伊藤とサトウ

海野 次朗

文字の大きさ
上 下
22 / 62
第四章・イギリス

第22話 薩英戦争(後編)

しおりを挟む
 蒸気船三隻を拿捕だほすることに成功したアーガス号たち別働隊は、このあと拿捕した船を牽引けんいんして本隊のところへ帰還きかんした。
 ニールは満足そうにキューパー提督に語りかけた。
「無事、薩摩の蒸気船を拿捕だほできて良かったですな、提督」
「うむ。これで薩摩も我々にあゆみ寄って来るだろう」
「ええ。しばらくすれば薩摩から交渉の使者がやって来るでしょう」
「なんならこのまま戦利品として横浜へ持ち帰って、あらためて薩摩の出方でかたを待っても良いんだがな。ハハハ」
 当時イギリス海軍では船を分捕ぶんどった場合、その価値(この場合は30万ドル)に応じて軍人は賞金(ボーナス)がもらえたと、サトウの手記には書かれている。
 この時キューパー提督の気分はまさに有頂天うちょうてんであった。

 ところが、である。
 逆にこの蒸気船三隻の拿捕をうけて、千眼せんげんの薩摩藩本営は開戦を決意したのであった。
 薩摩藩の各砲台は数日前から応戦準備をととのえており、砲撃命令を今か今かとがれていた。
 正午しょうご頃、天保山てんぽざん砲台に命令を伝えにいった大久保一蔵が「砲撃開始!」と言うが早いか、天保山砲台は即座そくざに砲撃を開始した。そしてこの一発を口火くちびにして、他の砲台も一斉いっせいに砲撃を開始した。

 この時イギリス側はちょうどランチタイムだった。サトウとウィリスもランチを食べていた。
「何か今、大砲の音がしなかった?ウィリス」
「多分、正午の合図の号砲だろ」
 同時にユーリアラス号の司令室でランチを食べていたニールとキューパー提督に「薩摩が砲撃を開始した」との連絡が入った。

 二人は食べてた食事をき出しそうになるぐらい驚いた。
 イギリス艦隊は念のため砲台から離れた位置に停泊ていはくしていた。しかし旗艦ユーリアラス号だけは射程しゃてい圏内けんないに入っていた。それでも最初は照準しょうじゅんが合わず砲弾は届かなかったが薩摩側は徐々じょじょに照準を修正して、少しずつユーリアラス号の近くに着弾するようになった。
 またパーシュース号も桜島さくらじまはかまごし砲台のすぐ近くにいた。イギリス側はそこに砲台があることに気がついていなかったのだ。不意をかれたパーシュース号はいかりを上げる余裕よゆうもなく、いかりくさりを切断して緊急退避した。

 ニールとキューパー提督は困惑していた。
 そもそも横浜出発の当初から「薩摩が攻撃してくる」ということをまったく想定していなかったのである。
 ユーリアラス号のジョスリング艦長がキューパー提督に急いで反撃するよう進言した。
「提督!こうなった以上、薩摩を壊滅かいめつさせるしかありませんよ!」
「うーん……」
 キューパー提督はまだ迷っている。
 そこへニールもキューパー提督に急いで反撃するよううながした。
「提督!何をためらってるんですか!艦長の言う通り、薩摩を叩きましょう!」
「しかし、そうなると拿捕だほした蒸気船三隻が足手まといになる……」
焼却しょうきゃく処分するしかないでしょう。戦闘の邪魔ですから」
「うーん……」
 せっかくの戦利品を焼却するのはしかったが、結局キューパー提督は、サトウが乗っているアーガス号など三隻に拿捕した蒸気船の焼却処分を命じた。

