中心に建つ大きな建物へと足を向ける。
昼を担う人間達と夜を狩る獣人達が少なくとも数十人は暮らす砦の食事を効率的にまかなうため、この食堂では、陽が高くなる少し前の今頃と、早朝と夜と三度の食事が供される。
扉を開けば、女達が忙しなく動き回り、人間達が集まって食事を摂る賑やかな声が途端に溢れ。いくらか挨拶の声を交わしながら目を配ると、既に隅の席について顔を突き合わせているアギレオとリーを見つけることができた。
レビと揃って隣り合う椅子に腰を下ろし、その途端、ダイナという女性が「何か持ってくる?」と声を掛けてくれるのに立ち上がる。エールをもらいたい、と答えながら自分で取りに向かうのに、ついでに三人の要不要も聞き取って運び。
それぞれが好きなように厨房から食べ物を受け取り、エールのカップも配って座を仕切り直す。
「おう、そうだレビ。ミーナから伝言預かったぜ。“大事な時だったのにありがとう”だとよ」
めいめいに食事を始める中にアギレオから伝えられ、レビは眦を緩める。
「万が一と思ったんだけど、用無しだった」
「何よりだな。お前がいてくれて助かった」
アギレオとリーから声を掛けられ、少しはにかむように頷くレビに、こちらも思わず頬を緩めてしまう。
「――で、だ」
区切りをつけるようなアギレオの声に、この場に顔を揃えた三人が一様に目を向ける。
“人狼”の別名を与えられるほど、その戦闘能力の高さで知られ恐れられる狼の獣人であり、砦ではアギレオが頭領であるという以外の定めはないということながら、実質アギレオの右腕を務める位置のリーが、琥珀の瞳を向けたまま頷き。
砦内では唯一の魔術師、半エルフであるレビは先と同じように思案げに口許を撫でている。
レビとは別の意味で砦内唯一、クリッペンヴァルトの国軍に属し、この境の森へ派遣された形のエルフであり騎士である己もまた、アギレオの言葉を待つ。
「記念すべき初戦の首尾は上々っつって差し支えねえだろうが。お前らに事前にあれこれ考えてもらってた通り、こりゃおおよそ奇襲の成果でしかねえ」
肉料理を頬張りながらも、面白くはなさそうなアギレオの言葉に目を伏せ、頷きを重ねる。
隣国ベスシャッテテスタル軍はその全てがエルフであり、従って、特に他種族を襲う習慣なども持ち合わせない。加えて、こちらの国軍と同じく獣人との戦闘経験に乏しく、また、ほとんど想定もしていない。
彼らから“エルフでない”と驚きの声が上がっていたように、特にその要もなくエルフが他種族と共闘する習慣がないことも、彼らの不意をつきはした。
「―――が、」
アギレオが再び区切るのに目を上げ、その混色の瞳を見る。
「当然、今回逃げおおせたやつらは何があったか情報を持ち帰って、全軍に共有されるはずだ」
「…皆殺しってわけにはいかなかったか」
相槌に声を挟むレビの瞳は鋭い。レビもまた彼らの仲間、元は野盗であり、彼らは自分達の縄張りや戦力を掴まれぬため、襲った相手を全滅させることを習慣にしていた。
レビの声を受けて水を向けるよう、アギレオに顎で示され肩を竦められるのに、頷く。
「私が止めた。谷のエルフの退却を追撃はしたが、それを追い、森から出て開けた場所に出れば不利だろうと考えたからだ」
発言を受けてリーとレビも思案げに間を置き、だが、レビがアギレオを振り返って頷く。
「妥当って言うしかねえだろうな。遮蔽物がなくて距離が取りやすければ、広範囲に攻撃する魔術で一網打尽ってことも考えられる」
「だが、デカい魔術には長い詠唱がいるんだろ?」
今度は、尋ねるリーにその珊瑚色の瞳が向く。
「そりゃ、こっちは魔術師は俺一人だから、例えば狙い撃ちされたら痛いけど。向こうは剣士や弓兵より魔術師が多いんだ、大人数で短い詠唱のを次々撃って弾幕にしながら、デカい魔術を用意するのは一人か二人で十分だよ」
「…なるほど、開けた場所に誘い込んでそれをやられると、だな…」
皆がその光景を思い浮かべたのだろう、沈黙が落ちる。
「まあ、で。だ」
切り替えるアギレオの声に、短く黙したそれぞれに顔を上げ。
「俺らは森ン中で済ませてえ、向こうはその外に誘い出してえ。じゃあやめましょうかってわけにはいかねえんだ、こっちと同じことを承知の上で、また来る。何がまずいかは分かった、ならどうするか、だ」
そうだな、と、それぞれに同意を示し、思案の間が落ちる。
いくらかの事項を頭の中で整理しながら、ひとまずは、と口を開く。
「開けた場所に誘い出したいとはいえ、谷のエルフの目的は本来偵察のはずだ。こちらの戦力を掴むにしても、やり過ごして先に進むにしても、森を抜けるためには森に入らざるを得ない」
ああ、と頷くアギレオに頷いて返し。
