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1、クリッペンヴァルト国、境の森
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「ここはクリッペンヴァルトの森だ! 即刻立ち去れ、谷のエルフ!!」
黒髪のエルフの確然たる声を皮切りに、忍ぶようにして森の中を進んでいた別のエルフ達が一斉に散開し、生い茂る木々で互いの視界を遮るように身を隠す。
一目見て魔術師と判ぜられる、長衣のフードに顔を隠した者が多く、略式ながら甲冑をつけた剣士も数えるほどは見える。弓を放つ者もあるが、その全てが胸や背に掛かる長い髪と先の尖った耳を持ち、エルフであることが分かる。
「あそこだ! 髪の短いやつだ!」
「他にもいるはずだぞ!」
二矢三矢と不意をつくよう続け様に矢を打ち込めば、領土への侵入を警告した黒髪のエルフ――ハルカレンディアは足を止めることなく駆け出す。
当人に曰く「今はそれほど珍しくない」ながら、同じエルフに指摘される短い黒髪は、緩いうねりの癖に沿って艶を帯び、エルフらしく敏捷に駆けながら敵を見定める双眸は明るい柳緑色をしている。
その瞳を抜かりなく巡らせ、先んじて飛び来る矢を木々で遮ってかわし、走り出す剣士の位置を目端に確かめながら、手近の樹へと軽々駆け上る。
木々に隠れてもその場所が明らかになるほど、暗く、あるいは明るく光が溢れ、魔術師達が詠唱によって反撃に備えていることが見て取れる。
枝葉に隠れるように樹から樹へと飛び移りながら、木々に身を潜める谷のエルフ――隣国ベスシャッテテスタルのエルフ達を見つけ出しては矢を射かける。
「上から! 木の上だぞ!」
「上からの、――ッ!」
ギャア!と、短い叫び声が断末魔となり、あちこちから乱れた声が上がり始める。
ハルカレンディアの宣言の通り、ここ“境の森”、つまり国境にある森を領有するのはクリッペンヴァルトと呼ばれる国である。
世界の始まりにも等しい昔より、その名を冠した森には元々、エルフ達が住んでいた。
「言葉を話すもの」と分類される、いわゆる人類の中でも最も古い種族、尖った耳に長身痩躯、魔術をはじめとした不思議な術に長けたエルフ達は、基本的に他の「言葉を話すもの」との交流をあまり好まず、森や谷、あるいは平野部に自分たちだけの領域を持っていることがほとんどである。
その中で、クリッペンヴァルトは例外的な国といえた。
先々代の王はエルフとしては変わり者であり、クリッペンヴァルトの森をエルフの領域として保ちはしたものの、人間を始めとした他種族が、エルフとその森の恩恵に与ろうと周囲に集落や街を築くことを許し、森を侵さぬためのいくつかの約束の代わりに、彼らを守ることすらした。
そうして領土を拡大したクリッペンヴァルト国の隆盛の時代も、先代王が“エルフらしい”エルフであったことでこの数千年ほどは落ち着きを見せていた。
ところが、一年ほど前に新たに王座を得た新王、黄金公ラウレオルンは祖父王の思いを受け継いでいた。
既に多くの種族とその集落や街を擁する国内に大きな変化は起きていないものの、彼がクリッペンヴァルトの王となったことは、最も近い隣のエルフ国、同名の谷を閉じた領土として守るベスシャッテテスタルとの間に密かな緊張をもたらしていた。
確かな狙いで飛び来る矢と、別の方向から放たれる魔術の青白い光が同時になる。
「――ッ!!」
どちらかをかわせば、どちらかをまともに浴びる。一瞬の迷いの間を縫うよう、次の枝へ飛び移ろうと、ハルカレンディアは身を前へ出す。
矢は頬を掠めて後ろへ抜けるが、詠唱で練り上げられた魔術の威力はその比ではない。衝撃に重心を蹴飛ばされ、枝を移りそこねて地面へと強かに叩きつけられる。
