伊藤とサトウ

海野 次朗

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第七章・二転三転

第46話 横浜大火

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 この頃横浜では、サトウにとってはウィリスと同じように生涯の友人となるミットフォードが到着した。
 彼が前任地の北京から横浜に到着したのは八月二十五日のことである。

 ちなみにこのミットフォードという男、年齢は二十九歳、生まれ育ちは正真しょうしん正銘しょうめいのエリート=ジェントルマン(貴族)で、えも良い。
 もし近くに若い女性がいれば、まず放っておかれないような男である。

 何を隠そう、ミットフォード自身も大の女好きであった。
 そして実は、このことが彼の日本赴任に関係していたりもするのである。

 彼は前任地の北京で、清国公使オールコックの娘(義理の娘。再婚した妻の連れ子)エイミーと恋仲こいなかになり、娘はミットフォードとの結婚を望んでいた。
 けれども義理の父であるオールコックは二人の結婚に反対した。
「社会的な身分が不釣り合いである」
 というのがその理由だった。オールコックは二人を引き離すためにミットフォードを日本へ転勤させたのだった。

 ここでちょっと難しい話をすると、当時のイギリスの外交官には二種類あった。
 ジェントルマンの子弟していでオックスフォードやケンブリッジを卒業したエリート達がつどう「外交部門(Diplomaticディプロマティック serviceサービス)」の外交官と、それ以外の「領事部門(Consularコンシュラー serviceサービス)」の外交官である。
 この両者は、第3話で「ジェントルマン」のことを説明した際に少し触れたように、社会的地位が大きく異なる。
 領事部門は外交部門の下位に置かれ、「領事は外交官の雑役夫ざつえきふである」とか、いじわるな継母ままはは継姉ままあねに下女のようにつかえる「シンデレラ・サービス」などと呼ばれた。しかし現実には領事部門の人間がシンデレラのように外交部門へ昇進することなど、ほとんど不可能だった。

 ただし、イギリスが進出し始めたばかりだったこの東アジアにおいては、シンデレラのように昇進した男が二人いた。
 それがオールコックとパークスである。
 この二人は領事部門出身の叩き上げの外交官だが、この時は外交部門に所属する“公使”となり、さらにバス勲章くんしょうじゅされ、サー(sir)の称号しょうごうを名乗ることができるようになっていた。

 ミットフォードは外務省に入省した時から外交部門に配属されたエリートである。
 オールコックからすれば、自身も外交部門に昇格してサーを名乗れるようになっていたのだから、娘とミットフォードの社会的地位を気にする必要もないように思われるが、その点のこまかなイギリス人の身分意識はよく分からない。
 実際ミットフォードは後年、名門貴族の伯爵はくしゃく令嬢れいじょうと結婚することになるので、まあ、やはり自分の娘(しかも義理の娘)では不釣り合いと思ったのだろう。エイミーにとってはいささか気の毒ではあるが。

 サトウももちろん、領事部門の外交官である。
 そして彼もまた、オールコックやパークスのような「シンデレラ」となるために外交部門への昇進を目指すことになるのだが、それは十年以上先の話である。

 この頃サトウとウィリスは相変わらず横浜の日本人街と外国人居留地きょりゅうちのあいだにある日本家屋かおくに住み続けていたのだが、ミットフォードもそのすぐ近くの日本家屋に住むことになった。
 その自分の新居しんきょを見せられたミットフォードは、何とも言えない不思議な気分になった。
(木と紙で出来た、こんな小さくて華奢きゃしゃな家に人間が住めるものだろうか……?)
 イギリス貴族ジェントルマンの目から見れば日本家屋は“人形の家”も同然だった。
 それでも彼はとりあえず、この小さな“人形の家”に入居することにした。そしてさっそく数人の芸者を呼び、サトウたちと入居祝いをして大いに楽しんだ。その新居とはあっけなくお別れになるとは夢にも思わずに。

