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第三章・横浜発
第16話 賠償金問題、決着(前編)
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俊輔が京都から横浜へ向かった頃、江戸城ではイギリスへの賠償金支払いを「やむなし」とする意見が大勢となっていた。
しかし老中格の小笠原長行(図書頭)が強硬に支払い反対を唱えていた。
「今、賠償金を支払ってしまっては、後々大事になりますぞ!断固支払いを拒絶すべきでござる!」
この小笠原の意見に対し、江戸の“留守政府”における最高責任者の一人、御三家尾張藩主の徳川茂徳が怒りをあらわにして反論した。
「イギリスが『これ以上もう待てぬ』と言って来ておるのだ!もはや仕方がないではないか!」
「イギリスが何と言おうと、ここで妥協してはなりませぬ!」
「うるさい!図書頭!これ以上の問答は無用じゃ!」
茂徳はここで会議を打ち切って最終決定を発表した。
「これまで談判を進めてきた通り、分割払いで支払うことを認める。これが最終決定である!」
ところが意外にも小笠原は、この最終決定を冷静に受けとめていた。
実は小笠原にも慶喜同様、ひそかな策謀があったのである。
このあと横浜でニールと神奈川奉行の浅野との間で交渉がおこなわれ、五月三日(6月18日)に14万ドル、その後一週間ごとに5万ドルを支払い、合計44万ドルを支払うという形で合意にいたった。
ニールとしては、これで支払いの具体的な目処がついたので大いに安心した。
一方、京都から東海道を下った慶喜は駕籠に乗ってゆっくりと江戸へ向かっていた。
そして宮(熱田)宿から別途、江戸へ急使を送った。馬で急ぎ江戸へ向かったのは水戸藩士兼一橋家家臣の武田耕雲斎一行であった。
江戸城に着いた武田はすぐに小笠原長行と面会し、慶喜からの書状を伝達した。
「うむ、承知仕った。一橋様にそう伝えてくれ」
小笠原はすぐに幕議の席へ向かった。
そして慶喜からの書状を幕閣たちに見せつけて宣言した。
「将軍後見職の一橋様より書状がござった。賠償金の件は、一橋様が到着するまで支払いを見合わせるべし!そして五月十日をもって横浜・長崎・箱館(函館)を鎖港すべし!」
幕議に出ていた一同は愕然とした。
そして最初の賠償金支払い期日の五月三日(6月18日)になった。
この日の直前、横浜の運上所(税関および外国人に関わる行政を司る役所)にいる神奈川奉行・浅野のところへ江戸城から書状が届いた。
浅野は憂鬱であった。
(支払い期日の当日に、このような無体な話がイギリスに通ると思っておるのか、江戸の幕閣は……)
それでも浅野は気を取り直してイギリス公使館へ向かった。
ニールは公使館の応接室で浅野を出迎えた。
「おー、浅野サン。予定より早いじゃないか。もう賠償金を運んできたのか?」
「いや。実は……」
浅野は苦りきった表情でニールに書状を手渡した。
その書状には
「江戸の老中小笠原から支払い中止の命令が来たので支払うことが出来ない。さらに談判のため、あと二日間の猶予をもらいたい」
と書いてあった。
即座にニールは激怒した。
「ふざけるな!」
そう言うや、書状をビリビリとやぶって浅野に投げつけ、部屋から出て行った。
ニールは別室で日本に対する通告書を書いた。そしてその通告書を部下に持たせて浅野に渡した。
そのニールの書状には
「十二時間の内に賠償金の全額が支払われないと、キューパー提督に強制手段の発動を命じる」
と書かれていた。
浅野は真っ青になった。そしてその書状を持ってきた公使館員に対して言った。
「この事を急いで江戸へ伝えるので、早まった行動はしないようにニール殿へお伝えくだされ!」
このあと横浜の運上所と江戸城の間で緊迫したやり取りがつづけられた。
ところがこの時、小笠原によってさらにダメ押しがなされた。
至急、談判のため横浜へ行く、と約束した小笠原が
「急病で行けなくなった」
とニールに書状を送りつけたのである。
これで日英交渉は完全に決裂した。
ニールは「もはやこれまで」と判断してキューパー提督に一切の判断を委ねた。
そしてこのことを各国公使館へ連絡し、さらに横浜の居留民に対して「“非常事態”に備えるように」と勧告を出した。
横浜は再び恐慌に陥った。
前回の騒動の時と同じように、日本人はいっせいに横浜から逃げて行った。