 焼却命令を受けたアーガス号の水兵たちは、さっそく船内の付属物ふぞくぶつ掠奪りゃくだつを開始した。
 サトウもこれに便乗した。どうせ焼いてしまうのだから、良く言えば「有効活用」といった気持ちもあったろう(悪く言えば文字通り、火事場泥棒だが)。
 彼らは武器、甲冑かっちゅう、酒、調度ちょうど品などを奪い去った。運良く一分いちぶぎんなど現金をせしめた者もいた。サトウは陣笠じんがさと火縄銃を手に入れた。
 後にサトウは語っている。
「砲弾の下にさらされると異常な興奮を覚えるものだが、荒れ狂う天候がいっそう人々の心を揺さぶった」
 そういった掠奪活動が一時間ほど続き、その後、船底に穴をあけて火を放った。
 総額30万ドルという賠償金の三倍の金額で薩摩藩が購入した三隻の蒸気船は、こうして海の藻屑もくずと消えたのである。

 この間、イギリス艦隊の本隊がどうしていたのか?というと、実はあまり反撃できていなかった。
 旗艦ユーリアラス号の戦闘準備が二時間遅れたためである。
 その原因は、これはサトウの手記が引用元となって広く知れ渡っている話だが、幕府から支払われた生麦賠償金の十数万ドルが弾薬庫だんやくこの前に山積みされていて、戦闘の邪魔をしていたからだった。この事は、ニールやキューパー提督が薩摩との戦争をまったく想定してなかったことを裏付けていると言えよう。

 午後二時、イギリス艦隊はようやく本格的に反撃を開始した。
 旗艦ユーリアラス号を先頭にたん縦陣じゅうじんを組んで、湾の北側にある祇園ぎおん砲台へ攻撃に向かった。
 艦隊から集中砲火を浴びた祇園之洲砲台はあっという間に壊滅した。

 イギリス艦隊はそこから南下して、次の砲台へ攻撃に向かった。
 ところが暴風雨の影響もあり、この時イギリス艦隊は薩摩側の射程しゃてい圏内けんないに入り込み過ぎていた。
 まさにこの暴風雨は薩摩にとって「神風」と呼ぶべきものであったろう。
 イギリス艦隊の行く手に待ち構えていたしん波止はと弁天べんてん波止はとみなみ波止はと大門口だいもんぐち天保山てんぽざんの各砲台が、この時イギリス艦隊に集中砲火を浴びせた。
 後年サトウは次のように手記で語っている。
「パッと立ち上がる砲煙ほうえん只中ただなかで、まず火炎かえんき出すのが見えて、それから奇妙な丸い真っ黒なものが我々めがけて一直線に飛んできた。その時の興味きょうみ興奮こうふんを私は決して忘れることができない。しかしその砲弾は、まさに私たちに命中するかと思った瞬間、いきなり空中高く飛び上がって頭上を通過したのである」

 この時イギリス艦隊は旗艦ユーリアラス号を先頭にして進んでいたので、当然のごとく、そのユーリアラス号に砲撃が集中した。
 日本語文書を翻訳するためにユーリアラス号に乗っていた清水卯三郎うさぶろう
「これは大将たいしょうの船だから必ず最後尾さいこうびを行くものと思いきや、真っ先に進んでいったので驚いた。砲煙に包まれて周囲が見えないと思っていた矢先に艦の砲門にガラリと弾丸が飛び込み炸裂さくれつして五、六人打ち倒れた。また来た弾丸が炸裂さくれつしてキャプテンとコマンダーの二人が討ち取られた」
 と手記で述べている。
 「艦の砲門にガラリと弾丸が飛び込み」というのは右舷うげん三番砲台への直撃弾のことで、「キャプテンとコマンダーの二人が」というのはキューパー提督のすぐ近くに立っていたジョスリング艦長とウィルモット副艦長が被弾して即死したことをさす。この時キューパー提督も軽傷を負った。さらに短艇たんてい付近への直撃弾で20数名が死傷した。

