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10、開かれた扉
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何が、何を、何故、と。
問いただすか迷い、結局、最後の夜を楽しもうと決めた腹は、なかば自棄みたいなものだった。
腹の下で腕の中で、のびのびと吼えるルスランは心なしか楽しそうで、人を監禁しておいて失礼なやつだと鼻白む。
思いがけないサービスもしてくれたし、使い果たしたと見え透いた嘘をついてコンドームを着けずにするのも、嫌な顔をしながら応じて、それでも気持ちはいいらしく大いに身悶える様を晒させ。
互いに短い仮眠を取っただけの、馬鹿騒ぎめいた夜を明かした。
準備ができたら呼びにやるから支度をしておけと言い置き、朝になれば同じ顔をして出て行ってしまうルスランの背を見送った。
四ヶ月も住み着くために、当然、衣類をはじめ、お許しが出たものはいろいろ買い与えられはしたものの。
不本意に監禁される間に提供されたものを、たとえ自分には手が届かなそうな高級品だろうと、喜んでいただいていくのも馬鹿馬鹿しく思え。
ここに来た時の自分の服を着込んで、部屋にいても仕方ないしと、豪華な檻を最後に見て回ろうと扉の外へ出た。
異変は、数歩で目についた。
動ける範囲を制限していた、廊下の間仕切り扉が開かれ、その先に同じ内装の廊下が続いている。
目を丸くしてから、肩を落とすように息をついた。
「いちいち嫌なやつだな……」
生きて帰してもらえる日に、危険を冒して逃げ出すのは割に合わない。
物理的な障害が取り除かれたところで、彼の支配の内側に変わりはなかった。
だが、開いている扉をのぞかずにいられるほど従順になりきったわけでもない。いいや逆かと、逡巡しながらも、広がった範囲を眺めるために歩き出した。
想像を超える広さにドン引きしながら、ほどなくして見つけた大きな玄関に、吸い込まれていくようなスーツの背が見えて、思わず早足になる。
ルスランが自分のいた寝室で着替えていたら、こう上手くは遭遇しなかったかもしれない。
玄関を飛び出し、止めてある車へと向かう、すっきりと伸びた背に声を掛け。
「ルーシャ!」
足を止めて振り返る、笑み一つ見せない鉄壁。
「ああ」
何か用か?とでも言わんばかりの顔に、大股に運ぶ足を緩めながら、やれやれと肩を落とす。
「お気をつけて」
「ああ。お前も」
さよならも言わずまた歩き出しかけ、思いがけずルスランが振り返る。
「自力でここを探そうなどと思うな。弾の無駄になる」
ブレないにも程があるだろ、と、降参を示すように大きく肩を竦めた。
いよいよお別れかと思うところへ、掛けられたのが、その時最後の言葉だった。
「――そうだ。ミザック、職業を変えろ」
「ハ!?」
何様だよ!?という言葉すら、咄嗟に出てこず。
けれど、政治家だからジャーナリストが嫌いなのだろうという、単純な図式が頭に浮かんで。どう捉えるべきなのか考えるには、待っている車までの距離は近すぎる。
「変えたらまた会える?」
口をついて出た言葉に、自分でも本当に、馬鹿なんじゃないのかと腹の底から呆れ返り。
返事どころか振り向きもしない横顔を、ピカピカの車が運んでいくのを見送った。
後を任されたのだろう、いかつい運転手に押し込まれるように搭乗した飛行機の中、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか解らないような感覚が、空の上にいる間は続いていた。
「……」
けれど、故郷は強い。
グナイデンの国際空港に降り立ち、耳慣れた言葉が飛び交うのを聞けば、何も得られず飯のタネから追い出された現実が、ずっしりと両肩に伸し掛かった。
「せめて、拾った動物には最後まで責任を持つべきじゃないのか?」
ぶつぶつと愚痴れば、養われたいなどと思ってもいないのに、自分だけが貶められて余計に虚しい。
社会と繋がりなおさないと、と、頭で考えるよりも、飢えたようにじわじわと湧いてくるエコノミックな欲求。どうせ急がないのだ、せめてコーヒーを一杯ゆっくり飲もうと、売店で買った新聞に、答えはあった。