もちろん江戸の町も恐慌に陥った。
幕府は品川など海岸沿いの住民に退去命令を出した。そして大名や武士に対して
「イギリスと戦争になる可能性が高いので銘々覚悟せよ」
と通告した。
この時キューパー提督の命令によってイギリス艦隊から二隻の軍艦が江戸へ向かって北上を開始した。
これにより、品川を警備していた兵士たちは騒然とした。ただし、この軍艦は偵察のために江戸へ近づいただけだったので、これで戦闘が開始されることはなかった。
キューパー提督は、すぐに武力行使を発動することはなかった。
日本側から攻撃を受けない限り武力行使は一週間延期する、と宣言した。
キューパー提督が以前ニールに伝えたように、彼は横浜・長崎・箱館の居留民を同時に守る戦力はイギリス側にそろっていないと判断していたからだ。
そのような判断の下で、彼は横浜の外国人居留民に対して
「各々自国の船へ緊急避難するように」
と声明を発した。
この声明によって横浜の外国人居留民は一時パニックになりかけた。
しかしすぐにフランスのジョレス提督が
「我々は絶対に横浜を守りきってみせる」
と力強い声明を出したため、パニックは収まった。
この騒動をうけてイギリス公使館ではサトウとウィリスも多忙を極めていたが、二人はお茶を飲んで休憩しながら今回のキューパー提督の処置について話し合った。
ウィリスはキューパー提督の弱腰姿勢を苦々しく見ていた。
「キューパー提督は我が大英帝国の威信が傷ついても平気なのか?まったく決断力の欠片もない」
サトウはキューパー提督にそれほど批判的でもなかった。
「確かにちょっと優柔不断だね。でも、そのおかげでまだ戦争になってないから我々にとっては良かったじゃない」
ウィリスは海軍士官から聞いた噂話をサトウに語った。
「提督の部下から聞いた話では、彼は一度も実戦で大砲を発射した経験がないらしい」
「それじゃあ、そんな指揮官の下で戦争になったら、大変な事になるんじゃないの?」
しかしこの二人は遠からず、そのキューパー提督の指揮の下で戦争を経験することになるのである。
一方、俊輔は四月下旬に横浜へ入っていた。
さらに五月一日には山尾が、五月六日には聞多と野村が横浜に到着した。
ちなみに聞多は以前書いたように志道家を離れて井上家へ戻り、今は「井上聞多」と名乗るようになっている。
この四人に加えて、洋行者がもう一人増えることになった。
遠藤謹助という男である。
彼は上士の家柄ではあったが嫡男(長男)ではなかった。それでも彼は以前から洋学を志しており、横浜で聞多や山尾と一緒に壬戌丸の航海練習にも参加していた。彼は今回の洋行計画を許可した藩の重役・小幡彦七(高政)の縁者だったので、その小幡から推薦してもらって洋行に参加することになったのだった。
これでロンドン行きの洋行者は合計五名ということになった。
俊輔は横浜に着いてから桂に命じられた「鉄砲の買い付け」に奔走した。ところが
「これから我々外国人と日本人が戦争するかも知れないのに、日本人に鉄砲を売れる訳がないだろう?」
このように言われ、どこの外国商社も長州に鉄砲を売ってくれなかった。
俊輔はその旨を手紙にしたためて桂へ連絡した。まあ俊輔にとっては最早どうでもいい話、とまでは言わないまでも、すでに気持ちは自分が洋行することで一杯だった。とにかく、自分が日本でやるべき仕事はこれで終わった、と安心した。
長州藩は今回の洋行の手配を、横浜で藩の御用達をしている伊豆倉商店を通じてイギリスのジャーディン・マセソン商会に依頼することにした。
五月六日、五人を代表して聞多がジャーディン・マセソン商会の横浜支店長ガウアーに会いに行き、洋行の手続きを相談した。一応その前に山尾からガウアーへ話がいっていたので大体のことは話が済んでいた。
ガウアーは聞多に洋行の段どりを説明した。
「わかりました。五月十二日に上海へ行く船があります。それで行くことにしましょう。渡航費とロンドンでの一年間の生活費、あわせて一人千両になります」
「一人千両だと?!」
「それでもロンドンでの生活は難しいかもしれません」
聞多は愕然とした。藩からもらっていた金は全部で六百両しかないのだ。
(六百両では足りるまいと覚悟はしていたが、まさか一人千両、すなわち五千両も必要とは!しかし一旦やると決めた以上、たかが五千両がないからといって今さらあきらめてたまるか!)
