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二百七十一話
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大渓谷を抜けたその先は、庚午と呼ばれる湿原が拡がっている。
西の果てにある蓬莱渠の都を囲うようにして広がる泥炭地には、豊富な水源と、緑が群生する名だたる名所とされている。
平時であれば、観光客で賑わう明光の泉。
西域侵攻を前にしてレプラゼーラ将軍、率いる北軍、千五百は都からほど近いこの場所に陣を構えた。
兵数こそは他の二軍より遥かに劣るも、ランドルフやエイルといった勇将には恵まれていた。
しかしながら、この小数で西の都の守りを突破するのは、ほぼ絶望的。
布陣はしたものの、先には進めず手間取っているところに刻、同じくして南方から進軍してきたガリュウ軍の使者が訪れる。
「何? 南軍が共闘を持ち掛けてきただと……」
知らせをうけた将軍は、本隊と合流したばかりのランドルフを呼び、意見を求めた。
王位継承権を持つギデオンが不在である以上、彼の代わりが務まるのはギデという人物を良く知るものだけ。
そのことを考慮した上での決断だった。
「ランドルフ殿、突然で申し訳ない。今回のことは、私の一存だけで決してよいものではないと思い呼び立てのだ。我らが中心であるギデ殿が不在である以上、頼りになるのは貴公しかおらん。一将としての意見を聞きたい」
レプラゼーラ将軍が考えあぐねるのも仕方がない。
主であるナンダの仇を討つために挙兵したまでは良かったが、マナシを討つと聞いたそれ以降、何も情報が入ってこない。そもそも、誰が言い出したのかも定かではなく話の出所がつかめない。
知らず知らずのうちに兵士たちの合間に話が広まったところで、ちょうどギデオンが王位継承者候補として旗揚げすることになり便乗したまでだ。
時間が経てば、経つほど、この戦の異質さが浮き上がってくる。
そう感じるのは彼だけではない……兵士たちまた気づき始めていた。
自分たちは一体、何と戦わされようとしているのか? 大軍を前に、こんな一軍とも呼べない少規模で戦地に向かうなど、死地を求めているのと同じだ。自分たちは捨て石の他ならない。
様々な憶測が飛び交う中、ランドルフだけは彼ら兵士たちにこう告げていた。
「危うくなったら、すぐに逃げろ。私たちに付き従うのではなく、自らの意思で悔いのない選択をして欲しい」
その発言により、不穏な空気が漂い始めていた軍の中で、新たなる結束が芽生え始めた。
一部ではあるが、故郷を守るためには他の勢力に対抗するしかないという思いを抱く者たちが声をあげたのだ。
それは、主であったナンダの理念に反することであった。
確かに武力衝突より講和で解決しようとする主の理想は素晴らしかった。
けれど、それは一時の平和であって根本的な解決には至らない。
争いは避け続けられてきたものの、その代償として北部を守備する兵力はだいぶ衰えてしまっていた。
結局、平和を得るには何かを失う。
それが人の血肉か、他の物かの違いだけ。
いずれにしても、消えるのは人が人であるために必要とする物である。
平和というモノは嗜好品なのだ、しかも、究極の価値を持っている。
それだけに決して無傷で得られるものではない。
「断わる理由はないと思います。南は五万六千もの大軍、対して東の門を死守する西軍が八万二千。この数だけみれば、西の護りは崩せないでしょう」
「だから、我々の助力が必要だと?」
「いいえ、南が用意した兵数はそれで事足りると判断したからでしょう。事実、西の主戦力の一人である剣豪リュウマは我々に一度、敗北している。彼が再起したところで兵の士気は上がらない……混戦となれば、リュウマ一人の剣技でどうこうできるほど戦場は甘くないのですから」
「では……何故に? 共闘を必要とする」
「それは、なんとも……当人たちから話を訊かないことには。ただ、西の守護代を警戒しているフシはあると思いますが」
二人で協議し合った結果、将軍は南の使者をここに通すよう部下に命じた。
それは、共闘を望むという北側の返答でもある。
「お目通りが叶い良かったです、レプラゼーラ将軍」
そう述べながら、ランドルフたちの前に現れたのは漆黒の仮面をつけた官服姿の女だった。
素顔がみえなくとも、柔らかな口調と穏やかな声で女性だと分かる。
「失礼ですが、ここには貴女、御一人で?」
「はい、私はガリュウの将が一人、パスバインと申します。本日は、こちらが提案させていただいた南北、二軍での共闘体制について、ご説明に伺った次第でございます」
「ランドルフ・ナハ―ルトです。宜しくお願いします」
それぞれが挨拶を交わし、話し合いの席につく。
レプラゼーラにとって南のこの対応は、驚くほど以外で不気味だった。
南のガリュウ軍といえば、白兵戦が得意な筋骨隆々の猛者たちが集う、いわば脳筋集団というイメージが強かった。
しかし、使者として派遣されたのは女官たった一人。
その彼女も、北に人間に対する敵意や悪意といった負の感情を一切、もっていないといった具合だ。