うめく間はない、すぐに身を起こし、立ち上がる間も惜しんで矢を放つ。攻撃力において他の追随を許さない魔術も、発動に時間を要する上、風の魔術は辺りの葉を舞い上がらせ、光や闇を使えば周囲に拡がって、その徴を隠すことは難しい。
それを頼りに敵の姿も確かめずに矢を放ちながら、まるで懲りぬかのようにまた樹へと駆け上がる。
「落としたぞ!」
その声に、自分の位置を教えるかのごとく、射下ろしてやる。いや上だ、と、上がりかけた声が中途でよじれ、悲鳴に変わる。
「何かいる!」
見えない、どこだ、と続く声を、丁度良い的とばかりに浴びせ矢に遭わせる。
「獣ッ!! 獣があッ!!」
「落ち着け!! 敵をよく見ろ、見失うなッ!!」
「エルフではない!! 姿を変じたッ!!」
「獣人!?」
獣人だ!と、上がった声はまた悲鳴に変わり、そして途切れる。
自在に獣へ、また獣からヒトへと姿を変じる獣人達の攻撃は総じて位置が低い。その上、ヒトの姿が長身であればその高低差が瞬く間に変化し、長身のエルフ達の足元をすくうように翻弄していく。
仲間の警告で低い位置の獣人達に気を払うエルフ達へ、容赦なく樹上のハルカレンディアが矢を射かけて、悲鳴が増え、広がり、瞬く間にその戦線は森の向こうへと押しやられていく。
「彼らの声に注意しろ! 詠唱は短いぞ!」
ギャン!と、獣の鳴く声が時折混じるのに、ハルカレンディアが声を張る。
「ぐあァッ! まだいる! 援護…ッ!」
獣人達に反撃する谷のエルフ達が退がり、小さくまとめて構え直す横ッ腹を叩くように、また別の方向から続け様に叫ぶ声が聞こえる。
「鬼だ! 鬼がいる…ッ!!」
その声に目を向けた一瞬の隙をつくよう、刃なす氷のつぶてを見舞われ、飛び退く足場がなく宙転して地面へと下りる。
生い茂る木々を縫い、魔術の光と轟音と、弓矢と獣とが飛び交う騒乱の場を迷わず駆けさばいて、一際大柄な男がエルフ達を斬り伏せていく。
「ハッハア! どうした、噂に聞こえる谷のエルフも森じゃ形無しかア!?」
「鬼…!?」
「魔物か!?」
長身に褐色の肌、頭部に一対の角を具えた男の姿に、おののきの声が上がる。
「馬鹿な、鬼など実在するわけがない…!」
「ハッ! どうしたア、その目玉ァ飾りかよ! 鬼の刀の味、とくと味わいやがれッ!!」
両手にそれぞれ幅広の曲刀を構え、狭く生い茂る木々の合間をものともせずに駆けては、舞うような刃筋がエルフ達を斬り倒す。
「この…ッ!」
「ハルッ! 詠唱を始めたやつから順に黙らせろッ!」
その、楽しげとしか言いようのない背へ斬りかかる長剣の剣士へと矢を打ち込み、すんでのところでかわされ、もう次には鬼の刀が長剣を押さえつけている。
「油断するな!」
掛ける声を、ヘッと鼻先で笑い飛ばす角の男の、比類ないとすらいえる強さは承知の上だが。
再び樹の上へと駆け上がると、改めて地上を見渡す。矢の違えぬ距離へと枝を飛び移りながら、耳を澄まし目を凝らし、魔術の詠唱を始める者を見つけ出しては狙う間もなく打ち込んで妨げ。
「リー! リュー! 外から回り込んで追い込めッ!」
陣形の指示を飛ばしながら、その図体からは想像もつかない素早さで先陣を切る剣先が敵を蹴散らす。
どうしてその大振りで木々の間をそうも正確に縫うかと、混戦の様を短い間見守ってしまう。舞うような滑らかな剣さばきで見る間にエルフ達を地に這わせる長身に取りつこうと、あるいは離れた位置から魔術を放とうとする者へと、外向きに狙いを変える。
角の男が崩す敵が広がり逃れようとするのを、配置を変えた獣人達が周りから追い込み、こちらの思惑へと綴じ込んでいく。
「撤退ッ!! 撤退だッ!! 退路を開け! 撤退ィッ!!」
「逃がすかッ!! 身包み全部、置いてきやがれェッ!!」
