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第五章・イギリス艦隊の脅威
第13話 魁!清河八郎
しおりを挟む寅之助は京都を去って東へ向かった。ゆえに、物語の舞台は京都から武州(武蔵国)へと移る。
特に注目すべきは江戸と横浜である。なぜなら、今、そこで日本とイギリスの戦争が勃発しようとしているからだ。
生麦事件の賠償金問題については前々回、そこそこ詳しく書いた。
しかしここでもう一度、その概要をおさらいしておきたい。
薩摩の軍勢が生麦でイギリス人を殺傷したのは昨年(文久二年)八月のことだった。
それ以来、この問題は遅々として解決に向かわなかった。薩摩藩は「無礼討ち」として自分たちの正当性を主張した。そして幕府はとにかく問題の先送りのみを考え、時間稼ぎに終始した。
当然、イギリスは激怒した。
生麦事件だけに限らず、それまで二度の東禅寺事件(イギリス公使館襲撃事件)があり、さらにそれら以外に攘夷派浪士による外国人襲撃事件がくり返されていた。にもかかわらず、日本政府はまったく誠意を欠いた反応しか示さない。イギリスがキレて激怒するのも故なきことではない。
そしてイギリスは幕府と薩摩に多額の賠償金を請求し、「支払わなければ軍艦で攻撃する」と脅したのである。
その通告書が幕府に突きつけられたのは、上洛に向かう将軍家茂が江戸を出発してから六日後(二月十九日)のことだった。回答期限は二十日間と指定された。
これに対して幕府が、将軍の江戸不在を理由に「あと十五日」「さらに十五日」と、何とかイギリスから期限の延長を引き出し、結局、四月六日が最終回答期限となった。それは三月下旬に京都を出発した寅之助たちが、ちょうど江戸へ向かっている最中の頃、ということになる。
イギリス艦隊は二月には横浜に集結し、その数は十数隻に及んでいた。
十数隻の黒船艦隊が江戸湾に現れ、当然、江戸と横浜はパニックになった。
江戸では多くの人々が地方へ疎開した。横浜の日本人商人たちは店を閉めて横浜を引き払った。
が、さすがにそのパニックも長続きはせず、この頃になると日本人もイギリス艦隊の脅威に慣れてしまった。
「今になっても戦争が始まらないということは、多分、幕府とイギリスが裏で手打ちを済ませているのであろう」
なんとなくそんな雰囲気が日本人たちのあいだに広まり、横浜を引き払っていた商人たちも徐々に横浜へ戻ってきていた。
実際その通りであった。
四月六日の最終回答期限に合わせて幕府は
「基本的には、賠償金の支払いを認める」
とイギリスに回答し、以後、イギリスと具体的な支払方法について協議することになったのである。
ただし、11万ポンド(約35万両)という多額の賠償金を一括で支払うとなると甚だ目立つ。世論からの批判はもちろん、最悪の場合、尊王攘夷派が力づくで支払いを阻止しようと支払い時に襲撃してくるかも知れない。
というわけで、一応、目立たないように分割払いで少しずつ支払う、という方向で話が進められた。そしてこのあとも交渉は続けられ、五月三日に14万ドル、そのあと一週間ごとに5万ドルを支払って、合計44万ドル(=11万ポンド)を支払う、ということで話がまとまりつつあった。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。
イギリスからの開戦を待つまでもなく、清河が浪士組を率いてイギリスに宣戦布告し、横浜で攘夷を実行しようとしていたのである。
清河を含む約二百名の浪士組は三月下旬、江戸に戻ってきていた。
浪士組の宿舎となったのは本所三笠町の旗本、小笠原加賀守の屋敷で、そこに入りきらない分は他の何件かに分宿した。小笠原加賀守の屋敷は、現在の場所でいえば錦糸町駅の北西、墨田区石原四丁目のあたりである。ただし清河は相変わらず小石川の山岡邸を本拠地にしていた。
清河の横浜襲撃計画の内容は
「浪士組二百名が武器を持って横浜に攻め込む。そして異人を斬り捨て、横浜の町を焼き払う。さらに海に油を流して火をかけ、イギリス艦隊を焼き払う」
というものだった。
それにはまず、武器弾薬を調達するための軍資金がいる。