あんぐりと開いた口を、閉じる方法を思い出せない。
喫茶店のソファに腰掛け、ひろげた新聞の社会面に掲載された、見飽きるほど見慣れた顔。
「――反ッ則、だろ、そんなの……」
頭を抱えて項垂れ、グネイデンの多くの人間にはまだ重要な意味を持たないだろう、そのニュースを噛み締めた。
紙面は、カルドゥワ政府が突然のように打ち立てた、新しい短期政策を報じている。
ユースフ総長が指揮するいくつかの政策の中で、興味のあるものならば、際立って重要だと気づくであろう、総執政長なる役職に、ルスラン・ネイハウス書記官の名が挙がっていた。
それほど目立っていなかった書記官の一人の大抜擢を指摘する記事は、そうとは書かないが、ユースフ総長の意図を暗にほのめかしている。
8ヶ月後の総長選挙に向け、後釜に据えるつもりのルスラン・ネイハウスの名を、国民に覚えさせたいと考え、重要な、しかも目新しい役を与えたのだろう。
抱えた頭を、上げられない。
まさしく彼こそが自分が探し当てるべき人物であり、間抜けにもそれに気づかず、しかもネイハウスの方では全てを見通した上で、掴んだ幸運に気づかない馬鹿な記者を、念のため正式発表まで黙らせておいたのだ。
ユースフとネイハウスの目論見通りにいけば、ネイハウスが大国カルドゥワの次の支配者になる。
拾った犬に尻の穴で遊ばせるくらいなんともなかった、とまで、考えれば自分が惨めで。
いかに自分が馬鹿で無力で間抜けかを証明するのをやめ、1mmも動かぬ完全敗北に、ただ頭も身も浸るだけにした。
「また痩せたんじゃないか、ルーシャ?」
勤めから帰って、習慣でつけたテレビが、カルドゥワ国のニュースを流している。
実際のところ、ネイハウスの総執政長の就任は、ユースフ前総長によるお披露目などという、のんきなものですらなかった。
総長選までの8ヶ月の間、ほとんど行政総長と変わらぬ権限と責任を引き受け、ネイハウスはまず、失速し続けるカルドゥワの経済に手をつけた。
税と金融、外資にテコ入れし、短い期間のせいでわずかとはいえ、明らかに上向きに動いた市場を足掛かりに、軍事はもちろん、教育と産業を肥えさせる下敷きをこつこつと築いていった。
福祉がおろそかになっている、と、冷静に指摘をする識者もいるにはいたし、かなり強引なところの多い政策には、黒い噂も多くつきまとった。
だが、力強く、それに分かりやすく国を盛り上げていくネイハウスが、次に何をするかと誰もが目を注ぎはじめたところで、総長選を迎えたのだ。
過半数獲得の順当な勝利などでなく、当て馬とはいえ他の候補者が気の毒になるほどの圧倒的支持で、ネイハウスはカルドゥワ国民に迎えられた。
当然、国際社会でも彼は有名人としてすっかり馴染み、二年も経つ頃には、グネイデンの人間でさえ、その多くが彼の顔を見ればフルネームを言えるほどになっていた。
近くて遠い、とでもいうべきカルドゥワのニュースは頻繁ではないが、それでも、歴代のどの総長よりもこうして画面の向こうに見かけることが多いように感じる。
むろん多忙を極めているのだろう、すっかり“テレビで見る人”となったネイハウスは、目にするたび痩けて鋭さを増している。
四角い画面に声を掛ける痛みにも慣れた頃、霹靂は鳴った。
覚えのないアドレスから送信された、短いメール。
そんなはずがないと思いながら、まさかと何度も開いて見つめる。
“誰だ?”という返信には答えない、“迎えを寄越す”とだけ記された、間違いようのないカルドゥワ語。
まさか。有り得ない、という考えをくつがえし得る、可能性に思い当たることが、余計に動揺を煽る。グネイデンで開催される国際会議へ出席するため、カルドゥワの行政総長であるネイハウスが、就任後初の来訪を予定しているというニュースが流れたのは、先週だ。
いや、と。メールの到着から数時間で、早くも返ってくるようになった宛先不明のエラーメッセージを見ながら、思いを噛む。
あれはただ、大事な時に余計なことを嗅ぎ回る犬に、大人しくさせておくため檻と餌を用意されただけだったのだから。
