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二百七十二話
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南軍の将、パスバインは去り際にこう告げた。
「開戦は明日です。どう動くのかは、貴方の判断に任せますが……決して、我々の邪魔をなさらぬようお願いいたします」
仮面で表情を窺い知ることはできなくとも、彼女の礼節を重んじる所作は目を見張るものがあった。
白髪交じりのあご髭をなでる将軍は「若いのに関心だな」とすっかり、ほだされていた。
確かに、パスバインはよくできた人間だ。
それだけに感受性が高く、どこか不安定で精神的な脆さが見受けられる。
彼女の中から、ヒシヒシと感じられる心の闇……。
ランドルフも、そこは警戒しているようだ。
「何者なんでしょうね? 彼女。人との接し方や間の取り方が上手だ……外交官にしては、物事を柔軟に受け入れすぎている気もしますが……」
「まあ、良いではないか! ランドルフ殿、西の相手は南がしてくれるそうだから、我々は言われた通りに布陣し、遠くから観戦するだけだ」
「ですが、それではマナシと戦うことはできません。貴方の主だった彼と同様に四凶化する為の魔道具を持っているはずです。あれは、ギデオンにとっては必要なものなんです! 決して他者の手に渡ってはいけない」
「い、いや……だからといって南の機嫌を損なうわけは…………」
「将軍、本気でそう思っているのですか!?」
ランドルフに一喝され、レプラゼーラ将軍は海老のように背を丸めた。
叱責されるのも当然だ。
彼は今、将軍としてあるまじき失言をしてしまった。
いくら共闘体制を取っているとはいえ、南とは敵対関係であることには変わりない。
西とのことが終われば、次に狙われるのは北域である。
ここで、ガリュウ軍に戦の功をすべて持ちさらわれてしまったら、それこそ西域への遠征は無駄に終わってしまう。
「……ギデオンは、まだ戻ってこないのか」
落ち着かない様子で、ランドルフは天幕の外へ出た。
ギデオンが西のトクシャカ様の下に行っていることを知っているのは、彼だけだった。
リュウマとの対決直後、アゲットによって御美束の山に引き寄せられ、すぐにまたコハクの手によって戻された。
大体の事情は、その時に聞いていた。
北の陣までの道筋を教えてくれたのも、コハクだ。
「ラ! ランドルフ兄ちゃん。た、大変だァァ――――!!」
本陣周辺の警固に出ていたシユウが、血相を変えて戻ってきた。
「どうした、何事だ?」
「いいから、早く! 外に来てくれよ」
慌ただしく、手を引っ張るシユウに連れられながら、ランドルフは蓬莱渠の都を眺めた。
「違う、そっちじゃないべ! 南のガリュウ軍のほうだわぁ―――!!」
「ん…………あんっの、バカ!!」
シユウの指さす方角へと目を凝らすと、視界の先に湿原を駆け抜ける一頭の騎馬が見えた。
その瞬間、目を白黒とさせたランドルフが周囲へと響くように叫ぶ。
「伝令を出せ! 何人かは、私について来い!! シユウ! 君は将軍に、このことを報告してくれ」
「ガッテン! オイラたちも後から行ったほうがいいか?」
「いや、ここで待っていてくれ。アイツは私が連れ戻してくる……よし! 陸龍の準備を―――ったく、邪魔をするなと釘を刺された傍から……もうこれだ」
気苦労が絶えないランドルフは、愚痴をこぼしながらも、龍の背にまたがった。
まだ、数回ほどしかしか乗っていないが、陸龍に騎乗するコツは馬とさして変わらない。
騎士である彼には馬を乗りこなすのは造作もないこと。
駈歩から、一気に襲歩にもってゆくのもお手の物だ。
兵を数人、引き連れて南へと直進する。
水はけの悪い足場では、龍を走らせるのも容易ではない。
彼らの目指す先に、ギデオンの背中が見えた。
とはいえ、姿形は点のように小さく、追いつくのにはほど遠い。
北軍勢としてはここで諦めて追走を中断するわけにもいかない。
せっかく結んだ共闘を、こうも簡単に破断させてしまったら南軍との関係は確実に破綻する。
そうなれば、責任を背負わされるのは彼らである。
「何をどう暴走しているのか知らないが……何故? 北の本陣ではそっちなんだぁぁ―――!」
ギデオンは脇目も振らずに、ガリュウ軍の方へと向かっている。
それはトクシャカ様との約束を果たすためのと突撃であり、本人としては他意はない。
しかしながら、事情をしらない者にとっては一戦交えるつもり、なんなら、敵大将の首すら取りに行きかねないほどの勢いである。
普段のギデの行いを知っていれば、確実にその考えに行きつく。
交渉しに来たパスバインとは大違いだ。狼煙を上げて合図を送るわけでもない。
ただただ、南の陣営に突っ込み単騎で乗り込んでゆく。
ランドルフたちが必死で追いかけたが、結局は間に合わなかった。