そこで清河の同志である石坂周造などが蔵前の札差(高利貸し)や府内の豪商から「尽忠報国のため」と称して大金を「押し借り」した。分かりやすい例えで言うと、この同じ頃に京都で芹沢鴨が豪商から金品をまき上げていたのと、やり方は大同小異だ。ただし芹沢と違うのは「こちらはこの後、本気で攘夷を実行する計画だった」ということだ。とりあえずこのやり方で清河はかなりの軍資金を集めることに成功した。とはいえやはり、浪士組をカタった偽浪士組による「押し借り」事件が頻発したため、五日間の外出禁止令を浪士組一同に出して様子を見たところ、やがて偽浪士組の正体があぶり出され、清河はそれらをひっ捕らえて処分した、という事件もあった。
そして横浜襲撃は四月十五日に決行されることに決まった。
そのため、清河はその五日前に横浜へ潜入し、敵情視察をおこなった。清河は横浜の町を視察しつつ「五日後には、この横浜は我々の手によって火の海となるのだ」と想像したに違いない。
しかし終わりはいきなりやってきた。
四月十三日。場所は麻布一の橋。現在、その地下には麻布十番駅がある。
当時、一の橋の目の前には出羽上山藩松平家の藩邸があった。清河はこの日「一人で」この藩邸を訪れていた。この上山藩の重臣で清河の友人でもある金子与三郎から「一人で」来るよう招待されたからである。
清河の側近たちは清河が一人で行くのを止めようとしたが、清河は聞かなかった。それで、この直後に起きた凶行には「金子も関与していたに違いない」と、少なくとも清河の側近たちはそのように信じた。
この日の朝、清河は山岡家の隣りにある高橋家に立ち寄った(山岡鉄太郎の義兄が高橋精一(泥舟)であることは前述した)。その際、高橋精一は清河の顔色が悪いのを見て外出をやめるように言い、自分の妻にも清河を外出させないように言い含めてから登城した。そのあと清河は高橋の妻に白扇を持ってこさせ、
魁て またさきがけん 死出の山 迷ひはせまじ 皇の道
と書いて渡した。そして彼女が止めるのも聞かず、上山藩邸へ出かけた。
この白扇に書いた歌は、清河の辞世の句と言われる有名な歌である。また清河はこの前日、郷里庄内の父母へ宛てて遺書とも受け取れる書状を書いて送っている。これらのことから、暗殺を予期していたかどうかはともかく、二日後の横浜襲撃で死ぬつもりだったことは間違いなかろう。
金子との面談が終わった清河は、上山藩邸を出て一の橋を渡った。金子からずいぶんと酒を勧められ、したたかに酔っていた。
そして橋を渡ったところで佐々木只三郎ら六人の幕臣によって暗殺された。
佐々木が陣笠を取りながら丁寧にあいさつし、それにつられて清河が陣笠を取った途端に背後から斬りつけられ、清河は斬殺された。
清河の前後を六対一で囲んでいる時点ですでに、将棋で言うところの「詰み」のはずなのに、さらに陣笠を取る小細工を入れて「念には念を入れた」わけである。清河暗殺に賭ける幕府の執念を感じさせるエピソードと言えよう。よほど清河の横浜襲撃計画に危機感を抱いていたに違いない。
清河の死によって横浜襲撃計画は消滅した。
清河との親交が深く、浪士組の活動にも深く関わっていた幕臣の山岡鉄太郎と高橋精一は免職蟄居となった。以後、特に山岡は、五年後の「江戸開城」まで歴史の表舞台から姿を消す。
また清河と虎尾の会の頃からずっと一緒に活動してきた石坂周造などの同志は、諸藩預けの身となって幽囚生活を送ることになった(これも山岡同様、五年後に幕府が倒れるまで幽囚される)。
清河たち過激派指導部が取り除かれた浪士組は庄内藩(酒井家)の預かりとなって「新徴組」と改称され、以後、江戸の市中警備の任に就くことになる。
浪士組が庄内藩に預けられることになった理由は諸説あるが、やはり清河が庄内藩出身であったことと無縁ではないだろう。要するに「清河の尻拭いをせよ」と。
根岸友山や寅之助たちが江戸に到着し、本所三笠町の浪士組本部を訪れたのはちょうど清河が暗殺された直後のことだった。
「何?清河が殺された!……」
と友山たちが驚いたのは言うまでもない。
本所三笠町の浪士組本部は、清河たち首脳陣が消えたことによって組織の運営体制が混乱していた。
といっても幕府にとっては、イギリス艦隊が江戸湾に居座っている現実に変わりはなく、開戦になった時の備えとして、兵力は依然として必要なのである。
友山としては、清河のいなくなった浪士組へ戻ることには抵抗があった。清河がいてこその浪士組であり、尊王攘夷の組織であったのだから。庄内藩お抱えの組織として江戸の市中警備をやることに、友山はあまり魅力を感じなかった。
しかし寅之助と五一は友山に意見を具申した。
