伊藤とサトウ

海野 次朗

文字の大きさ
上 下
2 / 62
第一章・生麦騒動

第2話 生麦騒動

しおりを挟む
 サトウやウィリスが働いている横浜のイギリス公使館は「横浜居留地きょりゅうち20番」の場所にあった。現在の場所でいえばやま下橋したばし交差点近くの「横浜人形の家」のあたりになる。ちなみにここには明治大正の頃、関東大震災で焼失するまでは横浜を代表する最高級ホテル「グランド・ホテル」が建っていた。
 しかし生麦事件が発生したこの時期、イギリス公使館のトップであるオールコック公使はイギリスに帰国中で不在だった。代わりにニール陸軍大佐が代理だいり公使をつとめていた。このニール代理公使が当時の在日イギリス人たちにとっての最高責任者であり、サトウやウィリスの上司でもあった。

 前回「ウィリスが攘夷じょうい殺傷事件の救急活動にあたるのはすでに二度目である」と書いたように、これ以前にも外国人を狙った殺傷事件は度々たびたび発生しており、横浜の外国人たちはイラ立ちをつのらせていた。
 そしてこの日の夜、横浜にリチャードソンの無残むざんな遺体が運び込まれたのである。
 ついに彼らのイラ立ちは爆発した。

 横浜の外国人たち、特に一番人数の多いイギリス人は激昂げきこうして叫んだ。
「我々はこれまで何度も攘夷浪人ローニンどもから襲撃しゅうげきをうけてきた!」
「今度という今度は日本人ジャップもの見せてやろうじゃないか!」
 なにしろ今回の事件はこれまでのような暗殺事件と違って犯行が薩摩藩の仕業しわざであることは明白で、しかもたった今、目と鼻の先に犯人がいるのである。薩摩藩の一行が宿泊している保土ヶ谷ほどがや宿は直線距離にして横浜から五キロも離れていない。
 さらに彼ら外国人たちにとって幸いなことに、この日横浜にイギリス艦隊の旗艦きかんユーリアラス号が入港してきた。フランス艦隊の旗艦セミラミス号とならんで東洋では最大級の軍艦(蒸気フリゲート艦)である。それ以前から横浜に停泊していた英仏えいふつらんの軍艦をあわせると合計八隻となり、それぞれの軍艦から海兵隊を出兵すればかなりの兵力となる。

 横浜の外国人たちの多くは「保土ヶ谷襲撃しゅうげき」に賛成した。
 彼らは最高責任者であるニールの意見を待たずに一部の有力者たちだけで軍議を開いた。
「これだけの兵力があれば薩摩の軍勢などひとひねりだ!」
「これから我々は保土ヶ谷を攻撃して島津三郎サブロウ(久光)と殺人犯をらえる!」
「異議なし!」
 彼らは「保土ヶ谷襲撃」を決定した。


 一方、その保土ヶ谷宿のほうでも薩摩藩士たちが「横浜への先制攻撃」をとなえていた。
 この薩摩藩一行いっこうは外国人数人を斬り捨てたにもかかわらず幕府役人たちからの詮議せんぎも無視し、平然と保土ヶ谷宿まで行列を進めていた。
 ただし、この保土ヶ谷宿ではイギリスからの報復ほうふくにそなえて厳重に警備をかためていた。薩摩藩からすれば幕府などすでに眼中に無く、相手はイギリスだけである。しかし薩摩藩としても、幕府をおどすために運んできた大砲をまさかイギリス相手に使うことになろうとは夢にも思ってなかったであろう。

 薩摩藩の陣屋敷では生麦でイギリス人たちを斬った「実行犯」の一人である海江田かいえだ信義のぶよしが、藩の家老並役なみやくである小松帯刀に対して意見を具申ぐしんした。
おいに百名の軍勢を貸してたもんせ。これから異人どものいる横浜をめてはらってきもんそ」
 小松は仰天した。
「バカな事を言うな!横浜には日本人の商人もおるんじゃぞ!」
異人いじんとの商売でもうけとる連中なんぞ、気にする必要は無かでしょう」
 今回の問題を処理するために小松と相談していた大久保一蔵いちぞう(後の大久保利通としみち)が海江田を一喝いっかつした。
「先に手を出してはならん!」
 しかし海江田は承服できず反論した。
一蔵いちぞうどん、そげん弱気でどげんする。すでに一人殺してしもうたんじゃ。あと何人殺そうが同じじゃ。いっそ我が薩摩が横浜を焼き払って、攘夷のさきがけをやれば良いではごわはんか」
 これに対し大久保は毅然として言った。
「もし異人どもが攻めてきたらその時は反撃しても構わんが、こちらから先に手を出してはならん。我々の一番大切な任務はこく様を無事ぶじ帰国させる事じゃ」
 結局、薩摩側は小松と大久保の判断によって「横浜への先制攻撃」は差し控えることになった。