 確かに砲撃による被害が集中したのは旗艦ユーリアラス号だったが、他の軍艦のほとんどが、程度の差こそあれ被害を受けた。
 かたや薩摩側もイギリス艦隊の砲撃によってほとんどの砲台が使用不能におちいっていた。
 この戦いで初めて実戦投入された、長射程で、しかも速射そくしゃ可能なイギリスのアームストロング砲が威力を発揮はっきしたのである。
 ユーリアラス号は合計13門のアームストロング砲を搭載とうさいしていたが、その内の1門は前部甲板かんぱんに設置してあり、この戦いでも大いに活躍していた。
 ところがそのアームストロング砲のせん突如とつじょ暴発を起こし、数名の砲手ほうしゅが負傷した。実戦初投入というアームストロング砲のリスクが、このとき表面化してしまったのだ。
 すでに集中砲火をびて艦長・副艦長が戦死していた旗艦ユーリアラス号は、この暴発事故がダメ押しとなって戦闘を停止した。

 同じ頃、戦列の後ろの方にいたレースホース号が祇園ぎおん砲台近くの浅瀬あさせ座礁ざしょうしていた。祇園之洲砲台は真っ先に攻撃されて砲台は使用不能になっていたので、目の前に座礁しているレースホース号を攻撃することはできなかった。
 このレースホース号を救出するためにサトウが乗ったアーガス号と、さらにコケット号が救援に向かった。アーガス号はレースホース号をロープで引っ張るために、ボートを降ろしてロープをつなぎに行かせた。
 サトウはそれを心配そうに船の上から見守った。
(この嵐の中、ボートであそこまでたどり着けるんだろうか?)
 薩摩の砲台は壊滅していたとはいえ、ごく一部発射可能な大砲があり、それが時々サトウたちのアーガス号めがけて砲撃をおこなった。その内の数発がアーガス号のマストと舷側げんそくを直撃してサトウは「うわっ!」と驚いた。しかし幸い大事には至らなかった。
 そしてついに、アーガス号がロープで引っ張ってレースホース号は離礁りしょうに成功した。

 その後もイギリス艦隊の一部は攻撃を続行していそ集成館しゅうせいかん工場群を砲撃で破壊し、その近くに停泊していた琉球りゅうきゅう船などの船団を焼き払った。
 さらにちをかけたのがロケット弾による市街地への攻撃であった。
 このロケット弾によって市街地で火災が発生。その火災がおりからの強風にあおられて燃え広がり、市街地北部の広い範囲が焼き払われた。
 事前に市街地から町人を退去させていた薩摩藩の判断は、まさしく正解だったと言えよう。鹿児島の大火災は一晩ひとばんじゅう燃えつづけた。
 この日の晩、イギリス艦隊は桜島の近くに停泊した。そしてサトウとウィリスはアーガス号からこの火事の景色をながめていた。
 後にサトウは語っている。
「たちのぼる煙や炎が火柱ひばしらのように見えた。空一面に広がった煙が炎にらし出され、恐ろしくもあり、また壮観そうかんながめであった」
 同じくウィリスは次のように手紙に書き記している。
「これが戦争というものの恐ろしい現実であり、うわさでしか戦争を知らない者は幸せだと、深く実感したのです」
 実際、この鹿児島の市街地を焼いたことは、後にイギリス議会で追及されることになる。


