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11、支配者
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「久し振りだ。いい子にしていたか」
役目というのは恐ろしいものだ。
この男が、自分の顔を見て笑むことができるようになるとは。
「……あなた、ホントに俺のこと犬だと思ってんじゃないでしょうね……」
半ば拉致のようにして連れてこられたホテルの高層階、今住んでいる部屋が3つくらい入りそうな客室に放り込まれた。
名実ともに王者の様相でソファに腰掛け、立ち上がりもせず迎えたネイハウスに、額を押さえる。
「まさか。犬にしては躾不足だ」
はいはい、と、顔を背けて大きく息を吐き出し。
掛けるといい、と勧められた向き合いのソファに腰を下ろしかけ、酒は飲める方か?と尋ねられて、膝から崩れ落ちそうになる。
毎日のように共にした夕食で、ネイハウスは茶か水を飲み、自分にはいつも酒が用意されていたのだ。
古傷になっていたはずの、虚しい脱力感が生々しくヒリつく。
「グネイデンの人間にしては飲める方ですよ……」
そうか、と機嫌良く、好きなものを選べと示される銀のワゴンから、カルドゥワの酒とグラスを取り。自分は動かぬ王者へも、ついでにコーヒーを入れてやった。
「あなたが俺を覚えているとは意外です、ルーシャ」
ピクリ、と、鋭敏に曇った眉に、あなたが呼んでいいとおっしゃったので、と肩を竦めてやる。そうか、と、忘れていることすら気に掛けぬ声に、もう相槌だけ打っておく。
「会議の準備で何度もグネイデンと聞いている内に、急に思い出した」
嬉しいだろう?とでも、言わんばかりの顔。それを喜ぶだろうことを覚えていたのは褒めてやってもいいくらいだが、一度で思い出して欲しいところだ。
けれどそう言うのはもちろん、思うことすら馬鹿馬鹿しい。
彼は、世界でも有数の大国の支配者なのだ。
「ああ、」
そうだ、と、そこで自分も思い出す。会うことがあれば言ってやろうと思っていた。嫌味たっぷりに。
「ルスラン・ネイハウス行政総長、就任おめでとうございます」
嫌味の方はもう、残っていなかったが。
ありがとう、と、淡く頬を緩めてたわむサファイアブルーにふと、政治家らしい顔になったと思う。
酒を飲み、もう燃えかすになってしまったような灰の心をあたため。
「グネイデンは豊かな国だな」
カップを口に運びながら感慨深そうに言う彼に、彼らしいなと、柔く相槌を打ち。
「今のカルドゥワの足元にも及びませんが」
「そんなことはない。カルドゥワはまだ、療養中の負傷兵のようなものだ。表向き元気そうに見えても、内々には綻びだらけだ」
寸分の狂いもないような、話題と場にふさわしい表情の変化をやめ、彼がそうして据わったばかりの目になれば、ようやく、陰差す眼窩や太い鼻筋を、ああ懐かしいなと見つめ。
「世界一の性的変態の国だと言われたこともありましたね」
目だけを上げ、渋い顔で頷くルスランに、眉を上げる。
「私のところまで聞こえてくるほどだ。場所によっては、経済力よりも有名かもしれんな」
「“私のところまで”? そうかもと思ったことはありますが、あまり縁がないですか?」
どうだろうとでもいうよう、少し顎をひねっている首元に、太い筋が浮くのを見つめ。
「疎くもないように思うが、強い関心を持ったことはないな」
「軍にいた頃は? 大抵のことは経験したとおっしゃってましたけど」
そんなことまで話したか?と眉をひそめる顔に、やれやれと肩を竦める。
「俺が尋ねたので。男性との経験も、アナルセックスも初めてじゃないと聞きましたが、し慣れている風にも見えなかったな」
二年前だ。印象ばかりが鮮烈で、ディテールは曖昧になってはいる。
フッ、と、少し顎を引き、唇の端を片方だけ上げるのが、政治家の笑みよりよほど様になって見えた。