「ガウアーさん、必ず五千両は用意する。これは武士の魂の刀である。これをあなたに預ける。この刀にかけて金は必ず用意する」
「あなたの気持ちはわかりました。しかしこの横浜で戦争が始まってしまえば、どのみちこの話はキャンセルになりますよ」
「大丈夫!戦争など起こりはせん!我々は必ずロンドンへ行くんじゃ!」
聞多は、何の根拠もなかったが精一杯強がって答えた。
聞多は横浜で俊輔に相談した。金のことにかけては人一倍自信のある聞多をもってしても、今回の件はさすがに参った。何しろ時間が無いのである。
「時間さえあれば京都へ連絡して金を使う了承をとるんだが、いまやそんな時間も無い。俊輔、何か良い方策はないか?」
「幸い鉄砲代金としては使わなかった一万両が残っている。だがこれを使うにしても、どのみち藩の了承がいる。江戸の藩邸にはその責任者がおらん」
「俊輔。鉄砲を買う時、伊豆倉は今回の洋行について何か言ってなかったか?」
「言っていた。実はあまり良い返事ではなかった。伊豆倉の貞次郎はともかく、その上の支配人、大黒屋六兵衛が幕府を怖れてあまり良い顔をしていない、と」
「そうか。あと最後に残ったツテはあの人だけだな……」
「あの人?」
「村田蔵六だ」
「ああ、あの火吹き達磨のような顔をした洋学先生か」
とにかく聞多は急いで村田蔵六のところへ向かった。
俊輔は一人で横浜の埠頭の近くに出てみた。
横浜のイギリス公使館で忙しく仕事をしていたサトウも、息抜きのため横浜の埠頭の辺りへ散歩に出かけた。
俊輔は海をみつめながら物思いにふけった。
(金のことは確かに心配だが、あの聞多のことだ、おそらくなんとかやり繰りするだろう。一番問題なのは幕府とイギリスが戦争をするかも知れないということだ。こればかりは我々の力ではどうすることも出来ない。日本のため長州のため、そんなことは今はどうでもいい。こんな洋行の機会など二度とないかも知れないのだ。我々だけのために、今は神仏にすがってでも、なんとか戦争を回避してもらいたいと祈るばかりだ)
あまりにも虫のいい話であろう。
野村弥吉や遠藤謹助がそう思うのであれば、まだ話はわかる。
けれども俊輔、聞多、山尾がそう思ったとしても神仏は「それはあまりにも虫のいい話だろ?」とあざ笑うだろう。
なぜなら俊輔たちはこれまで御殿山を焼き討ちし、しかも京都では幕府に対して「攘夷を実行しろ!」とけしかけていた張本人(長州藩内の過激派)の一味だったのだから。もしここで幕府がイギリスに対して攘夷を実行したならば、それこそ「本来の目的が成就された」と喜ぶべき筋の話であろう。
かたや、そのすぐ近くではサトウが同じように戦争の回避を祈っていた。
(まだ日本に来て一年も経っていないのに、もしこれで日英が戦争になればおそらく日本とはお別れになるだろう。ようやく日本や日本語のことが分かりかけてきたというのに、このまま日本を去るのは実に残念だ。それに、まだあの美しい黒髪の日本女性と、誰一人として知り合いになっていないというのに)
サトウのほうは、どうやら来日直後の頃とあまり違いはないようであった。
二人はふと、お互いのことに気がついて目を合わせた。
しかし特に気にも止めず、お互いそのまま別れ別れに帰っていった。
この二人がちゃんと出会って、その時は、自分たちの祖国のために戦争回避に奔走することになるのだが、それはもう少し先の話である。
しかし老中格の小笠原長行(図書頭)が強硬に支払い反対を唱えていた。
「今、賠償金を支払ってしまっては、後々大事になりますぞ!断固支払いを拒絶すべきでござる!」
この小笠原の意見に対し、江戸の“留守政府”における最高責任者の一人、御三家尾張藩主の徳川茂徳が怒りをあらわにして反論した。
「イギリスが『これ以上もう待てぬ』と言って来ておるのだ!もはや仕方がないではないか!」
「イギリスが何と言おうと、ここで妥協してはなりませぬ!」