ガリュウ軍内が騒然となる最中、敵襲を告げる鐘の音が湿原に響き渡った。
「開戦は明日です。どう動くのかは、貴方の判断に任せますが……決して、我々の邪魔をなさらぬようお願いいたします」
仮面で表情を窺い知ることはできなくとも、彼女の礼節を重んじる所作は目を見張るものがあった。
白髪交じりのあご髭をなでる将軍は「若いのに関心だな」とすっかり、ほだされていた。
確かに、パスバインはよくできた人間だ。
それだけに感受性が高く、どこか不安定で精神的な脆さが見受けられる。
彼女の中から、ヒシヒシと感じられる心の闇……。
ランドルフも、そこは警戒しているようだ。
「何者なんでしょうね? 彼女。人との接し方や間の取り方が上手だ……外交官にしては、物事を柔軟に受け入れすぎている気もしますが……」
「まあ、良いではないか! ランドルフ殿、西の相手は南がしてくれるそうだから、我々は言われた通りに布陣し、遠くから観戦するだけだ」
「ですが、それではマナシと戦うことはできません。貴方の主だった彼と同様に四凶化する為の魔道具を持っているはずです。あれは、ギデオンにとっては必要なものなんです! 決して他者の手に渡ってはいけない」
「い、いや……だからといって南の機嫌を損なうわけは…………」
「将軍、本気でそう思っているのですか!?」
ランドルフに一喝され、レプラゼーラ将軍は海老のように背を丸めた。
叱責されるのも当然だ。
彼は今、将軍としてあるまじき失言をしてしまった。
いくら共闘体制を取っているとはいえ、南とは敵対関係であることには変わりない。
西とのことが終われば、次に狙われるのは北域である。
ここで、ガリュウ軍に戦の功をすべて持ちさらわれてしまったら、それこそ西域への遠征は無駄に終わってしまう。
「……ギデオンは、まだ戻ってこないのか」
落ち着かない様子で、ランドルフは天幕の外へ出た。
ギデオンが西のトクシャカ様の下に行っていることを知っているのは、彼だけだった。
リュウマとの対決直後、アゲットによって御美束の山に引き寄せられ、すぐにまたコハクの手によって戻された。
大体の事情は、その時に聞いていた。
北の陣までの道筋を教えてくれたのも、コハクだ。
「ラ! ランドルフ兄ちゃん。た、大変だァァ――――!!」
本陣周辺の警固に出ていたシユウが、血相を変えて戻ってきた。
「どうした、何事だ?」
「いいから、早く! 外に来てくれよ」
慌ただしく、手を引っ張るシユウに連れられながら、ランドルフは蓬莱渠の都を眺めた。
「違う、そっちじゃないべ! 南のガリュウ軍のほうだわぁ―――!!」
「ん…………あんっの、バカ!!」
シユウの指さす方角へと目を凝らすと、視界の先に湿原を駆け抜ける一頭の騎馬が見えた。
その瞬間、目を白黒とさせたランドルフが周囲へと響くように叫ぶ。
「伝令を出せ! 何人かは、私について来い!! シユウ! 君は将軍に、このことを報告してくれ」
「ガッテン! オイラたちも後から行ったほうがいいか?」
「いや、ここで待っていてくれ。アイツは私が連れ戻してくる……よし! 陸龍の準備を―――ったく、邪魔をするなと釘を刺された傍から……もうこれだ」
気苦労が絶えないランドルフは、愚痴をこぼしながらも、龍の背にまたがった。
まだ、数回ほどしかしか乗っていないが、陸龍に騎乗するコツは馬とさして変わらない。
騎士である彼には馬を乗りこなすのは造作もないこと。
駈歩から、一気に襲歩にもってゆくのもお手の物だ。
兵を数人、引き連れて南へと直進する。
水はけの悪い足場では、龍を走らせるのも容易ではない。
彼らの目指す先に、ギデオンの背中が見えた。
とはいえ、姿形は点のように小さく、追いつくのにはほど遠い。
北軍勢としてはここで諦めて追走を中断するわけにもいかない。
せっかく結んだ共闘を、こうも簡単に破断させてしまったら南軍との関係は確実に破綻する。
そうなれば、責任を背負わされるのは彼らである。
「何をどう暴走しているのか知らないが……何故? 北の本陣ではそっちなんだぁぁ―――!」
ギデオンは脇目も振らずに、ガリュウ軍の方へと向かっている。
それはトクシャカ様との約束を果たすためのと突撃であり、本人としては他意はない。
しかしながら、事情をしらない者にとっては一戦交えるつもり、なんなら、敵大将の首すら取りに行きかねないほどの勢いである。
普段のギデの行いを知っていれば、確実にその考えに行きつく。
交渉しに来たパスバインとは大違いだ。狼煙を上げて合図を送るわけでもない。
ただただ、南の陣営に突っ込み単騎で乗り込んでゆく。
ランドルフたちが必死で追いかけたが、結局は間に合わなかった。
ガリュウ軍内が騒然となる最中、敵襲を告げる鐘の音が湿原に響き渡った。
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