追撃へと移行する角を持つ男――アギレオの揚々たる声に、構えた弓を射そびれて、ハルカレンディアは額を押さえる。
「名誉ある国境守備も形無しだな」
やれやれと息をつきながら、枝を飛び移る。水を得た魚のごとく、獣に変じて追っ手をかける獣人達とアギレオではあるが、極めて順良く追っ手払いを交代しながら撤退していく谷のエルフ達の魔術に妨げられ、その距離はじりじりと開いていく。
ハルカレンディアの弓も、全速で逃げる敵を追いながらで空を切る数が増し始め。
ハッと、瞼を刺すように光の様子が変わるのに、目を上げる。
森が途切れる。
「待てアギレオッ! 深追いするな!!」
獣たちを引き連れるほど速い。血が猛っているのだろう、声に振り返る様子もないアギレオに向け、一矢放つ。途端に血の気の滾った顔で振り返り、頬を掠めて幹に立った矢を引き抜く表情は険しい。
「ッざっけんじゃねえ!! 殺させろォ!!」
一時淀んだだけでなお足を止めぬアギレオに、枝を移りながらでは追い着けない。幹と枝を伝うように飛び降り、腿の一つも射ち抜くしかないかと、弓を構えながらその背を追う。
「殺すなとは言っていない! 深追いするな! 森を出てまで追う必要はない!!」
ザッ、と。木々が途切れて光が溢れる。
まさに森を抜けるかといったその際で足を止め、パッと水平に上げられる腕からは、立ち上る蒸気すら見えそうだ。
挙手一つで駆ける獣たちの足を止めさせ、昂ぶった気を無理に静めるよう、アギレオの肩が大きく上がり、ゆっくりと下がる。その背後へとつきながら、ハルカレンディアも息を抜いて弓を下げた。
葉を揺らす音、草を踏む音を立て、足を止めた順に獣人達がヒトの姿に戻り、上げたアギレオの腕が結界にでもなったようにそこで留まって、敵の姿が消えていった森の外を名残惜しげに見やっている。
「ッだっつうんだよ。お前は騎士様のつもりだろうが、こっちゃこれが糧なんだよ」
ようやく振り返って不機嫌もあらわに片眉を跳ね上げるアギレオの顔を見上げ、ハルカレンディアも腰に手をやり肩で息をつく。
「分かっている。だが、森を抜けて開けた場所に出れば、お前の剣と獣人達というこちらの優位が弱くなる。領土から谷のエルフを追うのが目的だというだけではない」
「はアン。敵に逃げられりゃそんだけこっちの戦力が掴まれる。それはそれでジリ貧になる可能性もあんだろが」
声を荒げぬまでも一歩も譲らぬといった体の二人に、なんだなんだと目を向け耳を傾ける獣人達を、灰色の髪と琥珀色の瞳をした男が、放っとけとばかりに軽く手を上げ一同に撤収を促す。
「“片付け”ちまおう。やらせとけ。怪我したやつはまず手当だ」
「えー、なんで皆殺しにしねーんだよ、リー」
尚も名残惜しそうに森を振り返るしなやかな体つきの男を促し、リーと呼ばれた灰髪の男が説明してやりながら森を戻っていくのを、少し目で追い見送る。
目を戻して再びアギレオを振り返り、頭を振る。元は野盗であったのを国に雇われた彼らと、その国軍直属の騎士として国境を守る自分とでは、利害が噛み合わぬのは承知の上だ。
だが。
「それでも一時に人数を減らされれば苦しいだろう。我がクリッペンヴァルトほどではなくとも、ベスシャッテテスタルの戦力とて、ゆうに砦の100倍は超えるはずだ」
「…フン。戦になりゃ、真っ先に焼き払われるのは雇われモンの俺らってわけだ」
皮肉めくよう片頬に口角をゆがめて笑う顔を、弓を負い直しながら見上げる。
「戦にならぬよう、この森を守備している」
返り血に汚れた逞しい腕が伸ばされ、顎を掴んで、見上げる顔をなお上向かされて瞬いた。
「そりゃお前の理屈だな」
「事実だ。それに私はお前達の、」
逆の腕で背を巻き取られ、近付く顔に目を眇める。
「ごたくはもう結構だ」
重なる唇に伏せられ、いわくの御託を封じられる。