「うるさい!図書頭!これ以上の問答は無用じゃ!」
茂徳はここで会議を打ち切って最終決定を発表した。
「これまで談判を進めてきた通り、分割払いで支払うことを認める。これが最終決定である!」
ところが意外にも小笠原は、この最終決定を冷静に受けとめていた。
実は小笠原にも慶喜同様、ひそかな策謀があったのである。
このあと横浜でニールと神奈川奉行の浅野との間で交渉がおこなわれ、五月三日(6月18日)に14万ドル、その後一週間ごとに5万ドルを支払い、合計44万ドルを支払うという形で合意にいたった。
ニールとしては、これで支払いの具体的な目処がついたので大いに安心した。
一方、京都から東海道を下った慶喜は駕籠に乗ってゆっくりと江戸へ向かっていた。
そして宮(熱田)宿から別途、江戸へ急使を送った。馬で急ぎ江戸へ向かったのは水戸藩士兼一橋家家臣の武田耕雲斎一行であった。
江戸城に着いた武田はすぐに小笠原長行と面会し、慶喜からの書状を伝達した。
「うむ、承知仕った。一橋様にそう伝えてくれ」
小笠原はすぐに幕議の席へ向かった。
そして慶喜からの書状を幕閣たちに見せつけて宣言した。
「将軍後見職の一橋様より書状がござった。賠償金の件は、一橋様が到着するまで支払いを見合わせるべし!そして五月十日をもって横浜・長崎・箱館(函館)を鎖港すべし!」
幕議に出ていた一同は愕然とした。
そして最初の賠償金支払い期日の五月三日(6月18日)になった。
この日の直前、横浜の運上所(税関および外国人に関わる行政を司る役所)にいる神奈川奉行・浅野のところへ江戸城から書状が届いた。
浅野は憂鬱であった。
(支払い期日の当日に、このような無体な話がイギリスに通ると思っておるのか、江戸の幕閣は……)
それでも浅野は気を取り直してイギリス公使館へ向かった。
ニールは公使館の応接室で浅野を出迎えた。
「おー、浅野サン。予定より早いじゃないか。もう賠償金を運んできたのか?」
「いや。実は……」
浅野は苦りきった表情でニールに書状を手渡した。
その書状には
「江戸の老中小笠原から支払い中止の命令が来たので支払うことが出来ない。さらに談判のため、あと二日間の猶予をもらいたい」
と書いてあった。
即座にニールは激怒した。
「ふざけるな!」
そう言うや、書状をビリビリとやぶって浅野に投げつけ、部屋から出て行った。
ニールは別室で日本に対する通告書を書いた。そしてその通告書を部下に持たせて浅野に渡した。
そのニールの書状には
「十二時間の内に賠償金の全額が支払われないと、キューパー提督に強制手段の発動を命じる」
と書かれていた。
浅野は真っ青になった。そしてその書状を持ってきた公使館員に対して言った。
「この事を急いで江戸へ伝えるので、早まった行動はしないようにニール殿へお伝えくだされ!」
このあと横浜の運上所と江戸城の間で緊迫したやり取りがつづけられた。
ところがこの時、小笠原によってさらにダメ押しがなされた。
至急、談判のため横浜へ行く、と約束した小笠原が
「急病で行けなくなった」
とニールに書状を送りつけたのである。
これで日英交渉は完全に決裂した。
ニールは「もはやこれまで」と判断してキューパー提督に一切の判断を委ねた。
そしてこのことを各国公使館へ連絡し、さらに横浜の居留民に対して「“非常事態”に備えるように」と勧告を出した。
横浜は再び恐慌に陥った。
前回の騒動の時と同じように、日本人はいっせいに横浜から逃げて行った。
もちろん江戸の町も恐慌に陥った。
幕府は品川など海岸沿いの住民に退去命令を出した。そして大名や武士に対して
「イギリスと戦争になる可能性が高いので銘々覚悟せよ」
と通告した。
この時キューパー提督の命令によってイギリス艦隊から二隻の軍艦が江戸へ向かって北上を開始した。
これにより、品川を警備していた兵士たちは騒然とした。ただし、この軍艦は偵察のために江戸へ近づいただけだったので、これで戦闘が開始されることはなかった。