何とも、妙な空気に支配されつつも、交渉は何一つ揉めることなく早々に締結した。
西の果てにある蓬莱渠の都を囲うようにして広がる泥炭地には、豊富な水源と、緑が群生する名だたる名所とされている。
平時であれば、観光客で賑わう明光の泉。
西域侵攻を前にしてレプラゼーラ将軍、率いる北軍、千五百は都からほど近いこの場所に陣を構えた。
兵数こそは他の二軍より遥かに劣るも、ランドルフやエイルといった勇将には恵まれていた。
しかしながら、この小数で西の都の守りを突破するのは、ほぼ絶望的。
布陣はしたものの、先には進めず手間取っているところに刻、同じくして南方から進軍してきたガリュウ軍の使者が訪れる。
「何? 南軍が共闘を持ち掛けてきただと……」
知らせをうけた将軍は、本隊と合流したばかりのランドルフを呼び、意見を求めた。
王位継承権を持つギデオンが不在である以上、彼の代わりが務まるのはギデという人物を良く知るものだけ。
そのことを考慮した上での決断だった。
「ランドルフ殿、突然で申し訳ない。今回のことは、私の一存だけで決してよいものではないと思い呼び立てのだ。我らが中心であるギデ殿が不在である以上、頼りになるのは貴公しかおらん。一将としての意見を聞きたい」
レプラゼーラ将軍が考えあぐねるのも仕方がない。
主であるナンダの仇を討つために挙兵したまでは良かったが、マナシを討つと聞いたそれ以降、何も情報が入ってこない。そもそも、誰が言い出したのかも定かではなく話の出所がつかめない。
知らず知らずのうちに兵士たちの合間に話が広まったところで、ちょうどギデオンが王位継承者候補として旗揚げすることになり便乗したまでだ。
時間が経てば、経つほど、この戦の異質さが浮き上がってくる。
そう感じるのは彼だけではない……兵士たちまた気づき始めていた。
自分たちは一体、何と戦わされようとしているのか? 大軍を前に、こんな一軍とも呼べない少規模で戦地に向かうなど、死地を求めているのと同じだ。自分たちは捨て石の他ならない。
様々な憶測が飛び交う中、ランドルフだけは彼ら兵士たちにこう告げていた。
「危うくなったら、すぐに逃げろ。私たちに付き従うのではなく、自らの意思で悔いのない選択をして欲しい」
その発言により、不穏な空気が漂い始めていた軍の中で、新たなる結束が芽生え始めた。
一部ではあるが、故郷を守るためには他の勢力に対抗するしかないという思いを抱く者たちが声をあげたのだ。
それは、主であったナンダの理念に反することであった。
確かに武力衝突より講和で解決しようとする主の理想は素晴らしかった。
けれど、それは一時の平和であって根本的な解決には至らない。
争いは避け続けられてきたものの、その代償として北部を守備する兵力はだいぶ衰えてしまっていた。
結局、平和を得るには何かを失う。
それが人の血肉か、他の物かの違いだけ。
いずれにしても、消えるのは人が人であるために必要とする物である。
平和というモノは嗜好品なのだ、しかも、究極の価値を持っている。
それだけに決して無傷で得られるものではない。
「断わる理由はないと思います。南は五万六千もの大軍、対して東の門を死守する西軍が八万二千。この数だけみれば、西の護りは崩せないでしょう」
「だから、我々の助力が必要だと?」
「いいえ、南が用意した兵数はそれで事足りると判断したからでしょう。事実、西の主戦力の一人である剣豪リュウマは我々に一度、敗北している。彼が再起したところで兵の士気は上がらない……混戦となれば、リュウマ一人の剣技でどうこうできるほど戦場は甘くないのですから」
「では……何故に? 共闘を必要とする」
「それは、なんとも……当人たちから話を訊かないことには。ただ、西の守護代を警戒しているフシはあると思いますが」
二人で協議し合った結果、将軍は南の使者をここに通すよう部下に命じた。
それは、共闘を望むという北側の返答でもある。
「お目通りが叶い良かったです、レプラゼーラ将軍」
そう述べながら、ランドルフたちの前に現れたのは漆黒の仮面をつけた官服姿の女だった。
素顔がみえなくとも、柔らかな口調と穏やかな声で女性だと分かる。
「失礼ですが、ここには貴女、御一人で?」
「はい、私はガリュウの将が一人、パスバインと申します。本日は、こちらが提案させていただいた南北、二軍での共闘体制について、ご説明に伺った次第でございます」
「ランドルフ・ナハ―ルトです。宜しくお願いします」
それぞれが挨拶を交わし、話し合いの席につく。
レプラゼーラにとって南のこの対応は、驚くほど以外で不気味だった。
南のガリュウ軍といえば、白兵戦が得意な筋骨隆々の猛者たちが集う、いわば脳筋集団というイメージが強かった。
しかし、使者として派遣されたのは女官たった一人。
その彼女も、北に人間に対する敵意や悪意といった負の感情を一切、もっていないといった具合だ。
何とも、妙な空気に支配されつつも、交渉は何一つ揉めることなく早々に締結した。
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