 同じ頃、横浜では「保土ヶ谷襲撃」に賛成した人々がフランス公使館に集まっていた。この公使館のトップであるフランス公使のベルクールは襲撃賛成派の意見を尊重するような姿勢を見せていたので、彼らはベルクールを頼ったのだった。彼らはこのフランス公使館にイギリスのニール代理公使を呼びつけた。時刻はすでに深夜である。
 フランス公使館の会議室に入るやいなや、ニールは不快な表情をあらわにして抗議した。
「イギリス人が犠牲になったというのに、なぜフランスの公使館に私を呼びつけるのかね?」
 ニールの抗議をうけてベルクールは答えた。
「まあまあ、そう怒りなさるな。私は“公使”だが、あなたはオールコック氏不在中の“代理公使”だ。しかも私はあなたよりも横浜での経験が長い。それで皆がこの場所を選んだのだ」
 ニールの表情はますますけわしくなった。
 そのニールに対し、席にすわっている外国人の代表者たちが意見を述べはじめた。
「とにかく、報復ほうふくのためただちに海兵隊を上陸させて保土ヶ谷の薩摩陣営を攻撃すべし、というのが我々の総意です」
すみやかにご決断下さい、ニール代理公使」
 そして一同はこぶしを振りあげて口々に叫んだ。
「報復だ、報復だ!日本人ジャップ血祭ちまつりにあげてやれ!」
 この会議の席には、この日横浜に到着したばかりのユーリアラス号の艦長キューパー提督もすわっている。彼はこの襲撃賛成派の人々に対して異論いろんを述べた。
「ちょっと待ってくれ。私は横浜に着いたばかりでまだ事情を把握はあくしていない。会議に参加するとは言ったが、攻撃作戦に賛成するとは言ってない」
 これで襲撃賛成派の人々の意気はやや消沈しょうちんした。そこへニールが追い打ちをかけるようにキッパリと言った。
「私は襲撃作戦を容認することはできない」
 彼はさらに続けて言った。
「我々が保土ヶ谷を襲撃すれば、薩摩ばかりか日本全体と戦争することにもなりかねない。我々は貿易をするために日本に来ているのだ。戦争をするためではない」

 このニールの意見を聞いて襲撃賛成派の一同が騒ぎ立てた。
日本人ジャップ侮辱ぶじょくされたままでくやしくはないのか!?」
「そうだ、そうだ!臆病者おくびょうもの!」
 これらの罵声ばせいをうけてもニールの方針は変わらなかった。
「私はすでにこの件を本国政府の判断に一任いちにんすると決めている。これ以上何を言われても、この決定がくつがえる事はない」
 襲撃賛成派の人々からまつり上げられる形で公使館を会議場所として提供していたベルクールも、そのニールの方針をうけいれた。
「了解した。我がフランスもその判断を尊重そんちょうしよう。ただし、これから薩摩の軍勢が攻めてくる可能性もある。横浜の警戒はおこたらないようにつとめることとしよう」
 結局イギリス側も、ニールの強い意志が示されたことによって「保土ヶ谷襲撃」計画を中止することになった。

 翌朝、幕府からの保土ヶ谷駐留ちゅうりゅうの命令を無視して、薩摩藩一行はさっさと京都へ向けて出発した。
 こうして、お互い複雑な事情をかかえながらも「この時は」薩摩とイギリスの武力衝突は避けられたのである。

 ちなみにこれは余談というべきだろうが、この薩摩藩一行には「あの西郷吉之助きちのすけ(西郷隆盛たかもり)」は加わっていない。西郷は流されていた奄美大島から一旦いったん戻ってきて今回の「久光上洛じょうらくおよび江戸下向げこう」に不本意ながら参加したものの、久光の命令を無視したとがで藩から捕縛ほばくされ、再び島流しまながしとなった。
 後にサトウと知り合い、ともに歴史の転換点てんかんてんを見届けることになる西郷は、この頃沖永良部おきのえらぶ島の牢屋ろうやに閉じ込められていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

よあけまえのキミへ

三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。 落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。 広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。 京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

異・雨月

筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。 <本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています> ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。 ※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。

【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。 播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。 しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。 人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。 だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。 時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

処理中です...