「イギリスが江戸を攻撃するかもしれないのですから、それに備えて浪士組に戻るべきです」
寅之助と五一としては「イギリスと戦う」という大きな目的があったことは事実だが、それに加えて、ここで浪士組から離れると「仕官の道が途絶えてしまう」という心配もあったのだ。
それで結局友山も二人の意見を容れて、全員、浪士組(新徴組)に戻ることになった。
清河が死んでから七日後(四月二十日)、京都では幕府がとうとう攘夷の期日を発表した。
「五月十日をもって攘夷の期日とする」
幕府は、横浜ではイギリスに「賠償金を分割で支払う」と答えておきながら、京都では朝廷に「五月十日に攘夷を実行する」と答えたわけである。
なんとまあ無茶なことをやったものだ、と呆れるしかない。
むろん、京都では朝廷や尊王攘夷派の勢いに負けて、このように発表したのだった。江戸はともかく、京都で「イギリスに謝罪して賠償金を支払います」などとは、とても言える状況ではなかったのだ。
井伊直弼や安藤信正が消えて以降、幕府には確固たる方針など存在せず、方針をくるくると猫の目のように変えるのがもはや当たり前となってはいたが、これはもう「二枚舌も極まれり」といったところである。
この曖昧な二枚舌作戦を幕府が決めるにあたっては、将軍後見職の一橋慶喜の影響が大きい。
以前「一橋派」という名称に絡むかたちで慶喜の名前は何度か登場したが、慶喜本人が政治の表舞台に出てくるのはこれが初めてなので少々説明しておく。
この頃にはかつて一橋派だった松平春嶽や山内容堂などが中央政局に復帰しており、慶喜自身も将軍後見職となって幕府の要職に就いていた。ただし、前回書いたように春嶽や容堂は、もはや手のつけようがない政局に嫌気がさして京都から逃げ出してしまい、京都で将軍を補佐する役目は慶喜一人が背負うかたちになっていた。
慶喜の父は尊王攘夷の元締めだった水戸の烈公・徳川斉昭で、母は公家の有栖川宮家出身の貞芳院である。慶喜は血筋から言っても朝廷尊崇の念が篤く、朝廷の攘夷の意向を無視できない。
しかしその反面、慶喜は開国の必要性を重々承知しており、イギリスと戦うなど愚の骨頂だと思っている。
朝廷に良い顔をしたい。だが、イギリスにも良い顔をしたい。
そこで慶喜があみ出したのが
「建前だけの攘夷鎖港命令(外国人追放令)」
という作戦だった。「鎖港」とは港を閉じることを意味する。
朝廷に対しては
「これこの通り。五月十日を期限に、港を閉じて、外国人には国外退去を命じます」
と言う。
その一方、イギリスに対しては
「このように建前上、外国人追放令を通告しますが本気にしないでください。朝廷の顔を立てるために通告するだけです。賠償金はこのどさくさに紛れて支払います」
と言う。
頭が良いというか悪知恵が働くというか、とにかく慶喜はこの作戦で危機を乗り切ろうとしたのである。
そして慶喜本人も「江戸で攘夷の指揮をとる」と称して、このころ東海道をゆっくり江戸へ向かって進んでいた。その一方で、先に江戸へ行って慶喜の指示通りにこの作戦を進めていたのは、老中格の小笠原長行だった。小笠原は五月三日に開始する予定だった賠償金の支払いを一旦中止させて、攘夷期日の五月十日まで時間稼ぎをしようとした。
そうは言っても、朝廷はともかくとして、こんな不誠実で、しかも小細工を要する作戦がイギリスに通じるはずがなかった。
「分割払いで支払うと言っていたのをいきなり反故にして、しかもよりによって外国人を追放しようなどと企てるとは、もってのほかだ!」
とイギリスは激怒した。そして
「すぐにでも賠償金を一括で支払わないと軍事行動を開始する!」
と幕府に最後通牒を突きつけたのである。
「きっと幕府とイギリスは裏で手打ちを済ませているのだろう。戦争になることは多分あるまい」
などと安心しきっていた横浜の日本人商人たちは再びパニックに陥り、いっせいに横浜から逃げ出した。
そして江戸でも再びパニックになり、多くの住民が疎開した。特にイギリス艦隊から真っ先に攻撃される品川など海岸沿いの住民には、幕府が正式に退去命令を出した。さらに大名や武士に対して「イギリスと戦争になる可能性が高いので銘々覚悟せよ」と通告を出した。
このような状況の中で、横浜にいたイギリス艦隊の中から二隻の軍艦が江戸へ向かって北上を開始した。
品川の海岸近くの高台で監視をしていた哨戒兵が、そのイギリス艦隊の動きを見て「カンカンカン!」と敵の接近を知らせる鐘を鳴らした。