「その通りだ。あの頃はほとんどあらゆることをする必要があった」
「必要、ですか」
思いがけないことだった。軍にいた頃に、どうしてもそうなりがちな、マッチョな性愛に浸ってでもいたのかと思ってたが。
「若かったからな。人が欲しがるものは、それがどんなものなのか、可能な限り知ろうと考えていた」
その貪欲さに圧倒されるような思いを押し退け、ふと、思い出したことがおかしくて、頭を振る。
「人の頭の中を見る術はないと言ってたのに」
多くのことが見えているに違いない。自分と寝たいんだろう、と、確信めいて言った声をも思い出し。
「事実だ」
まったく、口をこじ開けて舌が二枚ないか確かめてやりたい。
「今は、俺が何を考えているか見えてるんです?」
「いいや。何を考えてる?」
口にしかけてためらい、少し口許が浮ついてしまう。
ピクリと、神経質そうに動いた眉の下、ほんとに見えてるんじゃないだろうな!?と、こちらの方が動揺してしまう。
口の中に隠すように、少し唇の内側を舐め。
「あんな風に過ごした俺を、すぐ隣に寝室のある部屋に、それも内緒で呼びつけるなんて。期待してもいいんですかね?」
それは、イタズラ心やジョークというより、口にすることで強姦するような、ねばついた感情だった。
ルスランの碧い目が、短い間じっと無表情に据えられ。
それから、たわむ。
「今は何の仕事をしている?」
「えっ、」
不意を突かれて声が出る感じが、懐かしい。
「……ビジネスマンです。今は、ええと、外資系商社、って、カルドゥワでも言うかな…」
造語だっただろうかと、少し首をひねり。
「いいだろう」
ルスランが、カップをソーサーに置く、カチッという小さな音。
不敵な笑みに、肋の内でドクリと鼓動が大きく聞こえる。
「来い。遊んでやる」
ボタンを外しながら立ち上がり、ジャケットを脱ぐ姿が、あまりにも様になっている。
ウワアアア、と、何か分からぬ声を上げたくなるような。絶対犬だと思ってるだろ!?という心の吠え声と、犬だと思われても仕方ない、きっと、尻尾があったら今、左右に激しく振れるのを自分でも止められていない。
ボタンを外したベストも、糊のきいたシャツも、彼の指が掛かるのを待たず、襲いかかるように奪い取りながら、唇に噛みつく。
吐息に混ぜて差し出される舌が、躾けるように歯列を咎め、互いに開く口の中で淫靡に舐り合う。
ソファに押し戻すようにしながら、ベルトに掛ける手を、握って止められ、顔が離れる。
「やり方を思い出した。シャワーを浴びてくるから待て」
「待てませんね。“身支度”なら手伝いますよ」
「遠慮しろ」
「命じるのが遅すぎる」
手を止めさせる力が強く、振りほどけない。
仕方ないなという風に息をつくくせに、指の力が一寸も緩まないのがすごい。
「呼んだら入ってこい。人に見せたくないものくらいある」
「毎日、世界中の視線に晒されてるのに?」
「聞き分けろ。いい子だ」
「ッ!?」
スルリと、自分の感覚の方を疑いたくなるような滑らかさで腕の中を抜けられ、声が詰まる。
多分、間違いなくわざと、スーツを脱ぎ捨てて裸になりながら浴室へと歩いていく、削がれたように尚鋭くなった背や尻や、ふくらはぎを見送って。
離れた場所にくぐもるシャワーの音を聞きながら、ひとりになればふと、今のは何だったかと思い当たり、心中複雑にはなった。
ルスランが行政総長になる前、総執政長という、臨時の椅子に座っていた頃からつきまとう、黒い噂。
彼や彼のチームを妨害したり、その強引な政策の裏を暴こうとするものが消えるという、ありきたりといえば、ありきたりな。
けれど、ゴシップ記事が伝える、行方不明者や曖昧な理由での逮捕者には、ジャーナリストという肩書きが目につくのが、自分にはことさら生々しい。
大物にはつきものだという以上に、似合いすぎる。
そりゃそうだろう、など、自分が言わずとも人が口にするのも珍しくはなく。