 その頃ユーリアラス号の捕虜ほりょ収容室には清水卯三郎が来ていた。
「カシワという名の、英語を話す日本人がいると聞いて来たのですが、やはりあなたでしたか」
「いや驚いた。まさかこんな所で卯三郎さんに会えるとは思わなかった」
「松木先生に英語を習ったおかげで、私もこうして鹿児島までまかしました」
 五代と松木はこの時捕虜となってユーリアラス号の一室にいたのだが、その二人に卯三郎が会いに来たのだった。
 松木は薩摩人だが江戸での滞在経験が長く、また江戸では有名な蘭学者の一人だった。さらに横浜の運上所うんじょうしょで通訳として勤めていたこともあった。ちなみに横浜にいた時は福地源一郎が松木の隣りに住んでいた。そしてその頃、卯三郎は松木から英語を習っていたのだった。
 五代が卯三郎にたずねた。
「ところで、いくさの様子はどうなった?」
 卯三郎は五代と松木に戦争の様子を詳しく語った。
 松木はつぶやいた。
「そうか。鹿児島の町は焼かれ、蒸気船三隻も焼き払われてしまったか…」
 五代は悔しそうに叫んだ。
「だからいくさなんか止めろといったんだ!」
「しかしイギリスも艦長が戦死していたとは……。なんとなく船内の様子で、ただならぬ気配を感じてはいたが…」
 と松木がつぶやいた。
 それから卯三郎は二人に用件を伝えた。
「それで提督がお二人に聞きたい事があるので司令室に上がって来るようにと申しておりました」

 司令室ではニールがキューパー提督に戦争の継続を訴えていた。
「提督。ひょっとしてこのまま艦隊を帰還させるつもりではないでしょうな?」
 キューパー提督はその質問に答えなかった。ニールが話を続けた。
「薩摩の砲台を壊滅させたと言っても、あれでは後日すぐに復旧ふっきゅうされてしまいますぞ。上陸作戦を決行すべきです!兵を上陸させて、少なくとも大砲だけは分捕ぶんどってくるべきです!」
 そこへ卯三郎と一緒に五代と松木がやってきた。
 五代はオタニと名乗り、松木はカシワと名乗った。二人とも身元みもとが判明しないように変名へんめいを名乗ったのだ。
 イギリス側は二人に薩摩側の防御態勢についてただした。
 オタニ(五代)が答えた。
「我が薩摩は武勇ぶゆうおもんじる国柄くにがらである。陸上には死を恐れない十万の精鋭せいえいが待ち構えている。陸戦では貴国きこくに勝ち目はない。無益な戦いはやめて、和平交渉の道をさぐるべきである」
 それをカシワ(松木)が通訳した。それからしばらく色んな質問に答えた後、捕虜の二人は再び捕虜収容室へ戻っていった。

 再びニールがキューパー提督に戦争の継続を訴えた。
「陸上に十万の兵力がいるなど、ウソっぱちに決まってるではないですか!」
 オタニ(五代)の口述こうじゅつには多少大げさな表現があるとはいえ、薩摩藩は他藩と比較すると武士の数が桁違けたちがいで、この時五万人を動員していたと言われている。後の西南戦争のことを考えても、薩摩藩の動員力は他藩とは桁違いである。
 一方この時イギリス側は陸戦のことなどほとんど想定してなかったので、詳しい史料は不明だが、多めに見積もっても陸戦兵力は千名前後だったのではなかろうか。無論イギリス側には優秀なじゅう火器かきがあるのだから人数だけで判断しても意味はないのだが(一説によるとこの時薩摩は外国を嫌うあまり装備を火縄銃に戻していたともいう)。
 ニールが続けて「ぜひとも陸戦隊の上陸作戦を……」と言おうとした時に、キューパー提督がキッパリと言い放った。
「一兵たりとも上陸はさせん!作戦実行の責任者は私である。これ以上、作戦実行への介入かいにゅうつつしんでもらいたい」
 ニールは食い下がった。
「この遠征の目的を果たさないまま帰還する気ですか!」
 それでもキューパー提督の考えは変わらなかった。
「それほど薩摩を叩きのめしたいのなら、もっと周到しゅうとうに準備をしてあらためてここへやって来るべきである」
 結局イギリスは上陸作戦を取りやめた。

 この後、翌日にも小競り合いはあったものの、これ以降の戦いは割愛することにする。


 イギリス艦隊は応急修理のために二日ほど鹿児島湾内に(もちろん射程しゃてい圏外けんがいで)停泊して、そのあと横浜へ帰って行った。
 一応数字で表すと、この戦争の結果は次の通りである。