不必要に強い力で引き寄せられるのに、重心を保つよう、向き合いの首裏を片手で抱いて少し身を寄せ。
戦闘の昂揚で上がった体温と、互いの身から立ち上る血錆の匂いが鼻について、交わす唇の間に大きく息をついた。
黒髪のエルフの確然たる声を皮切りに、忍ぶようにして森の中を進んでいた別のエルフ達が一斉に散開し、生い茂る木々で互いの視界を遮るように身を隠す。
一目見て魔術師と判ぜられる、長衣のフードに顔を隠した者が多く、略式ながら甲冑をつけた剣士も数えるほどは見える。弓を放つ者もあるが、その全てが胸や背に掛かる長い髪と先の尖った耳を持ち、エルフであることが分かる。
「あそこだ! 髪の短いやつだ!」
「他にもいるはずだぞ!」
二矢三矢と不意をつくよう続け様に矢を打ち込めば、領土への侵入を警告した黒髪のエルフ――ハルカレンディアは足を止めることなく駆け出す。
当人に曰く「今はそれほど珍しくない」ながら、同じエルフに指摘される短い黒髪は、緩いうねりの癖に沿って艶を帯び、エルフらしく敏捷に駆けながら敵を見定める双眸は明るい柳緑色をしている。
その瞳を抜かりなく巡らせ、先んじて飛び来る矢を木々で遮ってかわし、走り出す剣士の位置を目端に確かめながら、手近の樹へと軽々駆け上る。
木々に隠れてもその場所が明らかになるほど、暗く、あるいは明るく光が溢れ、魔術師達が詠唱によって反撃に備えていることが見て取れる。
枝葉に隠れるように樹から樹へと飛び移りながら、木々に身を潜める谷のエルフ――隣国ベスシャッテテスタルのエルフ達を見つけ出しては矢を射かける。
「上から! 木の上だぞ!」
「上からの、――ッ!」
ギャア!と、短い叫び声が断末魔となり、あちこちから乱れた声が上がり始める。
ハルカレンディアの宣言の通り、ここ“境の森”、つまり国境にある森を領有するのはクリッペンヴァルトと呼ばれる国である。
世界の始まりにも等しい昔より、その名を冠した森には元々、エルフ達が住んでいた。
「言葉を話すもの」と分類される、いわゆる人類の中でも最も古い種族、尖った耳に長身痩躯、魔術をはじめとした不思議な術に長けたエルフ達は、基本的に他の「言葉を話すもの」との交流をあまり好まず、森や谷、あるいは平野部に自分たちだけの領域を持っていることがほとんどである。
その中で、クリッペンヴァルトは例外的な国といえた。
先々代の王はエルフとしては変わり者であり、クリッペンヴァルトの森をエルフの領域として保ちはしたものの、人間を始めとした他種族が、エルフとその森の恩恵に与ろうと周囲に集落や街を築くことを許し、森を侵さぬためのいくつかの約束の代わりに、彼らを守ることすらした。
そうして領土を拡大したクリッペンヴァルト国の隆盛の時代も、先代王が“エルフらしい”エルフであったことでこの数千年ほどは落ち着きを見せていた。
ところが、一年ほど前に新たに王座を得た新王、黄金公ラウレオルンは祖父王の思いを受け継いでいた。
既に多くの種族とその集落や街を擁する国内に大きな変化は起きていないものの、彼がクリッペンヴァルトの王となったことは、最も近い隣のエルフ国、同名の谷を閉じた領土として守るベスシャッテテスタルとの間に密かな緊張をもたらしていた。
確かな狙いで飛び来る矢と、別の方向から放たれる魔術の青白い光が同時になる。
「――ッ!!」
どちらかをかわせば、どちらかをまともに浴びる。一瞬の迷いの間を縫うよう、次の枝へ飛び移ろうと、ハルカレンディアは身を前へ出す。
矢は頬を掠めて後ろへ抜けるが、詠唱で練り上げられた魔術の威力はその比ではない。衝撃に重心を蹴飛ばされ、枝を移りそこねて地面へと強かに叩きつけられる。
うめく間はない、すぐに身を起こし、立ち上がる間も惜しんで矢を放つ。攻撃力において他の追随を許さない魔術も、発動に時間を要する上、風の魔術は辺りの葉を舞い上がらせ、光や闇を使えば周囲に拡がって、その徴を隠すことは難しい。