だが、こちらが愚にもつかない葛藤に振り回されている間に、とっくに動いて思い通りに整えているのがネイハウスだった。
問いただすか迷い、結局、最後の夜を楽しもうと決めた腹は、なかば自棄みたいなものだった。
腹の下で腕の中で、のびのびと吼えるルスランは心なしか楽しそうで、人を監禁しておいて失礼なやつだと鼻白む。
思いがけないサービスもしてくれたし、使い果たしたと見え透いた嘘をついてコンドームを着けずにするのも、嫌な顔をしながら応じて、それでも気持ちはいいらしく大いに身悶える様を晒させ。
互いに短い仮眠を取っただけの、馬鹿騒ぎめいた夜を明かした。
準備ができたら呼びにやるから支度をしておけと言い置き、朝になれば同じ顔をして出て行ってしまうルスランの背を見送った。
四ヶ月も住み着くために、当然、衣類をはじめ、お許しが出たものはいろいろ買い与えられはしたものの。
不本意に監禁される間に提供されたものを、たとえ自分には手が届かなそうな高級品だろうと、喜んでいただいていくのも馬鹿馬鹿しく思え。
ここに来た時の自分の服を着込んで、部屋にいても仕方ないしと、豪華な檻を最後に見て回ろうと扉の外へ出た。
異変は、数歩で目についた。
動ける範囲を制限していた、廊下の間仕切り扉が開かれ、その先に同じ内装の廊下が続いている。
目を丸くしてから、肩を落とすように息をついた。
「いちいち嫌なやつだな……」
生きて帰してもらえる日に、危険を冒して逃げ出すのは割に合わない。
物理的な障害が取り除かれたところで、彼の支配の内側に変わりはなかった。
だが、開いている扉をのぞかずにいられるほど従順になりきったわけでもない。いいや逆かと、逡巡しながらも、広がった範囲を眺めるために歩き出した。
想像を超える広さにドン引きしながら、ほどなくして見つけた大きな玄関に、吸い込まれていくようなスーツの背が見えて、思わず早足になる。
ルスランが自分のいた寝室で着替えていたら、こう上手くは遭遇しなかったかもしれない。
玄関を飛び出し、止めてある車へと向かう、すっきりと伸びた背に声を掛け。
「ルーシャ!」
足を止めて振り返る、笑み一つ見せない鉄壁。
「ああ」
何か用か?とでも言わんばかりの顔に、大股に運ぶ足を緩めながら、やれやれと肩を落とす。
「お気をつけて」
「ああ。お前も」
さよならも言わずまた歩き出しかけ、思いがけずルスランが振り返る。
「自力でここを探そうなどと思うな。弾の無駄になる」
ブレないにも程があるだろ、と、降参を示すように大きく肩を竦めた。
いよいよお別れかと思うところへ、掛けられたのが、その時最後の言葉だった。
「――そうだ。ミザック、職業を変えろ」
「ハ!?」
何様だよ!?という言葉すら、咄嗟に出てこず。
けれど、政治家だからジャーナリストが嫌いなのだろうという、単純な図式が頭に浮かんで。どう捉えるべきなのか考えるには、待っている車までの距離は近すぎる。
「変えたらまた会える?」
口をついて出た言葉に、自分でも本当に、馬鹿なんじゃないのかと腹の底から呆れ返り。
返事どころか振り向きもしない横顔を、ピカピカの車が運んでいくのを見送った。
後を任されたのだろう、いかつい運転手に押し込まれるように搭乗した飛行機の中、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか解らないような感覚が、空の上にいる間は続いていた。
「……」
けれど、故郷は強い。
グナイデンの国際空港に降り立ち、耳慣れた言葉が飛び交うのを聞けば、何も得られず飯のタネから追い出された現実が、ずっしりと両肩に伸し掛かった。
「せめて、拾った動物には最後まで責任を持つべきじゃないのか?」
ぶつぶつと愚痴れば、養われたいなどと思ってもいないのに、自分だけが貶められて余計に虚しい。
社会と繋がりなおさないと、と、頭で考えるよりも、飢えたようにじわじわと湧いてくるエコノミックな欲求。どうせ急がないのだ、せめてコーヒーを一杯ゆっくり飲もうと、売店で買った新聞に、答えはあった。
あんぐりと開いた口を、閉じる方法を思い出せない。
