伊藤とサトウ

海野 次朗

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第三章・横浜発

第17話 賠償金問題、決着(後編)

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 俊輔とサトウが横浜ですれ違っている頃、神奈川奉行の浅野はフランス軍艦セミラミス号を訪れ、ベルクール公使およびジョレス提督と面会していた。

 浅野はベルクールにイギリスへの仲裁ちゅうさいを申し込んだ。
「ニール殿が我々との交渉を完全に拒絶しているので、貴殿きでんらと相談する以外にすべがないのです」
 ベルクールはなく答えた。
「あれだけイギリスに対して無礼な対応をすれば、交渉を拒絶されるのは当たり前だ」
 これに重ねるようにジョレスが言った。
「我々は横浜の外国人を守るために海兵隊を上陸させるつもりだ」
 浅野は真っ青な表情になって尋ねた。
「それは横浜を占領するという意味なのですか?」
「いや。土地の一部をりて兵を駐屯ちゅうとんさせるだけだ。土地の所有権は日本のままである」
 このジョレスの答えに対し浅野は汗をかきながら絞り出すように言った。
「……もし横浜で騒乱が発生した場合は、それもやむを得ないと存ずる」

 そして会談の争点は「賠償金支払い」と「攘夷実行」の話に移った。浅野は説明した。
「賠償金の支払いを取りやめたのは一橋様が朝廷から“外国人追放令”を受けて、それに従わざるを得ないからです」
 “外国人追放令”という言葉を聞いてベルクールとジョレスは怒りをあらわにした。
「外国人追放令?もし本当にそんな命令が出されれば、日本は我々によって完全に破壊されるだろう」
 浅野は弁明した。
「いえ。一橋様は“外国人の友”なので本気ではありません。そういうフリをしないと朝廷や攘夷派から責められるからそうしているだけなのです。小笠原殿も一橋様と同じです。小笠原殿は武力に訴えてでも朝廷を説得する覚悟なので、いずれ賠償金は支払われることになるでしょう」
 これに対してベルクールが答えた。
「しかしイギリスはもう武力発動の寸前だ。今日の件はイギリスに伝えるが、とにかく早く支払い手続きに入ったほうが良いだろう」
「承知しました。さっそく江戸の幕閣と相談します」
 そう答えて浅野は江戸へ向かった。

 五月八日、江戸城――。
 浅野からの報告を受けても、江戸の幕閣は支払いの決断ができなかった。
 江戸の幕閣たちは皆、弱りきっている。
 事ここに至っては「もはや支払うしかない」と誰もが分かっているのである。けれどもそれをみずから言い出してしまっては、後々自分が朝廷から責任を追及されることになる。しかも今後攘夷じょういから命をつけ狙われる可能性もある。だから誰も言い出せないのである。

 この時の幕府内の状況を福地源一郎は手記で次のように語っている。
これ(支払い)に同意しては後日のわざわいありと恐れ、各々おのおの内心『誰かなこれせんけつせよかし』といのったる状況にてありき」
 ところがここで小笠原が一人ひとり立ち上がって意見を表明した。
「こうなったら私が船で大坂へ行き、直接朝廷を説得する!」
 周囲の幕閣たちは怪訝けげんな表情で小笠原に問いかけた。
「今から行くのか?そなたが戻ってくるまでイギリスが待ってはくれまい?」
 しかし小笠原は周囲の幕閣たちの声を無視して一人で出て行ってしまった。
 そして小笠原は品川で幕府の蒸気船、蟠竜ばんりゅう丸に乗り込んだ。余談ながら、この蟠竜丸は安政五年(1858年)の日英修好しゅうこう通商つうしょう条約調印ちょういんの際にイギリスから贈呈ぞうていされたエンペラー号という蒸気船である。


 同じ頃、神奈川宿では京都から東海道をゆっくりとやって来た一橋慶喜が到着していた。
 その慶喜を神奈川奉行の浅野が訪問した。慶喜は浅野にたずねた。
「役目大儀たいぎ。ところで、まさかイギリスに賠償金を支払ってはおるまいな?」
 これに浅野が答えた。
「はい。『まだ』支払ってはおりません」
 慶喜は浅野に目配めくばせをして、それからうなずいてみせた。
 浅野は慶喜の合図を受けとって、やはりうなずいて返事をした。