それを頼りに敵の姿も確かめずに矢を放ちながら、まるで懲りぬかのようにまた樹へと駆け上がる。
「落としたぞ!」
その声に、自分の位置を教えるかのごとく、射下ろしてやる。いや上だ、と、上がりかけた声が中途でよじれ、悲鳴に変わる。
「何かいる!」
見えない、どこだ、と続く声を、丁度良い的とばかりに浴びせ矢に遭わせる。
「獣ッ!! 獣があッ!!」
「落ち着け!! 敵をよく見ろ、見失うなッ!!」
「エルフではない!! 姿を変じたッ!!」
「獣人!?」
獣人だ!と、上がった声はまた悲鳴に変わり、そして途切れる。
自在に獣へ、また獣からヒトへと姿を変じる獣人達の攻撃は総じて位置が低い。その上、ヒトの姿が長身であればその高低差が瞬く間に変化し、長身のエルフ達の足元をすくうように翻弄していく。
仲間の警告で低い位置の獣人達に気を払うエルフ達へ、容赦なく樹上のハルカレンディアが矢を射かけて、悲鳴が増え、広がり、瞬く間にその戦線は森の向こうへと押しやられていく。
「彼らの声に注意しろ! 詠唱は短いぞ!」
ギャン!と、獣の鳴く声が時折混じるのに、ハルカレンディアが声を張る。
「ぐあァッ! まだいる! 援護…ッ!」
獣人達に反撃する谷のエルフ達が退がり、小さくまとめて構え直す横ッ腹を叩くように、また別の方向から続け様に叫ぶ声が聞こえる。
「鬼だ! 鬼がいる…ッ!!」
その声に目を向けた一瞬の隙をつくよう、刃なす氷のつぶてを見舞われ、飛び退く足場がなく宙転して地面へと下りる。
生い茂る木々を縫い、魔術の光と轟音と、弓矢と獣とが飛び交う騒乱の場を迷わず駆けさばいて、一際大柄な男がエルフ達を斬り伏せていく。
「ハッハア! どうした、噂に聞こえる谷のエルフも森じゃ形無しかア!?」
「鬼…!?」
「魔物か!?」
長身に褐色の肌、頭部に一対の角を具えた男の姿に、おののきの声が上がる。
「馬鹿な、鬼など実在するわけがない…!」
「ハッ! どうしたア、その目玉ァ飾りかよ! 鬼の刀の味、とくと味わいやがれッ!!」
両手にそれぞれ幅広の曲刀を構え、狭く生い茂る木々の合間をものともせずに駆けては、舞うような刃筋がエルフ達を斬り倒す。
「この…ッ!」
「ハルッ! 詠唱を始めたやつから順に黙らせろッ!」
その、楽しげとしか言いようのない背へ斬りかかる長剣の剣士へと矢を打ち込み、すんでのところでかわされ、もう次には鬼の刀が長剣を押さえつけている。
「油断するな!」
掛ける声を、ヘッと鼻先で笑い飛ばす角の男の、比類ないとすらいえる強さは承知の上だが。
再び樹の上へと駆け上がると、改めて地上を見渡す。矢の違えぬ距離へと枝を飛び移りながら、耳を澄まし目を凝らし、魔術の詠唱を始める者を見つけ出しては狙う間もなく打ち込んで妨げ。
「リー! リュー! 外から回り込んで追い込めッ!」
陣形の指示を飛ばしながら、その図体からは想像もつかない素早さで先陣を切る剣先が敵を蹴散らす。
どうしてその大振りで木々の間をそうも正確に縫うかと、混戦の様を短い間見守ってしまう。舞うような滑らかな剣さばきで見る間にエルフ達を地に這わせる長身に取りつこうと、あるいは離れた位置から魔術を放とうとする者へと、外向きに狙いを変える。
角の男が崩す敵が広がり逃れようとするのを、配置を変えた獣人達が周りから追い込み、こちらの思惑へと綴じ込んでいく。
「撤退ッ!! 撤退だッ!! 退路を開け! 撤退ィッ!!」
「逃がすかッ!! 身包み全部、置いてきやがれェッ!!」
追撃へと移行する角を持つ男――アギレオの揚々たる声に、構えた弓を射そびれて、ハルカレンディアは額を押さえる。
「名誉ある国境守備も形無しだな」