浪士組あらため新徴組の一員となって江戸防衛の任についていた寅之助と五一は、その鐘の音を聞くと駐屯所から飛び出して、海の見える高台に登った。
遠くを眺めてみると、確かにイギリス軍艦と思われる船から蒸気の煙が上がっているのが見えた。
「奴ら、市中へ向けて大砲を撃ってきますかね?五一さん」
「いくら西洋人が非道といっても、まさか市中へ向けて撃ってはこないだろうが……。どうかな、分からん」
「お台場の砲台でなんとか踏ん張ってもらいたいものですが……」
「もし、お台場を突破されたら、奴らは上陸してくるだろう。その時は我々の出番だ」
「はい。イギリス人を斬って斬って斬りまくりましょう!」
と二人は意を決したのだが、この時のイギリス軍艦の北上はただの偵察だった。それでその二隻は、しばらくするとUターンして横浜へ引き返していった。
確かにイギリスは強気に出てはいるものの、イギリスとしても実のところ、戦争をやりたいわけではないのである。
清国で二度も戦争を経験し、しかも清国ではまだ太平天国の乱も収まっておらず、イギリス軍は清国で手一杯だった。
イギリスの最重要課題は清国での利益確保である。日本での利益確保は、なるべく戦争に依らないかたちで遂行したいと思っている。
「なんとか日本には、脅しだけで屈服してもらいたい。仮に戦争になるとしても、最小限の戦争で終わらせたい」
これがイギリスの本音であった。
貿易で利益をあげるために日本へ来ているのであって、優先順位が清国より低い日本でわざわざ戦争などやりたくはない。
第一、イギリスの本国政府は横浜のイギリス艦隊に開戦を許可してはいない。日本を屈服させるためには海上封鎖、すなわち江戸湾、大坂湾、瀬戸内海の出入口をイギリス艦隊で封鎖して日本の海上輸送をストップさせる、という作戦しか命じていないのだ。むろん、日本側から戦争を仕掛けられた場合は別だが(さらに言うと薩摩藩への砲撃は一応許可しているが)江戸や横浜を火の海にすることまでは、イギリス本国政府は許可してなかった。そしてイギリス艦隊の提督も、もし横浜で開戦してしまうと箱館(函館)や長崎でも外国人が危険にさらされることになり、そこまで守りきる戦力はイギリスにない、と自覚していたのである。
しかし結局、幕府は賠償金を支払った。
五月九日、すなわち攘夷期日に設定された五月十日の前日のことである。
全額一括で支払った。銀貨で約35万両分ということで、イギリス艦隊に積み込むのに三日間かかった。
これにより、日英の戦争は回避された。
とはいえ、幕府は賠償金の支払いと同時にイギリスなど各国に対して「外国人追放令および鎖港令」も通告した。前述したように、もちろん本気で外国人を追放したり、鎖港をするわけではない。朝廷の顔を立てるために、このような二枚舌を使っているだけである。
イギリスはこのような幕府の二枚舌に呆れながらも、とにかく無駄な血を流さずに賠償金を一括で獲得できたので安堵した。
「幕府が賠償金を支払った?!」
駐屯所の門前で五一から賠償金支払いの話を聞いた寅之助は、こう叫んだ。
周囲の新徴組隊士たちも、やはり一同に驚いた様子でこの話を聞いた。
五一が話を続けた。
「ああ、そうだ。しかも35万両という大金だ」
「なんたる無様な!」
「その上で、各国に対して攘夷鎖港を通告したと言うが、本気で攘夷をやる気があるのなら、大金を渡して『敵に塩を送る』はずがなかろう」
「幕府には腰抜け武士しかおらんのか!」
「これでイギリスとの戦争は無しか……」
と新徴組隊士たちはつぶやき、何人かは腰がくだけたようにその場にへたり込んでしまった。
寅之助も呆然とするしかなかった。
町中では町民たちも、この話でもちきりとなっていた。
そして駐屯所の門前にいた寅之助の近くを、町民の母子が通りかかった。その母親は赤ん坊を背負い、幼子の手を引きながら寅之助の目の前を通っていった。この時、母親が幼子に語りかけた。
「戦は無くなったそうだよ。良かったねえ」
寅之助はその幼子と目が合った。幼子は無邪気に笑っている。
攘夷のための戦争ができなかったことを悔やむべきか、彼女たちが無事に済んだことを安堵すべきか、寅之助は、何とも名状しがたい心境であった。
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