キューパー提督は、すぐに武力行使を発動することはなかった。
日本側から攻撃を受けない限り武力行使は一週間延期する、と宣言した。
キューパー提督が以前ニールに伝えたように、彼は横浜・長崎・箱館の居留民を同時に守る戦力はイギリス側にそろっていないと判断していたからだ。
そのような判断の下で、彼は横浜の外国人居留民に対して
「各々自国の船へ緊急避難するように」
と声明を発した。
この声明によって横浜の外国人居留民は一時パニックになりかけた。
しかしすぐにフランスのジョレス提督が
「我々は絶対に横浜を守りきってみせる」
と力強い声明を出したため、パニックは収まった。
この騒動をうけてイギリス公使館ではサトウとウィリスも多忙を極めていたが、二人はお茶を飲んで休憩しながら今回のキューパー提督の処置について話し合った。
ウィリスはキューパー提督の弱腰姿勢を苦々しく見ていた。
「キューパー提督は我が大英帝国の威信が傷ついても平気なのか?まったく決断力の欠片もない」
サトウはキューパー提督にそれほど批判的でもなかった。
「確かにちょっと優柔不断だね。でも、そのおかげでまだ戦争になってないから我々にとっては良かったじゃない」
ウィリスは海軍士官から聞いた噂話をサトウに語った。
「提督の部下から聞いた話では、彼は一度も実戦で大砲を発射した経験がないらしい」
「それじゃあ、そんな指揮官の下で戦争になったら、大変な事になるんじゃないの?」
しかしこの二人は遠からず、そのキューパー提督の指揮の下で戦争を経験することになるのである。
一方、俊輔は四月下旬に横浜へ入っていた。
さらに五月一日には山尾が、五月六日には聞多と野村が横浜に到着した。
ちなみに聞多は以前書いたように志道家を離れて井上家へ戻り、今は「井上聞多」と名乗るようになっている。
この四人に加えて、洋行者がもう一人増えることになった。
遠藤謹助という男である。
彼は上士の家柄ではあったが嫡男(長男)ではなかった。それでも彼は以前から洋学を志しており、横浜で聞多や山尾と一緒に壬戌丸の航海練習にも参加していた。彼は今回の洋行計画を許可した藩の重役・小幡彦七(高政)の縁者だったので、その小幡から推薦してもらって洋行に参加することになったのだった。
これでロンドン行きの洋行者は合計五名ということになった。
俊輔は横浜に着いてから桂に命じられた「鉄砲の買い付け」に奔走した。ところが
「これから我々外国人と日本人が戦争するかも知れないのに、日本人に鉄砲を売れる訳がないだろう?」
このように言われ、どこの外国商社も長州に鉄砲を売ってくれなかった。
俊輔はその旨を手紙にしたためて桂へ連絡した。まあ俊輔にとっては最早どうでもいい話、とまでは言わないまでも、すでに気持ちは自分が洋行することで一杯だった。とにかく、自分が日本でやるべき仕事はこれで終わった、と安心した。
長州藩は今回の洋行の手配を、横浜で藩の御用達をしている伊豆倉商店を通じてイギリスのジャーディン・マセソン商会に依頼することにした。
五月六日、五人を代表して聞多がジャーディン・マセソン商会の横浜支店長ガウアーに会いに行き、洋行の手続きを相談した。一応その前に山尾からガウアーへ話がいっていたので大体のことは話が済んでいた。
ガウアーは聞多に洋行の段どりを説明した。
「わかりました。五月十二日に上海へ行く船があります。それで行くことにしましょう。渡航費とロンドンでの一年間の生活費、あわせて一人千両になります」
「一人千両だと?!」
「それでもロンドンでの生活は難しいかもしれません」
聞多は愕然とした。藩からもらっていた金は全部で六百両しかないのだ。
(六百両では足りるまいと覚悟はしていたが、まさか一人千両、すなわち五千両も必要とは!しかし一旦やると決めた以上、たかが五千両がないからといって今さらあきらめてたまるか!)