やれやれと息をつきながら、枝を飛び移る。水を得た魚のごとく、獣に変じて追っ手をかける獣人達とアギレオではあるが、極めて順良く追っ手払いを交代しながら撤退していく谷のエルフ達の魔術に妨げられ、その距離はじりじりと開いていく。
ハルカレンディアの弓も、全速で逃げる敵を追いながらで空を切る数が増し始め。
ハッと、瞼を刺すように光の様子が変わるのに、目を上げる。
森が途切れる。
「待てアギレオッ! 深追いするな!!」
獣たちを引き連れるほど速い。血が猛っているのだろう、声に振り返る様子もないアギレオに向け、一矢放つ。途端に血の気の滾った顔で振り返り、頬を掠めて幹に立った矢を引き抜く表情は険しい。
「ッざっけんじゃねえ!! 殺させろォ!!」
一時淀んだだけでなお足を止めぬアギレオに、枝を移りながらでは追い着けない。幹と枝を伝うように飛び降り、腿の一つも射ち抜くしかないかと、弓を構えながらその背を追う。
「殺すなとは言っていない! 深追いするな! 森を出てまで追う必要はない!!」
ザッ、と。木々が途切れて光が溢れる。
まさに森を抜けるかといったその際で足を止め、パッと水平に上げられる腕からは、立ち上る蒸気すら見えそうだ。
挙手一つで駆ける獣たちの足を止めさせ、昂ぶった気を無理に静めるよう、アギレオの肩が大きく上がり、ゆっくりと下がる。その背後へとつきながら、ハルカレンディアも息を抜いて弓を下げた。
葉を揺らす音、草を踏む音を立て、足を止めた順に獣人達がヒトの姿に戻り、上げたアギレオの腕が結界にでもなったようにそこで留まって、敵の姿が消えていった森の外を名残惜しげに見やっている。
「ッだっつうんだよ。お前は騎士様のつもりだろうが、こっちゃこれが糧なんだよ」
ようやく振り返って不機嫌もあらわに片眉を跳ね上げるアギレオの顔を見上げ、ハルカレンディアも腰に手をやり肩で息をつく。
「分かっている。だが、森を抜けて開けた場所に出れば、お前の剣と獣人達というこちらの優位が弱くなる。領土から谷のエルフを追うのが目的だというだけではない」
「はアン。敵に逃げられりゃそんだけこっちの戦力が掴まれる。それはそれでジリ貧になる可能性もあんだろが」
声を荒げぬまでも一歩も譲らぬといった体の二人に、なんだなんだと目を向け耳を傾ける獣人達を、灰色の髪と琥珀色の瞳をした男が、放っとけとばかりに軽く手を上げ一同に撤収を促す。
「“片付け”ちまおう。やらせとけ。怪我したやつはまず手当だ」
「えー、なんで皆殺しにしねーんだよ、リー」
尚も名残惜しそうに森を振り返るしなやかな体つきの男を促し、リーと呼ばれた灰髪の男が説明してやりながら森を戻っていくのを、少し目で追い見送る。
目を戻して再びアギレオを振り返り、頭を振る。元は野盗であったのを国に雇われた彼らと、その国軍直属の騎士として国境を守る自分とでは、利害が噛み合わぬのは承知の上だ。
だが。
「それでも一時に人数を減らされれば苦しいだろう。我がクリッペンヴァルトほどではなくとも、ベスシャッテテスタルの戦力とて、ゆうに砦の100倍は超えるはずだ」
「…フン。戦になりゃ、真っ先に焼き払われるのは雇われモンの俺らってわけだ」
皮肉めくよう片頬に口角をゆがめて笑う顔を、弓を負い直しながら見上げる。
「戦にならぬよう、この森を守備している」
返り血に汚れた逞しい腕が伸ばされ、顎を掴んで、見上げる顔をなお上向かされて瞬いた。
「そりゃお前の理屈だな」
「事実だ。それに私はお前達の、」
逆の腕で背を巻き取られ、近付く顔に目を眇める。
「ごたくはもう結構だ」
重なる唇に伏せられ、いわくの御託を封じられる。
不必要に強い力で引き寄せられるのに、重心を保つよう、向き合いの首裏を片手で抱いて少し身を寄せ。
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