 そして慶喜は浅野に命令した。
「至急、馬を用意せよ。これから急いで江戸へ向かう。なんとしても支払いをやめさせなければならぬからな」
 慶喜は神奈川から馬で江戸へ向かって急行した。

 一方、品川で蟠竜丸に乗り込んだ小笠原は大坂へは向かわず、夜になってから横浜に入港してきた。
 小笠原は浅野を蟠竜丸に呼んで、今回の事情を説明した。
「今になっても幕閣は賠償金の支払いをけっしかねている。なれど、一度支払うと明言した以上、それを履行りこうせねば日本のはじとなるゆえ、一存いちぞんで支払いを実行することにした。ただし、賠償金を支払うのと同時に、この“鎖港さこう通告書”を各国へ通達せよ」
 浅野は小笠原のめいをうけて、そのままフランス公使館へ直行した。
 
「賠償金を一括いっかつで支払う?!」
 ベルクールは目を丸くして驚いた。浅野は賠償金支払いの説明を続けた。
「はい。先ほど小笠原殿から一括支払いの許可が出ました。賠償金はすでに運上所に用意してあり、明日間違いなく支払います。我々はニール殿から一切面会を断られておりますので、このむね、貴殿からニール殿にお伝え頂きたい」
 浅野はさらに説明を続けた。
「そしてこれが先日お話しした“外国人追放令”の通告書です。小笠原殿の署名しょめい入りです」
「なんと!本気だったのかね、あれは!?」
「いえ。本気ではありません」
 ベルクールは困惑せざるを得ない。それで浅野が説明を加えた。
「これは朝廷や攘夷派を刺激しないために書かれた、あくまでタテマエに過ぎないものです」
「とにかく、我々はこのような通告書には断固として抗議する!」
「それこそ我々の望む所なのです。朝廷や攘夷派を説得するために、断固とした抗議声明を通告してください」
 さすがにベルクールはあきれた表情で答えた。
「なぜ、そこまで回りくどいやり方をするのか?実力で京都をおさえたほうが手っ取り早いではないか」
 これに対し浅野は力強い表情で答えた。
「実はその方策ほうさくも現在計画中なのです。近いうちに京都へ兵を送る予定なので、いずれ英仏両国に援助を要請ようせいするつもりです」

 とにかくベルクールは、この浅野からの回答をイギリス公使館のニールへ報告しに行った。
 ニールはベルクールから話を聞くと呆れた表情で感想を述べた。
「全くふざけた奴らだ。日本人という連中は。しかし無駄な血を流さずに、しかも一括いっかつで賠償金を獲得できたのはもっけの幸いだった。あとは薩摩の賠償金だけだが幕府が支払ったのだから、まあおそらく薩摩も素直すなおに支払うだろう。とにかく、これで一件落着だな」

 44万ドルの支払い作業は翌日から三日間かかった。
 すべて銀貨で支払われ、清国(中国)人の貨幣かへい検定人が銀貨の検査を担当した。これらの賠償金はイギリス艦隊のユーリアラス号、エンカウンター号、バール号に三分割して積み込まれたのであった。


 こうして小笠原の独断によって急転直下きゅうてんちょっか賠償金は支払われたのだが、これは最初から慶喜と小笠原が裏で筋書きを描いていた、とも言われている。おそらく神奈川奉行の浅野も途中からその筋書きを知らされていたのだろう。

 慶喜は元々もともと開国主義者である。
 また小笠原も京都にいた時
勅命ちょくめいとあらば利害りがい得失とくしつも考えずに攘夷を受け入れるのはおんな子供こどものやり方で、将軍家のやり方ではない」
 と幕閣へ諫言かんげんしたほどの人物だった。朝廷に従ったまま攘夷を実行するような人物ではない。