喫茶店のソファに腰掛け、ひろげた新聞の社会面に掲載された、見飽きるほど見慣れた顔。
「――反ッ則、だろ、そんなの……」
頭を抱えて項垂れ、グネイデンの多くの人間にはまだ重要な意味を持たないだろう、そのニュースを噛み締めた。
紙面は、カルドゥワ政府が突然のように打ち立てた、新しい短期政策を報じている。
ユースフ総長が指揮するいくつかの政策の中で、興味のあるものならば、際立って重要だと気づくであろう、総執政長なる役職に、ルスラン・ネイハウス書記官の名が挙がっていた。
それほど目立っていなかった書記官の一人の大抜擢を指摘する記事は、そうとは書かないが、ユースフ総長の意図を暗にほのめかしている。
8ヶ月後の総長選挙に向け、後釜に据えるつもりのルスラン・ネイハウスの名を、国民に覚えさせたいと考え、重要な、しかも目新しい役を与えたのだろう。
抱えた頭を、上げられない。
まさしく彼こそが自分が探し当てるべき人物であり、間抜けにもそれに気づかず、しかもネイハウスの方では全てを見通した上で、掴んだ幸運に気づかない馬鹿な記者を、念のため正式発表まで黙らせておいたのだ。
ユースフとネイハウスの目論見通りにいけば、ネイハウスが大国カルドゥワの次の支配者になる。
拾った犬に尻の穴で遊ばせるくらいなんともなかった、とまで、考えれば自分が惨めで。
いかに自分が馬鹿で無力で間抜けかを証明するのをやめ、1mmも動かぬ完全敗北に、ただ頭も身も浸るだけにした。
「また痩せたんじゃないか、ルーシャ?」
勤めから帰って、習慣でつけたテレビが、カルドゥワ国のニュースを流している。
実際のところ、ネイハウスの総執政長の就任は、ユースフ前総長によるお披露目などという、のんきなものですらなかった。
総長選までの8ヶ月の間、ほとんど行政総長と変わらぬ権限と責任を引き受け、ネイハウスはまず、失速し続けるカルドゥワの経済に手をつけた。
税と金融、外資にテコ入れし、短い期間のせいでわずかとはいえ、明らかに上向きに動いた市場を足掛かりに、軍事はもちろん、教育と産業を肥えさせる下敷きをこつこつと築いていった。
福祉がおろそかになっている、と、冷静に指摘をする識者もいるにはいたし、かなり強引なところの多い政策には、黒い噂も多くつきまとった。
だが、力強く、それに分かりやすく国を盛り上げていくネイハウスが、次に何をするかと誰もが目を注ぎはじめたところで、総長選を迎えたのだ。
過半数獲得の順当な勝利などでなく、当て馬とはいえ他の候補者が気の毒になるほどの圧倒的支持で、ネイハウスはカルドゥワ国民に迎えられた。
当然、国際社会でも彼は有名人としてすっかり馴染み、二年も経つ頃には、グネイデンの人間でさえ、その多くが彼の顔を見ればフルネームを言えるほどになっていた。
近くて遠い、とでもいうべきカルドゥワのニュースは頻繁ではないが、それでも、歴代のどの総長よりもこうして画面の向こうに見かけることが多いように感じる。
むろん多忙を極めているのだろう、すっかり“テレビで見る人”となったネイハウスは、目にするたび痩けて鋭さを増している。
四角い画面に声を掛ける痛みにも慣れた頃、霹靂は鳴った。
覚えのないアドレスから送信された、短いメール。
そんなはずがないと思いながら、まさかと何度も開いて見つめる。
“誰だ?”という返信には答えない、“迎えを寄越す”とだけ記された、間違いようのないカルドゥワ語。
まさか。有り得ない、という考えをくつがえし得る、可能性に思い当たることが、余計に動揺を煽る。グネイデンで開催される国際会議へ出席するため、カルドゥワの行政総長であるネイハウスが、就任後初の来訪を予定しているというニュースが流れたのは、先週だ。
いや、と。メールの到着から数時間で、早くも返ってくるようになった宛先不明のエラーメッセージを見ながら、思いを噛む。
あれはただ、大事な時に余計なことを嗅ぎ回る犬に、大人しくさせておくため檻と餌を用意されただけだったのだから。
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