 イギリス:戦死者13名、負傷者50名 (戦死者にはユーリアラス号の艦長、副艦長を含む)
 薩摩藩:戦死者5名、負傷者10数名
(※一般に広く伝わっている説にもとづく数字。イギリス側はキューパー提督の報告書によるもの)

 イギリス艦隊はハボック号以外、すべての艦で負傷者が出ており、特にその大半は旗艦ユーリアラス号に集中していた。
 一方、薩摩側は死傷者数こそ少ないものの、全砲台を破壊され、市街地の約一割が焼失し、30万ドルで買った三隻の蒸気船が沈没、さらに琉球船などの船団が焼き払われ、集成館の工場群も破壊された。
 薩摩は建前上たてまえじょう「勝利」と喧伝けんでんしているが、客観的に見てこれは「勝利」と言えないであろう。

 この戦争の後、薩摩藩内では紆余曲折うよきょくせつはあったもののイギリスと和議わぎむすぶという方針に決まった。
 元々薩摩藩は「過激な攘夷は不可」の方針であったが、薩英戦争を経験することによってはからずもその方針がより明確となった。薩摩藩はこれ以降「だい攘夷じょうい」(目先の攘夷よりも富国ふこく強兵きょうへいを優先する)の道を突き進むのである。

 かたや撤退していったイギリス艦隊のほうではキューパー提督の消極策に不満を唱える声が多かった。
 サトウはこの当時、次のような感想を日記に書いている。
「我々のほとんどは強い不満を抱いたまま引き上げた。もし、あと数日間、艦砲かんぽう射撃を続行してその後、上陸作戦を実行するか、または沖合おきあいに停泊し続けたならば、こちらの要求は通っただろう。ジョスリング艦長たちの死を無駄にしないためにも、そうすべきだったのだ」
 しかし後年になって書いた手記では、サトウは次のように語っている。
「石炭、食料、弾薬の補給を確保できないことが撤退の原因だったかも知れない」

 ところで、ユーリアラス号の捕虜として横浜へ連れていかれた五代と松木は、イギリス軍から解放されたものの、薩摩藩はもちろんのこと幕府の目からものがれる必要があったので、そのまま清水卯三郎が手引てびきをして二人をかくまった。
 卯三郎は二人を熊谷くまがやの親類のところへ連れて行き、そこでしばらく潜伏せんぷくさせた。

 この二人が歴史の表舞台へ帰ってくるのは再来年のことになる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

よあけまえのキミへ

三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。 落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。 広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。 京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

異・雨月

筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。 <本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています> ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。 ※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

架空戦記 隻眼龍将伝

常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
歴史・時代
第四回歴史・時代劇小説大賞エントリー ♦♦♦ あと20年早く生まれてきたら、天下を制する戦いをしていただろうとする奥州覇者、伊達政宗。 そんな伊達政宗に時代と言う風が大きく見方をする時間軸の世界。 この物語は語り継がれし歴史とは大きく変わった物語。 伊達家御抱え忍者・黒脛巾組の暗躍により私たちの知る歴史とは大きくかけ離れた物語が繰り広げられていた。 異時間軸戦国物語、if戦記が今ここに始まる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この物語は、作者が連載中の「天寿を全うしたら美少女閻魔大王に異世界に転生を薦められました~戦国時代から宇宙へ~」のように、異能力・オーバーテクノロジーなどは登場しません。 異世界転生者、異次元転生者・閻魔ちゃん・神・宇宙人も登場しません。 作者は時代劇が好き、歴史が好き、伊達政宗が好き、そんなレベルでしかなく忠実に歴史にあった物語を書けるほどの知識を持ってはおりません。 戦国時代を舞台にした物語としてお楽しみください。 ご希望の登場人物がいれば感想に書いていただければ登場を考えたいと思います。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

新撰組のものがたり

琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。 ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。 近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。 町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。 近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。 最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。 主人公は土方歳三。 彼の恋と戦いの日々がメインとなります。

処理中です...