 十月二十日、のちに「豚屋ぶたや火事」または「横浜大火たいか」と呼ばれる大火災が横浜の町をおそった。

 この日はよく晴れた、風の強い日だった。
 午前八時五十分頃、港崎みよざき遊郭ゆうかくの近くにある豚肉屋で火災が発生し、火事を知らせる半鐘はんしょうが鳴り始めた。

 サトウとウィリスは朝食を食べながら
「また火事か。ここでの火事の多さにはもうれたよ。今回は夜中に叩き起こされなくて幸運だったな」
 と語り合いつつ、わりあいのんびりと構えていた。一応サトウが表に出て様子を見てみると、なるほど、かなり離れたところで煙が上がっているのが見えた。

 そこでサトウは火事の現場を見物しようと思い、煙の方向へと歩いて行った。
 その途中、ミットフォードの家にも寄って火事の発生を知らせた。
 ヒゲをっている最中だったミットフォードは
「よし、分かった。服を着替えたら私もすぐ見物に行く」
 とサトウに答えた。

 サトウが火事の現場へ近づくにつれて、逃げてくる人々がなだれを打って逆流してきた。家財かざいなどを抱えている人も大勢いた。
 そしてこの頃にはもう、サトウにも火事の炎が見えるようになっていた。
 すでに岩亀楼がんきろうなどの港崎みよざき遊郭ゆうかくは、遊郭全体に火が回っていた。

 横浜(関内かんない)は北西側が日本人街で南東側が外国人居留地となっていたが、港崎みよざき遊郭はその南西に離れ小島のように存在しており、横浜の市街区から南西にびている吉原よしわら通りが港崎遊郭をつないでいた。
 出火しゅっかもととなった豚肉屋はこの吉原通りにあった店で、すでに吉原通りに並んでいた家屋と港崎遊郭はほとんど炎上していた。そしてその火はさらに市街区の方へ燃え広がりつつあった。

 離れ小島と化していた港崎遊郭から逃げ出すには市街区へと通じる吉原通りを通るしかなかった。
 しかしすでにこの通りは燃え上がる家屋とまどう人々のれで通れなくなっていた。
 港崎遊郭の遊女たちはまさに袋小路ふくろこうじに閉じ込められてしまったのである。
 それゆえ、多くの遊女が逃げ遅れて焼死し、さながら阿鼻あび叫喚きょうかんの地獄絵図となった。なかには周囲の堀を泳いで渡ろうとして溺死できしした遊女も何人かいた。

 サトウは、火の手が市街区のほうへ進んでくる速さに驚き、急いで家へ引き返した。
(木と紙で出来た家が、これほど火の回りが速いとは知らなかった。この風向きでは我が家も確実に焼かれる!)

 道は家財道具を抱えてまどう人々でごった返していた。
 なんとか人ごみをかき分けて家に戻ったサトウは、急いで火災に備えるようウィリスやミットフォードに声をかけた。ミットフォードは、これからのんびりと火事の見物に行こうとしていた矢先だった。
「火の手は間違いなくここまで到達する!すぐに大切な物を家から運び出せ!」
 サトウの家の周辺にはイギリス公使館の同僚たちが寄り集まって住んでいたので、それぞれ協力し合って家財道具を家の外へと運び出した。そして火の手が到達する前に、比較的軽い物は(例えば洋服のたぐいや書籍および貴重品きちょうひんなどは)大体運び出すことができた。

 サトウの場合、まっさきに頭に思い浮かんだのは英和辞書用の原稿だった。
 これが焼失してしまうと、辞書を作るために二年間苦労してきた努力が水のあわになってしまうからだ。

 運び出した家財道具を火事から離れた場所へ避難させた頃には、サトウとウィリスが二年半住んできた家はあっという間に焼け落ちた。

 さはさりながら、運び出した家財道具もまだ安全とは言い切れず、しかも火事場かじば泥棒どろぼうによってすでにいろいろと持ち逃げされていた。
 そこでサトウの友人が持っていた耐火たいか倉庫へそれらを運び込むことにした。
 その倉庫は海岸沿いにあり、そこまで火事が燃え広がるとは思えなかった。また万一燃え広がったとしても石造りの耐火倉庫なので大丈夫だろう、と考えたのだ。それでサトウたちはすべての家財道具をその倉庫の中へ運び入れた。