 しかし慶喜の父は尊王攘夷の元締もとじめだった水戸の烈公れつこう・徳川斉昭なりあきで、母は公家の有栖川宮家ありすがわのみやけ出身の貞芳院ていほういんである。慶喜は血筋から言っても朝廷尊崇そんすうの念があつく、勅命による攘夷鎖港さこう命令には逆らえない。
 それに加えて、幕府があらかじめ期日を定めて賠償金を支払うとなると、それを力ずくで阻止しようとする連中が現れる可能性もあった。慶喜の周囲には水戸から来ている家臣も大勢いる。それゆえ、策謀さくぼうは極秘のうちに進めなければならなかったのだ。

 とにかくこれで、幕府の賠償金支払いの件は落着した。
 ただし「外国人追放令」および「幕府(小笠原)の京都への出兵計画」さらには「薩摩藩の賠償金支払いの件」の話がまだ残っている。しかしながらそれらは次回以降で語ることになろう。
 今はこの騒ぎと時を同じくして横浜で苦闘している俊輔たちの様子に目を向けなければならない。



 聞多は横浜で村田蔵六と面会した。
 村田は元々憮然ぶぜんとしている表情をさらに憮然とさせて、聞多にたずねた。
「このように騒がしい横浜へ呼び出して、一体何のご用ですか?」
「村田洋学先生。我々五人はロンドンへ洋行することに決めました」
「そうですか。それは素晴らしいことです。これからは英学をおさめるのが一番よろしい」
「ですが、洋行費用として五千両が必要なのです。なんとか先生に藩から五千両を引き出して頂きたい」
「五千両!?そのような大金を私が引き出せるはずがありません」
「私はイギリスの商人に刀を預けて約束してきました。五千両が手に入らなければ私は切腹して死ぬ覚悟です!」

 蔵六は黙ったまま何も言わなかった。聞多は嘆願たんがんをつづけた。
「あるいは、勝手に村田先生の名目めいもくで伊豆倉から五千両を引き出し、あとは村田先生が小田原あたりで誰かに殺された、ということにしてしまえばどうか?と、いきり立っている同志もおります」
 これにはさすがに村田もギョッとした。
 なにしろ聞多、俊輔、山尾は藩内でも札付きの連中なのである。この連中なら確かにそれぐらいのことはやりかねない。

 しかしそう思いながらも、なぜか村田はこの時、目の前にいる聞多のことがあわれに見えた。
 せっかく横浜まで来て、洋行を目前にしながら苦心してあえいでいる、この五人の若者たちをどうにかしてロンドンへ送りこんでやりたい。村田は純粋にそう思った。
「わかりました。あなたと一緒に伊豆倉へ行って貞次郎さんに頼んでみましょう」

 それから村田と聞多は伊豆倉の貞次郎を訪れ、鉄砲買い付け金の一万両を担保たんぽになんとか五千両を貸し出してもらいたいと頭を下げた。特に村田の大きな頭を下げたのがいたのだろうか、貞次郎は支配役の大黒屋六兵衛の説得を引き受けた。
「まあ周布様とのお約束もございますから。天野屋あまのや利兵衛りへえじゃございませんが『貞次郎も男でござる!』。なんとか六兵衛さんを説得してみましょう」
 結局、万一問題が起きた時は長州藩では村田蔵六が、大黒屋側では佐藤貞次郎がすべて責任をとるということで、五千両が貸し出されることになった。

 これで洋行費用の問題は解消され、さらに日英間の戦争も回避され、ようやく洋行計画が軌道きどうに乗った。

 俊輔は五月十日付けで父十蔵宛の手紙を書いた。
 その手紙の中で、京都で会っていた時に言えなかったことを釈明しゃくめいした。
「今の急務は外国の事情を知り、海軍の勉強をすることです。長州藩のお役に立つため三年間だけ留学をお許し願いたい」
 手紙にはそういった内容のことを書いたのだが、ここで正直に「五年」と書かず「三年」と書いたのは、やはり家族を心配させたくなかったからだろう。