やれやれと息をついてソファにぐったりと沈める身体を、浴室の扉が開いて直接聞こえてくるシャワーの水音に、持ち上げた。
役目というのは恐ろしいものだ。
この男が、自分の顔を見て笑むことができるようになるとは。
「……あなた、ホントに俺のこと犬だと思ってんじゃないでしょうね……」
半ば拉致のようにして連れてこられたホテルの高層階、今住んでいる部屋が3つくらい入りそうな客室に放り込まれた。
名実ともに王者の様相でソファに腰掛け、立ち上がりもせず迎えたネイハウスに、額を押さえる。
「まさか。犬にしては躾不足だ」
はいはい、と、顔を背けて大きく息を吐き出し。
掛けるといい、と勧められた向き合いのソファに腰を下ろしかけ、酒は飲める方か?と尋ねられて、膝から崩れ落ちそうになる。
毎日のように共にした夕食で、ネイハウスは茶か水を飲み、自分にはいつも酒が用意されていたのだ。
古傷になっていたはずの、虚しい脱力感が生々しくヒリつく。
「グネイデンの人間にしては飲める方ですよ……」
そうか、と機嫌良く、好きなものを選べと示される銀のワゴンから、カルドゥワの酒とグラスを取り。自分は動かぬ王者へも、ついでにコーヒーを入れてやった。
「あなたが俺を覚えているとは意外です、ルーシャ」
ピクリ、と、鋭敏に曇った眉に、あなたが呼んでいいとおっしゃったので、と肩を竦めてやる。そうか、と、忘れていることすら気に掛けぬ声に、もう相槌だけ打っておく。
「会議の準備で何度もグネイデンと聞いている内に、急に思い出した」
嬉しいだろう?とでも、言わんばかりの顔。それを喜ぶだろうことを覚えていたのは褒めてやってもいいくらいだが、一度で思い出して欲しいところだ。
けれどそう言うのはもちろん、思うことすら馬鹿馬鹿しい。
彼は、世界でも有数の大国の支配者なのだ。
「ああ、」
そうだ、と、そこで自分も思い出す。会うことがあれば言ってやろうと思っていた。嫌味たっぷりに。
「ルスラン・ネイハウス行政総長、就任おめでとうございます」
嫌味の方はもう、残っていなかったが。
ありがとう、と、淡く頬を緩めてたわむサファイアブルーにふと、政治家らしい顔になったと思う。
酒を飲み、もう燃えかすになってしまったような灰の心をあたため。
「グネイデンは豊かな国だな」
カップを口に運びながら感慨深そうに言う彼に、彼らしいなと、柔く相槌を打ち。
「今のカルドゥワの足元にも及びませんが」
「そんなことはない。カルドゥワはまだ、療養中の負傷兵のようなものだ。表向き元気そうに見えても、内々には綻びだらけだ」
寸分の狂いもないような、話題と場にふさわしい表情の変化をやめ、彼がそうして据わったばかりの目になれば、ようやく、陰差す眼窩や太い鼻筋を、ああ懐かしいなと見つめ。
「世界一の性的変態の国だと言われたこともありましたね」
目だけを上げ、渋い顔で頷くルスランに、眉を上げる。
「私のところまで聞こえてくるほどだ。場所によっては、経済力よりも有名かもしれんな」
「“私のところまで”? そうかもと思ったことはありますが、あまり縁がないですか?」
どうだろうとでもいうよう、少し顎をひねっている首元に、太い筋が浮くのを見つめ。
「疎くもないように思うが、強い関心を持ったことはないな」
「軍にいた頃は? 大抵のことは経験したとおっしゃってましたけど」
そんなことまで話したか?と眉をひそめる顔に、やれやれと肩を竦める。
「俺が尋ねたので。男性との経験も、アナルセックスも初めてじゃないと聞きましたが、し慣れている風にも見えなかったな」
二年前だ。印象ばかりが鮮烈で、ディテールは曖昧になってはいる。
フッ、と、少し顎を引き、唇の端を片方だけ上げるのが、政治家の笑みよりよほど様になって見えた。
「その通りだ。あの頃はほとんどあらゆることをする必要があった」
「必要、ですか」