「進みてえのは向こうの方だっつうのは利点じゃあるな。こっちから出て行かねえ限り、口火は森ン中で切ることにはなる。国軍とすりゃ、それ以上入り込まれなきゃ構わねえんだろうが、俺らとしちゃあいつらが糧でもあるからな。できりゃ多く獲りてえとこだ」
そうか、と、リーが顔を上げる。
「そういやそうだったな。任されてるのは追い払うことくらいか。…それなら、そうか、向こうは逃げれば済むところを、こっちは逃げられる前にどれだけ落とせるか、なんだな」
「だよな。逆に俺らを倒して進みたいとしたら、いつかは森を通らなきゃいけない。その時は、こっちは森の中で待ち構えることもできる」
少し手振りを交えながら、目線は誰にも配らず話すレビが、そうしながら頭の中で想定を展開していることが見てとれ。
「問題は数だ。向こうは、そうだな、仮にこっちの百倍の兵がいるとすっか。一回の戦闘で運良く同じくれえの数と当たれるとしても、強引に食いつきゃこっちも被害が出る。向こうに同じだけ損害があったとしても、次に来る時ゃエルフは無傷の兵を同じだけ寄越して、こっちは怪我人だらけか、悪くすりゃ前と同じ数は出せなくなってる。谷のエルフが全員挨拶にくるまでに、百回それをやるわけだ」
再びの沈黙が、落ちる。
「そういうことだな」
思わず息をつきながら、重いアギレオの話を引き取り。
「とはいえ、今までの傾向からいえば、谷のエルフは数ヶ月に一度も現れるわけではない。休む間も戦力を補充する間もあるかもしれないが。もちろん、毎回、こちらの損害を小さく、向こうには痛い目を見てもらいたいのは変わらない」
うんうんと重ねられる頷きに、それぞれの顔を見渡してから、レビに目を向ける。
「向こうが変えることができないのは、戦力の大半が魔術師ということだ。魔術は強力なものだが、替えが効かないということは、弱点を補いにくいということになる。そこで、レビの意見が聞きたい」
「それな。魔術か、魔術師の弱点ってななんだ? お前だったらどう動かれんのが嫌だよ?」
レビが頷き、続いたアギレオにもう一度頷いて、間を置くように何度か瞬く。
「魔術の弱点は圧倒的に詠唱だと思う。発動前に中断されたらどうやってもパーだ。だから、魔術師は剣や槍みたいな近接には来られたくない。弓矢もこっちの取ってる距離を同じように使えるとこが嫌だけど、一本の矢が飛んできた時の範囲に比べて、槍や剣は避けるのが難しい」
「お前ちょっと運動音痴だもんな」
「んあッ!?」
当たり前のように真顔で茶々を入れるアギレオに、レビが目を剥いて振り返り、リーが口許を抑えて噴き出す。
「そんなことはないだろう。エルフの血も引いているし、困るほど鈍いというほどではないように思う」
「言っとっけど全然フォローになってねえからな!?」
「えっ」
庇うそばから噛みつくように言われて、次の言葉に詰まる。
「忙しくて鍛錬に回す時間までねえんだよ、どうしても! 研究に実験に薬師の仕事に!」
両手でもどかしく空を掴むようにしながら説いてくれるのに、そうだな、と頷いた。王都でも、魔術師というのはエルフとしてはあまり運動能力が際立ってはいない。
「なるほど…。兵士としては肉体的に不利だというのも、魔術師の弱点といえるかもしれないな…」
「覚えてろよ…! いつか魔術で木から撃ち落としてやる…!」
「えっ」
レビが鈍いというわけでは、と慌てて言い募るのに、リーが顔を背けて肩を震わせ、アギレオに至っては遠慮なく声すら立てて笑う。
「お前はもうちょい飯食って肉つけんのが先だ、レビ」
笑うまま窘めるアギレオに、忙しいんだってば!とレビが応じ。
「ともかく、それなら、俺たち獣人が対魔術師戦にそれほど不向きってわけじゃなさそうだな」
先に穏やかに笑いを収め、リーが顎を捻る。
「ああ。寧ろ悪くないと思う。今日見たところ、個々の技術向上に努めるのは必須としても」
「分かる。俺でもむしろ、エルフなんかより獣人とはやりたくねえと思う」
なるほど、とアギレオとリーが頷くのに、こちらではレビと顔を見合わせる。
「そうだな。私は獣人より魔術師が怖いと思うが、相性としてはそうなんだろう」
リーが、俺は弓矢が嫌だな、と首を傾げるところに、アギレオが俺は誰とでもやるぜと言い切り、三度の沈黙が落ちた。
「……日常的に戦闘訓練を取り入れるようにしよう。時間は獣人達にも合わせるようにしてみるが、もちろん、アギレオもリーも、レビにも取り組んでもらえれば、大いに応用力も伸ばせるはずだ」
そこからだな、ということで話がまとまり、リーを寝かせてやろうと同意して、議場を解散することにした。
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