 横浜の南西にある吉原通りが出火元となった大火災は北東の市街区のほうへと燃え広がり、まず最初に日本人街を蹂躙じゅうりんした。
 そして横浜の中心部にあった運上所うんじょうしょ(税関および外国人に関わる行政をつかさどる役所)を焼き払い、火の手はついに海岸沿いの建物まで到達した。結局日本人街は三分の二が焼き払われてしまった。

 このあと火の手は外国人居留地へも飛び火した。
 強風にあおられた炎は次々と外国人たちの建物をのみ込み、とうとう波止場はとばのシンボル的な存在だったジャーディン・マセソン商会の建物も炎につつまれた。
 そして火の手はさらに広がり、その近辺にあった外国人の倉庫にも燃え広がった。

 火の手はサトウたちが家財道具を運び込んだ耐火たいか倉庫にも及びつつあった。
 そしてこの耐火倉庫は、あっけなく炎上した。
 サトウたちは大切な家財道具がくされるのを呆然ぼうぜんと見送るしかなかった。

 この耐火倉庫は石造りだったので耐火性があると思われていたのだが、実はほとんど耐火性がなかったのだ。大火は外国人居留地の五分の一を焼き払い、夕方頃にようやく鎮火ちんかした。

 サトウは蔵書や衣類など多くの財産を失い、のままの状態となった(一応サトウたち公使館員は後にイギリス政府から焼失した財産分の補償ほしょう金を支給してもらった)。
 不幸中の幸いというか、英和辞書用の原稿は肌身はだみ離さず持っていたので無事だった。
 ただ、サトウにとって一番悲しかったのは、愛犬のパンチが行方不明になったことだった。状況的に見て、火事の犠牲になったと考えるしかなかった。

 ちなみに「パンチ」つながりで言うと、サトウの友人で『ジャパン・パンチ』を発行しているワーグマンの自宅もこのとき焼失した。
 そのため彼が長年描きためてきた絵画も焼失したと思われたが、三日後に近所の人が保管していたことが分かって無事戻ってきた。
 こういったあわただしい状況の中でも彼は横浜大火のイラストを二枚描いて、記事原稿と一緒に『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』へ送っている。そしてそのイラストと記事によって、現代の我々もこの横浜大火の様子を知ることができるのである。

 また、この火事の原因については被災直後から
「日本人がやった放火に違いない」
 と多くの外国人が噂し合った。
 実際この物語ではこれまで何度も「横浜焼き討ち」の話をやってきた訳だが、それがここへ来て「とうとう実現した」という見方も、見ようによってはできるだろう。

 関東では天狗党の騒動からすでに二年近くが過ぎており、攘夷熱はかなり下火となっていたのだが、確かにこの当時、攘夷熱がやや再燃さいねんしてきていた。
 ただしこれは、これまでのように尊王攘夷家がたきつけた攘夷熱ではなかった。

 この頃、物価(特に米価)が高騰こうとうし、一揆いっきや打ちこわしが各地で頻発ひんぱつしていた。
 米価高騰の主な要因は、第二次長州征伐(幕長戦争)のために幕府が兵糧ひょうろうまいを買い占めたせいだったのだが、この米価高騰の原因を外国人のせいにする声も多かったのである。
 そのため、馬で遠乗りに出かけていた外国人が民衆から石を投げつけられる、といった事件も起きていた。
 幕府はなんとか米価高騰をおさえようとして、ベトナムから外米がいまいを輸入するなどの対応策をとることになった。
 とにかく、こういったごとが増えていたので、外国人が
「日本人がやった放火に違いない」
 と思っても仕方がない部分もあった。