「ガウアーさん、必ず五千両は用意する。これは武士の魂の刀である。これをあなたに預ける。この刀にかけて金は必ず用意する」
「あなたの気持ちはわかりました。しかしこの横浜で戦争が始まってしまえば、どのみちこの話はキャンセルになりますよ」
「大丈夫!戦争など起こりはせん!我々は必ずロンドンへ行くんじゃ!」
聞多は、何の根拠もなかったが精一杯強がって答えた。
聞多は横浜で俊輔に相談した。金のことにかけては人一倍自信のある聞多をもってしても、今回の件はさすがに参った。何しろ時間が無いのである。
「時間さえあれば京都へ連絡して金を使う了承をとるんだが、いまやそんな時間も無い。俊輔、何か良い方策はないか?」
「幸い鉄砲代金としては使わなかった一万両が残っている。だがこれを使うにしても、どのみち藩の了承がいる。江戸の藩邸にはその責任者がおらん」
「俊輔。鉄砲を買う時、伊豆倉は今回の洋行について何か言ってなかったか?」
「言っていた。実はあまり良い返事ではなかった。伊豆倉の貞次郎はともかく、その上の支配人、大黒屋六兵衛が幕府を怖れてあまり良い顔をしていない、と」
「そうか。あと最後に残ったツテはあの人だけだな……」
「あの人?」
「村田蔵六だ」
「ああ、あの火吹き達磨のような顔をした洋学先生か」
とにかく聞多は急いで村田蔵六のところへ向かった。
俊輔は一人で横浜の埠頭の近くに出てみた。
横浜のイギリス公使館で忙しく仕事をしていたサトウも、息抜きのため横浜の埠頭の辺りへ散歩に出かけた。
俊輔は海をみつめながら物思いにふけった。
(金のことは確かに心配だが、あの聞多のことだ、おそらくなんとかやり繰りするだろう。一番問題なのは幕府とイギリスが戦争をするかも知れないということだ。こればかりは我々の力ではどうすることも出来ない。日本のため長州のため、そんなことは今はどうでもいい。こんな洋行の機会など二度とないかも知れないのだ。我々だけのために、今は神仏にすがってでも、なんとか戦争を回避してもらいたいと祈るばかりだ)
あまりにも虫のいい話であろう。
野村弥吉や遠藤謹助がそう思うのであれば、まだ話はわかる。
けれども俊輔、聞多、山尾がそう思ったとしても神仏は「それはあまりにも虫のいい話だろ?」とあざ笑うだろう。
なぜなら俊輔たちはこれまで御殿山を焼き討ちし、しかも京都では幕府に対して「攘夷を実行しろ!」とけしかけていた張本人(長州藩内の過激派)の一味だったのだから。もしここで幕府がイギリスに対して攘夷を実行したならば、それこそ「本来の目的が成就された」と喜ぶべき筋の話であろう。
かたや、そのすぐ近くではサトウが同じように戦争の回避を祈っていた。
(まだ日本に来て一年も経っていないのに、もしこれで日英が戦争になればおそらく日本とはお別れになるだろう。ようやく日本や日本語のことが分かりかけてきたというのに、このまま日本を去るのは実に残念だ。それに、まだあの美しい黒髪の日本女性と、誰一人として知り合いになっていないというのに)
サトウのほうは、どうやら来日直後の頃とあまり違いはないようであった。
二人はふと、お互いのことに気がついて目を合わせた。
しかし特に気にも止めず、お互いそのまま別れ別れに帰っていった。
この二人がちゃんと出会って、その時は、自分たちの祖国のために戦争回避に奔走することになるのだが、それはもう少し先の話である。
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毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
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