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二百九十二話

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 ミードこと蜜酒の入った瓶を渡すとパスバインは頷いた。

「一口、いただきますね……」

「こちらにはまだ、半分あるから返さなくてもいいぞ。残りは倒れている兵士たちにでもあげればいい」

 持参したおちょこに蜜酒をそそぐと、パスバインは顔と仮面の合間に器用にそれを突っ込み、口へと運んでいった。
 ギデオンからすれば彼女の準備の良さに、苦笑するだけだ。
 彼女がどこで、蜜酒のことを知ったのか謎だが、今まで、この神酒を飲んだ者は確実に身体能力が強化されていた。
 例外なのはギデオン自身、蜜酒を飲めば体力や気力は、回復してゆくが、肉体強化のチートはついて来ない。
 その影響か、無制限に蜜酒を飲むことができる。

「ありがとうございました。これで、やっと本気が出せる」

 パスバインが持つ気の流れが、急激に騒がしくなってきた。
 暴走したわけでもなく、それまで緩やかな波形を描いていた闘気が増幅するのとともに形を変え始めた。
 丁度、水面に石を投げ入れた時のような練功の波紋を広げ周囲を圧倒する。
 パスバインの全身を包むのは、まさに闘気ヴェールに例えられる力だった。

「ギデ殿……マナシのもとに向かうのですね。ならば、私が道を開きましょう……トランスファー! ドランクバトラー。練功武術とは、ひと味違う無形の武闘をご覧あれ!!」

「おい! 単独で突っ込んでゆくな」

 止める間もなく、仮面の闘士は踊るように混乱の舞台に身を投じた。
 ギデオンの心配をよそに、パスバインは攻まりくる暴漢たちを相手に物の見事に立ち向かう。
 繰り出される拳は変幻自在、一撃で敵の鎧をも壊す。
 軽やかな体捌きで流れるような闘技を放ち、敵をはらいのけてゆく。

「今です! 行ってください」

 先行するパスバインが声を張り上げた。
 それと時同じく、ギデオンがスタートをきる。
 彼女が兵士たちを追いやった結果、橋のど真ん中に通り道ができていた。
 そのままでは、すぐに閉ざしてしまう道を猛スピードで駆け抜け、ギデオンは宙を舞う。
 すぐそこにマナシがいる。
 銃撃が利かないのなら、他の方法を用いるのみ……。

「そうはさせるかぁあああ―――!! 賊どもがぁぁあああ!!」

 ギデオンたちの勢いに負けず劣らず、迎え撃って出てきたのは曹純だった。
 パスバイン軍によって捕虜になっていた将は、混乱に乗じて味方に救助されていた。

「せっかく逃げられたというのに……懲りない人ですね」

「邪魔だな……パスバイン、一気に蹴散らしてゆくぞ」

「ええっ! 昇派回転鐘しょうはかいてんりん

 曹純軍に向けて構えたパスバインの両腕から螺旋を描く闘気が発せられた。
 大元導士やランドルフと同じく彼女もまた、気の流れを操作し扱うことに長けていた。
 両腕に渦巻く練功、遠心力がもたらす威力は凄まじく、かすめただけでも弾き飛ばされしまう。
 その様に西の兵士たちも退避しようとするが、なぜか足はパスバインの元へと進もうしている。

「フフフッ、敵前逃亡なんざぁ―――、拙僧が許さん! 臆病なオマエたちには、拙僧の生霊を憑りつけてやったので、心安らかに務めを果たせい」

「まったく持って悪趣味な技だな。貴様、仲間を何だと思っている!?」

 魔獣ガルムを携えギデオンは、近距離から曹純を狙った。
 何発か魔法弾を発砲するも、祈祷師である敵将は、自軍の兵を操って盾代わりにしてくる。
 見た目ばかりの僧侶で、聖人と呼ぶには程遠い。
 非人道的な男で、自己中心的な野心家だ。

 そんな、彼を誰が好くというのだろうか? 仲間うちからは「顔の濃い外道」と呼ばれ忌み嫌われいる。
 だったら構わないと開き直り、なおのこと悪逆の道へと進んでいる。

「これ以上は、好き勝手にさせないわ! 敵将、曹純! ここで引導を渡してやる」

 仮面越しからでも、パスバインが怒りで打ち震えているのが分かる。
 正義感が強くとも、悪党は絶対に許さないという質には到底、思えない。
 そうなるだけの理由があるのだろうとギデオンは察した。

「こい! 女狐め。さきほどは油断したが、この数の兵が居れば拙僧は無敵だ! ガハハハハァ――」

「本当にそう思うのか?」

「はん! オマエか。北の継承者を名乗る不届き者は!! 者ども、コイツを捕らえて八つ裂きにしろ―――」

「僕と出会ったのが、お前の運の尽きだ! 発動、ハイドエンドシーク」

「ぎゃひぃぃぃ!! 熱い熱い熱い! なんだ? この炎は? 囲まれている……お、オマエラ――――早く、助けに来い」

 黒煙の炎が曹純だけを飲み込んでいた。
 ハイドエンドシークは設置型のトラップスキルである。
 先の銃撃の最中、このトラップを曹純の足下に撃ち込んでおいた。
 実力がある者ならば、練功の硬壁によって突破できる。
 しかし、祈祷師でありながら他者の力に頼りっきていた男に、自力があるわけもない。

「後は任せた……パスバイン」

「はい! 回転鐘よ、悪しき魂を噛み砕け、ベツレームクライシス!!」

 放たれたる大旋風が、炎の中にいる悪党をさらってゆく。
 そのまま、空中で回転し続け、遥か彼方へ飛び立っていく。
 溜め池を越えた、その先の河川上流に一筋の星が流れた。
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