 しかし、こういった噂は次第に消えていった。
 すぐに出火元が豚肉屋であったことが突きとめられ、火事の原因も調理中の失火であったことが判明したからである。
 そもそもこの豚肉屋は市街区からやや離れており、しかも外国人を狙うのなら外国人居留地に放火するはずなのに日本人街のほうが大きな被害をうけていた。さらに外国人居留地が燃えている時に多くの日本人が消火活動や家財の運び出しに協力していた。
 こういったことから外国人たちも「自然発生的な火災だったのだろう」ということで納得したのだった。

 余談ながら、この当時の日本人はおそろしく火事にれており、このような大火を経験してもまったく落ち込むこともなく、すぐにまた「木と紙で出来た家」を建て直した。
 当時の外国人の多くも、こういった日本人の特性、すなわち「火事で家が焼けてもすぐに平然と町の再建に取りかかる様子」について、いろいろと記述を残している。
「まだ地面が熱いうちに、まるで地面からえてくるかのように次々と家が建つ」
「火事や天災にってもまるで日常茶飯事さはんじのようにおだやかな表情をしている」
 といったような記述がいくつもある。

 この頃ちょうど日本に来ていたデンマーク人のスエンソンは次のような記述を残している。
 彼は大火の時フランスの軍艦に乗り込んで朝鮮へ出征しゅっせいしていたので(ちなみに朝鮮の戦役で両足を負傷した)横浜にはいなかったが、大火の少しあとに横浜へ戻ってきた。
「火事の痕跡こんせきはほとんどぬぐられてしまっていた。(略)魔法でもかけられたように次から次へと家が地面からえて出た。(略)日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気のんきさをたもっていた。不幸に襲われたことをいつまでもなげいて時間を無駄にしたりしなかった。(略)日本人の性格中、異彩いさいはなつのが、不幸や廃墟はいきょを前にして発揮はっきされる勇気と沈着ちんちゃくである。(略)日本人を宿命論者と呼んでさしつかえないだろう」(『江戸幕末滞在記』新人物往来社、訳・長島要一)
 こういった外国人の声は東日本大震災の時にも耳にしたような気がするが、それはともかく、当時の日本人のたくましさは現代の日本人から見ると「やや度が過ぎている」というような気がしないでもない。

 ところで、この横浜大火の場面ではイギリス公使であるパークスが一度も登場しなかったが、彼はこの時生糸きいと産地への小旅行に出ており、横浜を留守にしていた。
 彼は旅行先で大火の知らせをうけると急いで横浜へ戻った。そして、さっそく横浜の再建に取りかかった。

 そんな中、イギリスへ出発する十四名の留学生が、被災からまぬがれたイギリス領事館でパークスと面会した。大火の五日後のことだった。
 このイギリス留学計画を手配したのは幕府である。
 幕府は四年前に榎本たちをオランダへ留学生として送り出し、一年前にはロシアへ数名の留学生を送り出していた。
 そしてここへ来てようやく、イギリス留学計画も追加されたのである。
 それにしても長州や薩摩のイギリス留学計画と比べると、幕府の出遅れ感はいなめない。

 このイギリス留学生の中には林董三郎とうざぶろう(後の林ただす)、中村敬輔けいすけ(後に『西国立志編』を出版する中村正直まさなお)、川路太郎(川路聖謨としあきらの孫)、箕作みつくり大六だいろく(後の菊池大麓だいろく。理学博士)などがいた。
 パークスとしてはイギリスへ日本人留学生を送るのは、それが幕府の人間であれ薩長の人間であれ、お互いの理解を深めるためにも望ましいことだと思っていた。
 パークスは留学生のために歓送会をもよおし、激励の言葉をおくって彼らをイギリスへと送り出した。
 また、この頃パークスは幕府に対してイギリスからの海軍教官の派遣を提案して合意に至っている。「幕府のフランス陸軍教官団」の話は有名だが、実はイギリスも、幕府に海軍の教官を派遣していたのである。
 こういったパークスと幕府の関係を見れば、よく言われるところの「イギリスは薩長を後押しした」という話が、いかに一面的な見方であるか、というのがよく分かるであろう。
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