 五月十一日の夜、三日間におよんだ横浜での賠償金の積み込み作業が終わりかけていた頃、同じ横浜の佐野茂さのもという料亭で五人の留学生および村田蔵六、佐藤貞次郎が送別のうたげを開いた。
 生きて帰国できる保証もない彼らにとっては「これが日本で飲む最後の酒になるかも知れない」と感じたか、あるいは「なに、海外といってもどれ程のことはあるまい。五年後には故郷ににしきかざるのだ」と思って飲んだか、少なくとも俊輔や聞多のような楽天家は後者であったろうと思われるが、その予想は大きく外れることになる。

 さらにこの日、五千両借用しゃくようの経緯を書状に書いてまとめ、聞多を筆頭に五人の名前で署名しょめいし五月十一日付けで藩に提出した。おそらく書状を預かったのはこの宴の席にいた村田であっただろう。
 この書状の中で、藩から勝手に大金をりしたことを謝罪し、その罪は万死ばんしに値するが志を果たせない場合は生きて帰らない、決死の覚悟でおこなった非常手段だったのです、と哀訴あいそしている。
 さらに書状の終わりのところでは「きた器械きかいを買ったと思っておゆるし願いたい」とも書かれている。
 俊輔はこの宴の中で歌をんだ。
丈夫ますらおの はじしのびて行く旅は 皇御国すめらみくにためとこそ知れ」
 この時の俊輔にとっては、この洋行も尊王攘夷の延長線上にあったということである。

 そろそろ宴も終わりに近づいてきたので村田が五人に対して最後の訓示くんじを述べた。
「諸君らは西洋の“技術”を身につけた『きた器械きかい』となりなさい。“技術”こそが物事を解決するのです」
 そう言って村田は、これ以降のジャーディン・マセソン商会とのやり取り、および外国船に乗り込む手配を貞次郎に委任いにんした。

 貞次郎は五人を引き連れ、夜の横浜の街路がいろ早足はやあしで進んだ。運上所の役人に密航がバレれば全員死罪はまぬがれない。貞次郎は慎重に五人を案内し、無事、彼らをジャーディン・マセソン商会の重役宅へ引き入れた。
 そしてそこで五人はまげを切り落とし、用意してあった洋服に着替えた。
 俊輔たちは切り落とした髷を貞次郎にたくした。
「すっかり厄介やっかいをかけた。あと、これは最後の願いだ。我らのまげを村田洋学先生に形見かたみとして渡してくれ」
「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいまし」
 そう言って貞次郎は去って行った。

 夜中の零時ごろ、五人はジャーディン・マセソン商会のガウアーの手引きで、重役宅の裏手の海岸からカッター(はしけ船)に乗り込んで沖の蒸気船へと向かった。上海行きのチェルスウィック号という蒸気船である。
 その時、五人のうちの誰かが
「まるで夜逃げするみたいだな……」
 とつぶやいた。
 俊輔は心の中で「何を言うか」と思った。
(お主らは松門ではないから気にもめまいが、松陰先生が九年前に果たせなかった夢をワシがやりげるんだ!)
 五人は無事、チェルスウィック号に乗船することが出来た。しかし船員たちは幕府に密航がバレることを怖れ、用心のために五人を石炭せきたん置き場に押し込んだ。

 ともかくも、こうして長州の五人の若者は密航に成功したのであった。

 正式な記録として残っているものでは(また事故で漂流した例などを除けば)この翌年に新島にいじまじょうが箱館からアメリカへ密航し、更にその翌年には薩摩の五代ごだいさいすけともあつ)、松木まつき弘安こうあん寺島てらしま宗則むねのり)などがヨーロッパへ密航することになるが(いわゆる薩摩スチューデント)、この「長州ファイブ」の密航は、他と比べると極めて早い時期に敢行かんこうされている。
 それはやはり「黒船密航を試みた吉田松陰を出した長州藩だからだろう」と筆者などは安直に考えてしまうのだが、ちょっと安直すぎるだろうか。

 しかし、危険をおかして海外へ向かう五人の行動とは裏腹うらはらに、この二十四時間ほど前(五月十一日の午前二時頃)彼らの故郷長州の下関しものせきでは、五月十日の攘夷期日に合わせてアメリカ商船に砲撃を開始していたのであった。

 彼らはまだ、その事を知らなかった。
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