思いがけないことだった。軍にいた頃に、どうしてもそうなりがちな、マッチョな性愛に浸ってでもいたのかと思ってたが。
「若かったからな。人が欲しがるものは、それがどんなものなのか、可能な限り知ろうと考えていた」
その貪欲さに圧倒されるような思いを押し退け、ふと、思い出したことがおかしくて、頭を振る。
「人の頭の中を見る術はないと言ってたのに」
多くのことが見えているに違いない。自分と寝たいんだろう、と、確信めいて言った声をも思い出し。
「事実だ」
まったく、口をこじ開けて舌が二枚ないか確かめてやりたい。
「今は、俺が何を考えているか見えてるんです?」
「いいや。何を考えてる?」
口にしかけてためらい、少し口許が浮ついてしまう。
ピクリと、神経質そうに動いた眉の下、ほんとに見えてるんじゃないだろうな!?と、こちらの方が動揺してしまう。
口の中に隠すように、少し唇の内側を舐め。
「あんな風に過ごした俺を、すぐ隣に寝室のある部屋に、それも内緒で呼びつけるなんて。期待してもいいんですかね?」
それは、イタズラ心やジョークというより、口にすることで強姦するような、ねばついた感情だった。
ルスランの碧い目が、短い間じっと無表情に据えられ。
それから、たわむ。
「今は何の仕事をしている?」
「えっ、」
不意を突かれて声が出る感じが、懐かしい。
「……ビジネスマンです。今は、ええと、外資系商社、って、カルドゥワでも言うかな…」
造語だっただろうかと、少し首をひねり。
「いいだろう」
ルスランが、カップをソーサーに置く、カチッという小さな音。
不敵な笑みに、肋の内でドクリと鼓動が大きく聞こえる。
「来い。遊んでやる」
ボタンを外しながら立ち上がり、ジャケットを脱ぐ姿が、あまりにも様になっている。
ウワアアア、と、何か分からぬ声を上げたくなるような。絶対犬だと思ってるだろ!?という心の吠え声と、犬だと思われても仕方ない、きっと、尻尾があったら今、左右に激しく振れるのを自分でも止められていない。
ボタンを外したベストも、糊のきいたシャツも、彼の指が掛かるのを待たず、襲いかかるように奪い取りながら、唇に噛みつく。
吐息に混ぜて差し出される舌が、躾けるように歯列を咎め、互いに開く口の中で淫靡に舐り合う。
ソファに押し戻すようにしながら、ベルトに掛ける手を、握って止められ、顔が離れる。
「やり方を思い出した。シャワーを浴びてくるから待て」
「待てませんね。“身支度”なら手伝いますよ」
「遠慮しろ」
「命じるのが遅すぎる」
手を止めさせる力が強く、振りほどけない。
仕方ないなという風に息をつくくせに、指の力が一寸も緩まないのがすごい。
「呼んだら入ってこい。人に見せたくないものくらいある」
「毎日、世界中の視線に晒されてるのに?」
「聞き分けろ。いい子だ」
「ッ!?」
スルリと、自分の感覚の方を疑いたくなるような滑らかさで腕の中を抜けられ、声が詰まる。
多分、間違いなくわざと、スーツを脱ぎ捨てて裸になりながら浴室へと歩いていく、削がれたように尚鋭くなった背や尻や、ふくらはぎを見送って。
離れた場所にくぐもるシャワーの音を聞きながら、ひとりになればふと、今のは何だったかと思い当たり、心中複雑にはなった。
ルスランが行政総長になる前、総執政長という、臨時の椅子に座っていた頃からつきまとう、黒い噂。
彼や彼のチームを妨害したり、その強引な政策の裏を暴こうとするものが消えるという、ありきたりといえば、ありきたりな。
けれど、ゴシップ記事が伝える、行方不明者や曖昧な理由での逮捕者には、ジャーナリストという肩書きが目につくのが、自分にはことさら生々しい。
大物にはつきものだという以上に、似合いすぎる。
そりゃそうだろう、など、自分が言わずとも人が口にするのも珍しくはなく。
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